俺 の 心 の ヤバ いや つ。 僕の心のヤバイやつ

~マギへ~これは俺の心の声だ、いやマジで。

俺 の 心 の ヤバ いや つ

あらすじ [ ] 市川京太郎は中二病を患う中学2年生で、日々殺人の妄想を繰り広げていた。 彼は自分と対照的な同級生・山田杏奈から見下されていると思い込んでおり、特に彼女を殺したいと思っていた。 ある日、京太郎は山田が学校に食べ物を持ち込み、図書室で食べているのを目撃する。 その後も山田は美少女のイメージとはかけ離れた言動をとり、京太郎はそんな彼女を放っておけなくなるが、その理由が分からず煩悶する。 そんな折、体育の授業で山田が負傷するアクシデントが起こる。 負傷に涙する山田を見ていた京太郎もいつしか泣いており、そのことに気づいた京太郎は、自分が山田に恋していたことを自覚する。 一方の山田も当初は京太郎のことを特に気に留めていなかったが、次第に彼に関心を抱き、お気に入りの漫画を貸すなど自分から積極的に交流を図るようになる。 そして2学期最後の登校日、山田は漫画の続巻を貸すという理由で、クリスマス・イブに京太郎と会う約束を取り付ける。 登場人物 [ ] 主人公とヒロイン [ ] 市川 京太郎(いちかわ きょうたろう) 本作の主人公を務める男子中学生。 作中では家族として母と姉が登場しており、2人からは「京ちゃん」と呼ばれている。 内向的な性格で友達を持たず 、休み時間は読書をして過ごしており 、昼休みは図書室に入り浸っている。 また、同級生を殺す妄想をするという中二病も患っている。 中二病ゆえにモノローグでは偉ぶった物言いをすることもあるが、その実、自己肯定感は低い。 他方でスマートではないながらも行動力があり 、作中では困っている人のために行動を起こす場面がしばしば描かれている。 山田に対しては当初、自分のような陰キャを下に見ているものと決めつけていたが、物語が進むにつれて彼女の意外な姿を目の当たりにするようになり、次第に彼女に惹かれ、遂には恋心を自覚するに至っている。 一方で、自己肯定感の低さなどが災いして山田が自分に好意を抱いていることには気づいておらず、山田の言動について見当違いの解釈をしてしまうこともある。 山田 杏奈(やまだ あんな) 本作のヒロイン。 京太郎の同級生で 、雑誌モデルとして活動する美少女。 の上位にいる陽キャで 、校内では友人の小林ちひろ・関根萌子・吉田芹那と行動を共にすることが多い。 性格はかつマイペースで、間の抜けたところもある。 また食い意地が張っており 、お菓子の持ち込みを禁止されているにもかかわらず、校内で隠れてお菓子を食べている。 物語開始時点では京太郎のことは特に意識していなかったが、その後、彼が自分を助けてくれていることに気づき、彼女なりに親愛の情を示すようになる。 物語が進むにつれて図書室に顔を出すことが増えていき 、京太郎への好意も増していっている。 恋心を自覚してからは、自分からボディタッチすることも厭わないなど、より積極的に京太郎との距離を縮めようとしている。 その他の人物 [ ] 小林 ちひろ(こばやし ちひろ) 京太郎と同じクラスの女子生徒。 山田の親友で、彼女からは「ちぃ」と呼ばれる。 よく山田の世話を焼いており、京太郎からは密かに「彼氏さん」と呼ばれている。 一方で抜けているところもあり 、異性には弱い。 関根 萌子(せきね もえこ) 京太郎と同じクラスの女子生徒で、山田の友人。 派手な。 言動は軽薄で京太郎からはビッチ扱いされているが、その実、学業成績は学年上位を誇る。 吉田 芹那(よしだ せりな) 京太郎と同じクラスの女子生徒。 山田の友人で、彼女からは「にゃあ」と呼ばれる。 気が強く、情に厚い。 足立(あだち) 京太郎と同じクラスの男子生徒。 クラスメイトの神崎・太田とともにしょっちゅう猥談をしている。 山田に惹かれており 、彼女がいる女子グループにモーションをかけているが、卑猥な下心を見抜かれてしばしば冷たい視線を向けられている。 神崎(かんざき) 京太郎と同じクラスの男子生徒。 足立や太田とともにしょっちゅう猥談をしている。 素朴な見た目に反して異性に関する発言はマニアックで、京太郎からはブス専扱いされている。 原(はら) 京太郎と同じクラスの、した女子生徒。 神崎に好意を抱かれており 、作中では2人で出かけたりしている。 また山田とも交流があり、彼女と京太郎が互いに想い合っていることに感づいている。 南条(なんじょう) 京太郎の1学年上の先輩。 山田との交際を狙って幾度となくアプローチをかけているが、そのたびに山田の友達に阻まれている。 京太郎からは「ナンパイ」と呼ばれ、嫌われている。 作風 [ ] 先述したように、本作は陰キャ少年・京太郎と陽キャ少女・山田の恋物語である。 ストーリーは京太郎の視点で描かれており 、彼が恋に落ちていくさまが事細かに描かれている。 他のキャラクターについても表情の些細な変化などから心情をうかがい知ることができるようになっており、総じてキャラクターの感情や関係性の変化が丁寧に描かれた作品となっている。 一方で、京太郎と山田は互いに好き合ってはいるものの、相手に惚れた決定的瞬間がいつなのかは明確にされていない。 これは意図的なもので、作者の桜井は、中学生の初恋は恋愛感情とそれ以外の感情の境目が曖昧であり、恋に落ちたタイミングと恋を自覚したタイミングが違うという面白さを本作で表現したかったのだと発言している。 この意図はタイトルにも表れており、桜井曰く「僕の心のヤバイやつ」というタイトルは「自分の中にある、恋心なのか何なのかわからない感情」を表現したいという思いから生まれたものだという。 