レミゼラブル 時代背景。 『レ・ミゼラブル』の時代背景・フランスの歴史 ミュージカルをもっと楽しむためにわかりやすく解説!

「レ・ミゼラブル」の時代背景。ジャンバルジャンはなぜパンを盗んだ?

レミゼラブル 時代背景

そこは編集工学研究所が借りていて、1階の井寸房(せいすんぼう)や本楼(ほんろう)、2階のイシス編集学校の事務局にあたる学林と制作チーム、3階の企画プロデューサー・チームと総務・経理などに分かれている。 その3階に松岡正剛事務所も入っていて、ここに太田・和泉・寺平・西村の机、そしてぼくの作業用書斎がある。 部屋ではなく書棚で囲んだ領土(領分)になっていて、8畳まで広くない。 ふだんは、この「囲い」の中の大きめの机の上にシャープの書院とDELLのパソコンが並んでいて、二つを同時に使って執筆する。 両方とも通信回線は切ってある。 だからぼくへの通信は松岡正剛事務所のスタッフを通してもらわなければならない。 ケータイ(スマホは持たない)も番号を知る者はごく少数なので、めったに鳴らない。 メールも切ってある(メールは30年間、使っていない)。 思想系の本と新着本と贈呈本ばかりで、選書の基準は「できるだけ複雑に」というものだ。 「面倒がかかる本」ばかりが集まっているのだ。 ただ、すでに満杯である。 だからときどき棚卸しをして、各階に配架して隙間をあける。 配架といっても、全館の書棚にはすでにおそらく6万冊以上の本が入っているので、こちらももはや溢れ出ている状態だ。 だから二重置きしているほうが圧倒的に多い。 それでも、たいていの本の位置は太田と寺平がおぼえている。 ひとつは肺癌手術をしたあと、事務所が導入してくれたリクライニングチェアだ。 食後や疲れたときにここに坐り、たいてい本を読む。 ほどなくして疲れて背を倒して寝る。 これはほぼ日課になってきた。 ここで着替えるのだが、この作業がぼくには必須なのである。 本を摘読することと着替えることとは、まったく同義のことであるからだ。 「本」と「服」とは、ぼくにはぴったり同じものなのだ。 実はもうひとつ同義なものがある。 それは「煙草」と「お茶」(あるいは珈琲)だ。 ちなみに自宅の書斎はもっと小さい。 書院とipad、それに書棚が二つで、本の数はごく少量だ。 いつも300冊くらいが少しずつ着替えているくらいだと思う。 戦時中ではないのだから過剰な自制は必要ないし、相互監視などもってのほかだけれど、逆にお気楽なユーチューブ・ラリーが続いているのも、いただけない。 仮にそれが「はげまし」の連鎖だとしても、自粛解除のあとはどうするのか。 きっとライブやドラマ撮影や小屋打ちが再開して、ふだんの平時に戻るだけなのだろう。 もっとも自粛中のテレワークはけっこう便利そうだったので、うまくリモート・コミュニケーションをまぜるだけになるのだろう。 思うに、ニューノーマルなんて幻想なのである。 その宿命を背負っているのは、なんといっても病院などの医事現場である。 感染治療も感染対策もたいへんだし、治療や看護にあたる従事者の心労も続く。 経営もしだいに逼迫していくだろう。 なぜこうなっているかといえば、原因はいろいろあるけれど、細菌やウイルスがもたらす疾病が「個人治療」だけではなく「人類治療」にかかわるからである。 人間一人ずつに対処して治療する。 これに対してウイルス対策は「究極要因」を相手にする。 いわば人類が相手なのである。 人類が相手だということは「生きもの」全部が相手だということで、人間も「生きもの」として見なければならないということになる。 これについては長谷川眞理子さんの『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)という好著がある。 ゼツヒツの1冊だ。 進化医学では感染症の発熱を感染熱とはみなさない。 ウイルスなどの病原菌が生育する条件を悪化(劣化)させるために、われわれの体がおこしている現象だとみなす。 免疫系の細胞のほうが病原菌よりも高温性に耐性があることを活用して発熱をもたらしたのである。 だからすぐさま解熱剤を投与したり、体を冷却しすぎたりすることは、かえって感染症を広げてしまうことになりかねない。 ウイルスは血中の鉄分を減少させることも知られているが、これもあえてそういう対策を体のほうが選択したためだった。 「苦労する免疫」仮説を唱えて話題を呼んだ。 そういえば、かつてパラサイト・シングルといった用語をつくり、その後もフリーターや家族社会学について独自の見解を発表していた山田昌弘が、2004年に『希望格差社会』(筑摩書房)で、ネシーの「苦労する免疫」仮説をうまくとりあげていたことを思い出した。 いずれも大いに考えさせられた。 イーワルドはTED(2007)で急性感染症をとりあげ、「われわれは、細菌を飼いならせるのか」というユニークなトークを展開している。 イーワルドの言い分から今回のCOVID19のことを類推すると、武漢での飲料水や糞尿や補水がカギを握っていたということになる。 COVID19パンデミックの渦中の4月25日、HCU(ハイパーコーポレート・ユニバーシティ)第15期目の最終回をハイブリッド・スタイルで開催した。 本楼をキースタジオにして、80人を越えるネット参加者に同時視聴してもらうというスタイルだ。 リアル参加も受け付けたので、三菱の福元くん、リクルートの奥本くん、大津からの中山くんら、5人の塾生が本楼に駆けつけた。 さあ、これだけの参加者とぼくのレクチャーを、どういうふうにAIDAをとるか。 