禍い 意味。 コロナ禍とは? 読み方と意味

『コロナ禍』ってなんて読むの?「禍」の読み方と意味・ことわざ

禍い 意味

コロナ禍とは|読み方や意味、使い方・「災」との違い・コロナ禍の影響を受けた業界、働き方の変化を解説• 2020年6月30日• , , , , , , ,• この記事では「コロナ禍」の読み方や意味について解説いたします。 感染者や死者が増加の一途を辿る新型コロナウイルスは、その言葉を見聞きしない日がないくらい連日報じられているのは周知の通りです。 その報道の中で、「コロナ禍」という言葉が使われるようになりました。 しかしこの言葉の読み方や意味がよく分からないという人も少なからず見受けられます。 そこで今回は「コロナ禍」の読み方や意味、使い方や報じられ方などをピックアップしてまとめました。 この記事の内容が、コロナ関連のニュースを見聞きする上での参考になれば幸いです。 ・コロナ禍は学生の就職活動にも大きな悪影響を与えている。 新型コロナウイルスによる売上減などを理由に、内定取り消しや会社説明会の中止などが現実として起こっています。 この例の通り、「コロナ禍」は学生の就職活動に大きな悪影響を与えているといえるでしょう。 「禍」と「災」の違い 「禍」と似た意味を持つ言葉として「災」を思い浮かべる人も多いかもしれません。 どちらも同じ意味だと思われるかもしれませんが、厳密には以下のような違いがあります。 ・「災」は防ぎようのない天災 ・「禍」は人為的な努力によって防ぐことができる事柄 上記を踏まえて考えると、新型コロナウイルスは防ぎようのない天災ではなく、政府や医療などの連携や協力によって防ぐことができるものだと解釈できます。 また早期対策を適切に打ち出すことができていれば、これ程まで拡散するものではなかったという見方もできるかもしれません。 なお「口は災いの元」という言葉があるのように、人為的に防ぐことができるものであっても「災」を使うケースが少なからずあります。 したがって言葉の意味や使い分けに対して過度に神経質になる必要もないでしょう。 「コロナ禍」の影響を受けた業界 「コロナ禍」の影響を受けたのはほとんど全業界といっても過言ではありません。 この項目では、その一例として4業界を取り上げました。 飲食業界 新型コロナウイルスは飛沫感染することが確認されているので、近距離で話したり他の人と飲食物を共有したりする飲食店では客足が遠のいている店舗が多く見られます。 中には前月の売上の半分以下になってしまったり、閉店に追い込まれたりした店舗もあるほどです。 採算度外視で破格のキャンペーンを企画したチェーン店もありますが、以前の水準まで客足を戻すまでには至っていないといえます。 特に所帯持ちのサラリーマンは、自身を経由して家族に感染させてしまうというリスクを恐れてまっすぐ帰路に着くという人が多いかもしれません。 宿泊業界 旅館やホテルといった宿泊業界では、海外観光客が大幅に減ったこともあり売上を落とした店舗が多いといえるでしょう。 特に海外観光客の依存度が高かった店舗では、廃業の憂き目にあったというケースも少なくありません。 またイベントやライブなどの自粛もあり、キャンセルが相次いだというケースも見られました。 イベント業界 人が密集したり近距離で接触したりすることから、中止を余儀なくされたイベントは多いでしょう。 チケットの返金対応やイベントに携わる人々の人件費など、関連する問題は山積みです。 そんな中でオンラインでイベントやライブを公開して収益を上げているアーティストやパフォーマーも現れるなど、業界のマネタイズ手段が多様化する一因にはなっているかもしれません。 小売業界 マスクや消毒用のアルコールなどを買い求め、ドラッグストアには毎日のように早朝から長蛇の列ができました。 スーパーでも生産停止による品薄を危惧してトイレットペーパーや食料を買い占めるというケースが多く見られます。 政府や店舗では注意喚起の情報を積極的に発信していますが、冷静さを取り戻させるには至っていないといえるかもしれません。 「コロナ禍」の影響による働き方の変化 「コロナ禍」をきっかけとして、働き方に変化があった例が少なからずあります。 この項目では、その事例として3つピックアップしました。 時差出勤 満員電車による従業員の新型コロナウイルス感染を防ぐことを意図して、出勤時間を前後にずらす「時差出勤」を導入した企業が多く見られました。 特に大都市圏では電車通勤がメインということもあり、より効果を発揮するとされています。 したがって満員電車の解消に一石を投じるきっかけになったといえるでしょう。 リモートワーク・テレワーク・在宅勤務 似た言葉ではありますが、それぞれ少しずつ意味が異なります。 まず「リモートワーク」は「働き方にかかわらず、オフィス外で働くこと」です。 場所は自宅やカフェなど、オフィス外である以外は特に限定されていません。 続いて「テレワーク」とは「離れたところで働くこと」を意味する造語です。 通勤したり会社で人と接したりすることなく、仕事を進めることができます。 そして「在宅勤務」は「自宅で働くこと」で、「テレワーク」の一つです。 インターネットを使ったオンライン会議やメールなどを使ったやり取りなどで仕事をすることで、家にいながら仕事をすることを指します。 オンライン配信 学習塾や英会話教室のように対面して行なっていた授業を、オンライン上で公開したり授業したりするようにしたケースが散見されます。 そうすることによって生徒は他の生徒や講師と近距離で接することなく授業を受けられるというわけです。 また先述のように、ライブやイベントをオンラインで公開することによって広告収入を得るというアーティストやイベンターも出現しました。 「コロナ禍」が収束しても、オンラインでの活動をメインにするという人もいるかもしれません。 まとめ この記事のおさらい ・「コロナ禍」は「ころなか」と読み、「コロナウイルスによってもたらされる不幸」という意味がある ・「災」は防ぎようのない天災なのに対し、「禍」は人為的な努力によって防ぐことができる事柄であるという違いがある ・「コロナ禍」の影響を受けたのはほとんど全業界 ・「コロナ禍」は働き方を変化させるきっかけになったという一面があり、その例として「時差出勤」や「リモートワーク」、「テレワーク」や「在宅勤務」などが挙げられる.

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禍いだ、偽善者ども

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故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉です。 故事とは、昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできています。 故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。 この記事では、沢山ある故事成語の中でも、厳選して 有名な故事成語を100個にしぼり意味と故事付きで掲載しました。 小・中学生はもちろん、高校生も大学生も、そして大人の方の勉強としても十分活用できます。 絶対知っておこう よく使われるから知っておこう 一応、知っておこう あなたが知っている故事成語はいくつありますか? かっこいい故事成語は、 をご覧ください。 「あ行」の故事成語一覧 物語・映画・劇などの中で、一番優れているところ。 【故事】 「巻」は、昔の中国の官吏登用試験の答案。 最優等者のものをいちばん上にのせたところから。 たった一度の失敗に懲りて、必要以上に注意深くなることを表している。 【故事】 元々は中国由来の言葉であり、原文は「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」である。 羮(野菜や肉を熱々に煮込んだ汁物)を食べたことにより火傷をしたことから、冷たくした 羹(生肉や生魚を酢で和えたもの)でも用心深く吹いて冷ましてから食べる、そんな姿をたとえている。 春秋戦国時代を代表する詩人とし有名であった屈原(くつげん)の詩であり、中国戦国時代の王国・楚にあった詩を集め、全17巻にも及ぶ詩集として有名な『楚辞』九章・惜誦編に収録されてある。 一つの行動で二つの利益を得ること。 また、少ない労力で多くの利益を得ること。 【故事】 司馬しば錯さくという戦国時代の秦しんの将軍が、張儀ちょうぎという戦国時代の遊説家ゆうぜいか(戦国時代に諸侯などに策を提言し、それを生業とした人)と秦の恵王の前で次のような論争をしました。 司馬錯は我が秦はまず蜀を攻めるべきだと主張し、一方遊説家の張儀は「蜀など攻めずに韓を攻めた方がよい」と言います。 二人の提言を聞いた秦の恵王は、さらなる説明を二人に求めます。 張儀は「まず魏と楚両国と親善関係を結び、そのあと韓を討ってそのまま周を脅迫し、秦が天下を取ったと名乗りをあげるべきです」と主張します。 司馬錯はこれに対し「いやいや、まずは広大な蜀を手に入れて国力の増大を図る方が先です」と主張します。 司馬はさらに「現在秦の土地はわずか、庶民は困窮しております。 まずは簡単にできることから始めるべきでしょう。 蜀は西の辺鄙なところにあり、ここを奪えば秦は領地が広がり、財も得られ、庶民を豊かにすることも可能です。 軍をよくおさめ、庶民に害を与えなければ、蜀は我らに帰順するでしょう。 そうすれば天下の人は我々を暴虐とか貪欲とか非難しないはずです。 兵を一度動かすだけで名と利の両方が一挙に得られるのです」と王を説得します。 恵王はそれを聞いて「良い意見である」と司馬錯の意見を取り入れ、まず蜀を攻めてこれを滅ぼします。 自分の目で見たり耳で聞いたりするなどして得た体験や知識が圧倒的に少なく、それでいて自分の乏しい見聞にこだわってしまうという意味です。 見聞が乏しいにも関わらず、自分は何でも知っているように勘違いしたり、得意になっている人を指す事もあります。 また、世間知らずという意味もあります。 【故事】 中国の思想家・荘子の書いた「秋水」の中の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」という言葉が由来となっています。 意味は、井戸の中のカエルに海の話が通じないのはカエルが井戸という狭い世界にとらわれているから、という内容です。 ここから、物の見方や考え方が狭い人を指して使うようになりました。 どんなに微力だろうと、それを諦めず継続していけば、いつの日にか努力が実るということをたとえている。 【故事】 元々は中国由来の言葉である、前漢のことを記した歴史書『漢書』・枚乗伝に「泰山之霤穿石」と記述されていた。 現代語訳すると「泰山に降る雨の霤は石を穿つ」となる。 泰山とは、中国山東省中部にある名山を指しており、その山から染み出た雨の雫(蕾)が長い時間をかけ、滴る雫で石を砕いたと言う意味であり、それが転じてきている。 石を枕にして眠り、川の流れに口をすすぐように、世間から離れ、自然の中で自由な生活をすること。 【故事】 晋の孫楚(そんそ)と言う人が隠居(いんきょ)する時に友人に「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべき所を「石に漱ぎ流れに枕す」と逆に言ってしまった。 友人にそのことを言われると、負け惜しみで石でくちをそそぐのは歯をみがくためで、流れに枕するのは耳をあらうためだ」とこじつけたことから、この語ができた。 功績が上に立つ者だけのものとなって、下に働く者や陰になって苦労した人たちの努力は報われないというたとえ。 【故事】 中国・唐の曹松(そうしょう)「己亥歳(きがいのとし)」による。 唐の時代の末期には、各地に多くの戦乱が起こっていた。 将軍が功名を争う陰には、犠牲になった無名の兵などたくさんの屍(しかばね)が戦場にさらされていることを嘆いたことが由来。 烏(からす)の集まりということで、数は多いが、まとまりがなく役にも立たない人々の集まりをたとえたことば。 【故事】 「後漢書」の中の「今東帝無尺寸之柄、驅烏合之眾、跨馬陷敵、所向輒平」が由来です。 東帝(劉秀・りゅうしゅう)が王郎と戦う事になりましたが、敵は兵の数が多いため、東帝は王郎を倒せるか心配になりました。 すると部下が「王郎は烏合の衆を集めただけだから、この戦は勝てますよ」と言って東帝を励ましました。 そこから、統率のない群衆や軍勢をあざけて、烏合の衆と呼ぶようになりました。 遠国と親交を結び近国を攻略する外交政策。 遠い国と手を結び、背後から牽制(けんせい)させながら近い国を攻める策。 遠い国は最後に攻めるという策略。 【故事】 「交」は交際、「攻」は攻撃の意味。 中国の戦国時代、魏(ぎ)の范雎(はんしょ)が秦(しん)の昭(しょう)王に進言した外交政策。 秦はこの政策によって諸国を征服し、范雎はこの功で宰相になった。 取るに足りない小人物(しょうじんぶつ)には、大人物(だいじんぶつ)の考えや大きな志などが分からない事。 【故事】 中国前漢の武帝の時代の歴史家・司馬遷が著した歴史書『史記』にて、中国の、後に楚王となる陳渉が若い頃に農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と言ったとされる記述から。 多くの人が集まって話し合いや相談をしているが、時間ばかりかかってなかなか結論がでないこと。 また、その話し合いの内容の低さを皮肉ること。 【故事】 戦国時代に、相模(さがみ・神奈川県)の小田原城の北条(ほうじょう)氏が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の軍勢に攻められて包囲されたときに、戦いを続けるか和睦(わぼく)すべきかを相談していたが、なかなか意見がまとまらなかったことで、ずるずると滅亡に落ち込んだ、という故事に基づく。 