馬鹿 でも チョン でも。 江戸時代からあった言葉「バカチョン」が差別用語になった経緯

今更 恥ずかしいのですが「バカでもチョンでも出来る!」の《...

馬鹿 でも チョン でも

自民党の谷垣禎一幹事長が、大阪市内での街頭演説で差別語を使ったという問題。 発言内容は以下のようなものだったらしい。 「東京の自民党本部が賛成しているのに、大阪府連は都構想に反対している。 (それを)ばかだチョンだというようなことを維新は言っている」 これのどこが差別表現なのか、僕にはさっぱり理解できない。 「チョン」は朝鮮人に対する侮蔑的な表現であるという説明があるのだが、この説明はそれだけを取り上げれば事実だ。 かつて日本人は中国人を「チャンコロ」と呼び、朝鮮人を「チョン」や「チョン公」と呼んでバカにしていたことがある。 しかし「ばかだチョンだ」の「チョン」はそれとはまったく無関係だ。 だいたい谷垣さんはここで、「チョン=朝鮮人」の意味で使っているのか? 違うでしょ? 朝鮮人のことを「チョン」と呼ぶのは時代錯誤の大差別だが、「ばかだチョンだ」はまるっきり問題ないよ。 以下、僕が知るかぎりのことを簡単に解説しておく。 江戸時代末期には既にあった表現 「ばかだチョンだ」のもともとの表現は「馬鹿だのチョンだの」だ。 略して「バカチョン」と言ったりもする。 辞書に載っているもっとも古い用例は、明治3年から9年に発行された仮名垣魯文の「西洋道中膝栗毛」にあるという。 そこには「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」と書かれているらしい。 おそらくこの表現は江戸時代から一般的に広く使われていた罵倒語なのだろう。 この時代の日本人に「チョン=朝鮮人」という発想はない。 では「チョン」とはもともとどんな意味だったのか? チョンとは今でも読点や傍点に使う「、」や「・」のことだ。 江戸時代には男性がちょんまげを結っていたが、あれをちょんまげと呼ぶのは形が「、」に似ているからだという。 「、」はそれ自体では意味のない小さな点なので、些細なこと、小さなこと、などの意味にも使われる。 ごくわずかな量を意味する「ちょんびり」や「ちょんぼり」という言葉や、短い時間を意味する「ちょんの間」という言葉が今でも残っている。 チョンには別の意味もある。 芝居(歌舞伎)で幕切れに入れる拍子木の「チョン」という音のこと。 そこで終わり。 そこで打ち切りというしるし。 「そこでチョンになった」などと使う。 何かを切断するときに使う「ちょん切る」も同じ意味からの言葉だという。 「チョン」というのは前者の意味から派生して、「つまらない奴」「役に立たない者」という意味で使われていた言葉のようだ。 「西洋道中膝栗毛」の中にある「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」は、「あほ、ばか、まぬけ」と同じ、同義語を反復する表現にすぎない。 「ばかだのちょんだの」に朝鮮人差別の意味はまったくない!(ただしあまりお上品な言葉でないことは確かだ。 ) バカチョンカメラの登場 「ばかでもちょんでも」が朝鮮人差別だと言われるようになったのは、マスコミが「バカチョンカメラ」という言葉を自粛した頃からだと思う。 昭和50年代頃からではないだろうか。 今では当たり前のことだが、誰でもシャッターボタンさえ押せば失敗のない写真が取れるカメラというのは、当時は結構大変な技術だったのだ。 世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」の発売は1977年(昭和52年)のこと。 ただしそれ以前から、スナップ写真などでだいたいどこにでもピントが合うパンフォーカスのカメラは出ている。 それらを総称して「誰にでも簡単に撮影できるカメラ」という意味で「バカチョンカメラ」と呼ばれていたのだ。 しかしこの言葉は、まもなく使われなくなった。 理由は「チョン」が朝鮮人差別だということではなく、おそらくはメーカー側がそれを嫌がったのだろう。 自分たちが技術の粋を集めて心血を注いだカメラを「バカチョン」とはひどい……。 そんなわけで、こうしたカメラは「全自動カメラ」とか「ロボットカメラ」などと呼ばれるようになった。 (後者は死語ですね。 )やがてあらゆるカメラにオートフォーカス機能が搭載されると、バカチョンカメラという言葉は完全に死滅した。 しかしこれと同時進行で、「バカチョン」は朝鮮人差別だという誤った説明が広まるようになっている。 今ではこれがすっかり「定説」になってしまい、今回の谷垣さんの発言を「差別用語」だと報じる新聞まである始末。 困ったもんです。 今回は特に朝日新聞がひどい。 見出しが「谷垣氏、街頭演説で朝鮮人差別用語」だもんなぁ。 毎日も「差別的表現」と見出しで書いている。 日本語の番人であるべき新聞マスコミが、日本語に対する誤解を広めてどうするんだよ! 差別語の範囲は時代によって異なる 日本のマスコミでは差別語について一時期かなり神経質になっていたことがあり、ありとあらゆる言葉が「差別語だ」という理由で使えなくなってしまったことがある。 たとえば「狂う」という言葉はかつてテレビでは決して使えない言葉だった。 精神障害者に対する差別だというのだ。 ドラマの中で「時計が狂う」と言おうとしたらシナリオにチェックが入って使えず、「時計が遅れている」に直したら「知的障害者に対する差別だ」と言われて使えず、「時計が進んでいる」に直したという話をどこかで読んだことがある。 でも今は大河ドラマの中で吉田松陰が「諸君、狂いたまえ!」なんて大見得きったりしているのだから、時代が変わって差別語が差別でなくなることもあるわけだ。 大河ドラマでは、忠臣蔵をモチーフにした「峠の群像」(1982/昭和57年)で「片手落ち」が使えないことが話題になったことがある。 松の廊下の刃傷事件で浅野家だけが処分を受けたことに対して、藩士たちが「喧嘩両成敗にならず当家だけが処分を受けるのは片手落ちでござる!」と憤るはずが、「片手落ち」は身体障害者に対する差別だということになって「片落ち」になってしまった。 言葉としては「片手+落ち」ではなく「片+手落ち」であり、一方にだけ手落ちがあるという意味なんだろうけどね。 これはたぶん、今でもマスコミでは使えない言葉になってしまっていると思う。 NHKが「片手落ち=差別語」のレッテルを貼ったからだ。 本来差別語でもなんでもない言葉であっても、大マスコミが音頭を取って差別語のレッテルを貼ってしまえば、そこで差別語として確定してしまう。 「片手落ち」は今でも使いにくい言葉だし、「ばかでもちょんでも」も公的な場で使うことはできない。 谷垣さんにはお気の毒だけど、政治家も「言葉を使って商売」をしているわけだから、そのあたりは注意深くあるべきだったと思うけどね。 しかし今回の件で一番みっともないのは、谷垣発言の揚げ足を取って「差別だ」と触れ回っているマスコミと、言葉尻を取り上げて谷垣さんを差別主義者扱いしている人たちだ。 ある言葉が差別的か否かは、その言葉が使われた文脈で決まる。 谷垣さんの発言に朝鮮人差別の意図がまったくないことは、誰がどう考えたってわかることだろうに……。 中国では「シナ(支那)」と呼ばれると大問題に今でもなります。 それを若い香港出身の議員が宣誓のときに、香港はシナの一部ではないと発言したため、問題になり、中国政府側から、議員の資格を剥奪されています。 シナという言葉は、香港のマスコミや中国政府では、侮辱、禁句らしいです。 (香港のほとんどのマスコミ、South China Morning Postも含めて現在は中国の財閥が運営しています・・だから若い議員や中国から政治的に独立したという香港人の若い人々に対して、批判的な香港出身の富裕層は多いです。 自分たちのビジネスは中国大陸をターゲットですものね。 中国政府の機嫌は損ねたくないのでしょう・・・香港は一部の財閥でビジネスが行われていて、欧米系の香港支店への就職も親の職のコネが必要です。 実際に親や親戚の口添えで、外資の銀行や証券に入社している人たちを知っています。 ) 言葉を扱うのは、慎重にならなくてはならず、難しいなといつも思います。 自分の心の中で話しているなら、誰も知ることはありませんが、相手や聴衆がいて、受け取り側の誰かが一人でも不満や偏見だと言うと、現在はソーシャルメディアが盛んなため、直ぐに炎上したり、社会から抹殺されることもありますね。 それを、考慮すると、何も発言したくなくなりますし、書くのも怖くなります。