「顔」と「言葉」と「本」を現場と送信画面をスイッチングしながらつなげたのである。 まずは本楼で5台のカメラを動かし、チャット担当に2人(八田・衣笠さん)をあて、記事中継者(上杉くん)が付きっきりで事態のコンテンツ推移の様子をエディティングしつづけるようにした。 スイッチャー(穂積くん)にも立ってもらった。 かくしてハイブリッドHCUは、昼下がり1時の参加チェック開始からざっと7時間に及んだのである。 だからテレワークをしたわけではない。 ぼくは最近のテレワークにはほとんど関心がない。 当時はFAXもなく、オートバイで資料やダミーや原稿を運びあって、制作編集をしつづけたものだった。 最近のテレワークは適用機材の仕様に依存しすぎて、かえって何かを「死なせて」いるか、大事なことを「減殺しすぎて」いるように思う。 プロクセミックスとアフォーダンスがおバカになってしまうのだ。 テレビもネット参加の映像を試みているけれど、いまのところ芸がない。 はたしてうまくいったかどうか。 それは参加者の感想を聞かないとわからないが、ディレクターには小森康仁に当たってもらい、1週間前にラフプランをつくり、前日は映像・音声・照明のリハーサルもした。 こういう時にいつも絶対フォロアーになってくれてきた渡辺文子は自宅でその一部始終をモニターし、コメントしてくれた。 当日の現場のほうは佐々木千佳・安藤昭子・吉村堅樹が舞台まわしを仕切った。 安藤の胸のエンジンがしだいに唸りはじめていたので、この反応を目印に進めようと思った。 書物というもの、表紙がすべてを断固として集約表現しているし、それなりの厚みとボリュームもあるので、見せようによっては、ぼくの「語り」を凌駕する力をもつ。 けれどもやってみると、けっこう忙しく、目配りも届ききれず、自分が多次元リアル・ヴァーチャルの同時送受の浸透力にしだいに負けてくるのがよくわかった。 76歳には過剰だったのかもしれない。 まあ、それはともかく、やってのけたのだ。 すでに昨年10月から演劇ではこまつ座の座長の井上麻矢ちゃんが(井上ひさしのお嬢さん)が、スポーツからは昔なじみのアメフトのスター並河研さんとヘッドコーチの大橋誠さんが、ビリヤードからは大井直幸プロと岡田将輝協会理事が、文楽からは2日にわたって吉田玉男さんのご一門(3役すべて総勢10人余)が、そして茶道から遠州流の小堀宗実家元以下の御一党が(宗家のスペースも提供していただいた)、いったい稽古と本番とのAIDAにあるものは何なのか、いろいろ見せたり、話したり、濃ゆ~く演じてみせてくれたので、これをあらためて振り返るのはたいへん楽しかった。 たとえばベンヤミンやポランニーやエドワード・ホールだ。 ついでに最新刊の『日本文化の核心』(講談社現代新書)からのフリップも入れた。 とくに日本株式会社の多くが平時に有事を入れ込まないようになって、久しく低迷したままなので(いざというとお金とマスクをばらまくだけなので)、こちらについてはかなりキツイ苦言を呈してみた。 このことを前提にしておかない日本なんて、あるいはグローバルスタンダードにのみ追随している日本なんて、かなりの体たらくなのである。 そのことに苦言を呈した。 もっと早々にデュアルスタンダードにとりくんでいなければならなかったのである。 つまり地球生命系のアントロポセンな危機が到来しているということなのだが、そのことがちっとも交わされていない日本をどうするのか、そこを問うた。 ぐったりしたけれど、そのあとの参加者の声はすばらしいものだったので、ちょっとホッとした。 そのうち別のかたちで、「顔」と「言葉」と「本」を「世界と日本」のために、強くつなげてみたいものである。 RNAウイルスの暴風が吹き荒れているのである。 新型コロナウイルスがSARSやMARSや新型インフルエンザの「変異体」であることを、もっと早くに中国は発表すべきだったのだろう。 そのうえで感染症を抑える薬剤開発やワクチンづくりに臨んでみたかった。 せめてフランク・ライアンの『破壊する創造者』(ハヤカワ文庫)、フレデリック・ケックの『流感世界』(水声社)を読んでほしい。 千夜千冊ではカール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』を紹介したが、中身はたいしたことがなく、武村政春さんの何冊かを下敷きにしたので(講談社ブルーバックスが多い)、そちらを入手されるのがいいだろう。 「自粛嫌い」のぼくも、さすがに家族からもスタッフからも「自制」を勧告されていて、この2週間の仕事の半分近くがネット・コミュニケーションになってきた(リアル2・5割、ネット参加7・5割のハイブリッド型)。 それはそれ、松岡正剛はマスクが嫌い、歩きタバコ大好き派なので、もはや東京からは排除されてしかるべき宿命の持ち主になりつつあるらしい。 そのうち放逐されるだろう。 学生時代に、このコンベンションに付き合うのは勘弁してもらいたいと思って以来のことだ。 下戸でもある。 だから結婚式や葬儀がひどく苦手で、とっくに親戚づきあいも遠のいたままにある。 たいへん申し訳ない。 レイ・ブラッドベリの家に行ったとき、地下室にミッキーマウスとディズニーグッズが所狭しと飾ってあったので、この天下のSF作家のものも読まなくなったほどだ。 これについては亡きナムジュン・パイクと意見が一致した。 かつての豊島園には少し心が動いたが、明るい改装が続いてからは行っていない。 格闘技はリングスが好きだったけれど、横浜アリーナで前田日明がアレクサンダー・カレリンに強烈なバックドロップを食らって引退して以来、行かなくなった。 