前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。 古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。 【故事】 孔子(こうし)が弟子たちに言った言葉からこの語ができた。 「温」はたずね求める意。 一説に、冷たいものをあたため直し味わう意とも。 「故(ふるき)を温(たずね)て新しきを知る」または「故(ふるき)を温(あたた)めて新しきを知る」と訓読する。 【スポンサーリンク】 「か行」の故事成語一覧 戦いや勝負ごとに負け、恥や屈辱を受けること。 また、己の名誉に対する侮辱を受けること。 【故事】 元々は中国の故事であり、『史記』という書物に記されている。 中国の春秋時代後期に越の王として天下を取り、後に春秋五覇の一人として名が挙がった勾践(こうせん)が天下を取る以前の話が元になっている。 呉の王・夫差(ふさ)と会稽山という中国の紹興市南部にある山で戦うも敗れ、夫差から様々な屈辱を与えられる。 学問を修めるためには、一つ一つの基礎を積み重ねて学んでこそ初めて習得するものであり、裏技は存在しないという意味。 【故事】 「学問に近道なし」には数多くの説がある。 最も有力的な説は2つあり、1つ目は「幾何学の父」と称された古代ギリシャの数学及び天文学者のユーグリット(希:エウクレイデス)説である。 ユーグリットはエジプトの王・プレイマイオス1世(英:トレミー)に幾何学を教えていたところ、王が「もっと簡単で楽に学べる方法はないのか?」と彼に尋ねたら、「幾何学に王道なし」と言ったという説。 2つ目は、数学史上初の円錐曲線を作図したとして有名な古代ギリシャの数学者メナイクモスが、弟子であるマケドニアの王・アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)に「もっと簡単に幾何学を学べる方法はないのか?」と尋ねられた問いに対し「幾何学に王道なし」と言ったという説である。 目的を達成するために機会を待ち、苦労を耐え忍ぶこと。 【故事】 薪(たきぎ)の中に寝て、苦い胆を嘗めることの意味。 春秋時代、呉王夫差は、父の仇を忘れないために、薪の上で寝ることにより自分自身を苦しめ、その屈辱と志を忘れないようにして、越王勾践を破った。 また、敗れた勾践も苦い獣の胆をなめることにより、その復讐心を忘れないようにして、その後、見事に呉王夫差を打ち破った。 民衆を苦しめる政治は、性質が荒く乱暴な虎よりも恐ろしいという意味。 【故事】 元々は『礼記』という書物に記された中国の故事である。 孔子は中国の山東省泰安市にある泰山を歩いていると、一人の女性が墓の前で泣き崩れているところ見かける。 孔子は女性に涙の分けを聞くと、女性は家族を虎に殺されたという。 孔子はそのような危険な土地から去るように勧めるが、女性は「別のとこでひどい政治に苦しめられるよりもここにいる方が何倍も良い」と答えたという。 自分ではなく他人の利益のために、そそのかされ危険をおかし、酷い目にあうことのたとえ。 【故事】 火中の栗を拾うの語源になったといわれているのが、十七世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌによるフランスの寓話「猿と猫」(Le singe et le chat)。 『イソップ物語』をもとにした童話だといわれている。 内容としては、一匹の猿と猫が暖炉の前で栗が焼けるのを見ていた。 猿は猫をそそのかし、猫に暖炉の中の栗を取らせた。 猫はひどい火傷を負った上に、火傷をしながら取った栗は猿に食べられてしまったという猫が踏んだり蹴ったりな話。 事を完成するために、最後に加える大切な仕上げのたとえ。 また、物事の最も肝要なところのたとえ。 【故事】 梁の画家である張僧ヨウが、金陵の安楽寺の壁に四頭の竜の絵を描いたが、「ひとみを描けば竜が飛び去ってしまう」と言い、ひとみは描きこまなかった。 人々は、でたらめだといい、無理やりにひとみを描かせた。 すると、たちまちいなずまが壁を突き破り、ひとみを描いた二頭の竜は天に昇っていってしまった。 ひとみを描きこまなかった二頭は、そのまま残っていたという話から。 人の世や、人生の栄枯盛衰ははかないというたとえ。 【故事】 中国、趙(ちょう)の都・邯鄲(かんたん)で、盧生(ろせい)という貧しい若者が宿で呂翁(りょおう)という道士から不思議な枕を借りて寝た。 すると、出世して50年余りの栄華を極めて一生を終えるという体験をした。 しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの、短い時間だったということから。 お互いのことを理解して、信頼しあうこと。 利害のあるなしに関わらず、親密な交際のたとえ。 【故事】 「晋書(しんじょ)」王敦(おうとん)管鮑(かんぽう)は、中国春秋時代の斉(せい)の、管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のこと。 若い時から二人はとても仲が良く、管仲が貧しかったときには鮑叔は援助を惜しまなかった。 そればかりではなく、管仲を斉の宰相に推薦した。 管仲は「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑叔なり」と、鮑叔を称賛した。 二人の親交は、終生変わることなく続けられたと故事にあることに基づく。 事が差し迫っている状況、また、間をおかずに直ちにするたとえ。 【故事】 髪の毛一本入れる余地もないことから。 前漢の時、呉王・劉濞(りゅうひ)が漢に恨みを持ち謀反を起こそうとした。 すると、郎中の枚乗(ばいじょう)がそれを諌めてこう言った。 「王の行為は、糸に千鈞もの重りをつけ、際限なく高いところから計り知れないほどに深い淵に吊り下げるようなものです。 一旦糸が切れてしまうと二度と出られないでしょう。 出ようにも、【その隙間は髪の毛一本も入らないほどです】」(『説苑』正諌より) 心に疑いを抱いていると、なんでもないことまで疑わしく不安に思えてくること。 疑いがつのり何でもないことにおびえるようす。 疑いの心が膨れ上がると、何でもないことにも不安や恐れを抱くものである。 【故事】 「疑心暗鬼」は中国の春秋戦国時代に書かれた『列子』という書物にある話が元となってできた故事成語です。 『列子』という道家(道教)の本にあるお話です。 ある人が斧をなくしてしまいました。 隣の息子が盗んだのじゃないかと疑います。 きっとそうだ。 あの歩き方、あの顔色、あのしゃべり方、あの態度…どれもこれも斧を盗んだ人間のものだ。 ところがふと気がついて窪地を掘ってみるとそこから斧が出てくるではありませんか。 その後その隣の息子をまた見てみると動作も態度も斧を盗んだ人間の様子には見えなかったといいます。 物事の一部分や細部に気を取られてしまうと、全体を見失うという事。 手段を誤れば、何かを得ようとしても得られないという事。 また、見当違いで実現不可能な望みを持つ事。 【故事】 中国の儒学者・孟子の逸話・問答を集めた書『 孟子』の『梁恵王・上』より。 「土地僻き秦楚を朝せしめ、中国に莅んで四夷を撫せんと欲するなり。 若き為す所を以て若き欲することろを求むるは、猶お木に縁りて魚を求むるがごときなり」 から。 武力で天下統一を企んだ斉の宣王に、武力のみで天下を取るのは不可能であり、ずは仁政によりて民の生活を安んずることが肝要であるということ、まるで木に登って魚を捕らえようとしていること、と指摘した言葉から。 心配しなくてもよいことを、むやみに心配すること。 取り越し苦労。 「憂」は心配する意味。 【故事】 昔、中国の杞(き)の国の人が天地が崩れ落ちてきたらどうしようと心配して、夜も寝られず、食事もしなかったという故事による。 「列子」より。 ある団体や組織などの主導権を握る。 【故事】 「左伝哀公十七年」にある故事から。 諸侯が同盟を結ぶ儀式で、盟主が牛の耳を割いて血を採り、これを順番にすすったということから。 どんなに弱い者でも、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、強い者に逆襲することがあるという事。 弱い物を侮ってはいけないと言う事。 また、逃げ場のないところに人を追いつめてはいけないと言う事。 【故事】 中国前漢時代の討論会(塩鉄会議)の記録を、政治家・学者の桓寛が60篇にまとめた書物『塩鉄論・詔聖』より。 「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸(野猫)を噛む(死に物狂いになった鼠は猫を噛むこともある)」という記述から。 優れたものと、劣ったものが混じっていること。 【故事】 晋(しん)の国の葛洪(かっこう)という人が「近ごろは大人物があらわれず、真と偽が逆になり、宝石と石とが入り混じって本当 になげかわしい。 」と批判(ひはん)したことからこの語ができた。 (抱朴子 ほうぼくし) 当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらってしまう事。 【故事】 中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、逸話などをまとめた書物『戦国策』の『燕策』 より。 「シギがハマグリの肉を食べようとしたが、ハマグリはシギのクチバシを挟んだ。 今日も明日も雨が降らなければ水が切れ、死んだハマグリになってしまうだろう、というシギに対し、「今日も明日もクチバシを出せずにいたら、飢えて死んだシギになってしまうだろう」というハマグリ。 両者譲らないところに漁師が来て、シギもハマグリもどちらも捕らえてしまった。 」という記述から。 鶏の口になっても牛の尻にはなるなということで、大きな集団の中の下にいるよりも、小さな集団の先頭に立てといういましめ。 人に従属するよりも独立したほうがよいとするたとえ。 【故事】 「史記(しき)」蘇秦(そしん)戦国時代に、六国「韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・燕(えん)・楚(そ)・斉(せい)」が合従(がっしょう)して、大国秦(しん)に対抗すべきだと主張した蘇秦は、韓の宣王に「小国であっても、一国の王として権威を保つべきである。 秦に屈服してその家臣に成り下がってはいけない。 」と、説いたということに基づく。 古い習慣や過去に偶然成功した経験にこだわり、いつまでも進歩がなかったり融通がきかない事。 【故事】 中国戦国時代の法家である韓非の著書『韓非子』 より、「昔、中国の宋の国の農民が畑仕事をしていると、兎が飛んできて、木の切り株につき当たって死んだ。 それを拾って以来、農民は畑を耕すのをやめて、切り株の番をして兎を捕ろうとしていた。 ところが兎は二度とは手に入れることができず、自分自身は宋の国中の笑いものになってしまった。 」という記述から。 蛍(ほたる)の光や雪明かりによって勉強することで、苦労して学問に励むという意味。 【故事】 「晋書」より。 貧しくて灯火用の油が買えないため、車胤は蛍を集めた光で、孫康は窓辺の雪明かりで読書したという中国の故事から。 目上の人を激しく怒らせてしまうこと。 【故事】 「逆鱗(げきりん)」とは、竜のあごの下に逆さに生えた鱗(うろこ)のこと。 人がその鱗に触れると、竜が必ず怒ってその人を殺してしまうという伝説があった。 「韓非子(かんぴし)」税難(ぜいなん)より。 「その喉下に逆鱗径尺なる有り、若し人これにふるる者あらば、則ち必ず人を殺さん。 人主も亦た逆鱗有り、説く者は能く人主の逆鱗にふるること無くんば、則ち幾からん」(君主にも逆鱗というものがあるので、君主に意見を述べるときには、その逆鱗に触れないように気を付けることが大切だ)と説いたことから由来している。 媒酌人。 縁を取り持つ人。 【故事】 「月下」は、党の韋固が月明かりの下であった老人の予言通りの女性と結ばれた故事。 「氷人」は、東晋の令孤策が氷の下の人と話した夢を「結婚の仲立ちをする前触れだ」と占われ、その通りになった故事から。 「月下老人」と「氷人」の二つの故事を踏まえた合成語。 一度敗れた者が、再び勢いを取り戻して巻き返すこと。 【故事】 唐の詩人杜牧が、漢の劉邦に敗れた楚の項羽の死を惜しんで、「江東の子弟才俊多し、捲土重来未だ知るべからず」と詠んだ詩から。 江東の子弟には優れた人材が多い。 再び兵を起こし、土を捲く勢いで来たならば勝敗はどうなったかわからないのに、という意味。 敵同士が、同じ場所に居合わせたり。 協力したりすること。 【故事】 春秋時代、敵同士の呉と越の人でも、乗り合わせた舟が嵐で転覆しそうになれば互いに協力し合うだろうという孫子の言葉からきている。 五十歩百歩とは、わずかな違いだけで、本質的には変わらないことのたとえ。 【故事】 中国の戦国時代に、梁の恵王が「自分は、凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているのに、なぜ各地から人民が集まらないのだろうかと孟子に尋ねたところ、孟子は「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者だと嘲笑したら、どう思うかというたとえ話をした。 「逃げ出したことには変わりないのだから同じだ」と答えた恵王に、孟子は「その道理がわかっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ(人民が苦しむのを凶作のせいにしていては、他国の政治と大差はない)」と言ったという故事に基づく。 