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「バカチョンカメラ」という言葉は差別用語ですか

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自民党の谷垣禎一幹事長が、大阪市内での街頭演説で差別語を使ったという問題。 発言内容は以下のようなものだったらしい。 「東京の自民党本部が賛成しているのに、大阪府連は都構想に反対している。 (それを)ばかだチョンだというようなことを維新は言っている」 これのどこが差別表現なのか、僕にはさっぱり理解できない。 「チョン」は朝鮮人に対する侮蔑的な表現であるという説明があるのだが、この説明はそれだけを取り上げれば事実だ。 かつて日本人は中国人を「チャンコロ」と呼び、朝鮮人を「チョン」や「チョン公」と呼んでバカにしていたことがある。 しかし「ばかだチョンだ」の「チョン」はそれとはまったく無関係だ。 だいたい谷垣さんはここで、「チョン=朝鮮人」の意味で使っているのか? 違うでしょ? 朝鮮人のことを「チョン」と呼ぶのは時代錯誤の大差別だが、「ばかだチョンだ」はまるっきり問題ないよ。 以下、僕が知るかぎりのことを簡単に解説しておく。 江戸時代末期には既にあった表現 「ばかだチョンだ」のもともとの表現は「馬鹿だのチョンだの」だ。 略して「バカチョン」と言ったりもする。 辞書に載っているもっとも古い用例は、明治3年から9年に発行された仮名垣魯文の「西洋道中膝栗毛」にあるという。 そこには「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」と書かれているらしい。 おそらくこの表現は江戸時代から一般的に広く使われていた罵倒語なのだろう。 この時代の日本人に「チョン=朝鮮人」という発想はない。 では「チョン」とはもともとどんな意味だったのか? チョンとは今でも読点や傍点に使う「、」や「・」のことだ。 江戸時代には男性がちょんまげを結っていたが、あれをちょんまげと呼ぶのは形が「、」に似ているからだという。 「、」はそれ自体では意味のない小さな点なので、些細なこと、小さなこと、などの意味にも使われる。 ごくわずかな量を意味する「ちょんびり」や「ちょんぼり」という言葉や、短い時間を意味する「ちょんの間」という言葉が今でも残っている。 チョンには別の意味もある。 芝居(歌舞伎)で幕切れに入れる拍子木の「チョン」という音のこと。 そこで終わり。 そこで打ち切りというしるし。 「そこでチョンになった」などと使う。 何かを切断するときに使う「ちょん切る」も同じ意味からの言葉だという。 「チョン」というのは前者の意味から派生して、「つまらない奴」「役に立たない者」という意味で使われていた言葉のようだ。 「西洋道中膝栗毛」の中にある「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」は、「あほ、ばか、まぬけ」と同じ、同義語を反復する表現にすぎない。 「ばかだのちょんだの」に朝鮮人差別の意味はまったくない!(ただしあまりお上品な言葉でないことは確かだ。 ) バカチョンカメラの登場 「ばかでもちょんでも」が朝鮮人差別だと言われるようになったのは、マスコミが「バカチョンカメラ」という言葉を自粛した頃からだと思う。 昭和50年代頃からではないだろうか。 今では当たり前のことだが、誰でもシャッターボタンさえ押せば失敗のない写真が取れるカメラというのは、当時は結構大変な技術だったのだ。 世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」の発売は1977年(昭和52年)のこと。 ただしそれ以前から、スナップ写真などでだいたいどこにでもピントが合うパンフォーカスのカメラは出ている。 それらを総称して「誰にでも簡単に撮影できるカメラ」という意味で「バカチョンカメラ」と呼ばれていたのだ。 しかしこの言葉は、まもなく使われなくなった。 理由は「チョン」が朝鮮人差別だということではなく、おそらくはメーカー側がそれを嫌がったのだろう。 自分たちが技術の粋を集めて心血を注いだカメラを「バカチョン」とはひどい……。 そんなわけで、こうしたカメラは「全自動カメラ」とか「ロボットカメラ」などと呼ばれるようになった。 (後者は死語ですね。 )やがてあらゆるカメラにオートフォーカス機能が搭載されると、バカチョンカメラという言葉は完全に死滅した。 しかしこれと同時進行で、「バカチョン」は朝鮮人差別だという誤った説明が広まるようになっている。 今ではこれがすっかり「定説」になってしまい、今回の谷垣さんの発言を「差別用語」だと報じる新聞まである始末。 困ったもんです。 今回は特に朝日新聞がひどい。 見出しが「谷垣氏、街頭演説で朝鮮人差別用語」だもんなぁ。 毎日も「差別的表現」と見出しで書いている。 日本語の番人であるべき新聞マスコミが、日本語に対する誤解を広めてどうするんだよ! 差別語の範囲は時代によって異なる 日本のマスコミでは差別語について一時期かなり神経質になっていたことがあり、ありとあらゆる言葉が「差別語だ」という理由で使えなくなってしまったことがある。 たとえば「狂う」という言葉はかつてテレビでは決して使えない言葉だった。 精神障害者に対する差別だというのだ。 ドラマの中で「時計が狂う」と言おうとしたらシナリオにチェックが入って使えず、「時計が遅れている」に直したら「知的障害者に対する差別だ」と言われて使えず、「時計が進んでいる」に直したという話をどこかで読んだことがある。 でも今は大河ドラマの中で吉田松陰が「諸君、狂いたまえ!」なんて大見得きったりしているのだから、時代が変わって差別語が差別でなくなることもあるわけだ。 大河ドラマでは、忠臣蔵をモチーフにした「峠の群像」(1982/昭和57年)で「片手落ち」が使えないことが話題になったことがある。 松の廊下の刃傷事件で浅野家だけが処分を受けたことに対して、藩士たちが「喧嘩両成敗にならず当家だけが処分を受けるのは片手落ちでござる!」と憤るはずが、「片手落ち」は身体障害者に対する差別だということになって「片落ち」になってしまった。 言葉としては「片手+落ち」ではなく「片+手落ち」であり、一方にだけ手落ちがあるという意味なんだろうけどね。 これはたぶん、今でもマスコミでは使えない言葉になってしまっていると思う。 NHKが「片手落ち=差別語」のレッテルを貼ったからだ。 本来差別語でもなんでもない言葉であっても、大マスコミが音頭を取って差別語のレッテルを貼ってしまえば、そこで差別語として確定してしまう。 「片手落ち」は今でも使いにくい言葉だし、「ばかでもちょんでも」も公的な場で使うことはできない。 谷垣さんにはお気の毒だけど、政治家も「言葉を使って商売」をしているわけだから、そのあたりは注意深くあるべきだったと思うけどね。 しかし今回の件で一番みっともないのは、谷垣発言の揚げ足を取って「差別だ」と触れ回っているマスコミと、言葉尻を取り上げて谷垣さんを差別主義者扱いしている人たちだ。 ある言葉が差別的か否かは、その言葉が使われた文脈で決まる。 谷垣さんの発言に朝鮮人差別の意図がまったくないことは、誰がどう考えたってわかることだろうに……。 中国では「シナ(支那)」と呼ばれると大問題に今でもなります。 それを若い香港出身の議員が宣誓のときに、香港はシナの一部ではないと発言したため、問題になり、中国政府側から、議員の資格を剥奪されています。 シナという言葉は、香港のマスコミや中国政府では、侮辱、禁句らしいです。 (香港のほとんどのマスコミ、South China Morning Postも含めて現在は中国の財閥が運営しています・・だから若い議員や中国から政治的に独立したという香港人の若い人々に対して、批判的な香港出身の富裕層は多いです。 自分たちのビジネスは中国大陸をターゲットですものね。 中国政府の機嫌は損ねたくないのでしょう・・・香港は一部の財閥でビジネスが行われていて、欧米系の香港支店への就職も親の職のコネが必要です。 実際に親や親戚の口添えで、外資の銀行や証券に入社している人たちを知っています。 ) 言葉を扱うのは、慎重にならなくてはならず、難しいなといつも思います。 自分の心の中で話しているなら、誰も知ることはありませんが、相手や聴衆がいて、受け取り側の誰かが一人でも不満や偏見だと言うと、現在はソーシャルメディアが盛んなため、直ぐに炎上したり、社会から抹殺されることもありますね。 それを、考慮すると、何も発言したくなくなりますし、書くのも怖くなります。

