この世 あの世 英語。 あの世(天国・地獄)ってどんな世界?【霊的世界のほんとうの話】

天国・地獄は本当にあった。臨死体験で私が見たあの世の世界【奇跡体験談-幸せをつかんだ感動の実話-】

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天国から地獄まで、実録・臨死体験 不思議な体験のはじまり 私が世にも不思議な体験をしたのは、今からもう50年以上も前の、22歳のときのことです。 当時、私は、京都市の南の小さな集落で、家業だった玉露の製造・販売の仕事をしていました。 ある日のこと、私は仕事中に大量の血を吐いて高熱を出し、すぐに自宅に戻って布団に横になりました。 意識がもうろうとするなか、その体験は、はじまったのです。 (いったい、何が起きているんだろう?) 訳が分からずに驚いていると、上のほうから声が聞こえました。 「お前、もう死んだんやで」 それは、男性の声のようでした。 (そんな! 自分はちゃんとここにおる。 こんなにピンピンしているじゃないか!そうだ、墓を見にいって確かめてみよう) 当時は土葬だったので、もし自分が死んだのなら、墓穴が掘ってあるはずです。 不思議なことに、墓地に行こうと思ったとたん、私の体は家の襖や障子をスルリと通り抜け、アッという間に墓地まで移動していました。 (体が通り抜ける……! いったいこれは何なんだ?) 墓地の様子はいつもと変わらず、私の墓穴らしきものは見当たりません。 私は、再び一瞬で移動し、自分が寝ている部屋へと戻りました。 自分の人生を走馬灯のように見せられて 部屋には医師が駆けつけており、私に注射をしていました。 強心剤のようでした。 そのかたわらで、母が泣いています。 (やっぱり私は死んだのか……) と、突然、私の体が、トンネルのようなところを上昇しはじめました。 ゴーッという音とともに、ものすごいスピードで昇っていきます。 何が何だか分からぬうちに、私は「別世界」に行き着きました。 自分がすっかり忘れてしまっていることまで、つぶさに映し出されるので、作り話ではないことはすぐに分かりました。 顔や姿は見えないのですが、私の背後には大勢の人がいて、一緒に映像を見ているのが分かりました。 学校で友達の悪口を言っている自分。 喧嘩している自分……。 私が悪さをしたり失敗したりすると、その人たちもクスクス笑い、何事かを話し合っています。 私は自分の人生を走馬灯のように見せられて、いろいろなことを反省しました。 また、両親の有難さにも深く気づかされました。 (そうだ……。 小学生のころに亡くなった父には、何の恩返しもできなかった。 臨死体験の際に同様の体験をする人も多い(大川隆法著/幸福の科学出版 第1章参照)。 空はどこまでも青く広がり、明るい太陽に照らされた山々の緑は、まばゆいばかりに輝いています。 美しい渓谷もあります。 「別世界」に来るまでは、頭痛で頭が割れそうだったのに、それが嘘のように消え、心も体も晴れ晴れとしています。 私は、それまで一度も味わったことのない安らぎと幸福感に満たされていました。 (これが極楽……?) 突然、上のほうに、白い衣を身にまとい、杖を持った男の人が現れました。 その人は私に、「上に上がってきなさい」と促しています。 すると、フッと私の体が軽くなり、スーッと空中に上がっていったのです。 私はその人に導かれ、空を飛んでいきました。 川の水はとても透き通っていて、川底には気味の悪いものがたくさん沈んでいます。 川の真ん中くらいまで飛んでいくと、私を導いてくれていたその男の人が、忽然と姿を消してしまいました。 取り残された私は、(川に落ちる!)とパニックになり、必死に手足を動かしました。 次の瞬間、私は、あたり全部が真っ赤な世界にいました。 (ここは地獄か……? そういえば小さいころ、両親が私を叱るとき、「悪いことをしたら地獄に行くよ。 その川は、古来より「三途の川」と呼ばれている。 よって川底には、名刺や金銭など、この世の執着を象徴する物が落ちている(大川隆法著/幸福の科学出版『永遠の生命の世界』第1章参照)。 恐ろしい地獄界 そう思ったとたん、何と私は、「針の山」に立っていたのです。 山というよりも、坂道のようなところに、大きな針がたくさん突き出ています。 歩くたびに、その針が私の足に刺さり、足を突き抜け、血が流れ出すのです。 けれど、不思議と痛みはまったくありません。 (もう、かんべんしてほしい! ) 恐怖に震えていると、突然、また場面が変わり、今度はたくさんの木々が立ち並ぶ薄暗い森にいました。 よく見ると、木の一本一本には人が閉じ込められていて、動けずに苦しんでいます。 一本の木の上のほうに人影が見え、「こっちへいらっしゃい」と手招きするので、私は、その人のところへ行こうと木を登りはじめました。 しかし、登ろうとすると、木の葉の一枚一枚が、剃刀のような鋭い刃物に変わって私の体を傷つけるので、上へ進むことができません。 ふと耳を澄ますと、どこからか、「助けてー!」という声が聞こえてきます。 私は、その人を助けようと、声のする地面の下のほうに向かって、無我夢中で飛び込みました。 