本作と並行して執筆された『』とは、陰キャの子供を主人公に据えているという共通点がある。 これは当時の桜井が陰キャの子供とその周りの人間との関係性に関心を抱いていたことに起因しているが、他方で主人公の性別は異なり、その結果、『ロロッロ! 』では主人公が同性の女子グループに馴染めるかが描かれているのに対し、本作では異性の女子と親しくなれるかという点に主眼が置かれるという、異なる観点を持つ作品に仕上がっている。 加えて本作は『ロロッロ! 』よりもリアリティを追求した作品となっており 、陰キャ男子のがリアルに描かれているほか 、作中に登場するも男子中学生の性欲を生々しく描いたものになっている。 また、本作は桜井曰く「サラッとも読めるけど、何度も読み返すことでも発見がある」作品になるよう作られている。 実際に、作中には「答えを明示しない謎」が散りばめられており、新しい話が公開されるたびに、謎の存在に気づいた読者がインターネット上で考察を繰り広げるのが恒例となっている。 制作背景 [ ] 桜井によると、かつて自分を担当していたが人事異動に伴って一時漫画の編集業から離れてしまったといい、その編集者が再び漫画雑誌の編集部に配属された際、一緒に漫画を作りたいと思って桜井がコンタクトを取ったことが、本作が生まれたきっかけだという。 なお、この編集者の当時の配属先は編集部であったが 、本作は『週刊少年チャンピオン』での連載を経てウェブコミック配信サイトでの連載に移行するという経緯をたどった。 これについて桜井は、本作はもともとウェブコミック配信サイトでの連載を予定していたと語っており、その上で、作品を知ってもらうため序盤の話のみ『週刊少年チャンピオン』に掲載する形を採ったと発言している。 男子を主人公に据えるというアイディアは、『ロロッロ! 』で少女型ロボットが男子化する回を描いたことがきっかけで生まれた。 この回では男子化したことで女子を見る目が変化するという話が描かれており、桜井曰く、そこから「男子目線から女子を描くと、魅力的に見えるんじゃないか」という着想を得たという。 一方で、ヒロイン・山田のモチーフは元アイドルのであり、桜井によると亀井のパーソナリティの一部を山田に反映させているという。 社会的評価 [ ] 映像外部リンク - 本作は複数のにノミネートされており、このうち一般投票型の漫画賞で好成績を収めている。 特にには『』のオトコ編で3位に入っており、これを記念して実写が公開されている。 このほか、のWEBマンガ部門で5位 、で13位 、で11位にランクインしている。 書誌情報 [ ]• 『僕の心のヤバイやつ』 〈〉、既刊3巻(2020年6月8日現在)• 2018年12月15日初版発行(2018年12月7日発売 )、• 2019年9月15日初版発行(2019年9月6日発売 )、• 2020年6月15日初版発行(2020年6月8日発売 )、 なお、第3巻では通常版に加えて特装版もリリースされている。 特装版には『僕らの心のヤバイやつ』と題した小冊子が同梱されており、作中人物のプロフィール帳やなどが収められている。 出典 [ ] []• ナターシャ 2018年3月8日. 2020年4月11日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 1 2020年3月3日. 2020年4月19日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 ぶくまる. 2020年5月19日. 2020年6月5日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 KAI-YOU. net. 2020年6月8日. 2020年6月14日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2018年4月3日. 2020年4月12日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2018年7月10日. 2019年7月2日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 マグミクス. メディア・ヴァーグ. 2020年4月15日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 2020年4月12日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 2019年11月2日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 コミスペ!. 2 2019年5月8日. 2019年9月23日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 Real Sound. 2020年4月12日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 コミスペ! 2018年12月9日. 2019年5月9日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミスペ!. 1 2019年5月8日. 2019年9月23日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 「THE BEST MANGA 2020 このマンガを読め! 