ごめんなさい。 子供時代はバスケットの会場と競泳大会の観戦によく行っていた。 それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。 実は、その脳内散歩ではマスクもするし、消毒もする。 感染を遮断するのではなく、つまらない感染に出会うときに消毒をする。 これがわが「ほん・ほん」の自衛策である。 ぼくとしてはめずらしくかなり明快に日本文化のスタイルと、そのスタイルを読み解くためのジャパン・フィルターを明示した。 パンデミックのど真ん中、本屋さんに行くのも躊らわれる中での刊行だったけれど、なんとか息吹いてくれているようだ。 デヴィッド・ノーブルさんが上手に訳してくれた。 出版文化産業振興財団の発行である。 いろいろ参考になるのではないかと思う。 中井久夫ファンだったぼくの考え方も随所に洩しておいた。 次の千夜千冊エディションは4月半ばに『大アジア』が出る。 これも特異な「変異体」の思想を扱ったもので、竹内好から中島岳志に及ぶアジア主義議論とは少しく別の見方を導入した。 日本人がアジア人であるかどうか、今後も問われていくだろう。 1月~2月はガリレオやヘルマン・ワイルなどの物理や数学の古典にはまっていた。 この、隙間読書の深度が突き刺すようにおもしろくなる理由については、うまく説明できない。 「間食」の誘惑? 「別腹」のせい? 「脇見」のグッドパフォーマンス? それとも「気晴らし演奏」の醍醐味? などと考えてみるのだが、実はよくわからない。 新型コロナウィルス騒ぎでもちきりなのだ。 パンデミック間近かな勢いがじわじわ報道されていて、それなのに対策と現実とがそぐわないと感じている市民が、世界中にいる。 何をどうしていくと、何がどうなるはかわからないけれど、これはどう見ても「ウィルスとは何か」ということなのである。 けれどもいわゆる細菌や病原菌などの「バイキン」とは異なって、正体が説明しにくい。 まさに隙間だけで動く。 ところがウィルスはこれらをもってない。 自分はタンパク質でできているのに、その合成はできない。 生物は細胞があれば、生きるのに必要なエネルギーをつくる製造ラインが自前でもてるのだが、ウィルスにはその代謝力がないのである。 だから他の生物に寄生する。 宿主を選ぶわけだ、宿主の細胞に入って仮のジンセーを生きながらえる。 ところがこれらは自立していない。 他の環境だけで躍如する。 べつだん「悪さ」をするためではなく、さまざまな生物に宿を借りて、鳥インフルエンザ・ウィルスなどとなる。 もっとはっきり予想していえば「借りの情報活動体」なのだ。 鍵と鍵穴のどちらとは言わないが、半分ずつの鍵と鍵穴をつくったところで、つまり一丁「前」のところで「仮の宿」にトランジットする宿命(情報活動)を選んだのだろうと思う。 たとえば一人の肺の中には、平均174種類ほどのウィルスが寝泊まりしているのである。 さまざまな情報イデオロギーや情報スタイルがどのように感染してきたのか、感染しうるのか、そのプロセスを追いかけてきたようにも思うのだ。 まあ、幽閉老人みたいなものだが、何をしていたかといえば、猫と遊び、仕事をしていたわけだ。 千夜千冊エディションを連続的に仕上げていたに近い。 木村久美子の乾坤一擲で準備が進められてきたイシス編集学校20周年を記念して組まれたとびきり特別講座だ。 開講から104名が一斉に本を読み、その感想を綴り始めた。 なかなか壮観だ。 壮観なだけでなく、おもしろい。 やっぱり本をめぐる呟きには格別なものがある。 ツイッターでは及びもつかない。 参加資格は編集学校の受講者にかぎられているのが、実はミソなのである。 ちょっと摘まんでみると、こんなふうだ。 赤坂真理の天皇モンダイへの迫り方も、大竹伸朗のアートの絶景化もいいからね。 イーガンや大澤君のものはどうしても読んでおいてほしいからね。 これらの感想について、冊師たちが交わしている対応が、またまた読ませる。 カトめぐ、よくやっている。 穂村弘『絶叫委員会』、原田マハ『リーチ先生』、上野千鶴子『女ぎらい』、畑中章宏『天災と日本人』、藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』、ボルヘス『詩という仕事について』、松岡正剛『白川静』、モラスキー『占領の記憶・記憶の占領』、柄谷行人『隠喩としての建築』、藤野英人『投資家みたいに生きろ』、バウマン『コミュニティ』、酒井順子『本が多すぎる』、バラード『沈んだ世界』、堀江敏幸『回送電車』、アーサー・ビナード『日々の非常口』、島田ゆか『ハムとケロ』、ダマシオ『意識と自己』、荒俣宏『帝都物語』、白州正子『縁あって』、野地秩嘉『キャンティ物語』、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡』、國分功一郎『原子力時代における哲学』、ミハル・アイヴァス『黄金時代』、ウェイツキン『習得への情熱』、江國香織『絵本を抱えて部屋のすみへ』、内田樹『身体の言い分』。 このへんも嬉しいね、アイヴァスを読んでくれている。 ぼくが読んでいない本はいくらもあるけれど、イシスな諸君の読み方を読んでいると、伊藤美誠のミマパンチを見たり、中邑真輔のケリが跳んだときの快感もあって、それで充分だよと思える。 もともとはモルフェウスのしからしむ誘眠幻覚との戯れなのだけれど、これを共読(ともよみ)に変じたとたんに、世界化がおこるのだ。 こんな快楽、ほかにはめったにやってこない。 