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「馬鹿でもチョンでも」は差別語ではない

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概要 [ ] 元々「チョン」はであり、その原義は「半端者」などの意味で使われてきた。 公益役職などにおける役務を帳票に記す際、筆頭名主は役職名と姓名を記したのに対して、筆頭以下の同役に対しては「以下同役」の意味で「 ゝ ( ちょん )」と略記したうえで姓名を記したことに由来し、「取るに足らない者・物」を意味した。 この表現は、明治初期に書かれた『』()においても、「馬鹿だのチョンだの野呂間(ノロマ)だの」などと言ったかたちで用いられてきた。 この意味で使われるときは、は第1拍が高く第2拍が低く唱えられる。 その後、原義とは異なる意味合いにおいて、朝鮮人に対する蔑称として俗用されることがあったが、そこから推移して 、なおかつ差別に用いられる別の表現と結びついて、侮蔑的・揶揄的に使われたことで、蔑称としての意味を有するようになった。 こうした事情から、日本国内のではの一種(なるべく放送では使わない言葉)としている。 テヨン [ ] 2014年、一帯に「チョン出ていけ」との落書が多数あると報じられた際、「チョン」ではなく「テヨン」になっていたことから、韓国関連ネットのとなった。 によると「を習ったことがない"専用脳"の人物が見よう見真似で慌てて書いた文字」であるという。 脚注 [ ] []• 2017年6月30日. 2017年10月20日閲覧。 『:第4版』「ちょん」• 三省堂『新明解国語辞典』• 参考文献 [ ]• 『西洋道中膝栗毛』(1870年出版)• 「『バカチョン』『チョン』という言葉」 『差別語・不快語』 にんげん出版〈ウェブ連動式 管理職検定02〉、2011年。 「チョンコ」 『私家版 差別語辞典』 、2011年、217-219頁。 関連項目 [ ]•

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