同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさをいう。 虎の子を捕らえるには虎のいる洞穴に入らなければならないように、危険を冒さなければ大きな利益や成功は得られないということ。 【故事】 漢(かん)の国の武将の班超(はんちょう)が軍を率いて西域(せいいき)に送られた。 西域の国では手厚く接待されていた のに、ある日を境に冷たくされるようになった。 調べてみると、漢(かん)の国の敵である北方の匈奴(きょうど)の国の使者が来ているためとわかった。 班超(はんちょう)は、「虎の穴に入らなければ、虎の子をとらえることはでない。 」といって部下を励まし、匈奴(きょうど)の軍の中に突撃(とつげき)をし、全滅(ぜんめつ)させたことから、この語ができた。 (後漢書) 物事の状況や手掛かりがつかめず、判断に迷うこと。 事情がわからない中、手探りで行動すること。 【故事】 後漢の張楷という道士が、五里四方を霧で閉ざす「五里霧」という仙術を使った故事から。 後漢(ごかん)の時代に張楷(ちょうかい)という人がいた。 張楷(ちょうかい)という人は五里四方(ごりしほう)にわたる霧(きり)をおこす術を知っていた。 世間に出るのをいやがる張楷(ちょうかい)は集まってくる人に会いたくないときには、この術を使って姿をかくしたという。 もともとは、自分の姿をかくすものであったが、現在の意味のようにつかわれるようになった。 (後漢書) 一見簡単そうなことでも、初めて行うのは難しいという例え。 どんなに素晴らしいアイデアや発見も、ひとたび衆目に触れた後には非常に単純あるいは簡単に見えることを指す成句である。 【故事】 アメリカ大陸の発見はだれでもできることだと批判する人々に対して、コロンブスは卵を立てることを試みさせ、だれにもできないのを見て、卵の尻をつぶして立ててみせたという逸話から。 【スポンサーリンク】 「さ行」の故事成語一覧 人生では何が幸せになるか、何が不幸せになるかわからない、人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。 【故事】 中国北辺の塞の近くに住む塞翁という老人の馬が逃げたが、やがて駿馬を連れて帰ってきた。 塞翁の息子がこの馬から落ちて足を折ってしまったが、そのために兵役を免れて命を長らえたという故事による。 ・人よりも先に物事を実行することによって、相手を抑え、有利な立場に立つことができる。 ・先手を取ることができれば、相手を圧倒し、抑えつけることができる。 ・何事も、先手を取ることで成功の糸口をつかめるが、後手に回っては勝ち目がない。 【故事】 史記に由来する言葉。 江西のひとびとが、秦に対して反乱を起こした時に、殷通(いんとう)という長官が項羽に対して、「先んずれば即(すなわ)ち、人を制し、後(おく)るれば、則(すなわち)人の制するところとなる。 」と、言ったことが由来。 人よりも先に行動を起こすことで、人の先頭に立ち指示を出すことができるが、人の後から行動を起こしてしまえば、人に指示をされて支配されてしまう。 という言葉からできた故事成語。 周りを敵に囲まれて苦しい立場に陥ったこと。 誰の助けもなく孤立すること。 【故事】 「史記」項羽本紀より。 「項王の軍、垓下に壁す、兵少く食尽きぬ、漢の軍および諸侯の兵、之を囲むこと数重、夜、漢の軍四面皆楚歌するを聞きて、項王乃ち大いに驚いて曰く、漢皆己に楚を得たるか、是何ぞ楚人の多きやと。 」楚の項羽が垓下に囲まれた時、夜更けて東西南北四面の漢軍の中から楚国の歌が聞こえ、楚の民が全て漢に降伏したのかと驚いたという故事から。 自らその身を損ない、自らその身を棄てること。 やけくそになること。 【故事】 孟子はこう言いました。 「自分自身をだめにする人間とは共に語ることはできない。 自分自身を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。 その言葉で礼儀をそしる者、これを自暴と言う。 自分自身を仁の中に置いたり、義に基づくことができない者、これを自棄と言う。 仁とは安心して住める家のようなものである。 義とは人が正しく歩める道のようなものである。 その家を空き家にして住まず、その道を捨てて歩まないとはなんと哀れなことだろうか」 弟子が師よりもすぐれた才能をあらわすたとえ。 【故事】 「荀子」の言葉から。 青色の染料は藍から取るものだが、もとの藍の葉より青くなることからいう。 「藍」は、たで科の一年草。 「青は藍より出いでて藍よりも青し」ともいう。 食欲がおこる。 また、あることをやってみたいという気がおこる 【故事】 楚の人が、鄭の霊公にすっぽんを献上しました。 公子(貴族の子)である子公と子家が、ちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。 その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこう言いました。 「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」。 二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。 憎しみをこめて見る。 冷淡な目つきで見る。 【故事】 三国時代末期、魏に「竹林の七賢 ちくりんのしちけん 」と呼ばれる人たちがいました。 今の時代でいう知識階層の人のことで、社会批判などを行う重要人物でした。 その「竹林の七賢」の指導的な立場であった阮籍 げんせき という人物がいました。 「白眼」は、この阮籍が客人に対する態度を使い分けているという逸話がもとになっています。 【故事】 「孟子」より。 中国、宋の人が苗を生長させようとして無理に引っ張って枯らしたという故事から。 水と魚が切っても切れない関係にあるように、きわめて親密な友情や交際のたとえ。 【故事】 「三国志」より。 蜀の劉備が、諸葛孔明と自分との関係について「自分に孔明が必要なのは、魚にとって水が必要なのと同じだ」と、腹心の部下である関羽と張飛に語ったという故事による。 推敲 詩や文章などの語句を何度も練り(ねり)直しよりよいものにすること。 【故事】 唐(とう)の国の詩人賈島(かとう)は、自分の作品中の語句の「僧は推す(おす)月下の門」の一句を「僧は敲く(たたく)月下の門」にするべきか迷っていた。 ロバに乗って考えにふけっていた賈島(かとう)は、有名な詩人の韓愈(かんゆ)の行列につっこんでしまった。 韓愈(かんゆ)は、その非礼(ひれい)を怒るどころか、「敲く(たたく)」の方がよいと教えてくれたことから。 ぞんざい。 【故事】 中国の故事で、詩人である杜黙(ともく)の詩が定型詩の格式にほとんど合わなかったことから。 一か所に落ち着いていられないくらい、非常に忙しい様子。 【故事】 《韓愈「諍臣論」から》忙しくて、腰をかけている暇がないので、席があたたまる事がない、という意味から。 折檻 主君をきびしくいさめること。 きびしく叱る(しかる)こと 【故事】 漢(かん)の国の皇帝の成帝(せいてい)のとき、朱雲(しゅうん)という家臣が上役の悪だくみを知り、成帝(せいてい)に何とかするようにといさめた。 成帝(せいてい)はたいへん怒り、朱雲(しゅうん)を御殿(ごてん)から引きずりおろそうとした。 朱雲(しゅうん)は、欄檻(らんかん…てすり)につかまって必死に訴えた。 欄檻(らんかん)は折れ、地面に落とされても朱雲(しゅうん)は訴え続けたことから、この語ができた。 (漢書) 学問・道徳に、励みに励むこと。 また、仲間同士互いに励まし合って向上すること。 【故事】 「切磋」骨角玉石などを切り磨くこと「琢磨」玉などを擦り磨くことから、学問などを磨き励むこと。 五経の一、詩経より「有斐君子、如切如嗟、如琢如磨」 千里眼 遠い場所の出来事などを直感的に知る能力のこと。 【故事】 魏(ぎ)の揚逸(よういつ)と言う人は、広い情報網をはりめぐらしていて、部下の行動をすべて心得ていた。 人々は揚逸が千里もかなたのことまで見ぬく眼を持っていると言って恐れたという。 (魏書) 「た行」の故事成語一覧 偉大な人物は、大成するまでに時間がかかること。 【故事】 崔林(さいりん)はあまり目立たず、人々からはおろか者と言われていた。 しかし、いとこの崔えん(さいえん)という人だけは、「大きな鐘は、そうそう、やすやすとはできない。 大きな才能もそれと同じで完成までに年月がかかる。 」と言った。 崔林は成人すると、その才能をりっぱに開かせ、地位の高い人物になった。 (老子) 太公望 魚釣りをする人。 釣り好きな人。 【故事】 呂尚(りょしょう)という人物の号。 「太公」とは、祖父のこと。 周の文王が狩りに出かけたとき、渭水で釣りをしていた呂尚に出会い、「わが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」として見出され、太公望と名付けられた。 これにより、釣りをする人のことを意味するようになる。 【出典】史記[斉太公世家] 細かい違いがあるが、ほぼ同じであること。 【故事】 「大同小異」の故事は、中国の戦国時代に書かれた『荘子』(そうし・そうじ)の中に出てきます。 『荘子』は荘子、つまり荘周によって書かれた思想書で、故事成語「大同小異」はこの本の第3部「雑編」の最後の項目「天下」に出てきます。 「大同而与小同異、此之謂小同異。 万物畢同畢異、此之謂大同異」がそれです。 意味は「世の中には大同にして小同と異なるものがあり、これを小同異という。 これに反して万物ことごとく同じく、ことごとく異なるものがあってこれを大同異という」ということ。 他人の失敗や、誤ったり劣っている言動は、自分の為に利用する事が出来るという事。 知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。 【故事】 中国最古の詩編『詩経』の『小雅・鶴鳴』篇にて、「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。 「よその山から出た粗悪な石でも、自分の玉(宝となるもの)を磨く砥石として利用できる。 」という意味から。 よけいなつけ足しのこと。 また、なくてもよい無駄なもののこと。 しなくてもいいこと。 【故事】 「戦国策・斉」より出典。 中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。 しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。 「蛇に足はない。 だから、酒を飲む権利は私にある。 」そう言って、その酒を飲んでしまった。 はらわたが千切れてしまうほどに、深く悲しいことのたとえ。 【故事】 「世説新語(せせつしんご)」黜免(ちゅつめん)より出典。 「桓公(かんこう)蜀(しょく)に入り、三峡の中に至る。 部伍(ぶご)の中に猨子(えんし)を得る者あり。 其(そ)の母岸に縁(よ)りて哀合し、行くこと百余里にして去らず。 遂に跳りて船に上り、至れば便即(すなわ)ち絶ゆ。 其の腸中を破り視れば、腸皆寸寸に絶えたり。 」中国、晋(しん)の武将桓温(かんおん)が蜀へ行こうとして、舟で三峡(長江中流の大渓谷で、古来航行の難所)を通った時に、従者が猿のこどもを捕らえて舟に乗せた。 母猿は悲しい鳴き声をあげながら、岸に沿ってどこまでも追いかけてきて、百里以上ついてきたけれどあきらめようとせずに、ついに舟に飛び乗ってきた。 しかし、途端に息絶えてしまった。 そこでその腹を裂いてみると、悲しさのあまりに腸がずたずたにちぎれていたということに基づいている。 目の前の違いに心を奪われて、結果が同じになることに気がつかないこと。 また、ことば巧みに人をだますこと。 【故事】 宋の狙公(そこう)が飼っていた猿に橡(とち)の実を与えるとき、朝に三つ、夕方に四つやろうと言うと怒ったので、それなら朝に四つ、夕方に三つやろうと言うと大喜びしたという、『列子』『荘子』にある寓話に基づく。 ・金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということ。 ・物の多少よりもまごころが大切であるということ。 【故事】 出典は「阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)」、「賢愚経(けんぐきょう)」です。 阿闍世王は、招待したお釈迦(しゃか)様がお帰りになる時に、宮殿(きゅうでん)から祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)への道沿いにたくさんの灯火をともしました。 それを見た貧しい老婆(ろうば)がなんとかお金を工面しやっと一本の灯火をともします。 阿闍世王の灯火が消えた後も、老婆がともした一本の灯火はずっと消えなかったというお話です。 真の目的は別なところにあるということ。 【故事】 明智光秀が備中(びっちゅう=岡山県)の毛利氏を攻めるため出陣したが急に方向を転じ、「わが敵は本能寺にあり」といい本能寺にいた主君織田信長を急襲したという戦国時代の話から。 悪事や不正は必ず発覚するものだというたとえ。 【故事】 出展は「後漢書」です。 後漢の学者に推薦(すいせん)されて役人になった人が賄賂(わいろ)を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、学者が「天知る、地知る、我知る、子知る。 何をか知る無しと謂(い)わんや=天の神も知っている、地の神も知っている、わたしもあなたも知っている。 だからひそかにやっているつもりでも不正はいつかきっと露見(ろけん)する」と答えたという故事に基づいています。 秋の快適な気候のこと。 