アイヌ の 人々 から 土地 を 奪っ た の は。 【北海道】アイヌとは何か?歴史や現状をわかりやすくご紹介します!│御パンダと合理天狗の雑記

【国土交通委員会】アイヌ差別/国策が原因と指摘/政府「重く受け止める」/衆院国交委で新法案可決

アイヌ の 人々 から 土地 を 奪っ た の は

萱野茂二風谷アイヌ資料館館長を務める萱野志郎(かやのしろう)氏は、日本政府がアイヌを先住民族として認めるべきであるとして、12月29日の朝日新聞に寄稿し、次のように述べている; 今年は世界の先住民族にとって歴史的な年だった。 9月13日、国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたのである。 これは先住民族を「国際法の主体」として認め、自己決定権や返還・賠償・補償樺など、さまざまな権利を規定した人権文書だ。 日本も賛成票を投じた。 だが、日本政府は我々アイヌ民族を「先住民族」とは認めていない。 先住民族に関する定義はいまだ確立されておらず、アイヌ民族が日本における先住民族か否かを判断できないというのが理由という。 世界の流れは別 しかし、これは世界の趨勢(すうせい)や国内の実態に反している。 9月14日付の朝日新聞「私の視点」欄に、北海道ウタリ協会の加藤忠理事長による「政府は先住民族と認めよ」という主張が掲載された。 私も理事長の主張に同感だ。 「先住民族」という概念はきわめて政治的なものである。 単に、ある地域に居住していた時期が早いか遅いかという時間的な後先ではない。 世界各地の先住民族を取り巻く問題に詳しい上村英明・意泉女学園大教授(市民外交センター代表)はこう定義する。 「近代国家が成立する時点において、合意なしに国家に統合され、現在被支配的立場におかれ、かつ(固有の民族としての)人権が十分保障されていない人々」 これを日本にあてはめてみよう。 近代国家の成立は明治政府の発足にあたる。 アイヌ民族は1871(明治4)年の太政官布告によって一方的に日本の国籍が与えられた。 21世紀の今日においても、就職や結婚で差別が存在している。 現在アイヌ民族出身の国会議員はいない。 為政者側にアイヌ民族の意思が十分に伝わっているとはいえないのが現状だ。 すなわち「明治政府はアイヌ民族をその自由な意思によることなく一方的に統合し、現在被支配者的立場におき、なおかつ人権を十分に保障していない」といえよう。 アイヌ民族は日本における先住民族なのである。 判決もある。 1997年3月27日、札幌地裁で二風谷ダム訴訟の判決が言い渡され、「アイヌの人々は……『先住民族』に該当するというべきである」と明記された。 アイヌの現状について、外国のメディアや市民団体から「なぜ日本では先住民族として認められないのか」と問われることも少なくない。 アイヌ民族は3万人とも10万人ともいわれる。 誰がアイヌなのか。 血なのか文化なのか。 「自分はアイヌだ」と自覚し、そのコミュニティーから認められた者がアイヌなのである。 民族とはアイデンティティーの問題なのだ。 先住民族に認められる権利には、土地に関するもの、外交を含む自治に関するもの、地下資源や埋蔵物に関するもの、言語使用に関するものなどがある。 私の父・萱野茂は「和人に土地を売った覚えも貸した覚えもない。 借りたのであれば借用証を見せろ」とよく言っていた。 本稿では土地について論じよう。 世界の先住民族を見ると、1990年代以降、一部とはいえ返還されているケースがいくつもある。 カナダではイヌイットの準州ができたし、オーストラリアではアボリジニーに返還を命じる判決が出た。 国際的に見て決して特異なことではないはずだ。 北海道を全部返せなどと言うつもりはない。 すでに何世代にもわたって和人が住んでいる私有地まで戻すべきだというつもりもない。 聖地も国所有? 北海道は約834万ヘクタール。 このうち約半分の414万ヘクタールが国有地だ。 道有地、市町村所有の公有地も多い。 このなかの一部でもいい、返還してほしい。 歴史的経緯を考えた場合、特に政府に求めたい。 我々の聖地である山や谷も、いまはその大半が国有地だ。 もともとは我々の先祖が住んでいた土地である。 アイヌ民族には土地所有の観念がなかった。 明治期に、外から来た人々が一方的に法律を制定し「所有」を決めたのである。 その結果、神々に祈る行事を行おうにも、政府の許可を得なければできない、などということまで起きた。 アイヌ民族を「先住民族」と認め、国有地の一部を返還する。 国民が理解し、政府が判断すれば可能なはずだ。 返還されたあとも、北海道の道民や来適者が自由に通行や利用ができるものとしたい。 私は活動家ではない。 「アイヌ語ペンクラブ」の一会員であり、こうして書くことで訴えている。 先住民族を取り巻く問題にどう向き合うかは、法治国家ニッポンの成熟度を測るバロメーターとなるに違いない。 2007年12月29日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「異見新言-先住民族と認め、土地返還を」から引用 先住民族の要求にしては極めて控えめな、穏当な要求である。 世界第二の経済大国である日本が、この程度の要求を認めることに何の不都合があるだろうか。 支障の無い範囲内で早急に対応を検討するべきである。

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アイヌ民族の現在とは?純血アイヌ人は今もいるのか?