」『フリースタイル』第44号、、2020年1月10日、 79頁。 小林聖 2019年9月9日. マグミクス. メディア・ヴァーグ. 2020年4月18日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 ねとらぼ. 2 2020年2月11日. 2020年3月5日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2019年12月11日. 2020年1月2日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2019年8月22日. 2019年12月1日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2020年1月31日. 2020年1月31日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2020年3月16日. 2020年4月12日時点のよりアーカイブ。 2020年5月3日閲覧。 コミックナタリー. ナターシャ 2020年6月8日. 2020年6月9日時点のよりアーカイブ。 2020年6月14日閲覧。 秋田書店公式サイト [ ] 以下の出典は『』内のページ。 書誌情報の発売日の出典としている。

次の

箕輪厚介氏がセクハラ疑惑で不適切発言「俺は反省してないです」

俺 の 心 の ヤバ いや つ

でも1巻から3巻までまるで別の漫画みたいじゃない僕ヤバ?2人の距離が加速度的に縮まっていく過程を単行本1冊でワッと読んでしまうと……耐えられない。 というか 表紙絵がめちゃくちゃ最高なんですよ。 教室の1巻、図書室の2巻と来て下校中の3巻ですよ。 白色基調だったこれまでと違って夕焼けの赤みがかった空のグラデーションとか彩度高めの色の塗り方とかそれだけでもう口から砂糖なんですけど、ヤバいのはここからで特装版の差分がね……。 前髪の分け目から垣間見える右目、いつもよりも見開いた瞳孔、朱に染まった頬……。 ウワ~~~~~すごい。 世界一美しい差分イラスト。 というか漫画自体が熱を発してるんじゃないかと思ってしまう。 そう感じるくらいに……すごい。 2人の間に私が一切介入する余地がないのも素晴らしい。 2巻の表紙もめちゃくちゃ良くて、山田がこっちにじゃがりこの容器を向けている……と見せかけて後ろの窓を見ると実は市川がこの位置に立っていたと分かる構図も最高だったけど、如何せんあれは 「カップルの間に挟まる間男」状態だったのでこれで心置きなく存在を抹消できる。 どうか私のことなんて構わず2人で好きにしててくれ……。 今回インターミッション的にTwitterで掲載されていた短編漫画も合間合間に挿入されているけどこれもヤバい。 ほとんど本編みたいなものだから全然途中休憩の体をなしていない。 戦闘が継続しているよ?一冊丸ごとの殺傷力が半端じゃない。 タワーディフェンスで自軍をゴリゴリ削られていく感覚に近い。 どれだけ守りを万全にしても全く歯が立たない圧倒的な『殺意』を感じる。 ヤバい。 みなさん!僕ヤバ3巻はもう手に入れましたか?たくさんの購入報告や感想などありがとうございます。 情報そのものじゃん。 こんなの見せられたら誰だって原さんみたいな顔するよ?なにこれ、のりお先生2人のこと飼ってるの?? 「言葉にできない」、ツイヤバの中でトップクラスに好きなんだよね……。 矩形の「大丈夫? 保健室行く?」の殺傷力が……ちょっと尋常じゃない。 漫画の表現技法の極致だと思う。 他愛のない会話や体育の風景がどんどん遠ざかって、鈍化する時間の流れの中、視線は山田に注がれ続け、市川の心の独白だけが静かに響いていく……。 ヤバい、また口から砂糖を吐いてしまう。 危ない。 書き下ろしの「きずあと」もダメですよこれは。 もうどれだけ2人で秘密を共有していると思ってるんですか。 もう数え切れないくらい積み重なって地層みたいなもんになってますよ。 このまま押しつぶされて石灰岩かチャートになれって言うんですか。 生命を許されていない。 死んでしまう……。 表紙の丸コマがみんな山田な中、一人だけメイド服市川が混じってるの強すぎる。 アウトだと思う。 3巻のエピソードはだいたい更新の度に感想を書き殴っていたので今さら言葉を重ねることはしないけど、やっぱりKarte40から43の流れがめちゃくちゃ最高なんだよね……正直、市川と山田がイチャイチャしてるだけで楽勝で1巻2巻持たせられるのはツイヤバを読んでれば伝わってくるんだけど(というかのりお先生は何でもないケの日をハレに変えるのが上手すぎてめちゃくちゃビビる)、そこを変に引き伸ばさずに更に二人の仲が前へ進む展開へ舵を切ったのは、その先に描きたいものがあることが伝わってきてめちゃくちゃ信頼感がある。 そう、信頼感があるんですよ。 ちょっともう自分でも何が書きたいのか全然分からなくなったので晒して供養することにします。 「こいつだったら背中を預けてもいい」という意味での信頼なんですよね。 僕ヤバは読んだら口から虹色の砂糖がゲロゲロ出てくる致死性のラブコメ…… というかラブそのものなんですけど、初めから読み返しても話がちゃんと進展し続けていて、心地良い停滞に留まらないパワーを持ち続けていることが3巻を読んで再認識できたので、これで安心して渋谷デート編で死ねます。 のりお先生ありがとう。 (終わりです).