満を持してのエディションというわけではないが(それはいつものことなので)、みなさんが想像するような構成ではない。 現代思想の歴々の編集力がいかに卓抜なものか、これまでのポストモダンな見方をいったん離れて、敷居をまたぐ編集、対角線を斜めに折る編集、エノンセによる編集、テキスト多様性による編集、スタンツェ(あらゆる技法を収納するに足る小部屋もしくは容器)を動かす編集、アナモルフィック・リーディングによる編集を、思う存分つなげたのだ。 かなり気にいっている。 なかでポランニーが「不意の確証」は「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(動的対象結合)によっておこる、それがわれわれに「見えない連鎖」を告知しているんだと展望しているところが、ぼくは大好きなのである。 鍵は「準同型」「擬同型」のもちまわりにある。 「世界は本である」「なぜなら世界はメタフォリカル・リーディングでしか読めないからだ」と喝破した有名な著作だ。 最後にキエラン・イーガンの唯一無比の学習論である『想像力を触発する教育』にお出まし願った。 この1冊は天才ヴィゴツキーの再来だった。 あしからず。 編集力のヒントとしては『情報生命』も自画自賛したいけれど、あれはちょっとぶっ飛んでいた。 『編集力』は本気本格をめざしたのだ。 ぜひ手にとっていただきたい。 あしからず。 ところが、気持ちのほうはそういうみなさんとぐだぐたしたいという願望のほうが募っていて、これではまったくもって「やっさもっさ」なのである。 やっぱりCOPD(肺気腫)が進行しているらしい。 それでもタバコをやめないのだから、以上つまりは、万事は自業自得なのであります。 来年、それでもなんだかえらそうなことを言っていたら、どうぞお目こぼしをお願いします。 それではみなさん、今夜もほんほん、明日もほんほん。 最近読んだいくつかを紹介する。 ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)は、革命思想の成長と目標をめぐって自己陶冶か外部注入かを議論する。 「する」のか「させる」のか、そこが問題なのである。 同時代社は日共から除名された川上徹がおこした版元で、孤立無援を闘っている。 2年前、『川上徹《終末》日記』が刊行された。 コールサック社をほぼ一人で切り盛りしている鈴木比佐雄にも注目したい。 現代詩・短歌・俳諧の作品集をずうっと刊行しつづけて、なおその勢いがとまらない。 ずいぶんたくさんの未知の詩人を教えてもらった。 注文が多い日々がくることを祈る。 ぼくは鷲津繁男に触発されてビザンチンに惑溺したのだが、その後は涸れていた。 知泉書館は教父哲学やクザーヌスやオッカムを読むには欠かせない。 リアム・ドリューの『わたしは哺乳類です』とジョン・ヒッグスの『人類の意識を変えた20世紀』(インターシフト)などがその一例。 ドリューはわれわれの中にひそむ哺乳類をうまく浮き出させ、ヒッグスは巧みに20世紀の思想と文化を圧縮展望した。 インターシフトは工作舎時代の編集スタッフだった宮野尾充晴がやっている版元で、『プルーストとイカ』などが話題になった。 原研哉と及川仁が表紙デザインをしている。 最近、太田光の「芸人人語」という連載が始まっているのだが、なかなか読ませる。 今月は現代アートへのいちゃもんで、イイところを突いていた。 さらにきわどい芸談に向かってほしい。 佐藤優の連載「混沌とした時代のはじまり」(今月は北村尚と今井尚哉の官邸人事の話)とともに愉しみにしている。 ついでながら大阪大学と京阪電鉄が組んでいる「鉄道芸術祭」が9回目を迎えて、またまたヴァージョンアツプをしているようだ。 「都市の身体」を掲げた。 仕掛け人は木ノ下智恵子さんで、いろいろ工夫し、かなりの努力を払っている。 ぼくも数年前にナビゲーターを依頼されたが、その情熱に煽られた。 いろいろ呆れた。 とくに国語と数学の記述試験の採点にムラができるという議論は、情けない。 人員が揃わないからとか、教員の負担が大きいからとかの問題ではない。 教員が記述型の採点ができないこと自体が由々しいことなのである。 ふだんの大学教員が文脈評価のレベルを維持できていないということだ。 書きたいことも、書かなければならないことも、書いたほうがいいだろうこともいっぱいある。 たとえばグロテスクについて、アナンケについて。 しかし、今夜に向き合いたことは、いったい何がレ・ミゼラブルなのか。 何が「ああ無情」なのかということのようだ。 むろん『レ・ミゼラブル』にも触れる必要はあるが、それだけでは今夜のぼくの気分はユゴーに向き合ったことにはならないようだ。 無情とだけ向き合いたい。 けれども無情なのはジャン・ヴァルジャンではあるまい。 ミリエル司教でもない。 コゼットとマリユスの別離が無情の主語というのでもなく、また浮浪児ガヴローシュに何かが託されたともかぎらない。 時代社会もレ・ミゼラブルで、ヴィクトル・ユゴーその人にもレ・ミゼラブルが沈殿している。 『レ・ミゼラブル』はぼくののひとつだが、いつもこの「無情」がぐるぐる回転木馬のように動きまわっていた。 黒岩涙香が翻案した少年少女向け『ああ無情』(初期の標記は『噫無情』。 明治35年から「万朝報」に1年間連載)を、中学を含めて3回は読んだ。 しかしそれからずっとたって、岩波文庫の『レ・ミゼラブル』が6冊にもなることを知って、びっくりした 最近、この6冊が分厚い4冊組になった)。 