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だが、そもそも先住民の権利とはいかなるものか。 国連の「先住民族の権利宣言」 2007年 に見るように、それは多くの権利を包括するが、ここでは同前文で唯一強調された権利を中心に論ずる。 土地、領域および資源に対する権利 同宣言において唯一前文に記されたのは、「土地、領域および資源」に対する権利である。 それは条文としては第25~28条に記されている。 この権利は、北海道ウタリ協会 当時 による「アイヌ民族に関する法律 案 」 1984年 の条文では不明確だが、それに先立つ法の制定理由において強調されている。 アイヌの先住権が認められなければならない そもそもアイヌは、かつて自在に行使することができた各種の権利を 権利意識などないままに 有していた。 鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、言いかえれば河川・山の利用権等がそれである。 だが「開拓使」はそれらの権利を剥奪した。 北海道という名称付与もアイヌモシリ アイヌの静かな大地 の無主地扱いもそうだが、これらはアイヌに何の相談もなしに開拓使が決め、後に3県庁 函館県・札幌県・根室県 および道庁がより大きな規模で追認した施策である。 特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に従来の採取生活を続け得べき広大な未処分未開地」 高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、534頁 をアイヌから最終的に奪いとった。 来るべき「アイヌ新法」を考えるとき、これらの事実を深刻に受け止めなければならない。 言いかえれば、アイヌから奪われた各種の権利をアイヌの 先住権として認めなければならない。 だがこれまで、日本政府は一度もその先住権を認めたためしはない。 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書も、一部のあまり意味のない場合以外は「権利」という言葉を巧みに避けている。 使われるのは「先住民族の権利宣言」にふれる場合だけである。 しかも同宣言がアイヌ政策に積極的な意味をもつと認めているのに 22頁 、それでも権利という言葉を用いないとすれば、「有識者」の名を汚す。 「懇談会」といえども、政府に対してはっきりと物を言うのでなければ存在価値はない。 なるほど「アイヌ文化振興法」の衆参両院内閣委員会での附帯決議には、「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実であり……」とある 『概説』16頁。 また後に衆参両院は、ひいては日本政府は、アイヌを先住民であるとはっきり認めた 2008年。 だが、「旧土人」という言葉に見るように、アイヌの先住性自体が歴史的に疑われたことは、実際はない。

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【北海道】アイヌとは何か?歴史や現状をわかりやすくご紹介します!│御パンダと合理天狗の雑記