そして、真っ逆さまに、何百メートル、いや、何千メートルも落ちていったのです。 ようやく行きついた先は、まさに奈落の底でした。 漆黒の世界。 その暗闇たるや、針の山や、先ほどいた森よりも、ずっとずっと深く恐ろしいものでした。 そのお坊さんが、私に助けを求めていたのです。 けれども、助けようにも、私には、その人を助ける術もなく、ただ、ただ、(神様、仏様、助けてください!)と、祈るばかりでした。 祈りは通じ、天の一角から光が漏れてきて、私は天使たちに助けられ、再び光り輝く世界に救い上げられたのです。 誤った思想の害毒を、それ以上、広げないためである 大川隆法著/幸福の科学出版 Part1 参照)。 Fさんが見たお坊さんは、僧侶の身でありながら、思想・信条を誤り、無間地獄に堕ちたと推定される。 花の一本一本には、それぞれ違う衣装をまとった、羽の生えた小さな妖精が棲んでいます。 そこに、突然、まばゆい光に包まれた大きな大きな仏像が現れました。 そのあまりの神々しさに、私はその場にひれ伏すことしかできませんでした。 圧倒的な光。 一切の言い訳を許さないような威厳。 私は、頭を地面につけたまま、尋ねました。 「あなた様は、どなた様でしょうか? お名前をお聞かせください」 「私が誰であるかを明かすことはできない。 しかし、あなたは、ここにいてはいけない。 元の世界に戻って修行しなさい」 荘厳な声が響いたかと思うと、大きな仏像は、ものすごいスピードで上昇し、アッというまに姿を消してしまいました。 気がつくと、私は、再び自宅の部屋にいました。 そして、布団に横たわる自分の体に戻っていったのです。 そのとき、私の頭からは、長い紐のようなものが出て、ゆらゆらと揺れているのが見えました。 「生き返りよった!」 母と誰か親戚の人が、驚いてざわめいている声が遠くに聞こえました。 死ぬのが怖くなくなった 実は、このとき私は、結核にかかっていたのです。 息を吹き返した私は、すぐに入院し、1年半の療養生活を強いられました。 退院後は、お茶の仕事は辞めて、会社勤めをはじめました。 私は、職場でも、どこでも、会う人ごとに、自分の体験を話して聞かせました。 「死んだら、おしまいじゃ!」とバカにする人や、「あいつは頭がおかしくなった」と陰口を言う人もいましたが、私は、何を言われても平気でした。 なぜなら、私が見てきた世界は、この世の何よりも色鮮やかで存在感があり、誰に何と言われようとも、「現実」そのものだったからです。 私は、この体験をしてから、死ぬことが怖くなくなりました。 それどころか、死後もあんなに素晴らしい世界があるのなら、この世のどんな苦労も乗り越えられると、人生に希望が持てました。 そして、「人に優しく、誠実に」という「よい生き方」をしていくことの大切さも教えられました。 それまで、「自分は何も悪いことはしていない」と思っていたのに、あの世で見せられた人生の映画では、たくさん恥ずかしい思いもし、後悔もさせられたからです。 何度かの転職ののち、私は資格を取り、自動車会社に就職しました。 お酒も飲めないので、毎日まじめに仕事をこなし、人と争いごとを起こすこともなく、規則正しい日々を重ねていきました。 幸福の科学との出会い 私は、自分の体験したことが何だったのかを知りたくて、書店に足を運んでは、あの世について書かれた本を探し求めました。 (日本の人も外国の人も、みんなが同じ嘘をついて本を書いているとは思えない。 これだけ多くの人が同じような体験をしているということは、やはり、あれは「事実」なんだ) 私は、ますます自分の体験について、確信を深めていきました。 そして、月日は流れ、54歳のとき。 ある日、書店で、いつものように本を探していると、 が書かれた、 という本が目にとまり、さっそく購入して読ませていただきました。 「人間は、心です。 魂です。 ですから、死んであの世に持って還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。 心がすべてなのです。 (中略)心しかもって還れないならば、せめて美しい心をもって還るしかないでしょう」 (書籍 より) どのご著書も、力強い言霊に満ち満ちており、この世では、いろいろな苦しみも悲しみもあるが、どんな環境にあっても、努力して心を美しく磨いていけば、天国に還ることができる、と説かれていました。 あの世のことや魂のことも、それまでに読んだどの本よりも克明に書かれていて、本当に驚き、感銘を受けました。 私が見た、魂と肉体をつなぐ紐は「霊子線」といい、それが切れたときが「死」の瞬間であること。 (そうか……。 それで、両親から聞かされた「針の山」のことを思った瞬間、針の山に立っていたんだ。 大川総裁は、何でこんなことまで書けるのだろう? きっとこの方は、すべてをご存知の方に違いない) 私は大川総裁についていこうと決心し、ほどなく幸福の科学の信者となったのです。 霊界についての著作も多数。 命あるかぎり、真実を伝える その後、私は、自動車会社に定年まで勤め上げ、退職しました。 