これはアレクサンドル・デュマの子供用『巌窟王』が大人用の『モンテ・クリスト伯』では文庫7冊になるのに次いで、びっくりしたことだ。 のちに『三国志』『』の本体がこの膨張をはるかに凌いでいたのにも驚いた。 いや、フランスより中国、と言いたいわけではない。 馬琴の『南総里見八犬伝』ということもある。 そのうち、これも少年少女向けの『ノートルダムの傴僂男』としてドキドキしていた『ノートルダム・ド・パリ』を読んだ。 これがユゴーと向き合った最初だったろう。 決定的だった。 胸を突き上げるような痛切と哀歓、奈落と天界を脱兎のごとく昇降する落ち着かない感情、最も両極に離れあう美醜の二者が一挙に溶融する神秘。 そういう驚きだった。 ついでに言っておくが、のちのちになって感じたのは、ユイスマンスもマンディアルグも、結局は『ノートルダム・ド・パリ』だということだ。 ジョン・ラスキンを読んでいて知らされたこともあった。 ひとつは、ユゴーがフランス最大の詩人であったことである。 このことも日本ではほとんど知られていない。 『静観詩集』は神秘圧倒そのものなのにー。 もうひとつは、ユゴーが自然観照においても他を抜きん出て、その岩石や鉱物に満ちた山塊を描いた絵画に、ラスキンがターナーに匹敵する賞賛をおくっていることだった。 さっそく調べまわってユゴーの絵をいくつも見たが、その通り。 まさに岩石と鉱物が表現されていた。 そこには、あきらかに「グロテスク」(とでも訳しておきたい)の本質に迫る表現力が横溢していた。 なんだ、そうか、そうか、グロテスクはユゴーこそが近代における確立者だったのか、と了解できた(だから石造のノートルダム寺院なのである!)。 これものちに知ったことだが、このことはガストン・バシュラールもうすうす気がついていた。 しかしユゴーは、このグロテスクを自然そのものがもつ宿命と人間がもつ宿命との対比としても理解した。 だからこそ、ノートルダム寺院では聖職者フロロと怪人カジモドが対照されたのである。 というわけで、ヴィクトル・ユゴーはとんでもない。 説明がつかないようなことを仕出かしている。 そのユゴーが、400字詰にして約5000枚をかけて「レ・ミゼラブル!」という刻印をした。 いったい、どんな暗示だったのか。 以下、このレ・ミゼラブルとは何だろうということについて多少の思いを述べる。 まず、ヴィクトル・ユゴーは19世紀フランスそのものだったということを言っておきたい。 1802年に生まれて1885年に83歳の生涯を閉じたからではない。 第1に、父親があまりにナポレオン主義者だった。 ユゴーが生まれたのはナポレオンが皇帝になった2年前で、そのまますぐにマルセイユ・コルシカ島・エルバ島・ナポリに、ナポレオン軍の将校だった父とともに転居した。 ナポレオンは情熱的なナショナリストであって、王位簒奪者であって、革命簒奪者である。 そのナポレオンをユゴーの父が一心に追ったことは、ユゴーを騒動に巻きこみ、ユゴーの思想を形づくった。 第2に、ユゴーが生きたフランス19世紀はその政治体制が史上まれにみるほどに変転きわまりなかった。 政治文化も実にめまぐるしく動いた。 これは幕末明治の比ではない。 トップに立つ者の交替が過激に政治文化をいちいち色付けた。 そのなかでユゴーは父譲りの王党派にいたことで、揺さぶるような激動に巻き込まれる。 どんなめまぐるしさかというと、こうである。 ナポレオンが崩落したのちに王政復古をとげ(1815~1830)、それが壊れて(七月革命)、オルレアン家のルイ・フィリップによる立憲王政になり、さらに1848年の二月革命で第二共和政になったかとおもうまもなく、ルイ・ナポレオンが出てきてクーデタをおこし、ナポレオン3世となって第2帝政になった。 ユゴーはこのときナポレオン3世に接近した状態にいて、王党派議員にさえなったのだが、やがて関係は冷え、ユゴーはベルギーに引っ込んだ。 ところが、ナポレオン3世はプロシアと普仏戦争をおこしてあっけなく敗退、スダンで捕虜になってしまう。 この混沌を突いておこったのがパリ・コミューンの動乱である。 ユゴーは政府軍の苛酷な弾圧に怒りを禁じえず、コミューン参加者がベルギーに亡命してくるなら自分が保護するという声明を出した。 こういうめまぐるしい変転のなかで、政治文化そのものがつねに色付きと表情と価値観を変えた。 それが、あのフランス革命をおこした自由・平等・博愛の国でおこったのである。 これは近代史のなかでもそうとうに特異なことで、このことを勘定に入れないでは、近代フランス文学は一も十もわからない。 このなかでバルザックもも、ラマルチーヌもシャトーブリアンも、もも、その精神を動乱させた。 第3に、19世紀フランスの中葉を飾ったのはロマン主義であって、その中心にユゴーがいたということだ。 フランスにおけるロマン主義は長めに見ると1830年から1930年にまでわたっているが、その最初の絶頂を「フランボワイヤン(真紅)のロマン主義」という。 このフランボワイヤンをひっさげてユゴーはロマン主義の頂点に立った。 『ノートルダム・ド・パリ』も『レ・ミゼラブル』もロマン主義文学の最高傑作である。 これは何を意味しているかというと、ギリシアやローマに対する憧憬を下敷きにした古典主義も擬古典主義も崩れて(それはあたりで先駆していたのだが)、文学が自国自民族の歴史や文化に回帰しようとしたことをあわらしていた。 加えてスタール夫人やシャトーブリアンによってカトリシズムが復活し、その動きをまきこんだラマルチーヌによって王党主義が芽生えた。 