アントラーズ 掲示板。 メルカリに鹿島アントラーズがたった16億円で“叩き売り”された裏事情…早くも「転売」懸念も

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NEW 2020. そのあと失点をして、またオフサイドの状況の選手がいながら判定してもらえないという残念な結果がありました。 ただ、そこで慌てずハーフ…• NEW 2020. パスをまわしながらサイドを崩すパターンはいくつも用意されているが、その多くがクロスからのフィニッシュ…• 2020. 17 16日の練習風景をお届け。 プレッシングとビルドアップの確認を行いました。 U19日本代表に招集されていた染野唯月、荒木遼太郎、山田大樹の3選手も合流。 染野選手と上田選手はよ…• 2020. 15 GKと1対1になった上田綺世のシュートが外れると、反対サイドから一際大きな声がグランドに響いた。 「あやせー!」 声の主は奈良竜樹。 背番号3らしい姿があった。 2020. 13 少ないチャンスを特別な能力を持った個の力でものにして、乏しい内容でも勝利という結果を得る。 浦和レッズの戦いぶりは、まるで昨季の鹿島を見ているかのようだった。 公式記録では、シュートは互いに4本ず…• 2020. 後半はほぼ我々がプレーしていました。 ワンサイドゲームの形になっていたと思います。 ただ、あれだけ多くのチャンスをつくっていながら決められないのが難しいと…• 2020. 現状をどう捉えていますか? もちろん負けたのは悔しいですけど、試合見ていた人たちはわかると思うけどシュートは1本し…• 2020. 11 現在、鹿島アントラーズクラブハウス練習場は一般公開されていない。 メディアにだけは公開されている状況だが、11日(土曜日)の練習は非公開となった。 そして今後も試合前日の練習は原則非公開となるようだ。 2020. 10 鹿島アントラーズ 0-2 コンサドーレ札幌 なし 前半20分までに、数えただけでも9回もカウンターのチャンスをつくった試合で無得点とはにわかに信じがたい。

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テンプレート(ノート)サッカークラブPJ 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー Kashima Antlers F. , Ltd. 市場情報 非上場 本社所在地 〒314-0021 粟生東山2887 設立 事業内容 サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営 代表者 小泉文明 資本金 15億7000万円 売上高 67億6700万円(2020年01月31日時点) 営業利益 9400万円(2020年01月31日時点) 経常利益 9900万円(2020年01月31日時点) 純利益 200万円(2020年01月31日時点) 純資産 21億6900万円(2020年01月31日時点) 総資産 39億8400万円(2020年01月31日時点) 決算期 1月期 主要株主 61. 6% 11. 0% 鹿嶋市など自治体5市 10. 8% 関係する人物 外部リンク 特記事項:特記なき財務諸数値は2020年1月期決算による 鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、: Kashima Antlers)は、の、、、、をホームタウンとする 、(Jリーグ)に加盟するプロクラブ。 概要 [ ] に創設された が前身。 Jリーグ加盟時の10月に、地元5自治体(・・・、)と43企業の出資により運営法人「 (株)鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、現クラブ名に改称した。 Jリーグ創設時からの加盟チーム()の一つである。 は設立当時の5町が合併して設立した(旧・鹿島町、大野村)・(旧・神栖町、波崎町)・(旧・潮来町、)に加え、からは、が追加され、全域がホームタウンとなった。 なお、Jリーグ発足当時、ホームタウンは原則として1チーム1だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた(現在は広域ホームタウンに関する制限はなく、複数の市町村ないし都道府県全域としたチームが複数ある)。 ホームスタジアムは、練習場はである。 チーム名の「アントラー antler 」はでの枝角を意味し、の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。 その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。 チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。 クラブマスコットは鹿をモチーフにした「」と、に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。 である(優勝8回)、(優勝6回)、(優勝5回)の優勝回数はいずれもJリーグ発足以後、Jクラブの中で最多で、3タイトルの累計で19冠を誇る。 また、国内三冠(同年度内に国内三大タイトルを全て優勝)した初のクラブであり、J1リーグ三連覇を果たした唯一のクラブでもある。 さらに、2018年の優勝も合わせて主要タイトル20冠、その他タイトルと合わせて合計29冠とカウントすることもある。 開催のにおいて、準優勝を果たした。 決勝に進出した、初のアジアのクラブチームである。 (日本のクラブチームでは唯一) のJリーグ発足から、一度も降格経験がないクラブでもある。 これは鹿島アントラーズとだけである。 また、リーグ戦の最終順位においても、二桁順位になったのはの11位のみであり、他の年は全て一桁順位で終えている。 5%のうち61. 6%を、クラブスポンサーでスマートフォン向けの企画・開発・運営を行うに譲渡することを発表。 の承認が得られ、同年8月30日をもって筆頭株主がメルカリに異動した。 社長には、メルカリの取締役社長兼COOを務める小泉文明が就任した。 歴史 [ ] 住友金属時代 [ ] 詳細は「」および「」を参照 創部の住友金属蹴球同好会(にへ改称)が前身となり、に(JSL)2部、にJSL1部へ昇格した。 なお、にからのある鹿島町(現・)に本拠地を移転した。 にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、に(現・)の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。 これを受けて住友金属はプロリーグへの参加を申請するが、当時の住金蹴球団は JSL 2部所属であり、設立準備メンバーの一人であったが「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。 9999%無理ですよ」と述べるほど参入の可能性は低かった。 しかし、川淵の(住金の参加を諦めさせる最後の手段であった)「観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設できるなら考えましょう」の発言 を受けて茨城県がの建設を決定。 これが逆転打となってが承認された。 、でを務めたが加入(によると、「当初、紹介した(現:)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。 そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。 Jリーグ発足に伴い、クラブ名を「鹿島アントラーズ」に変更。 Jリーグ最初の公式戦、ではカシマスタジアム建設中であったため、鹿島主管試合をを主として、(西京極での試合はが相手であった)で行った。 1993年 - 1995年 [ ] 1993年 初代監督に前監督のが就任。 やなど本田技研工業の選手、ジーコ、など選手を中心に補強。 1993年5月16日のはカシマサッカースタジアムにを迎えたホームゲームで「ジーコとの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2得点で5-0で圧勝。 旧本田勢に加えて大卒新人のがレギュラーを獲得した。 開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1月にで行われたでに1分1敗と通算成績で敗れ、初代年間王者は獲得できなかった。 第2戦ではジーコがのPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為でこの日2枚目の警告で退場となった。 それでも、JSL2部のチームを母体に参戦した唯一のJリーグクラブながら、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃によって、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。 1994年 宮本体制2年目。 のサントリーシリーズ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、また実兄のがヘッドコーチとして加入し、2ndステージからゼネラルマネージャーに転出した宮本の後任監督として指揮を執った。 また、にとして出場したが加入。 この年のリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。 は1回戦でのに敗れ、初戦敗退を喫している。 1995年 エドゥー体制2年目。 が加入。 前年加入のレオナルドなど彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。 これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入した。 は年間順位が7位、はベスト4で終え、監督のエドゥーが退任した。 