【故事】 秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもあることから。 杜審言(としんげん)の詩「蘇味道(みそどう)に贈る」に「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づくという説があります。 「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きるから、今年もその季節がやってきたので警戒しましょう」という意味です。 桃源 今住んでいる社会の悩みや心配ごとからはなれた別の天地のこと 【故事】 晋(しん)の時代のこと。 武陵(ぶりょう)のある漁師が川をさかのぼっていくと、桃の花の咲く林に出た。 さらにさかのぼると、思いがけない別天地にたどり着いた。 そこには、戦争もなく、幸福にくらせる生活があった。 後日、もう一度、漁師はそこに行こうとしたが、とうとう見つからなかったという。 このことから、この語ができた。 (桃花源記) 登龍門 立身出世、成功のための関門。 【故事】 黄河の上流に龍門があり、ここをのぼることができた鯉は龍なることができたという伝説がある。 漢の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、彼の目にかなった者は立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、たとえの鯉が龍門をのぼったのと同じようなものだということから、この語ができた。 自分の力が弱いことに気づかずに大敵に刃向かうこと。 向こう見ず。 はかない抵抗。 【故事】 出典は「韓詩外伝(かんしがいでん)」です。 斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとしたので「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。 自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたことから。 怒ったために頭髪が逆立って、かぶった冠を突き上げるという意味で、尋常ではない、すさまじい怒りの形相のこと。 【故事】 漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚(そ)の国の王の項羽(こうう)は、会見の時に項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)の指示に従って、剣の舞(けんのまい)にかこつけて劉邦(りゅうほう)を殺そうとした。 それを知った劉邦(りゅうほう)の家臣の樊かい(はんかい)が髪をさか立てて、怒りの顔つきで目をらんらんとかがやかせ、項羽をにらみつけていたので、劉邦は殺されずに助かったということから、この語ができた。 権威や権勢、実力を持つ者に頼って、威張る小者の事。 【故事】 中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の言説、国策、献策、その他の逸話をまとめあげた書『戦国策』の『楚策』より。 「虎が狐を食おうとしたところ、狐は自身が天帝から百獣の王に任命されているため、食べたら天帝の意にそむくことになると伝えた。 嘘だと思うならついて来い、と言われた虎は、狐の後に続くと、行き合う獣たちはみな逃げ出していく。 虎は獣たちが自分を恐れていたことに気づかず、狐を見て逃げ出したのだと思い込んだ。 」という記述から。 【スポンサーリンク】 「な行」の故事成語一覧 ルールを守るためには、たとえ肉親や親しい人であろうと己の情を捨て、切り捨てないといけないという意味である。 【故事】 中国の三国時代を書き連ねた歴史書『三国志』(さんごくし)の蜀書・董劉馬陳董呂伝に記されてある逸話が語源とされている。 蜀の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)は、親友・馬良(ばりょう)の弟であり愛弟子でもある武将・馬謖(ばしょく)が街亭の戦いで諸葛亮の命令に背いたために大敗に終わったことから、責任を取り涙ながらに馬謖を斬罪したと言われている。 三年もの期間、じっと機会の来るのを待って何もしないこと。 【故事】 「史記」より。 中国の春秋時代、即位して何もせずに三年間が過ぎた楚の荘王に伍挙が言ったことばで、これを聞いた荘王は「この鳥は飛べば天まで昇り、鳴けば人を驚かすだろう」と言って国政に力を入れだしたという故事による。 「は行」の故事成語一覧 戦争に敗れた将軍はその戦いについてあれこれ言うべきでないし、兵法の理論などを説く資格もないという意味。 失敗した者は沈黙すべきだというたとえ。 「兵」は、「戦い」を意味する。 【故事】 「史記・准陰候」に「敗軍の将は以て勇を言うべからず。 亡国の大夫は以て存を図るべからず(戦に負けた将軍は武勇について語る資格がない。 滅んだ国の家老は国の存立を考えるべきではない)」とある。 戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりすべきではないという戒め。 背後に川などがあると後退できないので、軍勢は必死に戦う。 同じように一歩も退けない覚悟で全力を尽くして事に当たること。 【故事】 「史記」より。 中国、漢の韓信が趙の軍と戦った際に、川を背にして陣取って大勝したという故事から。 人を冷やかに見つめること。 白い眼で見ること。 【故事】 晋書より。 中国、晋の阮籍が、気に入った人は青眼(黒眼)で迎え、気に入らない人は白眼で迎えたという故事による。 白眉 多くの中で最も優れているもの。 【故事】 白い眉毛という意味。 三国時代、蜀にいた馬氏の5人兄弟はいずれも優秀で、兄弟すべての字(あざな)に「常」という字があったことから「馬氏の五常」と言われていた。 その中でも、眉毛に白い毛があった長兄の馬良は特に優れていたため、最も優れているものの例えとされている。 【出典】蜀志[馬良伝] 未開の荒れ地を切り開くように、それまで誰もなし得なかったことをやりとげること。 【故事】 北夢瑣言。 「天荒」は天地が分かれる前の混沌とした状態。 中国の唐時代、官吏になるための試験に合格者を出したことのない、荊州(現在の湖北省)は天荒と呼ばれ、そこから合格者が出た時に天荒を破ったと言われたという故事による。 善し悪しも考えずに、やたらに人のまねをする。 また、他人にならって物事をするのを謙遜していう言葉。 【故事】 「顰み」とは、眉間にしわを寄せること。 「荘子」「天運」より。 美女の西施が、心臓の病のために苦しげに眉をひそめたのを醜女が見て、美しいと思い、自分もそのまねをしたが、それを見た人は気味悪がって門をとざしたことから。 功名を立てたり実力を発揮したりする機会のないことを嘆くこと。 「髀肉」は股の肉。 【故事】 「三国志」蜀志より。 蜀の劉備が志を得ず、寄寓の生活を送っていたころ、長く戦場に出ないため、股に肉が付きすぎ、功名も立てずに時間ばかりが過ぎていくのを嘆いたという故事から。 あれこれと何度も人から聞くよりも、実際に自分の目で確かめるほうが確実だというたとえ。 【故事】 中国の「漢書(かんじょ)趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にある言葉が由来。 「百聞は一見に如かず。 兵はるかに度(はか)り難し。 臣願わくは馳せて金城(きんじょう)に至り、図して方略をたてまつらん。 」戦のことは遠く離れたところにいたのではわかりません。 私が金城に駆け付けて状況を探り、図に書いて作戦計画を奏上いたしましょう。 とあることに基づく。 時勢や情勢に合わせた対処の方法のこと。 もとは軍を指揮するときの四つの心構えのこと。 風のように速く行動して、林のように静かに機会を待ち、火のように激しく襲い掛かり、山のように動かずに構えるという意味。 孫子の中の句を略した言葉で、武田信玄が旗印に使ったといわれている。 【故事】 日本の戦国武将・武田信玄の軍の旗印として有名な「風林火山」ですが、これは元々『孫子』の中に出てくる言葉です。 『孫子』の軍争篇で孫子は、戦術の基本は敵をあざむくことだ、と言っています。 そしてその行動は変幻自在のものでなければならない、と。 風のように行動したかと思えば、林のようにシーンと静まり返り、燃え上がる火のように襲いかかったかと思えば、山のように微動だにしない。 ここがいくさでの変幻自在を説いた「風林火山」の部分です。 一度離縁してしまった夫婦の仲は元に戻らない事。 また、一度してしまった失敗は取り返しがつかないという事。 【故事】 中国・後秦の王嘉による志怪小説集『拾遺記』 より、「周の太公望は、若い頃貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻は愛想を尽かし出て行った。 後に太公望が出世して高位につくと、出て行った妻が復縁を求めてきたが、そのとき太公望は盆の水をこぼして「この水を元に戻せたら復縁に応じよう」と言った。 」という記述から。 「覆水」とは、こぼれた水のことを表す。 「刎頚」とは、首をはねることで、その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりの事。 きわめて親密な付き合いの事。 【故事】 中国前漢時代に歴史家・司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』より。 「春秋時代、趙の将軍・廉頗は、功績により自分より上位になった名臣・藺相如を恨んだ。 しかし相如は二人が争いにより共倒れになることを懸念し、国のために争いを避けるつもりでいることを聞いた廉頗は、自分の考えを恥じ、深く反省した。 そして廉頗は相如へ謝罪をし、二人は互いのために頸を刎ねられても悔いはないとする誓いを結んだ。 」という記述から。 よけいなつけ足しのこと。 また、なくてもよい無駄なもののこと。 しなくてもいいこと。 【故事】 「戦国策・斉」より出典。 中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。 しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。 「蛇に足はない。 だから、酒を飲む権利は私にある。 」そう言って、その酒を飲んでしまった。 自分にとって都合が良い方につこうとして、どちらつかずな態度で様子をみることのたとえ。 【故事】 「豊臣秀吉」と「明智光秀」が争ったとき、「筒井順慶」が京都と大阪の境にある「洞が峠」で陣を張り、どちらか戦況が有利な方に味方しようとしたという故事から出た言葉。 「ま行」の故事成語一覧 すっかり安心して眠ること。 【故事】 中国の戦国時代に張儀が、魏王に秦と連合することを説いた話から。 「高枕」ともいう。 その人より優れている者がいない。 【故事】 漢の時代、高官が並ぶとき右の方から偉い人の席にしたため。 矛盾 つじつまが合わないこと。 【故事】 楚の人が、人を突く武器である矛(ほこ)と身を守るための盾(たて)を売っていた。 そして、「この盾は頑丈で、どんな武器でも突き通すことができない。 」と言い、また「この矛は鋭く、どんなものも突き通すことができる。 」と言った。 その時、ある人が「それでは、あなたの矛であなたの盾を突いたらいったいどうなるのか」と尋ねたところ、その人は何も応えることができなかった。 心が清く澄み切っていて邪念のない心境のたとえ。 「明鏡」は曇りが一点もないきれいな鏡のこと。 「止水」は止まっていて澄み切った水のこと。 【故事】 「荘子」徳充符より。 「明鏡(めいきょう)」とはくもりのない鏡のこと。 「止水(しすい)」とは波の立たない静かな水面のこと。 どちらも、ありのままに姿や形を写し出すことができたことから、この語ができた。 子どもは周りの影響を受けやすいので、子どもの教育には環境を整えることが大事であるということ。 【故事】 「列女伝」鄒孟軻母より。 孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。 その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。 苦労して一度はよくなったものが、またもとの好ましくない状態に戻ること。 せっかくの苦労や努力が無駄になること。 【故事】 戦国時代、大和郡山(やまとこおりやま)の城主、筒井順昭(つついじゅんしょう)の病死を隠しすため、顔や声がよく似た木阿弥(もくあみ)という平民を替え玉とし、順昭の子が成人するまで、城主として人の目をあざむきました。 その後、順昭の子が成人するとそれまで城主として生活していた木阿弥は、元の身分に戻されてしまったという故事から。 【スポンサーリンク】 「や行」の故事成語一覧 不治の病にかかること。 転じて、ある物事に熱中してどうしようもなくなること。 【故事】 「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上部にあたり、ここに病気が入ると治療できないとされた。 「春秋左氏伝・成公十年」にある故事に基づく。 晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだところ、医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となって、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。 