、そこはすでにフランス革命をおこした近代ブルジョワ社会があってのこと、またそこにもうひとつの革命であったを意識のうえで切り捨てたあとでの、そういう特色をもったフランス・ロマン主義なのである。 ユゴーの出発点はここにあった。 ユゴーが創刊した「コンセルヴァトゥール・リテレール」という雑誌の名前に、このことは端的に象徴されている。 これは「文学保守」という意味なのだ。 第4に、政治変転めまぐるしく、ロマン主義抬頭のこの時期は、劇場性と演劇性が芸術文学活動の切り札になっていて、この面でもユゴーは断固として先頭に立っていたということがある。 とくに有名なのはエルナニ事件というもので、七月革命直前(1830)、ユゴーの『エルナニ』がコメディ・フランセーズで初演されて、これが古い文学と新しい文学の衝突現場となった。 このときユゴーを奉じる青年たちは劇場のそこかしこに陣取って、沸き上がる野次を制して舞台を圧倒的成功に導いた。 王党ロマン主義はこの『エルナニ』によって確立したといってよい。 第5に、これも書いておかなければならないだろうことだが、ユゴーには降霊術に心酔した時期があった。 上にも書いたように、ユゴーはナポレオン3世の追捕を逃れてベルギーのブリュッセルに引っ込んだのだが、その期間、ジャージー島にも滞在する。 この島は風光明媚な外観とは裏腹に、なんと幽霊が出る島だった。 そこへもってきてユゴーをぞっこん気にいった驕奢なジラルダン夫人がここに乗りこんできて、毎夜、降霊術の宴を開くようになった。 ユゴーはいささか迷惑げだったのだが、ところがある夜、テーブルが動いた。 それだけでなく、セーヌ河に溺死してユゴーを悲しませていた愛娘の霊が出た。 これでユゴーはすっかり心霊神秘主義に浸っていく。 『静観詩集』はこの時期の感覚が言葉になっていて、に共感がある者なら、こういうユゴーの詩は見逃せない。 しかし降霊術も、やはりこの時代の典型的な産物なのである。 流行だった。 ユゴーはこうした19世紀フランスの時代の潮流の大半を呑みこみ、そして晦渋していったのだ。 以上は前提で、こういう背景と体験をもって、ユゴーはまず『ノートルダム・ド・パリ』を書く。 大聖堂司教補佐のクロード・フロロ、大聖堂の前庭で踊るジプシーのエスメラルダ、そのエスメラルダにありったけの純情を寄せる鐘つき番のカジモド。 この3人が寺院を舞台に三つ巴に絡まった。 聖職者フロロはカジモドにエスメラルダを攫わせておいて、密かな欲望を成就しようとした。 けれどもエスメラルダは王室近衛兵の隊長に心を奪われていて、フロロはそれが許せない。 ついにフロロは我が身を制御できずに、策略を用いてエスメラルダを絞首刑にする。 そこでカジモドがフロロを殺す。 これは最初にあげた対比された宿命を石造的に描こうとする「グロテスク」の方法をユゴーが独自に文芸獲得したということであって、また「アナンケ」(運命・宿命)の主題にユゴーが立ち向かったということである。 それとともにこの作品で、ユゴーは二つの実験をしてみせた。 ひとつは、パリそのものであるノートルダム寺院を舞台にすることによって、ギリシア・ローマ型の古典主義に颯爽と反旗を翻し、これを使わずとも、普遍的な物語が現出しうることを見せた。 もうひとつは、もはやカトリックと王党ではない民衆にこそ普遍的な物語が潜んでいるという確信をもったことだろう。 聖職者フロロの追落した欲望を描ききったことは、こうしてユゴーを新たな問題に向かわせる。 しかし、そこに待っていたのがレ・ミゼラブルなのである。 このあとユゴーが向かった問題はおそらく「」である。 それはナポレオン3世の悪であり、社会にすだく悪であり、一人の聖職者を襲う悪であり、自身にひそむ悪だった。 それぞれ吟味のうえに発表された『懲罰詩集』『リュイ・ブラース』『静観詩集』をへて、ユゴーは社会と人間の深淵から聞こえてくる喇叭(らっぱ)の音に、悪が交じっているのを聞き分ける。 この悪はいったい何なのか。 どのように悪が排除できないことを認識すればいいものか。 そこで有名な『サタンの終わり』を詩の構造をもって描き切ろうとするのだが、ここには神や天使が出すぎていて、うまくいかない。 それをするならではないが、やはりヴェルギリウスの古典に倣うほかはない。 けれども、それはすでに19世紀フランス・ロマン主義が捨てた光景である。 ユゴーは『サタンの終わり』を未完のままに放置する。 では、どうするか。 こうしてユゴーが選んだのが、この現実社会そのものに巣食った神と悪魔を、天使と闇を、贖罪と宿命を、それらをすべて描ききることだった。 そのためユゴーは『諸世紀の伝説』を書いて、。 最近は、この詩集こそがユゴー文学の解読の鍵だと騒がれている作品である。 これはいってみれば、江戸社会の歌舞伎における『忠臣蔵』なのだ。 それならこれに対して、ユゴーはもうひとつの鏡像としてを書かなければならなかったのだ。 『レ・ミゼラブル』がこうして準備されていく。 さて、ここまで書いてきて、念のために、周辺の文献から『レ・ミゼラブル』についての日本人の論評がどういうものになっているかを、ざっと調べてみた。 予想はしていたものの、はたして、ろくなものがない。 何ひとつ議論されてはいないといっていいほどである。 そのかわり、よくできているのは要約や翻案だった。 黒岩涙香の『ああ無情』がまさにその嚆矢だが、それ以外の子供向けのジャン・ヴァルジャンもよくできている。 7、8年前に出版された鹿島茂の『レ・ミゼラブル百六景』(文藝春秋)もユーグ版の挿絵ごとに物語を要約していて、まことによくできていた。 