現在は、毎日のように、生まれ育った地元の集落や、近隣の地域を一軒一軒まわって、幸福の科学の布教誌をお届けしています。 持病の糖尿病はありますが、よく歩くおかげで、前よりも元気になりました。 「『死んだら、終わり』じゃないんやで。 この世できれいな心で生きたら、天国に行ける。 悪いことをしても、この世でしっかり反省すれば、天国に還れるんや。 仏は何もかも見ておられるんやで」 「ほうか。 ほんなら、いい心で生きることが大事なんやな」 私が真理をお伝えすると、そんなふうに答えてくれる人もいますが、「また、あんなこと言うとる」と笑う人もいます。 けれども、私は、ひるむことなく教えを伝え続けています。 幼いころからずっと世話になってきた家族や親類、一人暮らしの私をいつも陰で支えてくれる集落の仲間たち。 縁あるすべての方々に、素晴らしい天国の世界に還ってほしいと、心から願うからです。 幸福の科学で教えていただいている通り、 この世で出会う人は、みな深い深いご縁があって、あの世で約束し合って生まれてきます。 年を取ると、昔の記憶はどんどん薄れていきます。 けれど、あのときの、あの体験だけは、いつまでも色あせることなく鮮やかによみがえります。 私が見てきた、まばゆいばかりに美しく輝く、喜びに満ちあふれた世界。 それは、とても言葉では言い表せないほどの素晴らしさでした。 苦しいこともあるこの世のなかで、私は頑張って、あの世の光の世界と同じ心で生きていきたい。 そんな生き方で、縁ある方々の心を照らしたい。 そう願いながら、私は、この命を使って、一筋に、「真実」を伝え続けてまいります。 人生は一回かぎりではない。 魂には永遠の生命がある より抜粋したメッセージ 永遠の生命 人間にとって、「自分はどこから来て、どこへ去っていくのか」ということは重大問題であり、これが心の底から離れることはないでしょう。 人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。 その短い期間を線香花火のように燃え尽きるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣な生活をしてしまうのではないでしょうか。 また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。 わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。 しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧となって戻ってくる」と考えられるのではないでしょうか。 真実の世界の姿を知ったなら 魂というものは永遠です。 魂には永遠の生命があるのです。 永遠の生命があるということは、調和された生活をして生き、心が美しく、死後は天国に還った人たちにとっては、このうえない福音です。 なぜなら、素晴らしい世界のなかで、生命を全うしていくことができるからです。 しかし、地獄に堕ちた人たちにとっては、永遠の生命があるということ自体が、一つの罰、懲罰なのです。 生命がひと思いになくなってしまえば、地獄で苦しむことはないのですが、生命はなくなりません。 このこと自体が彼らを罰しているのです。 人間は、こうした真実の世界の姿を知ったならば、「地上に生きているときに、悪いことを思うことも、悪いことをすることも、ほんとうに割が合わない」ということが分かるはずです。 「永遠の生命などなく、この世かぎりの人生だ」と思っているからこそ、やりたい放題のことをし、人を傷つけ蹴落としてでも偉くなろうとしているのです。 また、生前、ささやかな善意のなかに生きていたことが、あの世での至福の生活、これ以上ない素晴らしい生活へと展開していくならば、「なぜ、地上にいたときに、よいことをもっとしておかなかったのか」と誰もが思うはずです。 この世で1個よいことをすると、あの世で10個よいことをしたくらいの価値があります。 しかし、この世で、「このくらいのことはいいだろう」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では5倍10倍となって返ってきます。 こうした厳しい事態が待っているのです。 したがって、「よいことをすれば、ほめられるのだから、よいことをせよ」「悪いことはいけないから、してはならない」というのではなく、ほんとうの意味で自分を大切にする人間ならば、悪いことはできなくて、よいことしかできなくなってくるはずです。 ほんとうの人生観、ほんとうの世界観を知ったときには、そうせざるをえなくなってくるのです。 「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか? 人生相談を行っています 幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。 悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。 幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。 プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