次の

俺のビカクシダ

俺 の 心 の ヤバ いや つ

横光利一 海浜の松が凩(こがらし)に鳴り始めた。 庭の片隅(かたすみ)で一叢(ひとむら)の小さなダリヤが縮んでいった。 彼は妻の寝ている寝台の傍(そば)から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺(なが)めていた。 亀が泳ぐと、水面から輝(て)り返された明るい水影が、乾いた石の上で揺れていた。 「まアね、あなた、あの松の葉がこの頃それは綺麗(き れい)に光るのよ」と妻は云った。 「お前は松の木を見ていたんだな」 「ええ」 「俺は亀を見てたんだ」 二人はまたそのまま黙り出そうとした。 「お前はそこで長い間寝ていて、お前の感想は、たった松の葉が美しく光ると云うことだけなのか」 「ええ、だって、あたし、もう何も考えないことにしているの」 「人間は何も考えないで寝ていられる筈(はず)がない」 「そりゃ考えることは考えるわ。 あたし、早くよくなって、シャッシャッと井戸で洗濯(せんたく)がしたくってならないの」 「洗濯がしたい?」 彼はこの意想外の妻の慾望に笑い出した。 「お前はおかしな奴だね。 俺(おれ)に長い間苦労をかけておいて、洗濯がしたいとは変った奴だ」 「でも、あんなに丈夫な時が羨(うらや)ましいの。 あなたは不幸な方だわね」 「うむ」と彼は云った。 彼は妻を貰(もら)うまでの四五年に渡る彼女の家庭との長い争闘を考えた。 それから妻と結婚してから、母と妻との間に挾(はさ)まれた二年間の苦痛な時間を考えた。 彼は母が死に、妻と二人になると、急に妻が胸の病気で寝て了(しま)ったこの一年間の艱難(かんなん)を思い出した。 「なるほど、俺ももう洗濯がしたくなった」 「あたし、いま死んだってもういいわ。 だけども、あたし、あなたにもっと恩を返してから死にたいの。 「俺はそう云うことは、どうだっていいんだ。 ただ俺は、そうだね。 俺は、ただ、ドイツのミュンヘンあたりへいっぺん行って、それも、雨の降っている所でなくちゃ行く気がしない」 「あたしも行きたい」と妻は云うと、急に寝台の上で腹を波のようにうねらせた。 「お前は絶対安静だ」 「いや、いや、あたし、歩きたい。 起してよ、ね、ね」 「駄目だ」 「あたし、死んだっていいから」 「死んだって、始まらない」 「いいわよ、いいわよ」 「まア、じっとしてるんだ。 それから、一生の仕事に、松の葉がどんなに美しく光るかって云う形容詞を、たった一つ考え出すのだね」 妻は黙って了った。 彼は妻の気持ちを転換さすために、柔らかな話題を選択しようとして立ち上った。 海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。 一艘(そう)の舟が傾きながら鋭い岬(みさき)の尖端(せんたん)を廻っていった。 渚(なぎさ)では逆巻く濃藍色(のうらんしょく)の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑(かみくず)のように坐っていた。 彼は自分に向って次ぎ次ぎに来る苦痛の波を避けようと思ったことはまだなかった。 このそれぞれに質を違えて襲って来る苦痛の波の原因は、自分の肉体の存在の最初に於(おい)て働いていたように思われたからである。 彼は苦痛を、譬(たと)えば砂糖を甜(な)める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。 そうして最後に、どの味が美味(うま)かったか。 何ものよりも、先(ま)ず透明でなければならぬ。 と彼は考えた。 ダリヤの茎が干枯(ひ から)びた繩(なわ)のように地の上でむすぼれ出した。 潮風が水平線の上から終日吹きつけて来て冬になった。 彼は砂風の巻き上る中を、一日に二度ずつ妻の食べたがる新鮮な鳥の臓物を捜しに出かけて行った。 彼は海岸町の鳥屋という鳥屋を片端から訪ねていって、そこの黄色い爼(まないた)の上から一応庭の中を眺め廻してから訊(き)くのである。 「臓物はないか、臓物は」 彼は運好く瑪瑙(め のう)のような臓物を氷の中から出されると、勇敢な足どりで家に帰って妻の枕元に並べるのだ。 「この曲玉(まがたま)のようなのは鳩(はと)の腎臓(じんぞう)だ。 この光沢のある肝臓はこれは家鴨(あひる )の生胆(いきぎも)だ。 これはまるで、噛(か)み切った一片の唇(くちびる)のようで、この小さな青い卵は、これは崑崙山(こんろんざん)の翡翠(ひ すい)のようで」 すると、彼の饒舌(じょうぜつ)に煽動(せんどう)させられた彼の妻は、最初の接吻(せっぷん)を迫るように、華(はな)やかに床の中で食慾のために身悶(み もだ)えした。 彼は惨酷に臓物を奪い上げると、直ぐ鍋(なべ)の中へ投げ込んで了うのが常であった。 妻は檻(おり)のような寝台の格子(こうし )の中から、微笑しながら絶えず湧(わ)き立つ鍋の中を眺めていた。 「お前をここから見ていると、実に不思議な獣(けもの)だね」と彼は云った。 