ようするにヴィクトル・ユゴーは日本では物語の作者でしかなかったのである(いや、きっといい評論もあるだろうが、ぼくはちゃんとは知らない)。 むろん物語としては完璧に近いものがある。 ただしそれはが完璧だったことに比較していうと、近代社会がもつ矛盾を描き切ろうとしていたことにおいて完璧なのであって、いいかえれば、その完璧から近代が封じこめたいっさいの矛盾が吹き出るところの用意が周到だったということなのである。 ぼくは、フランス・ロマン主義が古典主義を切り捨てたと言った。 ユゴーたちは、フランス語で文芸をするにあたって、古典主義の面倒な規則を離れたのだ。 古典主義では「モ・プロプル」ということを嫌う。 そのものずばりを言わないということだ。 たとえばハンカチのフランス語は「ムーショワール」だが、これは「鼻をかんでやるぞ」(ムーシェ)という言葉からできている。 こういう言葉を絶対に使わないのが古典主義というものだった。 これを「ペリフラーズ」(迂言法)といった。 だからアルフレッド・ヴィニーがロマン派の初期の旗手として「ムーショワール」を詩の中で使ったときは、たいへんなスキャンダルになった。 そのほか「アンジャンプマン」(句またがり)や「三単一の規則」など、いろいろがある。 これをフランス・ロマン主義は駆逐した。 そこまではいい。 問題は、このようにして古典主義のレトリックを捨てたからといって、言葉の暗示性を失うわけにはいかないし、ましてや意味の暗示性を破棄することは不可能だということである。 そこでユゴーが試みたこと、それは現実の出来事をあらわす言葉によって多重な暗示性を取り戻すことだったのである。 ユゴーはあらゆる現実に自ら介入して、その行動や出来事がもつ二重多重の意味を体験してきた。 そのために劇場で闘い、議員になり、亡命し、降霊術に耽り、コミューンの志士を受け入れた。 こうした体験は、ユゴーにとってはペリフラーズに代わる言葉そのものであったのだ。 それは新たに装着された近代言語による意味の武器だった。 それを詩にし、劇にしているうちに、ユゴーは気がついた。 意味の武器による砲列は、まだ誰も体験したことのない相互に矛盾しあう悲劇をつくりだしていることに気がついたのである。 脱線の一章「隠語」の挿絵。 ユゴーは隠語を社会の底辺にうごめく怪物に見立てた。 そうなのだ。 ユゴーは近代言語による周到な物語そのものを「レ・ミゼラブル」と名付けたのだ。 ああ無情とは、つねに言葉がそこへ至れば必ずおこりうる根本矛盾をあばいてしまう最終暗示力のことなのである。 ヴィクトル・ユゴーは、19世紀フランスの人間社会の動向の大半を言葉にしてみせたお化け鏡のようなものだったのだ。 だから、その作品は瞠目すべき「言葉の社会」の出現だったのだ。 文学とは、ここまでするのかという出来事だ。 しかしユゴーは、それこそが「レ・ミゼラブル」かもしれないと、そこまで読んでいた。 言葉が言葉を殺し、言葉が言葉を救いあう。 言葉が言葉を犯し、言葉が言葉を再生する。 近代言語による完璧な物語とは、そういうものなのだ。 ああ、無情。 最後に一言、付け加えておく。 ユゴーの実験は近代文学の究極到達点だった。 このため20世紀文学はこれを切り崩し、これを放棄することを課題とした。 それは成功した。 ところが、そのうちに、ふたたびユゴーやデュマがもつ物語の悲劇的完璧に再帰しているジャンルが蹴り出てきた。 そのひとつがアメリカン・シネマ、もうひとつがニッポン劇画とジャパン・アニメーションである。 ああ、無情。

次の

ミュージカル『レ・ミゼラブル』の魅力。圧巻のストーリーと音楽を見逃すな

レミゼラブル 時代背景

2012年にアカデミーショーを席巻した映画「レ・ミゼラブル」をご覧になって、その人間ドラマに涙した方もたくさんおられるのではないでしょうか。 この作品はブロードウェイですでに人気を博しているミュージカルがベースになったお話です。 その場で歌われた歌声をそのまま使っていることから、とても臨場感があり、舞台のミュージカルをカメラを通して観ているような作品でした。 その「レ・ミゼラブル」ですが、多くの方はフランス革命の時代と思っておられることが多いようです。 確かにフランス革命の影響がまだくすぶるパリが舞台ですが、いわゆるフランス革命と呼ばれた時代の後のお話なのです。 今回は「レ・ミゼラブル」の最後に起こった暴動は一体何だったのかを中心にそこに至った時代背景についてご案内いたします。 ご覧になったことのある方はもちろん、これからご覧になられる方にも知っておいていただくとより映画を楽しんでいただけるかと思います。 ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由 image by iStockphoto 物語は1815年のトゥーロンという港から始まります。 ここで主人公のジャン・バルジャンは囚人として使役労働を行っていました。 彼の罪は飢えて死にそうだった妹の子供のためにパンを盗んだことでした。 その罪のための禁固は5年、そして何度も脱獄を繰り返したためその分追加禁固刑となり、合計19年の囚人生活を送っていました。 彼がパンを盗んだのは1796年。 フランス革命の狼煙を上げた有名なバスティーユの襲撃から7年後のことです。 ここで簡単にバスティーユの襲撃のあった1789年から1796年の革命の流れを観てみましょう。 襲撃の後はフランスはルイ16世一家をヴェルサイユからパリへ連れてきて、立憲君主制を目指します。 