1996年 - 1999年 [ ] 1996年 が監督に就任。 1シーズン制で行われたで初優勝するが、決勝では名古屋に敗れた。 1997年 カルロス体制2年目。 V川崎から、からを獲得。 で初優勝を果たした。 は1stステージで優勝し、年間勝点一位。 サントリー・チャンピオンシップは2ndステージ優勝のに2連敗でタイトルはならなかった。 しかし、とをいずれも初制覇した。 の年間勝点一位、リーグカップ優勝、天皇杯優勝をリーグ史上初めて同年達成した。 1998年 チームスローガン: CHALLENGE カルロス体制3年目。 スーパーカップで2年連続優勝果たす。 1stステージ中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョが意見の食い違いで衝突、ジョアン・カルロスが監督を辞任し、残り試合をが監督代行を務めた。 2ndステージ開始前にが監督に就任。 9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。 チャンピオンシップは磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。 この年のリーグ戦でが、クラブでの日本人シーズン最多の22得点を記録。 2ndステージ第5節の戦から翌1999年第3節戦まで16連勝した。 また、同年のに鹿島から秋田豊、名良橋晃、の3人が選出された。 1999年 チームスローガン: NEXT マリオ体制2年目。 開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、1stステージの主催試合はで開催。 1998-99年シーズンので3位に入賞。 ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。 シーズン途中で監督のゼ・マリオを解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。 なお、9月23日の戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。 2000年 - 2006年 [ ] 2000年 チームスローガン: Glory Again - 原点からの挑戦 - ジーコと共に「」をブラジル代表で構成したが監督に就任。 この年に、、を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。 2001年 チームスローガン: - 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS セレーゾ体制2年目。 2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。 の1stステージは長期離脱した相馬の穴を埋められず11位と低迷したが、2ndステージはその弱点を埋めるために加入したなどの活躍で優勝。 チャンピオンシップで磐田を破り、リーグ連覇を果たす。 2002年 チームスローガン: - 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD セレーゾ体制3年目。 は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、は決勝でを下し優勝。 なお、でに秋田豊、、、、、の6人(クラブ別では最多)が選出された。 鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。 大会終了後にはジーコが監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。 また、鈴木はのへ移籍した。 5月7日、初代監督を務めていた宮本が逝去。 2003年 チームスローガン: OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ - セレーゾ体制4年目。 初代王者となった。 柳沢がのへ期限付きで移籍(2005年にへ完全移籍)した。 は2年連続で決勝に進出するも浦和に敗れ、連覇はならなかった。 2004年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 - セレーゾ体制5年目。 は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。 とともにベスト8で敗退し、タイトルを獲得できずにシーズンを終える。 2005年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 - セレーゾ体制6年目。 J1が9年ぶりに1ステージ制に移行したは開幕ダッシュに成功。 一時は2位に勝点差10以上をつけたが、中盤に入るとや浦和、、に追いつかれ、優勝の可能性が残っていたでは勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。 中田がフランス・のに移籍。 シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。 2006年 - 2011年 [ ] 2006年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 - 元監督のが監督に就任。 はの復帰、高卒新人のサイドバックの活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だったが()へ翌年6月までの期限付きで移籍などにより成績は6位。 一方ででは3年ぶりに決勝に進出したが、千葉に敗れた。 は準決勝で浦和に敗れた。 結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。 なお、のには小笠原満男と柳沢敦が選出された。 2007年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits - やサンパウロFCなどで監督を歴任したが監督に就任。 清水エスパルスから、からを獲得。 では、小笠原に代わり司令塔に指名されたが開幕直前のプレシーズンマッチで負傷。 開幕から5試合勝ち星がなかったが、野沢が復帰後は徐々に成績が上昇。 リーグ中断からの後半戦はレンタル移籍から小笠原が復帰し、終盤の9連勝など14勝2敗の快進撃で6年ぶり5回目のリーグ優勝を果たし、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。 最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めてである。 また、アウェイの戦でリーグ史上最速となるリーグ通算300勝を達成。 なお、に本来であれば「開催国枠」として出場する予定であったが、で浦和が優勝し、大会規定「1カ国2チーム以上出場できない」によりこの大会への出場は出来なかった。 は、準決勝でG大阪に1勝1敗ながら数の差で敗退。 は、J2降格が決まっているとの決勝で勝利し、2度目となるリーグ戦との2冠を達成した。 1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え特別功労賞が贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。 7月29日には前年に引退したの引退試合が、1993年のの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対」としてカシマサッカースタジアムで開催された。 2008年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 - オリヴェイラ体制2年目。 は広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。 は、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。 この年のリーグ戦でマルキーニョスが、21得点で鹿島初のJリーグ得点王を獲得。 では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。 なおリーグ戦で2連覇を果たすが、ACLにおいてG大阪が優勝したため、不運にも2007年と同様に大会規定の関係で出場は出来なかった。 2009年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 - オリヴェイラ体制3年目。 から、外国籍選手枠のほかに導入されたアジア枠で、韓国人のをから獲得した。 2月1日には、クラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表され、功労賞受賞者の1人でもあるの引退試合が行われた。 同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップでG大阪に勝利し、10年ぶり4回目の優勝を果たした。 では3連覇への好スタートを切り、夏場から秋口にかけて5連敗を喫するも、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。 は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のにPK戦の末敗れ、ベスト16で敗退。 2010年5月1日 J1第9節 G大阪戦 2010年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 - オリヴェイラ体制4年目。 広島から、元のをからレンタル移籍で、から、のからを完全移籍で獲得。 ユースからが昇格、レンタル移籍で移籍していた()、()が復帰した。 2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップは2年連続でG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝と、同大会史上初の同一クラブ2度目の連覇を果たした。 