「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」 「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。 お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛(たた)えている」 「それはあなたよ。 あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって」 「それは、檻の中の理論である」 彼は彼の額に煙り出す片影のような皺(しわ)さえも、敏感に見逃(み のが)さない妻の感覚を誤魔化すために、この頃いつもこの結論を用意していなければならなかった。 それでも時には、妻の理論は急激に傾きながら、彼の急所を突き通して旋廻することが度々(たびたび)あった。 「実際、俺はお前の傍に坐っているのは、そりゃいやだ。 肺病と云うものは、決して幸福なものではないからだ」 彼はそう直接妻に向って逆襲することがあった。 「そうではないか。 俺はお前から離れたとしても、この庭をぐるぐる廻っているだけだ。 俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の画(えが)く円周の中で廻っているより仕方がない。 これは憐(あわ)れな状態である以外の、何物でもないではないか」 「あなたは、あなたは、遊びたいからよ」と妻は口惜(くや)しそうに云った。 「お前は遊びたかないのかね」 「あなたは、他の女の方と遊びたいのよ」 「しかし、そう云うことを云い出して、もし、そうだったらどうするんだ」 そこで、妻が泣き出して了うのが例であった。 彼は、はッとして、また逆に理論を極(きわ)めて物柔らかに解きほぐして行かねばならなかった。 「なるほど、俺は、朝から晩まで、お前の枕元にいなければならないと云うのはいやなのだ。 それで俺は、一刻も早く、お前をよくしてやるために、こうしてぐるぐる同じ庭の中を廻っているのではないか。 これには俺とて一通りのことじゃないさ」 「それはあなたのためだからよ。 私のことを、一寸(ちょっと)もよく思ってして下さるんじゃないんだわ」 彼はここまで妻から肉迫されて来ると、当然彼女の檻の中の理論にとりひしがれた。 だが、果して、自分は自分のためにのみ、この苦痛を噛み殺しているのだろうか。 「それはそうだ、俺はお前の云うように、俺のために何事も忍耐しているのにちがいない。 しかしだ、俺が俺のために忍耐していると云うことは、一体誰故(だれゆえ)にこんなことをしていなければ、ならないんだ。 俺はお前さえいなければ、こんな馬鹿な動物園の真似(まね)はしていたくないんだ。 そこをしていると云うのは、誰のためだ。 お前以外の俺のためだとでも云うのか。 馬鹿馬鹿しい」 こう云う夜になると、妻の熱は定(きま)って九度近くまで昇り出した。 彼は一本の理論を鮮明にしたために、氷嚢(ひょうのう)の口を、開けたり閉めたり、夜通ししなければならなかった。 しかし、なお彼は自分の休息する理由の説明を明瞭(めいりょう)にするために、この懲りるべき理由の整理を、殆(ほとん)ど日日し続けなければならなかった。 彼は食うためと、病人を養うためとに別室で仕事をした。 すると、彼女は、また檻の中の理論を持ち出して彼を攻めたてて来るのである。 「あなたは、私の傍をどうしてそう離れたいんでしょう。 今日はたった三度よりこの部屋へ来て下さらないんですもの。 分っていてよ。 あなたは、そう云う人なんですもの」 「お前と云う奴は、俺がどうすればいいと云うんだ。 俺は、お前の病気をよくするために、薬と食物とを買わなければならないんだ。 誰がじっとしていて金をくれる奴があるものか。 お前は俺に手品でも使えと云うんだね」 「だって、仕事なら、ここでも出来るでしょう」と妻は云った。 「いや、ここでは出来ない。 俺はほんの少しでも、お前のことを忘れているときでなければ出来ないんだ」 「そりゃそうですわ。 あなたは、二十四時間仕事のことより何も考えない人なんですもの、あたしなんか、どうだっていいんですわ」 「お前の敵は俺の仕事だ。 しかし、お前の敵は、実は絶えずお前を助けているんだよ」 「あたし、淋(さび)しいの」 「いずれ、誰だって淋しいにちがいない」 「あなたはいいわ。 仕事があるんですもの。 あたしは何もないんだわ」 「捜せばいいじゃないか」 「あたしは、あなた以外に捜せないんです。 あたしは、じっと天井を見て寝てばかりいるんです」 「もう、そこらでやめてくれ。 どちらも淋しいとしておこう。 俺には締切りがある。 今日書き上げないと、向うがどんなに困るかしれないんだ」 「どうせ、あなたはそうよ。 あたしより、締切りの方が大切なんですから」 「いや、締切りと云うことは、相手のいかなる事情をも退けると云う張り札なんだ。 俺はこの張り札を見て引き受けて了った以上、自分の事情なんか考えてはいられない」 「そうよ、あなたはそれほど理智的なのよ。 