当初憲法への同意を渋っていたルイ16世がパリ市民の不穏さから、憲法を同意。 イギリスのように王はいるが憲法によって統治される国となると思っていた矢先に、国王一家がパリから逃亡します。 「ヴェルサイユの薔薇」でも有名なヴァレンヌ逃亡事件です。 これによってパリ市民は王家に大きく失望。 以前からあった王政の廃止の声が高まり、ついに1792年に王政を廃止となります。 王がいなくなっても混乱は続く その後、国民公会による共和政が樹立し1793年憲法を制定します。 それは初めて人民投票で成立させた憲法で、人権主権や労働扶助についてや奴隷制廃止などとても民主的な憲法でした。 しかし、実際には革命に対して反発をする対仏大同盟による諸外国との戦争に加えて、発行するアッシニア紙幣の暴落などがあり、国内が落ち着くまでは施行が延期されました。 国民にとっては、王がいなくなっても自分たちの権利は全く変わらず、未だに生活も苦しい。 そんな不満は政府にも影響し、人民からの指示を得るために人気取りの意見を出す者もいれば、既得権益を自分たちが得られるようにしたり、王党派たちはこの不安定な隙に政治主権を取り戻そうとしたり。 そんなさまざまな思惑で勢力が拮抗する中、国民公会は倒れ、総裁政府が立ち、国民の希望よりもブルジョワジーの権利を後押しするような1795年憲法を成立させます。 その政府を安定させるために、血を血で洗うような対立する者への弾圧がされ、恐怖政治が横行するようになります。 その恐怖政治の粛正は政敵だけでなく市民にもおよび、このころになると革命前から続く不況で国民は疲弊し、誰でもいいからこの状況から救ってほしいとまで言われるようになります。 このような混乱を極めている1796年、ジャン・バルジャンはパンを盗んだのです。

次の

新装版 「レ・ミゼラブル」百六景 (文春文庫)

レミゼラブル 時代背景

2012年にアカデミーショーを席巻した映画「レ・ミゼラブル」をご覧になって、その人間ドラマに涙した方もたくさんおられるのではないでしょうか。 この作品はブロードウェイですでに人気を博しているミュージカルがベースになったお話です。 その場で歌われた歌声をそのまま使っていることから、とても臨場感があり、舞台のミュージカルをカメラを通して観ているような作品でした。 その「レ・ミゼラブル」ですが、多くの方はフランス革命の時代と思っておられることが多いようです。 確かにフランス革命の影響がまだくすぶるパリが舞台ですが、いわゆるフランス革命と呼ばれた時代の後のお話なのです。 今回は「レ・ミゼラブル」の最後に起こった暴動は一体何だったのかを中心にそこに至った時代背景についてご案内いたします。 ご覧になったことのある方はもちろん、これからご覧になられる方にも知っておいていただくとより映画を楽しんでいただけるかと思います。 ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由 image by iStockphoto 物語は1815年のトゥーロンという港から始まります。 ここで主人公のジャン・バルジャンは囚人として使役労働を行っていました。 彼の罪は飢えて死にそうだった妹の子供のためにパンを盗んだことでした。 その罪のための禁固は5年、そして何度も脱獄を繰り返したためその分追加禁固刑となり、合計19年の囚人生活を送っていました。 彼がパンを盗んだのは1796年。 フランス革命の狼煙を上げた有名なバスティーユの襲撃から7年後のことです。 ここで簡単にバスティーユの襲撃のあった1789年から1796年の革命の流れを観てみましょう。 襲撃の後はフランスはルイ16世一家をヴェルサイユからパリへ連れてきて、立憲君主制を目指します。 当初憲法への同意を渋っていたルイ16世がパリ市民の不穏さから、憲法を同意。 イギリスのように王はいるが憲法によって統治される国となると思っていた矢先に、国王一家がパリから逃亡します。 「ヴェルサイユの薔薇」でも有名なヴァレンヌ逃亡事件です。 これによってパリ市民は王家に大きく失望。 以前からあった王政の廃止の声が高まり、ついに1792年に王政を廃止となります。 王がいなくなっても混乱は続く その後、国民公会による共和政が樹立し1793年憲法を制定します。 それは初めて人民投票で成立させた憲法で、人権主権や労働扶助についてや奴隷制廃止などとても民主的な憲法でした。 しかし、実際には革命に対して反発をする対仏大同盟による諸外国との戦争に加えて、発行するアッシニア紙幣の暴落などがあり、国内が落ち着くまでは施行が延期されました。 国民にとっては、王がいなくなっても自分たちの権利は全く変わらず、未だに生活も苦しい。 そんな不満は政府にも影響し、人民からの指示を得るために人気取りの意見を出す者もいれば、既得権益を自分たちが得られるようにしたり、王党派たちはこの不安定な隙に政治主権を取り戻そうとしたり。 そんなさまざまな思惑で勢力が拮抗する中、国民公会は倒れ、総裁政府が立ち、国民の希望よりもブルジョワジーの権利を後押しするような1795年憲法を成立させます。 その政府を安定させるために、血を血で洗うような対立する者への弾圧がされ、恐怖政治が横行するようになります。 その恐怖政治の粛正は政敵だけでなく市民にもおよび、このころになると革命前から続く不況で国民は疲弊し、誰でもいいからこの状況から救ってほしいとまで言われるようになります。 このような混乱を極めている1796年、ジャン・バルジャンはパンを盗んだのです。

次の