は、失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と後半戦は勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、4位で終了した。 6月に行われたの日本代表にと、にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。 7月には、内田篤人がの、イがのに移籍した。 は3年連続の決勝トーナメント進出を日本サッカー界史上初の全勝でのグループステージ突破を果たすも、ラウンド16で前回王者のに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった。 は決勝でを破り、3大会ぶり4度目の優勝。 これによりACL出場権を獲得した。 またこのシーズンをもってが現役を引退した。 さらに、、ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョスが、が山形、がへ完全移籍、が仙台、が山形、が、が、が湘南へレンタル移籍となった。 2011年 チームスローガン: FOOTBALL DREAM NEXT クラブは創立20周年を迎えた。 オリヴェイラ体制5年目。 から、から、からを獲得。 鹿島ユースからが昇格。 から、から、千葉から、清水からを完全移籍で、にレンタル移籍していた、が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのから父親がチームOBのであるをC契約で獲得した。 2月26日のでと対戦。 PK戦の末敗れ、同大会2度目の3連覇とはならなかった。 は序盤で苦戦し、その後は8月を無敗で乗り切るなど5位へ浮上したが、6位に終わる。 また3月11日に発生したにより被災し、スタジアムやクラブハウスなどの施設が大きく損壊したため 、3月15日から27日までチームの活動を休止していた。 その後、東日本大震災復興支援としてや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。 6月4日にはカシマサッカースタジアムで「」が開催された。 7月にはがのに完全移籍、カルロンがにレンタル移籍(その後へレンタル移籍)したが、からをレンタル移籍で獲得した。 4年連続で出場となったは、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするも、またもソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。 では7度目の決勝進出。 浦和に延長で勝利し、9年ぶり4度目の優勝。 は4回戦でJ2のに敗れ、ベスト16での敗退となった。 オズワルド・オリヴェイラが監督を退任、コーチのも退団した(後に山形の監督に就任)。 が札幌、タルタが、、が栃木SC、が、、が、がボタフォゴへ完全移籍、にレンタル移籍していたがへレンタル移籍、イゴールが退団した。 2012年 - [ ] 2012年 2012年4月7日 J1第5節 浦和戦 チームスローガン: SMILE AGAIN with PRIDE 新監督にが就任。 補強としてから、からを完全移籍で、さらにから、からを獲得。 レンタル移籍していた(仙台)、(湘南)が復帰し、鹿島ユースからは、、が昇格した。 シーズン途中には京都からが完全移籍で、のからがレンタル移籍で加入。 7月にはアレックスが、佐々木竜太が栃木へレンタル移籍した。 が3月31日のJ1第4節・戦で、クラブ通算最多出場となる475試合、クラブ史上初の同通算500試合を8月25日のリーグ・戦で達成。 では、のをPK戦で下し、初優勝を飾った。 では、8度目の決勝で清水を延長戦で下し、クラブ史上初の同大会連覇を達成。 は、開幕から5試合で1分4敗と未勝利のままで、第2節から第5節までは最下位となるなどスタートダッシュに失敗。 この時開幕3試合連続完封負けを喫し第4節まで無得点であった。 その後も第13節終了後に10位となったのが最高順位と、一度も一桁順位に浮上しないままJリーグ発足後史上初の二桁順位となる最終順位11位でシーズンを終える。 は準決勝でJ2降格が決まっているG大阪に敗れ、ベスト4で敗退となった。 ジョルジーニョが監督を退任し 、がC大阪、が浦和、岡本英也が新潟、増田誓志がの、ドゥトラがのへ完全移籍し、磐田にレンタル移籍していた宮崎智彦、徳島にレンタル移籍していたアレックスもそれぞれ完全移籍した。 さらに広州恒大からレンタル移籍で加入したレナト、栃木へレンタル移籍していた佐々木竜太とは契約を更新しなかった。 2013年 チームスローガン: RENASCIMENTO - 誇りを胸に - 監督には2000年から2005年まで指揮を執ったトニーニョ・セレーゾが再び就任。 補強としてから、京都から、のからを完全移籍で、さらにから、を獲得。 山形にレンタル移籍していた川島大地、神戸に完全移籍していた野沢拓也が復帰した。 また、4月にはのをクラブ初となるで登録した。 なお、7月にはがへ期限付き移籍、本田拓也がへ完全移籍、8月末で八木直生が現役引退した。 は、シーズンでの連敗はなかったものの、序盤から夏場にかけてアウェイ戦7連敗を喫し、DF陣のテコ入れを行ったが、失点が続き、5位で終える。 なお、4月6日の第5節・戦で、セレーゾがJリーグ発足後1クラブのみでの達成は史上初のリーグ戦通算100勝を達成。 また、5月6日の第10節・戦で、歴代監督体制初の公式戦通算150勝を達成した。 は準々決勝でに敗れ、3連覇を逃した。 は4回戦でに敗れ、ベスト16で敗退した。 また、9月7日の2回戦での戦で、歴代監督体制初の公式戦通算500得点を達成。 では、2006年に鹿島の監督を務めた率いるのを下し、同大会と日本クラブチーム史上初の国際大会での連覇を達成した。 この年をもって、ジュニーニョが契約満了、岩政大樹がの、大迫勇也がの、川島大地がへ完全移籍、千葉にレンタル移籍していた鈴木隆雅が栃木へレンタル移籍した。 2014年 チームスローガン: SPECTACLE - 戦 - セレーゾ体制2年目。 から、からが完全移籍で、筑波大学から赤崎秀平、から、からC契約でが加入した。 鹿島ユースからは小泉勇人が昇格した。 また、千葉からを3月から7月までの期限付き移籍 で獲得し、8月にはから元のを完全移籍で獲得した。 なお、1月末に中川義貴 が現役引退、8月に野沢拓也がへ完全移籍した。 4月15日、カシマスタジアムの開場以来スタジアムDJを務めてきたが逝去。 4月19日に追悼セレモニー を、さらに6月1日にはお別れの会 が両日とも同スタジアムで行われた。 また、6月1日に、アントラーズ功労賞の贈呈 も行った。 は、スタートダッシュに成功したものの、序盤のホーム3連敗以降は調子を落としたが、それでも3位で終え、4年ぶり6回目のACL出場を決めた。 なお、本山雅志が7月27日のJ1第17節・戦で、クラブ通算500試合を在籍最長の17シーズン目で達成。 また、8月9日のJ1第19節・戦での山本脩斗の得点で、クラブ公式戦通算100人目を達成。 さらに、9月27日のJ1第26節・戦でカイオが、クラブの高卒初年度リーグ戦最多得点となる6得点、赤崎秀平が11月29日のJ1第33節・C大阪戦で、クラブの大卒初年度リーグ戦最多得点となる5得点を更新した。 は9年ぶりに予選リーグで敗退、はソニー仙台にPK戦で敗れ、1994年大会以来の初戦敗退となった。 なお、このシーズンをもってが現役引退、ルイス・アルベルト、が契約満了、ジョルジ・ワグネルが、前野貴徳がに完全移籍となった。 なお1998年のフランス大会以降毎回チームからは日本代表がワールドカップメンバーに選出されたが、大迫が2013年のオフに1860ミュンヘンに移籍した為、チーム史上初めてワールドカップメンバーが誰一人選ばれなかった。 2015年 チームスローガン: RISE TO THE CHALLENGE - 覚悟 - セレーゾ体制3年目。 補強として徳島から、からを完全移籍で、からを期限付き移籍で、からを獲得。 また、鹿島ユースから、が昇格。 栃木に育成型期限付き移籍していた鈴木隆雅が復帰した。 5月には1月にメディカルチェックで半月板損傷が発見され契約を見送っていたと正式契約。 4年ぶりの出場となったでは、王者の()と準優勝の 、そして、王者の( とグループリーグで同組に入ったが、開幕後はホームでのウェスタン・シドニー、敵地でのFCソウル、広州恒大に何れも敗れ3連敗。 広州恒大、敵地でのウェスタン・シドニー戦は勝ち最後まで決勝トーナメント進出の可能性を残したもののFCソウルに競り負けてしまい、16チーム制だった初年度大会以来2度目、唯一出場した2008年までの29チーム制や翌年からの32チーム制に変わり、東部と西部に分けて戦うグループステージでホームアンドアウエー制度になってからは初めてとなる最下位での1次リーグ敗退となった。 11年ぶりに2ステージ制が復活したでは、1stステージを負け越して8位、2ndステージは開幕後下位チーム 相手に1勝1敗1分けとなり、セレーゾを解任、後任にトップチームコーチを務めていたが就任。 鹿島にとっては、監督代行を2度務めたを除くと、1992年から1994年6月まで務めた初代監督の宮本以来21年ぶり2人目の日本人監督となった。 監督交代後、広島と優勝を争い2ndステージ2位で終えたが、年間順位は5位に終わった。 も3回戦でPK戦の末敗退した。 では、とを下して3年ぶりに決勝に進出。 決勝では、2連覇を目指したを3-0で下し、3年ぶりの優勝と、国内3大タイトル17個目を獲得した。 なお、このシーズンをもってが契約満了、18年間在籍していたが北九州、鈴木隆雅が愛媛、がに完全移籍、が山形、豊川雄太がに期限付き移籍した。 2016年 チームスローガン: Football Dream - ともに - 石井体制2期目。 東京Vから、湘南から、清水からを完全移籍で、清水からをレンタル移籍で獲得した。 