医者が到着し、景公を診察すると「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがありません」と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。 まもなく景公は亡くなった。 「有終」は最後をまっとうする、しかっり締めくくるという意味。 最後まで物事をやり遂げて、しかも立派に締めくくること。 【故事】 『詩経』の中にある滅びゆく周王朝について述べた部分が元となってできた故事成語。 原文は『詩経』大雅・蕩と名付けられた詩です。 この詩は全8章で、「有終の美を飾る」はこの第1章の最後に出てきます。 ただこの言葉と同じ文字は出てきません。 原文の最期にある「鮮克有終」が「有終の美」の元になった言葉です。 この歌は西周が滅びようとするのを周の文王に託し、殷の紂王になぞらえて傷み歌ったものとされています。 うわべや宣伝文句は立派だが、中身や実質がともなわないこと。 【故事】 「羊頭を掲げて、狗肉を売る」の略。 羊の頭を店の看板に掲げて、犬の肉を売るという意。 【出典】無門関[第六] 「ら行」の故事成語一覧 人から疑われるような、まぎらわしい行動は避けよというたとえ。 【故事】 「李下」は、スモモの木の下のこと。 スモモの木の下では、冠をかぶりなおそうと手を上げないほうがよい。 なぜなら、人からスモモを盗んでいるのではないかと疑われないためである。 【出典】古楽府[君子行] 世の中のことを知らずに、自分だけが得意になること。 独りよがり。 【故事】 「後漢書(ごかんじょ)」朱浮(しゅふ)昔、遼東に住む男の家に、頭の毛が白い豚の子が生まれた。 これは珍しいからと王に献上しようと思い、河東まで行ったところで豚の群れを見たら、そこの豚はみんな頭の毛が白かった。 そこで男は恥ずかしくなって、こそこそ引き返してきたという故事に基づいている。 良い薬は、苦くて飲みにくい。 人の忠言は聞きずらいものだが、ためになる。 という事のたとえ。 【故事】 『史記(司馬遷による、中国の歴史書)』「留侯世家」より。 都を占領してすっかり気の緩んだ劉邦(りゅうほう)に対して、軍師の張良(ちょうりょう)が、人の戒めを聞くよう忠告した時の言葉。 「わ行」の故事成語一覧 ・身にふりかかる災難(さいなん)を活用(かつよう)して、自分に役立(やくだ)つものとして利用するさま。 ・不幸なことが一転して幸福に転じるさま。 【故事】 前漢時代の「戦国策」(せんごくさく)の「聖人の事を制するや、 禍を転じて福と為し(かをてんじてふくとなし)、敗に因りて功を為す」と、「史記」蘇秦列伝(そうさいれつでん)の「臣聞く、古の善く事を制する者は、 禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」からきています。 人と争わず仲良くするが、自分の意見はしっかり守っていてむやみに人に同調したりしないという意味。 【故事】 「論語」「子路」から。 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」君子は人と協調するが、安易に同調したり雷同したりすることはない。 主体的に人とつき合うべきであるという言葉。

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【ことわざ100選】有名なことわざ意味付き

禍い 意味

故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉です。 故事とは、昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできています。 故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。 この記事では、沢山ある故事成語の中でも、厳選して 有名な故事成語を100個にしぼり意味と故事付きで掲載しました。 小・中学生はもちろん、高校生も大学生も、そして大人の方の勉強としても十分活用できます。 絶対知っておこう よく使われるから知っておこう 一応、知っておこう あなたが知っている故事成語はいくつありますか? かっこいい故事成語は、 をご覧ください。 「あ行」の故事成語一覧 物語・映画・劇などの中で、一番優れているところ。 【故事】 「巻」は、昔の中国の官吏登用試験の答案。 最優等者のものをいちばん上にのせたところから。 たった一度の失敗に懲りて、必要以上に注意深くなることを表している。 【故事】 元々は中国由来の言葉であり、原文は「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」である。 羮(野菜や肉を熱々に煮込んだ汁物)を食べたことにより火傷をしたことから、冷たくした 羹(生肉や生魚を酢で和えたもの)でも用心深く吹いて冷ましてから食べる、そんな姿をたとえている。 春秋戦国時代を代表する詩人とし有名であった屈原(くつげん)の詩であり、中国戦国時代の王国・楚にあった詩を集め、全17巻にも及ぶ詩集として有名な『楚辞』九章・惜誦編に収録されてある。 一つの行動で二つの利益を得ること。 また、少ない労力で多くの利益を得ること。 【故事】 司馬しば錯さくという戦国時代の秦しんの将軍が、張儀ちょうぎという戦国時代の遊説家ゆうぜいか(戦国時代に諸侯などに策を提言し、それを生業とした人)と秦の恵王の前で次のような論争をしました。 司馬錯は我が秦はまず蜀を攻めるべきだと主張し、一方遊説家の張儀は「蜀など攻めずに韓を攻めた方がよい」と言います。 二人の提言を聞いた秦の恵王は、さらなる説明を二人に求めます。 張儀は「まず魏と楚両国と親善関係を結び、そのあと韓を討ってそのまま周を脅迫し、秦が天下を取ったと名乗りをあげるべきです」と主張します。 司馬錯はこれに対し「いやいや、まずは広大な蜀を手に入れて国力の増大を図る方が先です」と主張します。 司馬はさらに「現在秦の土地はわずか、庶民は困窮しております。 まずは簡単にできることから始めるべきでしょう。 蜀は西の辺鄙なところにあり、ここを奪えば秦は領地が広がり、財も得られ、庶民を豊かにすることも可能です。 軍をよくおさめ、庶民に害を与えなければ、蜀は我らに帰順するでしょう。 そうすれば天下の人は我々を暴虐とか貪欲とか非難しないはずです。 兵を一度動かすだけで名と利の両方が一挙に得られるのです」と王を説得します。 恵王はそれを聞いて「良い意見である」と司馬錯の意見を取り入れ、まず蜀を攻めてこれを滅ぼします。 自分の目で見たり耳で聞いたりするなどして得た体験や知識が圧倒的に少なく、それでいて自分の乏しい見聞にこだわってしまうという意味です。 見聞が乏しいにも関わらず、自分は何でも知っているように勘違いしたり、得意になっている人を指す事もあります。 また、世間知らずという意味もあります。 【故事】 中国の思想家・荘子の書いた「秋水」の中の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」という言葉が由来となっています。 意味は、井戸の中のカエルに海の話が通じないのはカエルが井戸という狭い世界にとらわれているから、という内容です。 ここから、物の見方や考え方が狭い人を指して使うようになりました。 どんなに微力だろうと、それを諦めず継続していけば、いつの日にか努力が実るということをたとえている。 【故事】 元々は中国由来の言葉である、前漢のことを記した歴史書『漢書』・枚乗伝に「泰山之霤穿石」と記述されていた。 現代語訳すると「泰山に降る雨の霤は石を穿つ」となる。 泰山とは、中国山東省中部にある名山を指しており、その山から染み出た雨の雫(蕾)が長い時間をかけ、滴る雫で石を砕いたと言う意味であり、それが転じてきている。 石を枕にして眠り、川の流れに口をすすぐように、世間から離れ、自然の中で自由な生活をすること。 【故事】 晋の孫楚(そんそ)と言う人が隠居(いんきょ)する時に友人に「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべき所を「石に漱ぎ流れに枕す」と逆に言ってしまった。 友人にそのことを言われると、負け惜しみで石でくちをそそぐのは歯をみがくためで、流れに枕するのは耳をあらうためだ」とこじつけたことから、この語ができた。 功績が上に立つ者だけのものとなって、下に働く者や陰になって苦労した人たちの努力は報われないというたとえ。 【故事】 中国・唐の曹松(そうしょう)「己亥歳(きがいのとし)」による。 唐の時代の末期には、各地に多くの戦乱が起こっていた。 将軍が功名を争う陰には、犠牲になった無名の兵などたくさんの屍(しかばね)が戦場にさらされていることを嘆いたことが由来。 烏(からす)の集まりということで、数は多いが、まとまりがなく役にも立たない人々の集まりをたとえたことば。 【故事】 「後漢書」の中の「今東帝無尺寸之柄、驅烏合之眾、跨馬陷敵、所向輒平」が由来です。 東帝(劉秀・りゅうしゅう)が王郎と戦う事になりましたが、敵は兵の数が多いため、東帝は王郎を倒せるか心配になりました。 すると部下が「王郎は烏合の衆を集めただけだから、この戦は勝てますよ」と言って東帝を励ましました。 そこから、統率のない群衆や軍勢をあざけて、烏合の衆と呼ぶようになりました。 遠国と親交を結び近国を攻略する外交政策。 遠い国と手を結び、背後から牽制(けんせい)させながら近い国を攻める策。 遠い国は最後に攻めるという策略。 【故事】 「交」は交際、「攻」は攻撃の意味。 中国の戦国時代、魏(ぎ)の范雎(はんしょ)が秦(しん)の昭(しょう)王に進言した外交政策。 秦はこの政策によって諸国を征服し、范雎はこの功で宰相になった。 取るに足りない小人物(しょうじんぶつ)には、大人物(だいじんぶつ)の考えや大きな志などが分からない事。 【故事】 中国前漢の武帝の時代の歴史家・司馬遷が著した歴史書『史記』にて、中国の、後に楚王となる陳渉が若い頃に農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と言ったとされる記述から。 多くの人が集まって話し合いや相談をしているが、時間ばかりかかってなかなか結論がでないこと。 また、その話し合いの内容の低さを皮肉ること。 【故事】 戦国時代に、相模(さがみ・神奈川県)の小田原城の北条(ほうじょう)氏が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の軍勢に攻められて包囲されたときに、戦いを続けるか和睦(わぼく)すべきかを相談していたが、なかなか意見がまとまらなかったことで、ずるずると滅亡に落ち込んだ、という故事に基づく。 前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。 古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。 【故事】 孔子(こうし)が弟子たちに言った言葉からこの語ができた。 「温」はたずね求める意。 一説に、冷たいものをあたため直し味わう意とも。 「故(ふるき)を温(たずね)て新しきを知る」または「故(ふるき)を温(あたた)めて新しきを知る」と訓読する。 【スポンサーリンク】 「か行」の故事成語一覧 戦いや勝負ごとに負け、恥や屈辱を受けること。 また、己の名誉に対する侮辱を受けること。 【故事】 元々は中国の故事であり、『史記』という書物に記されている。 中国の春秋時代後期に越の王として天下を取り、後に春秋五覇の一人として名が挙がった勾践(こうせん)が天下を取る以前の話が元になっている。 呉の王・夫差(ふさ)と会稽山という中国の紹興市南部にある山で戦うも敗れ、夫差から様々な屈辱を与えられる。 学問を修めるためには、一つ一つの基礎を積み重ねて学んでこそ初めて習得するものであり、裏技は存在しないという意味。 【故事】 「学問に近道なし」には数多くの説がある。 最も有力的な説は2つあり、1つ目は「幾何学の父」と称された古代ギリシャの数学及び天文学者のユーグリット(希:エウクレイデス)説である。 ユーグリットはエジプトの王・プレイマイオス1世(英:トレミー)に幾何学を教えていたところ、王が「もっと簡単で楽に学べる方法はないのか?」と彼に尋ねたら、「幾何学に王道なし」と言ったという説。 2つ目は、数学史上初の円錐曲線を作図したとして有名な古代ギリシャの数学者メナイクモスが、弟子であるマケドニアの王・アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)に「もっと簡単に幾何学を学べる方法はないのか?」と尋ねられた問いに対し「幾何学に王道なし」と言ったという説である。 目的を達成するために機会を待ち、苦労を耐え忍ぶこと。 【故事】 薪(たきぎ)の中に寝て、苦い胆を嘗めることの意味。 春秋時代、呉王夫差は、父の仇を忘れないために、薪の上で寝ることにより自分自身を苦しめ、その屈辱と志を忘れないようにして、越王勾践を破った。 また、敗れた勾践も苦い獣の胆をなめることにより、その復讐心を忘れないようにして、その後、見事に呉王夫差を打ち破った。 民衆を苦しめる政治は、性質が荒く乱暴な虎よりも恐ろしいという意味。 【故事】 元々は『礼記』という書物に記された中国の故事である。 孔子は中国の山東省泰安市にある泰山を歩いていると、一人の女性が墓の前で泣き崩れているところ見かける。 孔子は女性に涙の分けを聞くと、女性は家族を虎に殺されたという。 孔子はそのような危険な土地から去るように勧めるが、女性は「別のとこでひどい政治に苦しめられるよりもここにいる方が何倍も良い」と答えたという。 自分ではなく他人の利益のために、そそのかされ危険をおかし、酷い目にあうことのたとえ。 