いつでもそうなの、あたし、そう云う理智的な人は、大嫌(だいきら)い」 「お前は俺の家の者である以上、他から来た張り札に対しては、俺と同じ責任を持たなければならないんだ」 「そんなもの、引き受けなければいいじゃありませんか」 「しかし、俺とお前の生活はどうなるんだ」 「あたし、あなたがそんなに冷淡になる位なら、死んだ方がいいの」 すると、彼は黙って庭へ飛び降りて深呼吸をした。 それから、彼はまた風呂敷(ふ ろ しき)を持って、その日の臓物を買いにこっそりと町の中へ出かけていった。 しかし、この彼女の「檻の中の理論」は、その檻に繋(つな)がれて廻っている彼の理論を、絶えず全身的な興奮をもって、殆ど間髪(かんはつ)の隙間(すきま )をさえも洩(も)らさずに追っ駈けて来るのである。 このため彼女は、彼女の檻の中で製造する病的な理論の鋭利さのために、自身の肺の組織を日日加速度的に破壊していった。 彼女の曾(かつ)ての円く張った滑(なめ)らかな足と手は、竹のように痩(や)せて来た。 胸は叩(たた)けば、軽い張子のような音を立てた。 そうして、彼女は彼女の好きな鳥の臓物さえも、もう振り向きもしなくなった。 彼は彼女の食慾をすすめるために、海からとれた新鮮な魚の数々を縁側に並べて説明した。 「これは鮟鱇(あんこ )で踊り疲れた海のピエロ。 これは海老(えび)で車海老、海老は甲冑(かっちゅう)をつけて倒れた海の武者。 この鰺(あじ)は暴風で吹きあげられた木の葉である」 「あたし、それより聖書を読んでほしい」と彼女は云った。 彼はポウロのように魚を持ったまま、不吉な予感に打たれて妻の顔を見た。 「あたし、もう何も食べたかないの、あたし、一日に一度ずつ聖書を読んで貰いたいの」 そこで、彼は仕方なくその日から汚(よご)れたバイブルを取り出して読むことにした。 「エホバよわが祈りをききたまえ。 願くばわが号呼(さけび )の声の御前にいたらんことを。 わが窮苦(なやみ )の日、み顔を蔽(おお)いたもうなかれ。 なんじの耳をわれに傾け、我が呼ぶ日にすみやかに我にこたえたまえ。 わがもろもろの日は煙のごとく消え、わが骨は焚木(たきぎ )のごとく焚(やか)るるなり。 わが心は草のごとく撃(うた)れてしおれたり。 われ糧(かて)をくらうを忘れしによる」 しかし、不吉なことはまた続いた。 或る日、暴風の夜が開けた翌日、庭の池の中からあの鈍い亀が逃げて了っていた。 彼は妻の病勢がすすむにつれて、彼女の寝台の傍からますます離れることが出来なくなった。 彼女の口から、痰(たん)が一分毎に出始めた。 彼女は自分でそれをとることが出来ない以上、彼がとってやるよりとるものがなかった。 また彼女は激しい腹痛を訴え出した。 咳(せき)の大きな発作が、昼夜を分(わか)たず五回ほど突発した。 その度に、彼女は自分の胸を引っ掻(か)き廻して苦しんだ。 彼は病人とは反対に落ちつかなければならないと考えた。 しかし、彼女は、彼が冷静になればなるほど、その苦悶の最中に咳を続けながら彼を罵(ののし)った。 「人の苦しんでいるときに、あなたは、あなたは、他(ほか)のことを考えて」 「まア、静まれ、いま呶鳴(どな)っちゃ」 「あなたが、落ちついているから、憎らしいのよ」 「俺が、今狼狽(あわ)てては」 「やかましい」 彼女は彼の持っている紙をひったくると、自分の啖を横なぐりに拭(ふ)きとって彼に投げつけた。 彼は片手で彼女の全身から流れ出す汗を所を択(えら)ばず拭きながら、片手で彼女の口から咳出す啖を絶えず拭きとっていなければならなかった。 彼の蹲(しゃが)んだ腰はしびれて来た。 彼女は苦しまぎれに、天井を睨(にら)んだまま、両手を振って彼の胸を叩き出した。 汗を拭きとる彼のタオルが、彼女の寝巻にひっかかった。 すると、彼女は、蒲団(ふ とん)を蹴(け)りつけ、身体をばたばた波打たせて起き上ろうとした。 「駄目だ、駄目だ、動いちゃ」 「苦しい、苦しい」 「落ちつけ」 「苦しい」 「やられるぞ」 「うるさい」 彼は楯(たて)のように打たれながら、彼女のざらざらした胸を撫(な)で擦(さす)った。 しかし、彼はこの苦痛な頂天に於てさえ、妻の健康な時に彼女から与えられた自分の嫉妬(しっと )の苦しみよりも、寧(むし)ろ数段の柔かさがあると思った。 してみると彼は、妻の健康の肉体よりも、この腐った肺臓を持ち出した彼女の病体の方が、自分にとってはより幸福を与えられていると云うことに気がついた。 俺はもうこの新鮮な解釈によりすがっているより仕方がない。 彼はこの解釈を思い出す度に、海を眺めながら、突然あはあはと大きな声で笑い出した。 すると、妻はまた、檻の中の理論を引き摺(ず)り出して苦々しそうに彼を見た。 「いいわ、あたし、あなたが何ぜ笑ったのかちゃんと知ってるんですもの」 「いや、俺はお前がよくなって、洋装をきたがって、ぴんぴんはしゃがれるよりは、静に寝ていられる方がどんなに有難いかしれないんだ。 第一、お前はそうしていると、蒼(あお)ざめていて、気品がある。 