ユースからは、、、が昇格した。 前年期限付き移籍で加入していた金崎は一旦ポルティモネンセに復帰したが、開幕前に完全移籍で獲得した。 また、山形から高崎寛之が復帰 4月からへ期限付き移籍。 シーズン中には、4月から7月までからがとしてチームに加入、ポルティモネンセからを期限付き移籍で獲得した。 一方でジネイが6月末で契約満了 その後、湘南へ完全移籍 、7月には15年半在籍した青木が、カイオがのへ完全移籍した。 1stステージではリーグ最少失点の10失点に抑え、15年ぶり通算6回目 のステージ優勝を飾ったが、2ndステージでは守備が崩壊し、カイオの移籍や 石井と金崎との衝突 [ ]、主力に故障者が続出するなど終盤は4連敗を喫してしまい、最後まで歯車がかみ合わぬまま11位に沈んだ。 しかし、1st王者と年間勝点3位で挑んだの準決勝では年間勝点2位の川崎に勝利し、年間勝点1位の浦和との決勝も2戦合計勝利により7年ぶり8回目のJ1リーグ優勝を飾った。 これにより、ACL出場権を獲得した。 では昨年王者として2連覇に挑戦したが、1勝しかあげられずに予選敗退した。 敗退が決まった後は育成路線に切り替え、 [ ]ユース出身の町田、田中、平戸、垣田ら若いメンバーで挑んだ。 3年ぶり3回目の出場となったは、のに敗れ、3度目の優勝はならなかった。 J1優勝に伴い、開催国枠でに初出場した。 初戦の 戦では2-1の逆転勝利、準々決勝の には、2-0の勝利を決めた。 準決勝では コロンビア を3-0で撃破し、アジア勢初となる決勝進出を決めた。 決勝では を相手に一時は逆転し、2-2で延長戦までもつれる接戦を演じたが最後はにハットトリックを許し2-4で敗れはしたものの、準優勝となった。 は決勝で川崎を破り、6大会ぶり5度目の優勝を飾った。 また9年ぶり3回目 の二冠を果たした。 なお、このシーズンをもって大橋尚志が完全移籍で、垣田裕暉が期限付き移籍で共にへ、平戸太貴がへ、杉本太郎がへ期限付き移籍、高崎寛之は期限付き移籍先の松本に完全移籍、清水から期限付き移籍の櫛引政敏、ポルティモネンセから期限付き移籍のファブリシオが契約満了、ファン・ソッコが契約満了で退団。 柴崎岳がのへ完全移籍した。 2017年 チームスローガン: Football Dream - つなぐ - 石井体制3年目。 新潟から、から、から、湘南から三竿健斗の実兄 、からが完全移籍で、からが期限付き移籍で加入し、山形に期限付き移籍していた梅鉢貴秀が復帰した。 3月11日に赤﨑がG大阪 、5月29日に小泉が水戸へ期限付き移籍した。 2月18日に行われたは前年ルヴァンカップ王者の浦和と対戦し、3-2で勝利し7年ぶり6回目の優勝を飾った。 2年ぶり7回目の出場となった、グループステージでは韓国の、タイの、オーストラリアのと対戦し、首位で決勝トーナメントに進出。 決勝トーナメント1回戦で前年の王者・との対戦となったが、5月14日の神戸戦で遠藤とシルバが、5月19日の川崎戦では負傷離脱していた植田の代役である町田もこの試合で右膝前十字靭帯損傷の為それぞれ離脱。 これらの選手を欠いて挑まなければならない第1戦は本来はボランチの三竿健斗をセンターバックで起用して0-1で落とす。 植田が復帰したホームでの第2戦はジュニオールのゴールで2戦合計スコアを1-1とするが後半10分に第1戦でゴールを挙げたに2試合連続ゴールとなるアウェーゴールを奪われ、アディショナルタイムの金崎 鹿島のACL通算100得点目 のゴールで勝ち越し弾も実らず第2戦は2-1で勝利。 しかし、2戦合計スコアこそ2-2だったものの、アウェイゴール差1で上回られた上、苦手としていたアウェイゲームを克服出来ず、また怪我人の対応に後手を踏んだ事もあり ベスト16で敗退。 5月の時点でへの2年連続出場の可能性が早くも消滅。 この結果を受けて5月31日、ACL決勝トーナメント1回戦敗退と当日時点で5敗全てホームで喫し、リーグ戦7位である事を理由に石井を解任し、後任にトップチームコーチを務めていたが昇格した。 2015年以来2年ぶりの王座奪還を目指したは、ACL出場のためノックアウトステージから出場 、準々決勝は仙台と対戦した。 準々決勝第1戦は、昌子と植田の両センターバックを代表招集で欠いた。 試合は元鹿島のにでアシストされ先制を許し、さらにに2ゴールを奪われ3失点。 その後土居が1点返すも、1-3で敗れた。 第2戦は、初戦で退場したブエノと代表招集の昌子・植田に加え、川崎戦で負傷した町田も欠き、センターバックを本職とする4人が全員離脱する状態になった。 これが響き、後半3分までにとで2失点を喫してしまう。 アウェイゴール数の関係上準決勝進出には5得点が必要となる中、後半13分から鈴木と安部の2人が反撃のゴールラッシュ、鈴木の2ゴールを挙げ鹿島の下部組織出身選手最多のシーズン公式戦通算14得点としたのに加え安部がプロ初ゴール。 後半だけで3得点を挙げて90分間では3-2と逆転したものの、2戦合計では4-5と仙台を上回る事が出来ず、4年ぶりの準々決勝敗退となった。 では前述した大岩に監督交代以後、6月4日の広島戦から7月8日のFC東京戦の引き分けを挟んで5連勝と3連勝で勝ち点を25も荒稼ぎ。 一時は7位に沈んだチームを首位に導き優勝争いにもつれ込む。 8月13日の川崎戦に敗れるもその後は2度目の5連勝、2位に8の勝ち点差を付けた。 しかし9月30日に行われた鳥栖戦で敗れると、次の広島戦以降は2得点以内に抑えられ、徐々に3点差以上の勝利回数の多い川崎の猛追を受ける。 川崎にホーム・アウェー共に連敗したのも祟り勝ち点差4で迎えた残り2節、1勝でもすれば川崎の結果に関係なく優勝が決まる状況ではあったが、ホーム最終戦となる33節の柏戦、最終節の磐田戦共にスコアレスドローで終えた。 一方川崎が残り2戦を共に勝利した為、勝ち点では並んだものの得失点差で川崎を下回り 、史上初めて得失点差での決着の末リーグ連覇を逆転で川崎に攫われた。 は、準々決勝で神戸にPK戦の末敗退した。 なお、7月2日のJ1第17節の柏戦で得点した永木が鹿島のリーグ戦通算100人目の得点者となった。 2018年 チームスローガン: Football Dream - こえる - 大岩体制2年目。 がに、前年に期限付き移籍していたが川崎に完全移籍、ブエノがに期限付き移籍したほか、に期限付き移籍していたが水戸に完全移籍、徳島に期限付き移籍していた、に期限付き移籍していた、金沢に期限付き移籍していたの移籍期間をそれぞれ延長した。 一方、から期限付き移籍加入していたレアンドロが完全移籍加入。 からが8年ぶりに復帰したほか、から、からを完全移籍で獲得。 からが新加入。 ユースからが昇格した。 また、この年から、柴崎や本山といった生え抜きの選手がつけていた背番号10を移籍組の金崎が背負うことになった。 夏には植田がベルギーのに、金崎が鳥栖へ完全移籍、ペドロジュニオールが中国2部へとレンタル移籍するが、からを獲得。 サガン鳥栖からはを完全移籍で獲得。 また、がテクニカルディレクターに就任した。 2年連続での出場となったはグループステージで オーストラリア 、 中国 、 韓国 と同組になり、2位で決勝トーナメントに進出。 ラウンド16では 中国 を2試合合計4-3で下し、クラブ史上初めて決勝トーナメント初戦を突破した。 準々決勝では 中国 を2試合合計5-0で、準決勝ではグループステージに続いての対戦となった水原三星を2試合合計6-5の激戦で制して決勝に進出。 決勝では イラン と対戦し、ホームでの第1戦を、決勝トーナメントで傑出した活躍を見せたセルジーニョのゴールで2-0と制すると、アウェイの第2戦では10万人もの相手サポーターからのプレッシャーを跳ね除けて 0-0と第1戦のリードを守り切り、出場回数8回目 にして初優勝を果たし、悲願のアジア王者となった。 同時に出場権を獲得した。 2年ぶりの出場となったでは初戦となる準々決勝で メキシコ に3-2で逆転勝ちするも、準決勝ではにハットトリックを許し、レアル・マドリードに1-3で敗戦。 3位決定戦でも アルゼンチン に0-4で敗れ、4位に終わった。 AFCチャンピオンズリーグでの勝ち上がりを受けてクラブ史上最多の公式戦60試合を戦い、シーズンを通じてコンディション不良や怪我人で苦しんだ。 は第11節終了時に早くも5敗目を喫し順位を15位まで下げた。 ワールドカップによるJ1中断前は暫定11位となり、再開後は第26節と第31節からそれぞれ3連勝するなどして順位を上げ最終順位としては3位となった。 これにより来季のACLのプレーオフからの出場権を獲得。 は準々決勝で川崎に2試合合計4-2で勝ち上がったものの準決勝で横浜に競り負けベスト4。 天皇杯では準決勝で昨年ACLを制した浦和に敗れベスト4となり、国内タイトルは全て4位以上の成績ながら2年連続の無冠でシーズンを終了した。 なお、このシーズンをもってが現役引退、がへ、がへ、田中稔也がへそれぞれ完全移籍、杉本太郎は期限付き移籍先の徳島からへ完全移籍、のに期限付き移籍していたペドロ・ジュニオールはフォルタレーザECへ完全移籍、久保田和音はへ期限付き移籍、昌子源は所属のへ完全移籍した。 2019年 チームスローガン: Football Dream - かわる - 大岩体制3年目。 3年連続での出場となったはグループステージで(中国)、 マレーシア 、 韓国 と同組になり、3戦目の敵地で行われた慶南FC相手には昨年のACL準決勝第1戦同様2点差からの逆転勝利と3試合を終えて勝ち点7と早々と突破を決めかけていたが、リベンジマッチの第4戦はおろかマレーシアでの第5戦で湿度90%超えという過酷な環境の中でジョホール・ダルル・タクジムに不覚を取ってしまい結局決勝トーナメントには進出したものの、山東魯能の後塵を拝して2位通過。 決勝トーナメントではACLでチーム史上初の日本決戦。 5年ぶり2回目の決勝トーナメントとなった広島と対戦しカシマサッカースタジアムで行われた第1戦は昨年の決勝トーナメントで5試合連続ゴールを挙げたセルジーニョが相変わらずの勝負強さを見せて守りきり、広島市のエディオンスタジアム広島で行われた第2戦は名古のクロスのこぼれ球に土居が押し込んで2戦合計2-0とするが、昨年20ゴールのパトリック、佐々木と続け様にゴールを奪われ2戦合計2-2とされる。 