【故事】 火中の栗を拾うの語源になったといわれているのが、十七世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌによるフランスの寓話「猿と猫」(Le singe et le chat)。 『イソップ物語』をもとにした童話だといわれている。 内容としては、一匹の猿と猫が暖炉の前で栗が焼けるのを見ていた。 猿は猫をそそのかし、猫に暖炉の中の栗を取らせた。 猫はひどい火傷を負った上に、火傷をしながら取った栗は猿に食べられてしまったという猫が踏んだり蹴ったりな話。 事を完成するために、最後に加える大切な仕上げのたとえ。 また、物事の最も肝要なところのたとえ。 【故事】 梁の画家である張僧ヨウが、金陵の安楽寺の壁に四頭の竜の絵を描いたが、「ひとみを描けば竜が飛び去ってしまう」と言い、ひとみは描きこまなかった。 人々は、でたらめだといい、無理やりにひとみを描かせた。 すると、たちまちいなずまが壁を突き破り、ひとみを描いた二頭の竜は天に昇っていってしまった。 ひとみを描きこまなかった二頭は、そのまま残っていたという話から。 人の世や、人生の栄枯盛衰ははかないというたとえ。 【故事】 中国、趙(ちょう)の都・邯鄲(かんたん)で、盧生(ろせい)という貧しい若者が宿で呂翁(りょおう)という道士から不思議な枕を借りて寝た。 すると、出世して50年余りの栄華を極めて一生を終えるという体験をした。 しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの、短い時間だったということから。 お互いのことを理解して、信頼しあうこと。 利害のあるなしに関わらず、親密な交際のたとえ。 【故事】 「晋書(しんじょ)」王敦(おうとん)管鮑(かんぽう)は、中国春秋時代の斉(せい)の、管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のこと。 若い時から二人はとても仲が良く、管仲が貧しかったときには鮑叔は援助を惜しまなかった。 そればかりではなく、管仲を斉の宰相に推薦した。 管仲は「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑叔なり」と、鮑叔を称賛した。 二人の親交は、終生変わることなく続けられたと故事にあることに基づく。 事が差し迫っている状況、また、間をおかずに直ちにするたとえ。 【故事】 髪の毛一本入れる余地もないことから。 前漢の時、呉王・劉濞(りゅうひ)が漢に恨みを持ち謀反を起こそうとした。 すると、郎中の枚乗(ばいじょう)がそれを諌めてこう言った。 「王の行為は、糸に千鈞もの重りをつけ、際限なく高いところから計り知れないほどに深い淵に吊り下げるようなものです。 一旦糸が切れてしまうと二度と出られないでしょう。 出ようにも、【その隙間は髪の毛一本も入らないほどです】」(『説苑』正諌より) 心に疑いを抱いていると、なんでもないことまで疑わしく不安に思えてくること。 疑いがつのり何でもないことにおびえるようす。 疑いの心が膨れ上がると、何でもないことにも不安や恐れを抱くものである。 【故事】 「疑心暗鬼」は中国の春秋戦国時代に書かれた『列子』という書物にある話が元となってできた故事成語です。 『列子』という道家(道教)の本にあるお話です。 ある人が斧をなくしてしまいました。 隣の息子が盗んだのじゃないかと疑います。 きっとそうだ。 あの歩き方、あの顔色、あのしゃべり方、あの態度…どれもこれも斧を盗んだ人間のものだ。 ところがふと気がついて窪地を掘ってみるとそこから斧が出てくるではありませんか。 その後その隣の息子をまた見てみると動作も態度も斧を盗んだ人間の様子には見えなかったといいます。 物事の一部分や細部に気を取られてしまうと、全体を見失うという事。 手段を誤れば、何かを得ようとしても得られないという事。 また、見当違いで実現不可能な望みを持つ事。 【故事】 中国の儒学者・孟子の逸話・問答を集めた書『 孟子』の『梁恵王・上』より。 「土地僻き秦楚を朝せしめ、中国に莅んで四夷を撫せんと欲するなり。 若き為す所を以て若き欲することろを求むるは、猶お木に縁りて魚を求むるがごときなり」 から。 武力で天下統一を企んだ斉の宣王に、武力のみで天下を取るのは不可能であり、ずは仁政によりて民の生活を安んずることが肝要であるということ、まるで木に登って魚を捕らえようとしていること、と指摘した言葉から。 心配しなくてもよいことを、むやみに心配すること。 取り越し苦労。 「憂」は心配する意味。 【故事】 昔、中国の杞(き)の国の人が天地が崩れ落ちてきたらどうしようと心配して、夜も寝られず、食事もしなかったという故事による。 「列子」より。 ある団体や組織などの主導権を握る。 【故事】 「左伝哀公十七年」にある故事から。 諸侯が同盟を結ぶ儀式で、盟主が牛の耳を割いて血を採り、これを順番にすすったということから。 どんなに弱い者でも、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、強い者に逆襲することがあるという事。 弱い物を侮ってはいけないと言う事。 また、逃げ場のないところに人を追いつめてはいけないと言う事。 【故事】 中国前漢時代の討論会(塩鉄会議)の記録を、政治家・学者の桓寛が60篇にまとめた書物『塩鉄論・詔聖』より。 「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸(野猫)を噛む(死に物狂いになった鼠は猫を噛むこともある)」という記述から。 優れたものと、劣ったものが混じっていること。 【故事】 晋(しん)の国の葛洪(かっこう)という人が「近ごろは大人物があらわれず、真と偽が逆になり、宝石と石とが入り混じって本当 になげかわしい。 」と批判(ひはん)したことからこの語ができた。 (抱朴子 ほうぼくし) 当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらってしまう事。 【故事】 中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、逸話などをまとめた書物『戦国策』の『燕策』 より。 「シギがハマグリの肉を食べようとしたが、ハマグリはシギのクチバシを挟んだ。 今日も明日も雨が降らなければ水が切れ、死んだハマグリになってしまうだろう、というシギに対し、「今日も明日もクチバシを出せずにいたら、飢えて死んだシギになってしまうだろう」というハマグリ。 両者譲らないところに漁師が来て、シギもハマグリもどちらも捕らえてしまった。 」という記述から。 鶏の口になっても牛の尻にはなるなということで、大きな集団の中の下にいるよりも、小さな集団の先頭に立てといういましめ。 人に従属するよりも独立したほうがよいとするたとえ。 【故事】 「史記(しき)」蘇秦(そしん)戦国時代に、六国「韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・燕(えん)・楚(そ)・斉(せい)」が合従(がっしょう)して、大国秦(しん)に対抗すべきだと主張した蘇秦は、韓の宣王に「小国であっても、一国の王として権威を保つべきである。 秦に屈服してその家臣に成り下がってはいけない。 」と、説いたということに基づく。 古い習慣や過去に偶然成功した経験にこだわり、いつまでも進歩がなかったり融通がきかない事。 【故事】 中国戦国時代の法家である韓非の著書『韓非子』 より、「昔、中国の宋の国の農民が畑仕事をしていると、兎が飛んできて、木の切り株につき当たって死んだ。 それを拾って以来、農民は畑を耕すのをやめて、切り株の番をして兎を捕ろうとしていた。 ところが兎は二度とは手に入れることができず、自分自身は宋の国中の笑いものになってしまった。 」という記述から。 蛍(ほたる)の光や雪明かりによって勉強することで、苦労して学問に励むという意味。 【故事】 「晋書」より。 貧しくて灯火用の油が買えないため、車胤は蛍を集めた光で、孫康は窓辺の雪明かりで読書したという中国の故事から。 目上の人を激しく怒らせてしまうこと。 【故事】 「逆鱗(げきりん)」とは、竜のあごの下に逆さに生えた鱗(うろこ)のこと。 人がその鱗に触れると、竜が必ず怒ってその人を殺してしまうという伝説があった。 「韓非子(かんぴし)」税難(ぜいなん)より。 「その喉下に逆鱗径尺なる有り、若し人これにふるる者あらば、則ち必ず人を殺さん。 人主も亦た逆鱗有り、説く者は能く人主の逆鱗にふるること無くんば、則ち幾からん」(君主にも逆鱗というものがあるので、君主に意見を述べるときには、その逆鱗に触れないように気を付けることが大切だ)と説いたことから由来している。 媒酌人。 縁を取り持つ人。 【故事】 「月下」は、党の韋固が月明かりの下であった老人の予言通りの女性と結ばれた故事。 「氷人」は、東晋の令孤策が氷の下の人と話した夢を「結婚の仲立ちをする前触れだ」と占われ、その通りになった故事から。 「月下老人」と「氷人」の二つの故事を踏まえた合成語。 一度敗れた者が、再び勢いを取り戻して巻き返すこと。 【故事】 唐の詩人杜牧が、漢の劉邦に敗れた楚の項羽の死を惜しんで、「江東の子弟才俊多し、捲土重来未だ知るべからず」と詠んだ詩から。 江東の子弟には優れた人材が多い。 再び兵を起こし、土を捲く勢いで来たならば勝敗はどうなったかわからないのに、という意味。 敵同士が、同じ場所に居合わせたり。 協力したりすること。 【故事】 春秋時代、敵同士の呉と越の人でも、乗り合わせた舟が嵐で転覆しそうになれば互いに協力し合うだろうという孫子の言葉からきている。 五十歩百歩とは、わずかな違いだけで、本質的には変わらないことのたとえ。 【故事】 中国の戦国時代に、梁の恵王が「自分は、凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているのに、なぜ各地から人民が集まらないのだろうかと孟子に尋ねたところ、孟子は「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者だと嘲笑したら、どう思うかというたとえ話をした。 「逃げ出したことには変わりないのだから同じだ」と答えた恵王に、孟子は「その道理がわかっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ(人民が苦しむのを凶作のせいにしていては、他国の政治と大差はない)」と言ったという故事に基づく。 同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさをいう。 虎の子を捕らえるには虎のいる洞穴に入らなければならないように、危険を冒さなければ大きな利益や成功は得られないということ。 【故事】 漢(かん)の国の武将の班超(はんちょう)が軍を率いて西域(せいいき)に送られた。 西域の国では手厚く接待されていた のに、ある日を境に冷たくされるようになった。 調べてみると、漢(かん)の国の敵である北方の匈奴(きょうど)の国の使者が来ているためとわかった。 班超(はんちょう)は、「虎の穴に入らなければ、虎の子をとらえることはでない。 」といって部下を励まし、匈奴(きょうど)の軍の中に突撃(とつげき)をし、全滅(ぜんめつ)させたことから、この語ができた。 (後漢書) 物事の状況や手掛かりがつかめず、判断に迷うこと。 事情がわからない中、手探りで行動すること。 【故事】 後漢の張楷という道士が、五里四方を霧で閉ざす「五里霧」という仙術を使った故事から。 後漢(ごかん)の時代に張楷(ちょうかい)という人がいた。 張楷(ちょうかい)という人は五里四方(ごりしほう)にわたる霧(きり)をおこす術を知っていた。 世間に出るのをいやがる張楷(ちょうかい)は集まってくる人に会いたくないときには、この術を使って姿をかくしたという。 もともとは、自分の姿をかくすものであったが、現在の意味のようにつかわれるようになった。 (後漢書) 一見簡単そうなことでも、初めて行うのは難しいという例え。 どんなに素晴らしいアイデアや発見も、ひとたび衆目に触れた後には非常に単純あるいは簡単に見えることを指す成句である。 【故事】 アメリカ大陸の発見はだれでもできることだと批判する人々に対して、コロンブスは卵を立てることを試みさせ、だれにもできないのを見て、卵の尻をつぶして立ててみせたという逸話から。 【スポンサーリンク】 「さ行」の故事成語一覧 人生では何が幸せになるか、何が不幸せになるかわからない、人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。 【故事】 中国北辺の塞の近くに住む塞翁という老人の馬が逃げたが、やがて駿馬を連れて帰ってきた。 塞翁の息子がこの馬から落ちて足を折ってしまったが、そのために兵役を免れて命を長らえたという故事による。 ・人よりも先に物事を実行することによって、相手を抑え、有利な立場に立つことができる。 ・先手を取ることができれば、相手を圧倒し、抑えつけることができる。 ・何事も、先手を取ることで成功の糸口をつかめるが、後手に回っては勝ち目がない。 【故事】 史記に由来する言葉。 江西のひとびとが、秦に対して反乱を起こした時に、殷通(いんとう)という長官が項羽に対して、「先んずれば即(すなわ)ち、人を制し、後(おく)るれば、則(すなわち)人の制するところとなる。 」と、言ったことが由来。 人よりも先に行動を起こすことで、人の先頭に立ち指示を出すことができるが、人の後から行動を起こしてしまえば、人に指示をされて支配されてしまう。 という言葉からできた故事成語。 周りを敵に囲まれて苦しい立場に陥ったこと。 誰の助けもなく孤立すること。 【故事】 「史記」項羽本紀より。 