まア、ゆっくり寝ていてくれ」 「あなたは、そう云う人なんだから」 「そう云う人なればこそ、有難がって看病が出来るのだ」 「看病看病って、あなたは二言目には看病を持ち出すのね」 「これは俺の誇りだよ」 「あたし、こんな看病なら、して欲しかないの」 「ところが、俺が譬(たと)えば三分間向うの部屋へ行っていたとする。 すると、お前は三日も抛(ほ)ったらかされたように云うではないか、さア、何とか返答してくれ」 「あたしは、何も文句を云わずに、看病がして貰いたいの。 いやな顔をされたり、うるさがられたりして看病されたって、ちっとも有難いと思わないわ」 「しかし、看病と云うのは、本来うるさい性質のものとして出来上っているんだぜ」 「そりゃ分っているわ。 そこをあたし、黙ってして貰いたいの」 「そうだ、まあ、お前の看病をするためには、一族郎党を引きつれて来ておいて、金を百万円ほど積みあげて、それから、博士を十人ほどと、看護婦を百人ほどと」 「あたしは、そんなことなんかして貰いたかないの、あたし、あなた一人にして貰いたいの」 「つまり、俺が一人で、十人の博士の真似と、百人の看護婦と、百万円の頭取の真似をしろって云うんだね」 「あたし、そんなことなんか云ってやしない。 あたし、あなたにじっと傍にいて貰えば安心出来るの」 「そら見ろ、だから、少々は俺の顔が顰(ゆが)んだり、文句を云ったりする位は我慢しろ」 「あたし、死んだら、あなたを怨(うら)んで怨んで怨んで、そして死ぬの」 「それ位のことなら、平気だね」 妻は黙って了った。 しかし、妻はまだ何か彼に斬(き)りつけたくてならないように、黙って必死に頭を研(と)ぎ澄しているのを彼は感じた。 しかし彼は、彼女の病勢を進ます彼自身の仕事と生活のことを考えねばならなかった、だが、彼は妻の看病と睡眠の不足から、だんだんと疲れて来た。 彼は疲れれば疲れるほど、彼の仕事が出来なくなるのは分っていた。 彼の仕事が出来なければ出来ないほど、彼の生活が困り出すのも定(きま)っていた。 それにも拘(かかわ)らず、昂進(こうしん)して来る病人の費用は、彼の生活の困り出すのに比例して増して来るのは明(あきら)かなことであった。 然(しか)も、なお、いかなることがあろうとも、彼がますます疲労して行くことだけは事実である。 そうしたら、俺は、なに不足なく死んでみせる。 彼はそう思うことも時々あった。 しかし、また彼は、この生活の難局をいかにして切り抜けるか、その自分の手腕を一度はっきり見たくもあった。 彼は夜中起されて妻の痛む腹を擦(さす)りながら、 「なお、憂きことの積れかし、なお憂きことの積れかし」 と呟(つぶや)くのが癖になった。 ふと彼はそう云う時、茫々(ぼうぼう)とした青い羅紗(ら しゃ)の上を、撞(つ)かれた球(たま)がひとり飄々(ひょうひょう)として転がって行くのが目に浮んだ。 「あなた、もっと、強く擦ってよ、あなたは、どうしてそう面倒臭がりになったのでしょう。 もとはそうじゃなかったわ。 もっと親切に、あたしのお腹(なか)を擦って下さったわ。 それだのに、この頃は、ああ痛、ああ痛」と彼女は云った。 「俺もだんだん疲れて来た。 もう直ぐ、俺も参るだろう。 そうしたら、二人がここで呑気(のんき )に寝転んでいようじゃないか」 すると、彼女は急に静になって、床の下から鳴き出した虫のような憐れな声で呟いた。 「あたし、もうあなたにさんざ我ままを云ったわね。 もうあたし、これでいつ死んだっていいわ。 あたし満足よ。 あなた、もう寝て頂戴な。 あたし我慢をしているから」 彼はそう云われると、不覚にも涙が出て来て、撫(な)でてる腹の手を休める気がしなくなった。 庭の芝生が冬の潮風に枯れて来た。 硝子戸(ガラス ど )は終日辻馬車(つじば しゃ)の扉(とびら)のようにがたがたと慄(ふる)えていた。 もう彼は家の前に、大きな海のひかえているのを長い間忘れていた。 或る日彼は医者の所へ妻の薬を貰いに行った。 「そうそう。 もっと前からあなたに云おう云おうと思っていたんですが」 と医者は云った。 「あなたの奥さんは、もう駄目ですよ」 「はア」 彼は自分の顔がだんだん蒼ざめて行くのをはっきりと感じた。 「もう左の肺がありませんし、それに右も、もう余程進んでおります」 彼は海浜に添って、車に揺られながら荷物のように帰って来た。 晴れ渡った明るい海が、彼の顔の前で死をかくまっている単調な幕のように、だらりとしていた。 彼はもうこのまま、いつまでも妻を見たくないと思った。 もし見なければ、いつまでも妻が生きているのを感じていられるにちがいないのだ。 彼は帰ると直ぐ自分の部屋へ這入(はい)った。 そこで彼は、どうすれば妻の顔を見なくて済まされるかを考えた。 彼はそれから庭へ出ると芝生の上へ寝転んだ。 身体が重くぐったりと疲れていた。 涙が力なく流れて来ると彼は枯れた芝生の葉を丹念にむしっていた。 「死とは何だ」 ただ見えなくなるだけだ、と彼は思った。 暫(しばら)くして、彼は乱れた心を整えて妻の病室へ這入っていった。 妻は黙って彼の顔を見詰めていた。 「何か冬の花でもいらないか」 「あなた、泣いていたのね」と妻は云った。 