しかし土居を倒したを退場に追い込むと後半44分に訪れた広島のコーナーキックのピンチを凌ぎカウンターを仕掛けると、得点を取る為に上がっていたキーパーのが戻り切れない隙をついて土居が2得点目となる事実上の決勝ゴール。 最後にパトリックにPKを決められるが、3-3でアウェーゴールを2点奪い2年連続の準々決勝進出を決めた。 準々決勝は2年前のラウンドオブ16と同じく敗退に追い込まれた広州恒大。 第1戦は広州恒大の猛攻をスコアレスドローで凌ぎ切ったが、その合間に行われ2-0で勝利し首位との勝ち点差を1に縮めた当時首位だったFC東京とのホームゲームで三竿と白崎が負傷で、同じ試合で相手の攻撃を犬飼と共に封殺したブエノがACL登録外の為使えず、前半にコーナーキックからアンデルソン・タリスカに強烈なヘディングシュートを決められ、後半7分に2年前の広州恒大戦は怪我で出場出来なかったシルバのシュートをセルジーニョがコースを変えて2戦合計で1-1の同点に追いつくのがやっと。 監督が石井から大岩に代わっても広州恒大戦を前に怪我人を出してしまい、第1戦の天河体育中心体育場でゴールを奪えずにアウェーゴールの差で敗れ、2年前を彷彿とさせる展開でACL2連覇が潰え、2年連続のクラブワールドカップ出場権獲得の可能性も露と消えた。 その後、8月末からの強行スケジュールのツケがコンビを組む三竿とシルバ、得点源のセルジーニョが次々と離脱する形で回り、リーグ戦では28節にてでのアウェー・C大阪戦に1-0で勝利し首位になりながらも29節にて降格の危機に瀕していた松本にで引き分けてしまい勝ち点で神戸に3-1で勝利した当時2位のFC東京に並ばれたばかりか、最後に敗れた8月17日のC大阪戦から5試合無敗で追い上げてきた横浜FMに勝ち点差1で迫られると、31節でルヴァンカップ準決勝で敗れたリーグ2連覇中の川崎に0-2で落とし、首位から陥落したのに加え、磐田に勝ったFC東京だけでなく札幌に勝った横浜FMにも躱されて3位に転落する。 その後は横浜FMが3連勝しFC東京が湘南、浦和と残留争いを強いられたチーム相手に引き分ける中、エディオンスタジアム広島で広島にスコアレスで引き分け、ホームで神戸に1-3で敗れリーグ優勝の可能性もなくなり4シーズン連続でACL出場権獲得するのが関の山だった。 天皇杯では2016年以来3大会ぶり新国立競技場での決勝に進出したが、元日に行われた神戸との決勝では前半18分に永木がペナルティーエリア付近でに奪われるとのシュート性のボールをクォン・スンテの弾いたボールが犬飼に当たってしまいオウンゴールで追う展開になると、38分に移籍した西の折り返しがまたしても犬飼がクリアしきれなかったボールをシーズン開幕戦で大分の一員として鹿島スタジアムで2ゴールを奪ったに押し込まれて移籍元である大分時代から合わせてシーズン4発目を喰らい勝負あり。 0-2で敗れ2002年以来17年ぶりの準優勝、国内3大タイトル3年連続無冠となった。 所属選手 [ ] 詳細は「」を参照 が所属していたこともあり、のサッカー界とも強いパイプを持つ。 Jリーグが開幕した以降、所属した外国籍選手は「」を利用して獲得した人選手以外は全員ブラジル人選手である。 や、など、サッカー王国ブラジルでも代表として活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。 代表選手 [ ] これまで数多くの選手を輩出している。 主な国際大会に出場した代表選手 大会 代表チーム 選手 、、 秋田豊、、、、、 小笠原満男、柳沢敦 、 、 大会 代表チーム 選手 鈴木隆行、中田浩二 秋田豊、小笠原満男、中田浩二、名良橋晃 小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、、柳沢敦 大会 代表チーム 選手 、 柳沢敦 小笠原満男、中田浩二、本山雅志 青木剛、 内田篤人 大会 代表チーム 選手 神田圭介(ユース) (ユース) 大会 代表チーム 選手 中田浩二、、本山雅志、柳沢敦 曽ヶ端準 内田篤人 植田直通、 大会 代表チーム 選手 秋田豊、相馬直樹、 、柳沢敦 小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、本山雅志 、岩政大樹 植田直通、、昌子源 大会 代表チーム 選手 、 秋田豊、相馬直樹 大会 代表チーム 選手 秋田豊 、 植田直通 大会 代表チーム 選手 小笠原満男、本山雅志 小笠原満男、本山雅志 岩政大樹、内田篤人、 岩政大樹、内田篤人、小笠原満男 柴崎岳 、昌子源、植田直通、、、 、 アントラーズ功労賞 [ ] クラブの発展に貢献した人物を顕彰するために設けられた賞である。 の中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。 現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。 受賞年 受賞者 2009年 、、、、、 、、、、 2011年 2013年 2014年 2015年 、、 2019年 成績 [ ] 国内試合 [ ] 詳細は「」を参照 国際大会で獲得したタイトルは、(2003年)と(2012年、2013年)、(2018年)の3大会である。 歴代監督 [ ] 前述の外国籍選手と同様、外国籍監督も全員ブラジル人であり、ジーコの兄であるや、ジーコと共にの「黄金の中盤()」として活躍した一人であるなどがこのチームを指揮を執っている。 なお、2017年現在までの日本人正監督は初代の監督であると2015年途中に就任した、2017年途中に就任したの三人のみで、その他の正監督は全員ブラジル人である。 鹿島アントラーズ歴代監督 監督 期間 国 内 国 際 合 計 備考 1992年 - 1994年6月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1994年6月 - 1995年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1996年 - 1998年7月 1 1 1 2 5 0 0 0 0 0 5 1998年7月、1999年8月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行 1998年8月 - 1999年8月 1 0 0 1 2 0 0 0 0 0 2 1999年8月 - 12月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行 2000年 - 2005年、2013年 - 2015年7月 2 2 1 0 5 0 0 1 1 2 7 2006年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2007年 - 2011年 3 1 2 2 8 0 0 0 0 0 8 2012年 0 1 0 0 1 0 0 1 0 1 2 2015年7月 - 2017年5月 1 1 1 1 4 0 0 0 0 0 4 2017年5月 - 2019年 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 2020年 - 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ダービーマッチ [ ]• のJリーグクラブ同士の対戦。 初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームであるで対戦し、13,393人が来場した。 また、2005年に提携を結び、()としてシーズン開幕前に対戦している。 なおスタジアムは毎年交互となっている。 タイトル・表彰 [ ] 国内タイトル [ ]• :8回• , , , , , , ,• :3回• , ,• :3回• , ,• :6回• , , , , ,• :5回• , , , ,• :6回• 1997, 1998, 1999, 2009, 2010, 国際タイトル [ ] を制覇した鹿島アントラーズ(2018年)• :1回• :1回• :2回• , 表彰 [ ]• 1996年• 2008年• 2009年• 1993年 、 、• 1995年• 1996年 相馬直樹、 ジョルジーニョ• 1997年 相馬直樹、 、• 1998年 相馬直樹、 秋田豊、• 2000年 、 秋田豊• 2001年 秋田豊、 、 小笠原満男、 、 柳沢敦• 2002年 、 小笠原満男• 2003年 小笠原満男• 2004年 小笠原満男• 2005年 小笠原満男• 2007年• 2008年 、 岩政大樹、 マルキーニョス• 2009年 岩政大樹、 内田篤人、 小笠原満男• 2013年• 2014年• 2015年• 2016年• 2017年 昌子源、• 2018年 西大伍• 2008年 マルキーニョス• 2014年• 1997年 柳沢敦• 2012年 柴崎岳• 2014年• 2018年• 1997年• 2007年• 2008年 オズワルド・オリヴェイラ• 2009年 オズワルド・オリヴェイラ• 2016年• 2016年、2018年• 1998年 相馬直樹• 2003年 曽ヶ端準• 2002年 サントス• 2005年 ビスマルク• 2006年 相馬直樹• 2007年 本田泰人• 2008年 秋田豊、 名良橋晃、 黒崎久志• 2009年• 2014年• 2015年 柳沢敦、 中田浩二、• 2019年 、 小笠原満男• 2003年 カシマサッカースタジアム• 優勝監督賞(1995-2003)• 1996年• 1998年• 2000年• 2001年• チェアマン感謝状(1994-1995)• 1994年• 1997年 ジョルジーニョ• 2000年 中田浩二• 2002年 小笠原満男• 2011年 大迫勇也• 2012年 柴崎岳• 2015年 小笠原満男• 2000年• 2001年 曽ヶ端準• 2015年 その他受賞 [ ]• 1994年 ジーコ• 2001年 柳沢敦• 2009年 小笠原満男• 茨城県県民栄誉賞• 2001年• 2008年• 