「項王の軍、垓下に壁す、兵少く食尽きぬ、漢の軍および諸侯の兵、之を囲むこと数重、夜、漢の軍四面皆楚歌するを聞きて、項王乃ち大いに驚いて曰く、漢皆己に楚を得たるか、是何ぞ楚人の多きやと。 」楚の項羽が垓下に囲まれた時、夜更けて東西南北四面の漢軍の中から楚国の歌が聞こえ、楚の民が全て漢に降伏したのかと驚いたという故事から。 自らその身を損ない、自らその身を棄てること。 やけくそになること。 【故事】 孟子はこう言いました。 「自分自身をだめにする人間とは共に語ることはできない。 自分自身を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。 その言葉で礼儀をそしる者、これを自暴と言う。 自分自身を仁の中に置いたり、義に基づくことができない者、これを自棄と言う。 仁とは安心して住める家のようなものである。 義とは人が正しく歩める道のようなものである。 その家を空き家にして住まず、その道を捨てて歩まないとはなんと哀れなことだろうか」 弟子が師よりもすぐれた才能をあらわすたとえ。 【故事】 「荀子」の言葉から。 青色の染料は藍から取るものだが、もとの藍の葉より青くなることからいう。 「藍」は、たで科の一年草。 「青は藍より出いでて藍よりも青し」ともいう。 食欲がおこる。 また、あることをやってみたいという気がおこる 【故事】 楚の人が、鄭の霊公にすっぽんを献上しました。 公子(貴族の子)である子公と子家が、ちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。 その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこう言いました。 「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」。 二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。 憎しみをこめて見る。 冷淡な目つきで見る。 【故事】 三国時代末期、魏に「竹林の七賢 ちくりんのしちけん 」と呼ばれる人たちがいました。 今の時代でいう知識階層の人のことで、社会批判などを行う重要人物でした。 その「竹林の七賢」の指導的な立場であった阮籍 げんせき という人物がいました。 「白眼」は、この阮籍が客人に対する態度を使い分けているという逸話がもとになっています。 【故事】 「孟子」より。 中国、宋の人が苗を生長させようとして無理に引っ張って枯らしたという故事から。 水と魚が切っても切れない関係にあるように、きわめて親密な友情や交際のたとえ。 【故事】 「三国志」より。 蜀の劉備が、諸葛孔明と自分との関係について「自分に孔明が必要なのは、魚にとって水が必要なのと同じだ」と、腹心の部下である関羽と張飛に語ったという故事による。 推敲 詩や文章などの語句を何度も練り(ねり)直しよりよいものにすること。 【故事】 唐(とう)の国の詩人賈島(かとう)は、自分の作品中の語句の「僧は推す(おす)月下の門」の一句を「僧は敲く(たたく)月下の門」にするべきか迷っていた。 ロバに乗って考えにふけっていた賈島(かとう)は、有名な詩人の韓愈(かんゆ)の行列につっこんでしまった。 韓愈(かんゆ)は、その非礼(ひれい)を怒るどころか、「敲く(たたく)」の方がよいと教えてくれたことから。 ぞんざい。 【故事】 中国の故事で、詩人である杜黙(ともく)の詩が定型詩の格式にほとんど合わなかったことから。 一か所に落ち着いていられないくらい、非常に忙しい様子。 【故事】 《韓愈「諍臣論」から》忙しくて、腰をかけている暇がないので、席があたたまる事がない、という意味から。 折檻 主君をきびしくいさめること。 きびしく叱る(しかる)こと 【故事】 漢(かん)の国の皇帝の成帝(せいてい)のとき、朱雲(しゅうん)という家臣が上役の悪だくみを知り、成帝(せいてい)に何とかするようにといさめた。 成帝(せいてい)はたいへん怒り、朱雲(しゅうん)を御殿(ごてん)から引きずりおろそうとした。 朱雲(しゅうん)は、欄檻(らんかん…てすり)につかまって必死に訴えた。 欄檻(らんかん)は折れ、地面に落とされても朱雲(しゅうん)は訴え続けたことから、この語ができた。 (漢書) 学問・道徳に、励みに励むこと。 また、仲間同士互いに励まし合って向上すること。 【故事】 「切磋」骨角玉石などを切り磨くこと「琢磨」玉などを擦り磨くことから、学問などを磨き励むこと。 五経の一、詩経より「有斐君子、如切如嗟、如琢如磨」 千里眼 遠い場所の出来事などを直感的に知る能力のこと。 【故事】 魏(ぎ)の揚逸(よういつ)と言う人は、広い情報網をはりめぐらしていて、部下の行動をすべて心得ていた。 人々は揚逸が千里もかなたのことまで見ぬく眼を持っていると言って恐れたという。 (魏書) 「た行」の故事成語一覧 偉大な人物は、大成するまでに時間がかかること。 【故事】 崔林(さいりん)はあまり目立たず、人々からはおろか者と言われていた。 しかし、いとこの崔えん(さいえん)という人だけは、「大きな鐘は、そうそう、やすやすとはできない。 大きな才能もそれと同じで完成までに年月がかかる。 」と言った。 崔林は成人すると、その才能をりっぱに開かせ、地位の高い人物になった。 (老子) 太公望 魚釣りをする人。 釣り好きな人。 【故事】 呂尚(りょしょう)という人物の号。 「太公」とは、祖父のこと。 周の文王が狩りに出かけたとき、渭水で釣りをしていた呂尚に出会い、「わが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」として見出され、太公望と名付けられた。 これにより、釣りをする人のことを意味するようになる。 【出典】史記[斉太公世家] 細かい違いがあるが、ほぼ同じであること。 【故事】 「大同小異」の故事は、中国の戦国時代に書かれた『荘子』(そうし・そうじ)の中に出てきます。 『荘子』は荘子、つまり荘周によって書かれた思想書で、故事成語「大同小異」はこの本の第3部「雑編」の最後の項目「天下」に出てきます。 「大同而与小同異、此之謂小同異。 万物畢同畢異、此之謂大同異」がそれです。 意味は「世の中には大同にして小同と異なるものがあり、これを小同異という。 これに反して万物ことごとく同じく、ことごとく異なるものがあってこれを大同異という」ということ。 他人の失敗や、誤ったり劣っている言動は、自分の為に利用する事が出来るという事。 知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。 【故事】 中国最古の詩編『詩経』の『小雅・鶴鳴』篇にて、「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。 「よその山から出た粗悪な石でも、自分の玉(宝となるもの)を磨く砥石として利用できる。 」という意味から。 よけいなつけ足しのこと。 また、なくてもよい無駄なもののこと。 しなくてもいいこと。 【故事】 「戦国策・斉」より出典。 中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。 しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。 「蛇に足はない。 だから、酒を飲む権利は私にある。 」そう言って、その酒を飲んでしまった。 はらわたが千切れてしまうほどに、深く悲しいことのたとえ。 【故事】 「世説新語(せせつしんご)」黜免(ちゅつめん)より出典。 「桓公(かんこう)蜀(しょく)に入り、三峡の中に至る。 部伍(ぶご)の中に猨子(えんし)を得る者あり。 其(そ)の母岸に縁(よ)りて哀合し、行くこと百余里にして去らず。 遂に跳りて船に上り、至れば便即(すなわ)ち絶ゆ。 其の腸中を破り視れば、腸皆寸寸に絶えたり。 」中国、晋(しん)の武将桓温(かんおん)が蜀へ行こうとして、舟で三峡(長江中流の大渓谷で、古来航行の難所)を通った時に、従者が猿のこどもを捕らえて舟に乗せた。 母猿は悲しい鳴き声をあげながら、岸に沿ってどこまでも追いかけてきて、百里以上ついてきたけれどあきらめようとせずに、ついに舟に飛び乗ってきた。 しかし、途端に息絶えてしまった。 そこでその腹を裂いてみると、悲しさのあまりに腸がずたずたにちぎれていたということに基づいている。 目の前の違いに心を奪われて、結果が同じになることに気がつかないこと。 また、ことば巧みに人をだますこと。 【故事】 宋の狙公(そこう)が飼っていた猿に橡(とち)の実を与えるとき、朝に三つ、夕方に四つやろうと言うと怒ったので、それなら朝に四つ、夕方に三つやろうと言うと大喜びしたという、『列子』『荘子』にある寓話に基づく。 ・金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということ。 ・物の多少よりもまごころが大切であるということ。 【故事】 出典は「阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)」、「賢愚経(けんぐきょう)」です。 阿闍世王は、招待したお釈迦(しゃか)様がお帰りになる時に、宮殿(きゅうでん)から祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)への道沿いにたくさんの灯火をともしました。 それを見た貧しい老婆(ろうば)がなんとかお金を工面しやっと一本の灯火をともします。 阿闍世王の灯火が消えた後も、老婆がともした一本の灯火はずっと消えなかったというお話です。 真の目的は別なところにあるということ。 【故事】 明智光秀が備中(びっちゅう=岡山県)の毛利氏を攻めるため出陣したが急に方向を転じ、「わが敵は本能寺にあり」といい本能寺にいた主君織田信長を急襲したという戦国時代の話から。 悪事や不正は必ず発覚するものだというたとえ。 【故事】 出展は「後漢書」です。 後漢の学者に推薦(すいせん)されて役人になった人が賄賂(わいろ)を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、学者が「天知る、地知る、我知る、子知る。 何をか知る無しと謂(い)わんや=天の神も知っている、地の神も知っている、わたしもあなたも知っている。 だからひそかにやっているつもりでも不正はいつかきっと露見(ろけん)する」と答えたという故事に基づいています。 秋の快適な気候のこと。 【故事】 秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもあることから。 杜審言(としんげん)の詩「蘇味道(みそどう)に贈る」に「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づくという説があります。 「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きるから、今年もその季節がやってきたので警戒しましょう」という意味です。 桃源 今住んでいる社会の悩みや心配ごとからはなれた別の天地のこと 【故事】 晋(しん)の時代のこと。 武陵(ぶりょう)のある漁師が川をさかのぼっていくと、桃の花の咲く林に出た。 さらにさかのぼると、思いがけない別天地にたどり着いた。 そこには、戦争もなく、幸福にくらせる生活があった。 後日、もう一度、漁師はそこに行こうとしたが、とうとう見つからなかったという。 このことから、この語ができた。 (桃花源記) 登龍門 立身出世、成功のための関門。 【故事】 黄河の上流に龍門があり、ここをのぼることができた鯉は龍なることができたという伝説がある。 漢の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、彼の目にかなった者は立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、たとえの鯉が龍門をのぼったのと同じようなものだということから、この語ができた。 自分の力が弱いことに気づかずに大敵に刃向かうこと。 向こう見ず。 はかない抵抗。 【故事】 出典は「韓詩外伝(かんしがいでん)」です。 斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとしたので「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。 自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたことから。 怒ったために頭髪が逆立って、かぶった冠を突き上げるという意味で、尋常ではない、すさまじい怒りの形相のこと。 【故事】 漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚(そ)の国の王の項羽(こうう)は、会見の時に項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)の指示に従って、剣の舞(けんのまい)にかこつけて劉邦(りゅうほう)を殺そうとした。 それを知った劉邦(りゅうほう)の家臣の樊かい(はんかい)が髪をさか立てて、怒りの顔つきで目をらんらんとかがやかせ、項羽をにらみつけていたので、劉邦は殺されずに助かったということから、この語ができた。 権威や権勢、実力を持つ者に頼って、威張る小者の事。 【故事】 中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の言説、国策、献策、その他の逸話をまとめあげた書『戦国策』の『楚策』より。 