「いや」 「そうよ」 「泣く理由がないじゃないか」 「もう分っていてよ。 お医者さんが何か云ったの」 妻はそうひとり定めてかかると、別に悲しそうな顔もせずに黙って天井を眺め出した。 彼は妻の枕元の籐椅子(とうい す )に腰を下ろすと、彼女の顔を更(あらた)めて見覚えて置くようにじっと見た。 今は残っているものは何物もない。 その日から、彼は彼女の云うままに機械のように動き出した。 そうして、彼は、それが彼女に与える最後の餞別(せんべつ)だと思っていた。 或る日、妻はひどく苦しんだ後で彼に云った。 「ね、あなた、今度モルヒネを買って来てよ」 「どうするんだね」 「あたし、飲むの、モルヒネを飲むと、もう眼が覚めずにこのままずっと眠って了うんですって」 「つまり、死ぬことかい?」 「ええ、あたし、死ぬことなんか一寸も恐(こわ)かないわ。 もう死んだら、どんなにいいかしれないわ」 「お前も、いつの間にか豪(えら)くなったものだね。 そこまで行けば、もう人間もいつ死んだって大丈夫だ」 「でも、あたしね、あなたに済まないと思うのよ。 あなたを苦しめてばっかりいたんですもの。 御免なさいな」 「うむ」と彼は云った。 「あたし、あなたのお心はそりゃよく分っているの。 だけど、あたし、こんなに我ままを云ったのも、あたしが云うんじゃないわ。 病気が云わすんだから」 「そうだ。 病気だ」 「あたしね、もう遺言も何も書いてあるの。 だけど、今は見せないわ。 あたしの床の下にあるから、死んだら見て頂戴(ちょうだい)」 彼は黙って了った。 それに、まだ悲しむべきことを云うのは、やめて貰いたいと彼は思った。 花壇の石の傍で、ダリヤの球根が掘り出されたまま霜に腐っていった。 亀に代ってどこからか来た野の猫が、彼の空(あ)いた書斎の中をのびやかに歩き出した。 妻は殆ど終日苦しさのために何も云わずに黙っていた。 彼女は絶えず、水平線を狙(ねら)って海面に突出している遠くの光った岬ばかりを眺めていた。 彼は妻の傍で、彼女に課せられた聖書を時々読み上げた。 「エホバよ、願くば忿恚(いきどおり)をもて我をせめ、烈(はげ)しき怒りをもて懲(こ)らしめたもうなかれ。 エホバよ、われを憐(あわ)れみたまえ、われ萎(しぼ)み衰うなり。 エホバよわれを医(いや)したまえ、わが骨わななき震う。 わが霊魂(たましい)さえも甚(いた)くふるいわななく。 エホバよ、かくて幾その時をへたもうや。 死にありては汝(なんじ)を思い出(い)ずることもなし」 彼は妻の啜(すす)り泣くのを聞いた。 彼は聖書を読むのをやめて妻を見た。 「お前は、今何を考えていたんだね」 「あたしの骨はどこへ行くんでしょう。 彼は頭を垂れるように心を垂れた。 すると、妻の眼から涙が一層激しく流れて来た。 「どうしたんだ」 「あたしの骨の行き場がないんだわ。 あたし、どうすればいいんでしょう」 彼は答えの代りにまた聖書を急いで読み上げた。 「神よ、願くば我を救い給え。 大水ながれ来(きた)りて我たましいにまで及べり。 われ立止(たちと )なき深き泥の中に沈めり。 われ深水(ふかみず)におちいる。 おお水わが上を溢(あふ)れ過ぐ。 われ歎きによりて疲れたり。 わが喉(のど)はかわき、わが目はわが神を待ちわびて衰えぬ」 彼と妻とは、もう萎(しお)れた一対の茎のように、日日黙って並んでいた。 しかし、今は、二人は完全に死の準備をして了った。 もう何事が起ろうとも恐がるものはなくなった。 そうして、彼の暗く落ちついた家の中では、山から運ばれて来る水甕(みずがめ)の水が、いつも静まった心のように清らかに満ちていた。 彼の妻の眠っている朝は、朝毎に、彼は海面から頭を擡(もた)げる新しい陸地の上を素足で歩いた。 前夜満潮に打ち上げられた海草は冷たく彼の足にからまりついた。 時には、風に吹かれたようにさ迷い出て来た海辺の童児が、生々しい緑の海苔(のり)に辷(すべ)りながら岩角をよじ登っていた。 海面にはだんだん白帆が増していった。 海際(うみぎわ)の白い道が日増しに賑(にぎ)やかになって来た。 或る日、彼の所へ、知人から思わぬスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。 長らく寒風にさびれ続けた家の中に、初めて早春が匂(にお)やかに訪れて来たのである。 彼は花粉にまみれた手で花束を捧(ささ)げるように持ちながら、妻の部屋へ這入っていった。 「とうとう、春がやって来た」 「まア、綺麗(き れい)だわね」と妻は云うと、頬笑(ほほえ )みながら痩(や)せ衰えた手を花の方へ差し出した。 「これは実に綺麗じゃないか」 「どこから来たの」 「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒(ま)き撒きやって来たのさ」 妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。 そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚(こうこつ)として眼を閉じた。

次の