2019年• 茨城県特別功労賞• 1994年• 1997年• 2002年 曽ケ端準、 秋田豊、 中田浩二、 小笠原満男、 鈴木隆行、 柳沢敦• 2010年• 2009年• 2017年• 鹿嶋市特別功労賞• 2008年• 2017年• ・オブ・ザ・イヤー• 2009年• 特別賞• 2009年• フェアプレー賞• 2016年• MVP• 2018年• 2018年• 1999年• 2001年 柳沢敦 クラブ記録 [ ] 記録名 記録 試合 備考 連続無敗記録 J1 17試合 2009年 第3節 広島戦(カシマ)- 2009年 第19節 柏戦(カシマ) 連勝記録 J1 16連勝 1998年 2nd第5節 福岡戦(博多球)- 1999年 1st第3節 広島戦(国立) リーグ最高記録(2018年時点) 連敗記録 J1 8連敗 1999年 1st第13節 浦和戦(国立)- 1999年 2nd第4節 C大阪戦(カシマ) 最多得点試合 J1 7 - 0 1997年8月9日 2nd第4節 名古屋戦(カシマ) 7 - 2 2005年8月24日 第20節 新潟戦(カシマ) 7 - 0 2012年5月19日 第12節 札幌戦(カシマ) Jリーグ杯 7 - 1 1992年10月3日 GL第7節 名古屋戦(瑞穂球) 7 - 0 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦(カシマ) 天皇杯 8 - 1 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦(愛媛) 国際大会 16 - 0 1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか) クラブ最多得点記録 最多失点試合 J1 0 - 7 1995年5月3日 1st第13節 平塚戦(平塚) クラブ最多失点記録 Jリーグ杯 3 - 4 1992年9月23日 GL第5節 横浜M戦(国立) 1 - 4 1992年9月26日 GL第6節 清水戦(笠松) 2 - 4 1997年3月8日 GL第1節 C大阪戦(カシマ) 0 - 4 2003年11月3日 決勝 浦和戦(国立) 2 - 4 2013年3月23日 GL第2節 対F東京戦(カシマ) 1 - 4 2016年3月27日 GS第2節 対神戸戦 ノエスタ 天皇杯 2 - 6 1994年1月1日 決勝 横浜F戦(国立) 国際大会 1 - 4 1999年4月16日 ACWC 準決勝 全南戦(国立) 3 - 4 2003年3月12日 ACL GL第2節 上海申花戦(スパチャラサイ) 1 - 4 2009年3月11日 ACL GL第1節 水原三星戦(水原) 3 - 4 2015年3月18日 ACL GL第3節 広州恒大戦(天河) 2 - 4 2016年12月18日 FCWC 決勝 レアル・マドリード(横浜国際) 0 - 4 2018年12月22日 FCWC 3位決定戦 リーベル・プレート(ザイード・スポーツシティ) 最少被シュート数 J1 0本 2009年11月8日 第31節 山形戦(カシマ) リーグ初記録 通算勝利数 [ ] J1リーグ戦通算勝利数 通算勝利 試合 備考 初勝利 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) 100勝 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦(カシマ) 200勝 2001年11月17日 1st第14節 東京V戦(カシマ) リーグ最速記録 300勝 2007年11月24日 第33節 浦和戦(埼玉) リーグ最速記録 400勝 2014年3月8日 第2節 仙台戦(カシマ) リーグ最速記録 500勝 2019年7月6日 第18節 磐田戦(カシマ) リーグ最速記録 通算得点 [ ] 公式戦通算得点 通算得点 試合 選手名 備考 初得点 1992年9月5日 ナビスコ杯 GL第1節 横浜F戦(笠松) 500得点 1997年9月27日 J 2nd第15節 横浜M戦(カシマ) 1000得点 2002年12月15日 天皇杯 3回戦 東京学芸大戦(カシマ) 1500得点 2009年4月22日 ACL GL第4戦 SAFFC戦(カシマ) 2000得点 2015年7月25日 J1 2nd第4節 F東京戦(カシマ) J1リーグ戦通算得点 通算得点 試合 選手名 備考 初得点 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) 100得点 1994年5月18日 サントリー第17節 名古屋戦(カシマ) 200得点 1995年8月16日 ニコス第2節 磐田戦(磐田) 300得点 1996年10月30日 第27節 磐田戦(カシマ) 400得点 1998年4月11日 1st第5節 柏戦(国立) 500得点 1999年9月23日 2nd第10節 市原戦(国立) リーグ最速記録 600得点 2001年9月29日 2nd第7節 名古屋戦(カシマ) リーグ最速記録 700得点 2003年10月18日 2nd第10節 清水戦(カシマ) リーグ最速記録 800得点 2005年10月1日 第26節 千葉戦(カシマ) リーグ最速記録 900得点 2007年8月12日 第19節 甲府戦(小瀬) 野沢拓也 リーグ最速記録 1000得点 2009年4月29日 第8節 神戸戦(カシマ) リーグ最速記録 1100得点 2011年5月21日 第12節 浦和戦(埼玉) リーグ最速記録 1200得点 2013年4月6日 第5節 C大阪戦(カシマ) 1300得点 2014年9月23日 第25節 仙台戦(ユアスタ) リーグ最速記録 1400得点 2016年6月11日 1st第15節 浦和戦(埼玉) リーグ最速記録 1500得点 2018年7月22日 第17節 柏戦(カシマ) 土居聖真 リーグ最速記録 Jリーグ杯通算得点 通算得点 試合 選手名 備考 初得点 1992年9月5日 GL第1節 横浜F戦(笠松) 入井和久 100得点 1999年6月19日 2回戦第2戦 G大阪戦(秋田陸) 長谷川祥之 200得点 2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪戦(カシマ) 天皇杯通算得点 通算得点 試合 選手名 備考 初得点 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡(愛媛陸) 長谷川祥之 100得点 2002年12月28日 準決勝 市原戦(長居) 200得点 2015年9月9日 2回戦 琉球戦(カシマ) 個人記録 [ ] 記録名 選手名 記録 試合 備考 最年少出場 J1 17歳7ヶ月29日 1999年4月10日 1st第6節 京都戦 最年長出場 J1 41歳3ヶ月12日 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 最年少得点 J1 17歳11ヶ月22日 2006年3月21日 第4節 甲府戦 最年長得点 J1 ジーコ 41歳3ヶ月12日 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 連続試合得点 J1 7試合 2008年8月16日 第21節 東京V戦 - 10月1日 第26節 大宮戦 シーズン連続得点 J1 17シーズン 1999年 - 2015年 シーズン最多得点 J1 28得点 1994年 リーグ得点王 J1 マルキーニョス 21得点 2008年 ハットトリック [ ] 記録名 選手名 試合 備考 J1 4得点 1998年4月4日 1st第4節 京都戦 3得点 ジーコ 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(Jリーグ開幕戦) リーグ初記録 アルシンド 1993年6月19日 サントリー第11節 名古屋戦 1995年8月26日 NICOS第5節 G大阪戦 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦 長谷川祥之 1997年9月20日 2nd第13節 平塚戦 柳沢敦 1998年5月5日 1st第11節 磐田戦 2000年4月29日 1st第9節 神戸戦 2004年9月18日 2nd第5節 磐田戦 柳沢敦 2006年3月5日 第1節 広島戦 2006年9月24日 第24節 FC東京戦 野沢拓也 2006年12月2日 第34節 磐田戦 マルキーニョス 2010年9月18日 第23節 大宮戦 2012年10月6日 第28節 F東京戦 2017年9月16日 第26節 新潟戦 Jリーグ杯 3得点 長谷川祥之 1992年10月3日 第7節 名古屋戦 ジーコ 1992年10月11日 第9節 広島戦 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦 天皇杯 3得点 黒崎比差支 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦 2005年11月3日 4回戦 ホンダロック戦 2012年9月8日 2回戦 筑波大戦 2019年9月25日 ラウンド16 横浜FM戦 国際大会 4得点 平瀬智行 1999年3月3日 3回戦第2戦 サラワク戦 3得点 長谷川祥之 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワク戦 柳沢敦 1999年10月23日 2回戦第1戦 バレンシア戦 鈴木隆行 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦 マルキーニョス 2008年3月12日 GL第1戦 クルン・タイ・バンク戦 2013年8月7日 サンパウロ戦 観客 [ ] リーグ戦年度別観客数 [ ] 年度 試合 総観客 平均観客 1993 18 252,291 14,016 1994 22 369,862 16,812 1995 26 497,665 19,141 1996 15 230,789 15,386 1997 16 271,765 16,985 1998 