「虎が狐を食おうとしたところ、狐は自身が天帝から百獣の王に任命されているため、食べたら天帝の意にそむくことになると伝えた。 嘘だと思うならついて来い、と言われた虎は、狐の後に続くと、行き合う獣たちはみな逃げ出していく。 虎は獣たちが自分を恐れていたことに気づかず、狐を見て逃げ出したのだと思い込んだ。 」という記述から。 【スポンサーリンク】 「な行」の故事成語一覧 ルールを守るためには、たとえ肉親や親しい人であろうと己の情を捨て、切り捨てないといけないという意味である。 【故事】 中国の三国時代を書き連ねた歴史書『三国志』(さんごくし)の蜀書・董劉馬陳董呂伝に記されてある逸話が語源とされている。 蜀の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)は、親友・馬良(ばりょう)の弟であり愛弟子でもある武将・馬謖(ばしょく)が街亭の戦いで諸葛亮の命令に背いたために大敗に終わったことから、責任を取り涙ながらに馬謖を斬罪したと言われている。 三年もの期間、じっと機会の来るのを待って何もしないこと。 【故事】 「史記」より。 中国の春秋時代、即位して何もせずに三年間が過ぎた楚の荘王に伍挙が言ったことばで、これを聞いた荘王は「この鳥は飛べば天まで昇り、鳴けば人を驚かすだろう」と言って国政に力を入れだしたという故事による。 「は行」の故事成語一覧 戦争に敗れた将軍はその戦いについてあれこれ言うべきでないし、兵法の理論などを説く資格もないという意味。 失敗した者は沈黙すべきだというたとえ。 「兵」は、「戦い」を意味する。 【故事】 「史記・准陰候」に「敗軍の将は以て勇を言うべからず。 亡国の大夫は以て存を図るべからず(戦に負けた将軍は武勇について語る資格がない。 滅んだ国の家老は国の存立を考えるべきではない)」とある。 戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりすべきではないという戒め。 背後に川などがあると後退できないので、軍勢は必死に戦う。 同じように一歩も退けない覚悟で全力を尽くして事に当たること。 【故事】 「史記」より。 中国、漢の韓信が趙の軍と戦った際に、川を背にして陣取って大勝したという故事から。 人を冷やかに見つめること。 白い眼で見ること。 【故事】 晋書より。 中国、晋の阮籍が、気に入った人は青眼(黒眼)で迎え、気に入らない人は白眼で迎えたという故事による。 白眉 多くの中で最も優れているもの。 【故事】 白い眉毛という意味。 三国時代、蜀にいた馬氏の5人兄弟はいずれも優秀で、兄弟すべての字(あざな)に「常」という字があったことから「馬氏の五常」と言われていた。 その中でも、眉毛に白い毛があった長兄の馬良は特に優れていたため、最も優れているものの例えとされている。 【出典】蜀志[馬良伝] 未開の荒れ地を切り開くように、それまで誰もなし得なかったことをやりとげること。 【故事】 北夢瑣言。 「天荒」は天地が分かれる前の混沌とした状態。 中国の唐時代、官吏になるための試験に合格者を出したことのない、荊州(現在の湖北省)は天荒と呼ばれ、そこから合格者が出た時に天荒を破ったと言われたという故事による。 善し悪しも考えずに、やたらに人のまねをする。 また、他人にならって物事をするのを謙遜していう言葉。 【故事】 「顰み」とは、眉間にしわを寄せること。 「荘子」「天運」より。 美女の西施が、心臓の病のために苦しげに眉をひそめたのを醜女が見て、美しいと思い、自分もそのまねをしたが、それを見た人は気味悪がって門をとざしたことから。 功名を立てたり実力を発揮したりする機会のないことを嘆くこと。 「髀肉」は股の肉。 【故事】 「三国志」蜀志より。 蜀の劉備が志を得ず、寄寓の生活を送っていたころ、長く戦場に出ないため、股に肉が付きすぎ、功名も立てずに時間ばかりが過ぎていくのを嘆いたという故事から。 あれこれと何度も人から聞くよりも、実際に自分の目で確かめるほうが確実だというたとえ。 【故事】 中国の「漢書(かんじょ)趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にある言葉が由来。 「百聞は一見に如かず。 兵はるかに度(はか)り難し。 臣願わくは馳せて金城(きんじょう)に至り、図して方略をたてまつらん。 」戦のことは遠く離れたところにいたのではわかりません。 私が金城に駆け付けて状況を探り、図に書いて作戦計画を奏上いたしましょう。 とあることに基づく。 時勢や情勢に合わせた対処の方法のこと。 もとは軍を指揮するときの四つの心構えのこと。 風のように速く行動して、林のように静かに機会を待ち、火のように激しく襲い掛かり、山のように動かずに構えるという意味。 孫子の中の句を略した言葉で、武田信玄が旗印に使ったといわれている。 【故事】 日本の戦国武将・武田信玄の軍の旗印として有名な「風林火山」ですが、これは元々『孫子』の中に出てくる言葉です。 『孫子』の軍争篇で孫子は、戦術の基本は敵をあざむくことだ、と言っています。 そしてその行動は変幻自在のものでなければならない、と。 風のように行動したかと思えば、林のようにシーンと静まり返り、燃え上がる火のように襲いかかったかと思えば、山のように微動だにしない。 ここがいくさでの変幻自在を説いた「風林火山」の部分です。 一度離縁してしまった夫婦の仲は元に戻らない事。 また、一度してしまった失敗は取り返しがつかないという事。 【故事】 中国・後秦の王嘉による志怪小説集『拾遺記』 より、「周の太公望は、若い頃貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻は愛想を尽かし出て行った。 後に太公望が出世して高位につくと、出て行った妻が復縁を求めてきたが、そのとき太公望は盆の水をこぼして「この水を元に戻せたら復縁に応じよう」と言った。 」という記述から。 「覆水」とは、こぼれた水のことを表す。 「刎頚」とは、首をはねることで、その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりの事。 きわめて親密な付き合いの事。 【故事】 中国前漢時代に歴史家・司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』より。 「春秋時代、趙の将軍・廉頗は、功績により自分より上位になった名臣・藺相如を恨んだ。 しかし相如は二人が争いにより共倒れになることを懸念し、国のために争いを避けるつもりでいることを聞いた廉頗は、自分の考えを恥じ、深く反省した。 そして廉頗は相如へ謝罪をし、二人は互いのために頸を刎ねられても悔いはないとする誓いを結んだ。 」という記述から。 よけいなつけ足しのこと。 また、なくてもよい無駄なもののこと。 しなくてもいいこと。 【故事】 「戦国策・斉」より出典。 中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。 しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。 「蛇に足はない。 だから、酒を飲む権利は私にある。 」そう言って、その酒を飲んでしまった。 自分にとって都合が良い方につこうとして、どちらつかずな態度で様子をみることのたとえ。 【故事】 「豊臣秀吉」と「明智光秀」が争ったとき、「筒井順慶」が京都と大阪の境にある「洞が峠」で陣を張り、どちらか戦況が有利な方に味方しようとしたという故事から出た言葉。 「ま行」の故事成語一覧 すっかり安心して眠ること。 【故事】 中国の戦国時代に張儀が、魏王に秦と連合することを説いた話から。 「高枕」ともいう。 その人より優れている者がいない。 【故事】 漢の時代、高官が並ぶとき右の方から偉い人の席にしたため。 矛盾 つじつまが合わないこと。 【故事】 楚の人が、人を突く武器である矛(ほこ)と身を守るための盾(たて)を売っていた。 そして、「この盾は頑丈で、どんな武器でも突き通すことができない。 」と言い、また「この矛は鋭く、どんなものも突き通すことができる。 」と言った。 その時、ある人が「それでは、あなたの矛であなたの盾を突いたらいったいどうなるのか」と尋ねたところ、その人は何も応えることができなかった。 心が清く澄み切っていて邪念のない心境のたとえ。 「明鏡」は曇りが一点もないきれいな鏡のこと。 「止水」は止まっていて澄み切った水のこと。 【故事】 「荘子」徳充符より。 「明鏡(めいきょう)」とはくもりのない鏡のこと。 「止水(しすい)」とは波の立たない静かな水面のこと。 どちらも、ありのままに姿や形を写し出すことができたことから、この語ができた。 子どもは周りの影響を受けやすいので、子どもの教育には環境を整えることが大事であるということ。 【故事】 「列女伝」鄒孟軻母より。 孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。 その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。 苦労して一度はよくなったものが、またもとの好ましくない状態に戻ること。 せっかくの苦労や努力が無駄になること。 【故事】 戦国時代、大和郡山(やまとこおりやま)の城主、筒井順昭(つついじゅんしょう)の病死を隠しすため、顔や声がよく似た木阿弥(もくあみ)という平民を替え玉とし、順昭の子が成人するまで、城主として人の目をあざむきました。 その後、順昭の子が成人するとそれまで城主として生活していた木阿弥は、元の身分に戻されてしまったという故事から。 【スポンサーリンク】 「や行」の故事成語一覧 不治の病にかかること。 転じて、ある物事に熱中してどうしようもなくなること。 【故事】 「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上部にあたり、ここに病気が入ると治療できないとされた。 「春秋左氏伝・成公十年」にある故事に基づく。 晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだところ、医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となって、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。 医者が到着し、景公を診察すると「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがありません」と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。 まもなく景公は亡くなった。 「有終」は最後をまっとうする、しかっり締めくくるという意味。 最後まで物事をやり遂げて、しかも立派に締めくくること。 【故事】 『詩経』の中にある滅びゆく周王朝について述べた部分が元となってできた故事成語。 原文は『詩経』大雅・蕩と名付けられた詩です。 この詩は全8章で、「有終の美を飾る」はこの第1章の最後に出てきます。 ただこの言葉と同じ文字は出てきません。 原文の最期にある「鮮克有終」が「有終の美」の元になった言葉です。 この歌は西周が滅びようとするのを周の文王に託し、殷の紂王になぞらえて傷み歌ったものとされています。 うわべや宣伝文句は立派だが、中身や実質がともなわないこと。 【故事】 「羊頭を掲げて、狗肉を売る」の略。 羊の頭を店の看板に掲げて、犬の肉を売るという意。 【出典】無門関[第六] 「ら行」の故事成語一覧 人から疑われるような、まぎらわしい行動は避けよというたとえ。 【故事】 「李下」は、スモモの木の下のこと。 スモモの木の下では、冠をかぶりなおそうと手を上げないほうがよい。 なぜなら、人からスモモを盗んでいるのではないかと疑われないためである。 【出典】古楽府[君子行] 世の中のことを知らずに、自分だけが得意になること。 独りよがり。 【故事】 「後漢書(ごかんじょ)」朱浮(しゅふ)昔、遼東に住む男の家に、頭の毛が白い豚の子が生まれた。 これは珍しいからと王に献上しようと思い、河東まで行ったところで豚の群れを見たら、そこの豚はみんな頭の毛が白かった。 そこで男は恥ずかしくなって、こそこそ引き返してきたという故事に基づいている。 良い薬は、苦くて飲みにくい。 人の忠言は聞きずらいものだが、ためになる。 という事のたとえ。 【故事】 『史記(司馬遷による、中国の歴史書)』「留侯世家」より。 都を占領してすっかり気の緩んだ劉邦(りゅうほう)に対して、軍師の張良(ちょうりょう)が、人の戒めを聞くよう忠告した時の言葉。 「わ行」の故事成語一覧 ・身にふりかかる災難(さいなん)を活用(かつよう)して、自分に役立(やくだ)つものとして利用するさま。 ・不幸なことが一転して幸福に転じるさま。 【故事】 前漢時代の「戦国策」(せんごくさく)の「聖人の事を制するや、 禍を転じて福と為し(かをてんじてふくとなし)、敗に因りて功を為す」と、「史記」蘇秦列伝(そうさいれつでん)の「臣聞く、古の善く事を制する者は、 禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」からきています。 人と争わず仲良くするが、自分の意見はしっかり守っていてむやみに人に同調したりしないという意味。 【故事】 「論語」「子路」から。 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」君子は人と協調するが、安易に同調したり雷同したりすることはない。 主体的に人とつき合うべきであるという言葉。

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