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「あの世」に関連した英語例文の一覧と使い方

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hate が憎むほどに嫌いなニュアンスです。 最上級を表すなら I hate bugs the most. 【訳】最も虫が嫌い。 自然な言い方としては、こちらをよく聞きますのでオススメです。 I hate bugs more than anything. 【訳】(この世の)何より虫が嫌い。 実は「虫」は、色々ややこしいです。 例えばミミズみたいな青虫みたいなのはbugじゃなくてwormです。 アリやハチもbugではないです。 いわゆる昆虫全般を含もうとするとinsectになり、クモはbugでもinsectでもないです。 でも口語でよく一般的に身近にいる虫をbugと呼ぶので、あえてつっこんでくる人もいないかなと思います。 Pet peeve' is a saying we use in English to describe something that really bothers you. This is the same as a 'pet hate'. For example - "Rainy weather is my pet peeve. " When you say that you 'cannot stand' something this means that you really don't like it or find it very annoying. For example - "I cannot stand people who talk loudly in public. There are lots of other ways to say it, but this one is the most accurate and most commonly used. Here is an example on how to use this in a conversation: A: We shouldn't have gone camping! B: Why? What's wrong? A: There are so many bugs out here. I hate these things more than anything! 会話で使うと次のようになります: A: We shouldn't have gone camping! [訳]キャンプなんかするんじゃなかった! B: Why? What's wrong? [訳]え?なんで? A: There are so many bugs out here. I hate these things more than anything! [訳]ここ虫が沢山いる!私は虫がこの世で一番嫌い! When you describe something as "the worst" without any additional words, you are saying you absolutely hate it. "Loathe" is very similar to the word "hate" but it is a little stronger in common usage. When someone takes the time to say that they "loathe" something, the are saying they really, really do not like it. "I cannot stand" is an idiomatic way to say you hate something. For example: I cannot stand long lines. I cannot stand flying. I cannot stand his new girlfriend. 何かについて他の言葉を付けず"the worst"と表すと、それが大嫌いであるという意味になります。 "loathe"は"hate"とすごくよく似ていますが、一般的に"hate"よりも少し強いです。 "loathe"は「~をひどく嫌う」という意味です。 "I cannot stand"は、何かが大嫌いであることを伝える慣用的な言い方です。 例えば: I cannot stand long lines. (長い行列には耐えられない) I cannot stand flying. (飛行機が大嫌い) I cannot stand his new girlfriend. (彼の新しい彼女には耐えられない).