17 260,866 15,345 1999 15 255,741 17,049 2000 15 262,603 17,507 2001 15 336,377 22,425 2002 15 323,855 21,590 2003 15 318,064 21,204 2004 15 263,777 17,585 2005 17 316,897 18,641 2006 17 262,365 15,433 2007 17 276,058 16,239 2008 17 335,140 19,714 2009 17 367,486 21,617 2010 17 356,430 20,966 2011 17 274,655 16,156 2012 17 261,484 15,381 2013 17 279,115 16,419 2014 17 300,310 17,665 2015 17 279,185 16,423 2016 17 324,759 19,103 2017 17 347,942 20,467 2018 17 330,376 19,434 2019 17 349,678 20,569 観客動員記録 [ ] ホームゲーム最多観客動員試合 大会 入場者数 試合 J1 39,684人 2003年7月5日 1st第11節 磐田 Jリーグ杯 19,127人 2019年10月13日 準決勝第2戦 川崎 40,115人 2001年12月8日 第2戦 磐田 ACL 35,022人 2018年11月3日 決勝第1戦 ペルセポリス 大会 入場者数 試合 J1 51,575人 1999年5月5日 1st第11節 磐田 Jリーグ杯 18,009人 1992年9月9日 GL第2節 V川崎 CS 53,553人 1994年1月16日 第1戦 V川崎 ACL 11,951人 2011年5月3日 GL第5戦 上海申花• ホーム扱いの決勝戦は除く。 なお年度別の観客動員・試合会場内訳については「」にまとめて記述する。 ディープレッド• 紺 ユニフォームデザイン [ ] ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更していたが、2010年シーズン以降は毎年デザインを変更している。 ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。 11冠目以降の星は、従来の左袖につく。 胸のスポンサーロゴの上部には、クラブスローガンである「FOOTBALL DREAM」が一貫して入れられている(1998年 - 、1997年のみ裾部分に入れられた)。 (ACL)を優勝により20冠を達成したため、2019のユニホームからエンブレムの上に星が1つ増え2つになった。 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している(変更後しばらくは、1993年・1994年に使用した2ndモデルを使用していた)。 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。 2009年はゴールド色の3rdモデルを採用、一部の試合で使用した。 2012年はベースカラーを紺にした2ndモデルを使用した。 2013年の2ndモデルのベースカラーを白に戻した。 2017年の1stモデルは、胸はダークネイビーとディープレッドの横縞に、ディープレッドの細い線、袖と背中はダークネイビー。 2ndモデルはピンク、脇はダークネイビー。 3rdモデルは2016年に2ndとして使用した白を使用。 チャンピオンエンブレム [ ] リーグチャンピオンエンブレム• 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている(初着用は鹿島)。 天皇杯チャンピオンエンブレム• 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムをやめ、天皇杯エンブレムをつけている。 2冠チャンピオンエンブレム• ユニフォームスポンサー [ ] 掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考 胸 LIXIL 2011年 - 2010年までは (表記は「TOSTEM」) 2012年 - 2015年は本来の企業ロゴとは異なるデザインのものを掲出。 鎖骨 mercari 2018年 - 左右とも掲出 背中上部 (帽子マーク) 1999年 - 1995年 - 1998年は袖、 2011年まで「Yellow Hat」表記 背中下部 RISO 2016年 - 袖 NIPPON STEEL 2012年10月 - 1992年 - 1994年、2000年 - 2012年9月までは、 2012年10月 - 2019年3月までは新日鐵住金の英語表記 パンツ アイフルホーム 2013年 - ユニフォームサプライの遍歴 [ ]• 1992年 - 1996年:(リーグ戦)、(カップ戦)• 1997年:(リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)• 1998年 - 2001年:エネーレ• 2002年 - 現在:• 2016年にはナイキと新たにサプライヤー契約を更新。 2017年から推定10年の大型契約となる。 及びではスポンサーが1社のみという規定により、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年以降は「LIXIL」のみになる。 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。 スタジアム [ ] 詳細は「」を参照 スタジアムDJ・選手入場曲 [ ]• 松本浩之• 選手入場曲• SUCESSEO -OBRIGADO!! ZICO-(作曲:BHB ) SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。 米米CLUBのシングル「」のカップリング曲。 広告看板 [ ]• ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は以後、部分的に回転ロール盤を使用している。 当初はゴール裏の内側部分だけだったが、以後は外側(スタンドとピッチの中間。 カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。 試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。 LED帯状映像装置 [ ]• 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)の帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている。 カラー広告の表示や選手紹介、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。 アカデミー [ ] 鹿島アントラーズが創設された1992年から、トップチームでの活躍を目指す選手たちの年代別選抜チームとして、第2種(U-18、高校生年代)の「ユース」、第3種(U-15、中学生年代)の「ジュニアユース」、第4種(U-12、小学生年代)の「ジュニア」が活動している。 鹿島アントラーズのアカデミー出身の選手には、曽ヶ端準、野沢拓也、土居聖真、鈴木優磨らがいる。 また、育成とサッカーの普及を目的に、幼稚園生以上を対象にした「スクールコース」が茨城県内を中心に17ヶ所で開催されている。 を参照 地域貢献活動 [ ] ノンフットボールビジネス [ ] 運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーは、からカシマサッカースタジアムのになり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「」の運営やとの提携によるスタジアムの利活用推進にも取り組んでいる。 フレンドリータウン [ ] の5市(、、、、)のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の10市町村と協定を結んでいる。 サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、アカデミーのスクール校を開校するなど活動を展開している。 茨城県:、、、、、• 千葉県:、、、 地域交流 [ ]• ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)にある小学校全校を選手が訪問している。 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」やでの節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。 環境活動 [ ]• 2006年12月2日の戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力(、)を利用して開催された。 2009年5月10日の戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。 また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した。 メディア [ ] 試合中継 [ ] テレビ中継• まではに委託していたが、2010年からリーグ戦のホームゲームを鹿島が自主制作で配信(協力:)。 また2013年より新中継設備をカシマスタジアムに導入し、なしでの中継やスタジアムのビジョンを含めた映像の一括管理が可能となっている。 ラジオ中継• FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)• 鹿島アントラーズオフィシャルサイト• LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信 公式番組 [ ] テレビ• インターネットテレビ• ANTLERS REPORT Plus 応援番組 [ ] テレビ• いばっチャオ! 