アイヌ の 人々 から 土地 を 奪っ た の は

アイヌ独立国家などというものは存在しない。 過去から現代までを通してアイヌは一度も国家を形成していない。 それは日本に限らず、ロシアの領土でも同じです。 アイヌ領土というものも存在しない。 アイヌは過去から現代までを通して一度も領域を支配したことがない。 アイヌに限らず狩猟・漁労・採集民族は領土を必要としないのです。 世界の歴史において領土を持ったのは農耕民族だけです。 またアイヌは外国人ではありません。 和人と文化・言語・風俗が異なるが江戸時代から日本人です。 江戸時代から共同でロシア人からの侵略に対抗しています。 また同化もしていません。 さらに明治政府は、北海道を武力制圧などしていない。 明治政府は、北海道の開拓を進め和人の入植を推奨しただけです。 明治維新の時点で500人住めるはずの北海道というマンションに一人しか住んでいなかったのです。 その人は先に住んでいたかもしれないがマンションの主でもなんでもない。 寒すぎて誰も住んでいなかったマンションに本州から引っ越した人がいただけの話です。 空き部屋ばかりなのだから全く問題ない。 何が武力制圧なものか。 今度このマンションに住むことになりました。 よろしくお願いしますというだけです。 ただ、まったく問題がなかったかといえば、それはそうでもない。 圧倒的大多数になった和人の新住民がマンション自治会を乗っ取ってしまって、アイヌに和人の文化・言語・風俗を押し付けてしまったことは否定できない事実である。 アイヌになんらかの不利益が無かったとまではいえないのである。 元々蝦夷地にはアイヌが住んでいましたが、アイヌの考えでは土地は誰の物でもありません。 アイヌモシリはアイヌ(人の意)と熊、鹿、鮭、その他の全ての生き物の物であり誰かの所有物ではないという考えです。 だから、国家という形成は持っていませんでした。 そこに江戸時代末期に和人がやってきて土地を占拠した訳です。 和人が、どんどん入植してきて、勝手に土地を個人叉は国家や行政の物としていった結果、土地を持たない(個人や国家として所有しない)アイヌは押しやられていったという感じです。 アイヌも何度か和人と勇敢に闘いました。 そうやってアイヌから抵抗する気力も奪っていったのです。 後はアイヌに和人の名前を名乗らせ、アイヌの風習を禁止し、アイヌという民俗を無かったものとして扱いました。 「北海道」の名の起こりは幕末の探検家「松浦武四郎」の 「北加伊道」とか聞いています。 「加伊」とは何ぞ!? 「蝦夷」をその昔は「カイ」と読みました。 「カイ」の島です。 まさに「エビ」ですよ。 「容貌魁夷? 魁偉?怪異? 」、髭面でした ものね。 大昔から、流刑者の「渡り島」でありました。 だから「渡島半島」! 明治政府のはるか昔から、蝦夷ケ島、千島を外国だとの認識は 無かったと思う。 北方領土を窺う「外国人」はいました。 ロシア人 です。 「樺太(サハレン)」旅行記をロシアの作家「チェホフ」が書いて 居ることはご存知でしょうか。 そこは、ロシアは流刑地と見なして居た のですね。 しかし、徳川幕府は、アイヌを含め、わが国の土地と 見做して、多くの探検隊(間宮林蔵、松田伝十郎 etc)を送り込んで 居ます。 彼らが、間宮の名前の付く浅い海峡を越えて、遡行した 黒竜江の上流「デレン」には、すでに当時の清国 China の役所があって、 対ロシアの警備陣を敷いていました。 そこまで、間宮林蔵らは行って来て います。 危なく殺されそうな情報を察知して、ほうぼうの体で逃げ帰りました (言葉も判ったのだね! ポケッとしていたらアウツだものね! これが後に、 源義経のモンゴル渡り伝説の裏づけになったとか? フランツ・シーボルトの!)。 また、幕府は函館奉行「小出大和守」をはるばる、サンクト・ペテルブルグ まで派遣して、樺太の帰属問題で外交談判しています。 明治政府が、北海道に屯田兵を投入したのは、幕府の置いた守備兵 に替わるもので、第一義は、ひとへに、国防問題でした。 その為に「万国公法(国際法)」に詳しい、五稜郭戦争の幕臣「榎本武揚」 の命を救い(新撰組の土方歳三は戦死)、対露外交交渉に当てたのが、 初代開拓使長官・黒田清隆でした。 実は、そのはるか以前から、現在大問題の北方四島付近にも、「南部藩兵」 が守備兵として投入されていました。 あちこちに「南部陣屋」あとが残って います。 今回の選挙で勝った鳩山さんの選挙区にも、ちゃんと、残っている のですよ! 面白い話題が沢山あります。 (純真無垢のアイヌさんの手で何とかなる如き 国際事情には、すでに大昔から、無かったのですね。 ) これらを、お読みの上、再質問されると有効だろうと愚考致します。 宜しく! >明治政府は、アイヌ領土の北海道を武力制圧したのですか? それは否定できないでしょう、「武力制圧」だったということは。 ただもちろん、「アイヌの領土」というのが、近代国際法に照らした上での話ではないのも事実です。 >アイヌは外国人なのに、日本人に同化されたんですか? ですからアイヌを「外国人」というように表現するのはちょっとおかしいわけです。 「外国人」という表現は、そこに「近代国家」がなければ定義しきれないもので、この場合、英国からのアメリカ植民者といわゆる先住民の関係の方をイメージした方がいいでしょう。 >江戸時代までは、アイヌ独立国家だったんですよね??????? それは全く違います。 この点、これはこれで微妙ですが一応「国家」としての外交関係を形式的にもせよ保っていた琉球とは事情が異なります。 政治的・法律的なこととは別に、倫理的な側面では、江戸幕府も明治政府も、アイヌ民族に対しては言語道断なことを繰り返しています。 「制圧」なんて表現はなまぬるいとすら私個人は思いますね。 確か新谷行の『アイヌ民族抵抗史』 三一新書 という本がかなり良かったように記憶しています。

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