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死後の世界は量子物理学で証明できる!あの世を量子論で語ろう

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こんにちは、ヤギです。 今日は・・・ 『死後の世界はある』 という事実を「脳のメカニズム」から 科学的に証明していこうと思います。 人は「死後の世界」を心の底から信じたとき、 恐れや不安に支配されない人格になれます。 なぜなら・・・ 私たちがあらゆる場面で感じる恐れや不安は すべて「... … あなたが「死後の世界はある」と確信したとき、 恐れや不安に支配されにくい人間になれます。 前回も言いましたが、 すべての恐れや不安は『死への恐怖』が根っこにあるからですね。 なので「死後の世界はある」ということを 根拠をもって引き続き証明していきましょう。 現在、科学者や医学博士たちが 死後の世界を科学的に解明しようとしています。 その一つが 『量子脳理論』です。 人間も粒子と波動の二重性を持っている 素粒子は観測によって 「物質」として確定し 観測されないと 「波動」で行方不明になる。 これは素粒子でできている、あなたにも当てはまります。 あなたも、観測されていないときは 物質から波動になって行方不明になります。 もちろん、あなたを誰も観測しないことは少なく 自分で自分を観測しているため「物質」としてありますが(笑) 「それって、本当なの?」 摩訶不思議で信じられない人もいるでしょうが、 これは量子物理学の「大前提の理論」なのです。 最近も、NTTと米国イリノイ大学の共同研究で 月や人のような「巨大なもの」も例外ではないことを証明されました。 関連記事: 以上から・・・ 死後に意識が宇宙空間に飛んでいくという説は、 量子物理学で考えればオカルトではありません。 テレビやラジオの電波が「波動」として 飛んでいくことを誰も疑わないようにです。 素粒子の性質として、もう一つ知ってほしいことがあります。 それは、量子脳理論 のキモである 『量子もつれ』という現象です。 量子もつれとは何か?わかりやすく説明しよう 量子もつれを簡単に説明すると、 一見、物理的につながりのない素粒子と素粒子が 互いに影響し合っているというものです。 例えば、素粒子Aと素粒子Bというペアの量子があるとします。 ちなみに、 今の時点では、あなたの目の前にある箱の中に AとBのどちらの素粒子が入っているかは分からない状態です。 しかしです・・・ 例えば、あなたが箱を開けて「素粒子A」と観測した瞬間、 1億光年先の箱の中身は「素粒子B」と確定するのです(笑) 量子物理学の理論では、あなたが観測するまでは どちらの箱の中も「AとBが重ね合わせ状態」で 何も確定していないことが分かっています。 そして、あなたが「観測」した瞬間に、 たとえ光の速度で1億年かかる距離にあっても、 一瞬でAまたはBのいずれかに確定することが分かっています。 この現象を 「量子もつれによる遠隔作用」と言います。 以下の動画が分かりやすいですよ^^。 ここで素粒子の性質をまとめましょう。 素粒子は目に見えない形で影響しあっていて、 観測すると距離は関係なく一瞬でつながる現象。 ちなみに、勘の良い人はピンときたかも知れません。 観測とは 「見る」という行為であり、 見るという行為には 「意識」が介在していることを。 「見よう」というのは、意識の働きだからです。 ここ、重要ポイントなので忘れないでください。 死後の世界を量子もつれで証明した量子脳理論 量子脳理論の提唱者「スチュワート・ハメロフ」は 以下のような説を立てています。 宇宙には、ビッグバン発生時には既に存在していたであろう 「原意識」というものがある。 人は死ぬと脳内の意識が 「量子もつれ」によって、 宇宙空間に存在する 「原意識」とつながるのだ。 もっと正確にいうと・・・ 意識には、顕在意識と潜在意識がありますが、 潜在意識の中に「原意識(神の一部)」があり、 それが私たちの正体、つまり「魂」だと、私は考えています。 神という「無限の原意識」が細かく散らばり、 それぞれの肉体に宿って現世を体験していると。 