、茨城ニュース いば6、などの番組内で随時放送される。 ラジオ• エフエムかしま• アントラーズスピリッツ• アントラーズラウンジ• アントラーズ便り その他 [ ] 新聞・情報誌• (オフィシャルショップ、オンラインショップ、茨城県内のにて販売)• 試合日にスタジアムで配布) eスポーツ [ ] 2020年1月15日、チーム設立を発表。 併せて、2018-19シーズン時点で世界ランキング24位にランクしたウェブ・ナスリの加入も発表した。 eスポーツが国内・海外共に年々成長・発展を続ける中で世界一のクラブを目指すため、新たな事業として取り組むとしている。 その他 [ ] キャンプ地 [ ] 春季キャンプはよりので行われている。 また、1993年は、1994年は、からまではで行われた。 クラブショップ [ ]• クラブハウス店(・1階)• スタジアム店(茨城県鹿嶋市・コンコース売店 試合開催日のみ営業) クラブマスコット [ ]• しかこ• アントン サポーター・ファンクラブ [ ] ファンクラブ [ ] 「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。 その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。 特典としての送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。 サポーター [ ] サポーター集団「IN. FIGHT」が、の鹿島アントラーズ創設時から鹿島サポーターの中心として活動を続けている。 詳細は「」を参照 決算 [ ] 鹿島アントラーズの決算は、つぎのとおり。 損益 [ ] 年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益 2005 3,156 1,045 690 401 1,020 3,155 2,342 1,368 723 1 -17 2006 3,381 1,262 597 346 1,176 3,536 2,585 1,564 951 -155 -251 2007 3,983 1,667 636 503 1,177 3,805 2,850 1,736 955 178 162 2008 4,180 1,664 675 509 1,332 4,063 3,118 1,850 945 117 52 2009 4,408 1,655 774 507 1,472 4,303 3,253 1,913 1,050 105 32 2010 4,466 1,561 747 480 1,678 4,449 3,816 2,004 633 17 14• 金額の単位: 百万円• 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 、 、 、 、 、 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益 2011 4,165 1,839 754 252 233 1,087 4,378 2,066 360 351 144 0 1,457 -213 -220 2012 4,160 1,935 720 247 270 988 4,238 1,888 358 302 173 0 1,517 -78 -68 2013 4,122 1,864 748 235 269 1,006 4,081 1,701 384 310 166 0 1,520 41 78 2014 4,003 1,831 788 222 266 896 3,975 1,562 314 295 159 0 1,645 28 21 2015 4,311 1,861 788 222 285 1,155 4,652 2,023 338 300 166 0 1,825 -341 -344• 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 、 、 、 、 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益 2016 5,582 1,958 869 232 283 540 1,700 4,825 1,929 372 444 149 0 428 1,503 757 610 2017 5,228 1,917 894 537 276 699 905 5,367 2,382 400 336 165 0 483 1,601 -139 -138 2018 7,330 2,156 978 806 290 839 2,261 6,746 3,157 524 599 169 0 600 1,697 584 426 資産 [ ] 鹿島アントラーズは2002年に累積損失を一掃するため増資をした。 それ以来、資本金は15億7千万円となっている。 年度 総資産 総負債 純資産 資本金 2005 2,113 320 1,792 1,570 2006 1,885 344 1,540 1,570 2007 2,337 635 1,702 1,570 2008 2,387 632 1,754 1,570 2009 2,471 684 1,787 1,570 2010 2,561 760 1,801 1,570 2011 2,142 562 1,580 1,570 2012 2,085 573 1,512 1,570 2013 2,139 549 1,590 1,570 2014 2,186 575 1,611 1,570 2015 1,921 654 1,267 1,570 2016 3,021 1,143 1,878 1,570 2017 2,667 927 1,740 1,570 2018 3,371 1,205 2,166 1,570• 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月23日閲覧。 鹿島アントラーズ. 2019年6月5日閲覧。 プレスリリース , 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー, 2019年7月30日 , 2019年7月30日閲覧。 エグゼクティブ. 2015年5月24日閲覧。 「鹿島爆勝・ジーコ ハットトリック」J. LEAGUE『』、1993年5月17日付日刊、6面、スポーツ。 2011年3月16日. 2011年3月16日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2011年3月15日. 2011年3月15日閲覧。 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト 2012年11月29日. 2012年11月30日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2014年7月2日. 2014年7月2日閲覧。 2014年1月31日 参考• 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2014年4月17日. 2014年4月26日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2014年4月22日. 2014年4月26日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2014年5月16日. 2014年5月16日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2014年6月3日. 2014年6月5日閲覧。 - 茨城新聞クロスアイ 2017年6月2日• - 日刊スポーツ 2017年5月31日• Jリーグ. 2017年12月13日閲覧。 サンケイスポーツ 2017年7月31日. 2017年12月13日閲覧。 スポーツ報知 2017年8月30日. 2017年12月13日閲覧。 デイリースポーツ 2017年9月4日. 2017年12月14日閲覧。 日刊スポーツ 2017年9月3日. 2017年12月14日閲覧。 FOOTBALL ZONE 2018年11月11日. 2019年1月21日閲覧。 プレスリリース , 鹿島アントラーズ, 2019年12月25日 , 2020年1月5日閲覧。 プレスリリース , スポーツ報知, 2016年12月25日 , 2017年12月16日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2008年10月20日閲覧。 Jリーグ公式サイト 2008年9月13日. 2008年10月18日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2006年11月30日. 2010年10月16日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2009年11月25日. 2010年10月16日閲覧。 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2013年2月15日. 2013年3月11日閲覧。 鹿島アントラーズ 2020年1月15日. 2020年2月11日閲覧。 サッカーキング 2020年1月16日. 2020年2月11日閲覧。 福井盛太「マネジメント優等生の次なる一手、「中期経営計画」の正体」『Sports Management Review』第12巻、データスタジアム、2009年、 24-26頁。 関連項目 [ ]• (旧、を含む)が母体となっている他のサッカークラブ• (廃部) 外部リンク [ ]• - (英語)• kashima. antlers -• - チャンネル.

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