一般的に言われる顕在意識や潜在意識の多くは、 現世を生きるための「肉体側の意識」である。 これは、あくまで私の解釈ですが、 私はこれが「あの世の正体」だと信じています。 宇宙の万物が「量子」でできているなら、 死後の世界が量子と深い関係があっても全然おかしくない。 さらにです・・・ 私が「間違いない」と信じる理由は、 前回の「脳神経外科医エベン」の臨死体験も 量子の振る舞いと非常に似ているからです(笑) そこで次回は、 死後の世界はあるという確信をより深めるため、 エベンの臨死体験を「量子脳理論 の視点」から 分かりやすく解説しようと思います。 最後に、1つだけメッセージがあります。 神は、私たちとは異なる「別の存在」であり 私たちを裁く「おどろおどろしい存在」というのは嘘です。 私たちは神の一部であり、一人ひとりが神なんです。 そのように考えれば、 私たちは、宗教や、誰かや、何かに 一切、依存する必要がないことに気づきます。 だって、神であるあなたは「究極的に自立した存在」だからです^^。 ・参考動画「死後の世界を量子論で科学する」 細内さん、コメントありがとうございます^^。 素晴らしい体験をされたんですね!死後の世界って「見る」というか「感じる」と言った方が良いかと思うのですがいかがでしょう?細内さんのご経験を教えて頂けますと幸いです。 人によって感じ方が違うので、現世に戻ってきたときの「表現」がそれぞれ異なるというのはあるかと思います。 「言葉」による表現には大きな限界があると思いますので。。 ちなみに、エベン医師も無条件の愛に包まれた天国を体験する手前に「泥のような世界にいた」と著書に記しています。 そこから「抜け出そうという意識」を発した瞬間に次のフェーズに移行したそうです。 ちなみに、三途の川を見たり、金箔の建物を見たり・・・それぞれの国々の文化が反映されたあの世を見ると言われていますが、これはまだあの世には行っておらず「脳の錯覚」による創作の可能性があると良く言われています。 最後に・・・ その人の「意識の状態」によって「あの世の感じ方」も異なるのかも知れませんね。 この世の風景も「意識のあり方」によって、見え方が180度変わっちゃいますから。 この世を見ているのも「私たちの意識」であり、あの世を見ているのも「私たちの意識」としたら、辻褄が合うのかも知れません^^。 はじめまして量子脳理論興味ぶかく読ませて頂きました。 僕は数年前、脳卒中「脳内出血」で卒倒して、数日,ICUにて意識混濁。 三途の川まで行って、わたろうかわたるまいか考えました。 既に右半身は麻痺していたのに、その時だけは体の不自由は感じられず、三途の川を渡ろうと思えば渡れそうだったけれど、やめて帰ってきました。 量子脳理論を聞いて思うのは、フリーメイソンの古の神秘についてです。 僕らは、人は神様の似姿だと教わって来たけれど、神様と人が真に似ているのは心なんだとか。 僕は子供の頃、精神の神は、なんで心じゃなくて神なんだろ? って疑問を持ったものですが変に納得しました。 汝、己の神なるを知らざるかですね。 斎藤さん、はじめまして^^。 精神は「精心」というのは疑問は面白いですね。 ちなみに私は、心(意識)こそが神の正体であり、民が神であると解釈しております。 ただ、従来の宗教家や、そのような宗教を信じている方には受け入れがたい解釈だとは思います(汗) ただ、神と民は分離した別のものという従来の解釈、世の中を混乱させているような気がしてならないのも私の本音です。 もちろん、意識こそが神であり、意識で信じたものがその人の現実世界を創造するため、どっちを信じてもその人(神)の自由です。 ただ、自分の世界が望ましくなる方を信じた方が、利にかなっているとは思いますが(笑) 以上、少しでも参考になりましたら幸いです^^。 匿名さん、はじめまして^^。 私もそのような話を聞いたことがあります。 とても不思議な現象ですよね。 1つのキーポイントとして「人は意識で繋がっている」ということが挙げられます。 これは心理学者の「カール・グスタフ・ユング」が唱えている「集合的無意識の概念」です。 顕在意識と潜在意識は個々人の意識ですが、その根っこには人類共通の意識「集合的無意識」があるというものです。 歯が「顕在意識と潜在意識」とすれば、歯茎が「集合的無意識」って感じですね(笑) 例えば、Aさんをふと思った途端、Aさんから電話が鳴るといった「シンクロニシティ現象」も、集合的無意識による影響ではないかと言われています^^。 死と直面されている患者さんは、夢のような「深い意識の中」にいる可能性が高いので、他の患者さんと集合的無意識でつながり合い、影響を与え合っている可能性があると考えます。 もちろん、人間の意識の正体が100%科学で解明できていないため、患者さんのケースも真実は断言できませんが^^、、 以上、少しでも参考になりまいたら幸いです。 今日、このブログを拝見させていただきました。 死の基準と言うワードで検索していたら、ここを見つけました。 私は昨年、脳出血しました。 先天性の脳動静脈奇形(AVM と言う病気の発症です。 脳内にそのような爆弾を抱えているとも知らずに37年間生きてきました。 あの日は。。。。。 これ以上ない程の秋晴れの素敵な早朝でした。。。 「きっと今日はいい日になる!!」って思いながら散歩を始めた瞬間に、この世にこれほどの痛みが存在するのかぁぁぁ!!??!!!、と思えるほどの激痛!! そのまま意識が戻ったのは10日後です。 その意識がない状態の体験があります。 意識が戻ったのは総合病院のICUの中でしたが、 その後数日間、理屈ではあり得ない現象もありました その不可思議な現象はお見舞いに来ていた身内や友人も巻き込んで起こりました。 詳しく話したいし、誰かに聞いて欲しいって言う思いが強いのです。 最近その話を主治医にしたら精神科の紹介状出されました。。 俺は精神異常ではないです。 私も魂は存在するのだと思っています。 そして存在するものは、何らかの方法でその存在を証明できるはずであると。 そもそも人類の存在そのものが不思議っだと思っています。 なぜ人類は存在しているのか。 自称科学信仰者は、それは偶然に偶然が重なった結果であると言います。 でも偶然で片づけてしまうのはあまりに科学的ではない。 まずは地球の存在。 太陽からの距離、大きさ、質量、月の大きさ、引力、などなど。 すべてが絶妙なバランスで、何かが欠けても生命が存在できる星とはならなかったといいます。 そして生命の誕生。 アミノ酸が100個程度つながった簡単なたんぱく質でさえ、宇宙が誕生してから今日までにいくつできるのか、計算した人がいますがその数はほとんどゼロだそうです。 更に単純な単細胞生物から人類にまで進化を遂げます。 突然変異と自然淘汰という進化論が正しく、その目的が環境対応だとしても、なぜ海から陸へ、厳しい環境をもとめて上がってきたのか。 そのようなことを考え合わせると人類の誕生がとても偶然とは思えないのです。 やはり何かの意志が働いて人類を誕生させたのではないかと考えざるを得ないと思うのです。 その意志が原意識なのでしょうね。 今後は量子力学も勉強しようと思います。 ハードル高そうですが。 いろいろと考えるきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。 始めまして。 実は今年7月に妻を癌で亡くしました。 癌と宣告され10日間で逝ってしまいしました。 亡くなって以来このブログにかなり励まされました。 というか縋っていました。 どうしても妻の死が受け入れられなかったのですが少しは救われました 特にこのブログに書かれている「意識」と「量子もつれ」については肉体が滅んだ後も一人の人間として私のそばにいられる理由だということが理解できました。 ただやはり妻がいない日々は辛いことがたくさんあります。 でも「折角肉体があるんだから妻の分まで頑張って生きがいを見つけて。 何時もぞばにいるから」と妻の声が聞こえます。 また先日も悩んでいたことの答えが夢で解決するというかなりの「奇跡」が起きました そうだ妻は死んでなんかいない。 自分のそばにいてくれている。 と実感できるようになりました。 これからは「意識」を大切に過ごしていければと思っています。

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