アリアドネー。 アリアドネー (ありあどねー)とは【ピクシブ百科事典】

スカンディック アリアドネー. ストックホルム, スウェーデン

アリアドネー

「悲しみのアリアドネー」とタイトルをつけたのは、ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』からです。 ストーンズの曲の中では一番好きなバラード曲です。 アンジェリカ・カウフマンの絵画〈悲嘆にくれるアリアドネー〉は、『悲しみのアンジー』のジャケットにしてもいいとは思いませんか! アンジェリカ・カウフマン〈悲嘆にくれるアリアドネー〉 悲しみのアリアドネー 夢枕に立った女神アテーナは、テーセウスにこう言いました。 「アリアドネーを連れて帰ると不幸になります。 眠っている間に船出しなさい」 また、パノペウスの娘アイグレへの狂おしい恋から、アリアドネーを捨てたとも言われています。 テーセウスに取り残されたアリアドネー。 彼女は、クレータ島のミーノース王の娘です。 テーセウス様 将来を誓いあったのに、なぜ? あのダイダロスに頼んで ミノタウロスを倒しからラビリンスの脱出方法まで 教えてあげたのに...... しかし、女神アフロディーテは、失った人間の恋人の代わりに、天上の恋人(神)を授けようとしていました。 ジョヴァンニ・バッティスタ・ ピットーニ〈バッカスとアリアドネー〉ワルシャワ国立美術館 捨てる神あれば、拾う神あり 文字通り、拾う神それも若い神がいたのです。 そこは、ナクソス島、ディオニュソス(バッカス)の島です。 いつものように島を散歩している彼の目に、悲嘆にくれたアリアドネーの姿が見えました。 まだ、恋愛に疎かった若いディオニュソスには、もう女神のような美しさでした。 「ぼくの恋人になってよ! ぼくはこう見えてもゼウスの息子なんだ。 決して怪しい神ではないよ」 「まぁ、初々しくて可愛らしい神様だこと。 とても、チャーミングだわ」 一目惚れしやすいアリアドネー。 もう、テーセウスに一目惚れしたこともすっかり忘れています。 ディオニュソスはアリアドネーを妻にし、結婚の贈り物に宝石をちりばめた黄金の冠を授けました。 彼女が死んだ時、ディオニュソスはその黄金の冠を天に投げあげました。 天に近づくほど、その輝きは増して星座「かんむり座」になりました。 また、ナクソス島に取り残されたアリアドネーはテーセウスの子を妊娠しており、出産の時に死んだとも言われています。 別説では、ディオニュソスの父ゼウスがアリアドネーを不老不死にしたとの説もあります(ヘシオドス『神統記』)。 かんむり座 かんむり座といいます。 あまり名を聞いたことない星座ですね。 ラテン語での星座名【Corona Borealis】は 「北の冠」という意味で、南のかんむり座と対になっています。 日本でも1922年までは「北冠座」とされていましたが、1922年末から1923年にかけて「冠座」に変更されました。 ただし、東亜天文学会系の研究者はそれ以降も「北冠」の名称を継続して使用しており、1957年から1960年にかけて学術用語として「かんむり座」と正式に定められました。 日本ではその形から、「車星(くるまぼし)」「太鼓星(たいこぼし)」「首飾り星」「馬のわらじ」など多数の呼び名があったそうです。 またこれを「かまど」に見立てて「鬼のおかま」「地獄のかまど」「竈星(くどぼし)」「荒神星(こうじんぼし)」「へっついぼし」などとする呼び名が全国各地で使われていたそうです。 プトレマイオスの48星座のひとつにもなっていて、元は花輪がイメージされていたようですが、後になって冠が描かれるようになったようです。 小さな星座ですが、意外に目につく星座なので、日本でも太鼓星や首飾り星などと呼ばれることがあります。 imagestyle. shtml.

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アリアドネー

概説 クレータ王ミーノースは、息子がで殺されたため、を攻めた。 こうしてアテーナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をの生贄としてクレータに差し出すことになっていた。 テーセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレータにやって来た。 迷宮とアリアドネーの糸 アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。 テーセウスはこれに同意した。 アリアドネーは工人の助言を受けて、(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。 テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。 糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。 アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した。 クレータよりの脱出後 ディオニューソスとを持つアリアドネー クレータより脱出後、は、二人は子供もつれてへと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。 プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島でが彼女に恋し、奪ってへと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。 この交わりによって、、、、が生まれたとされる (オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる )。 しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。 或いはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる。 また、の『』においては(巻11、324-5)、一行がに至ったとき、ディオニューソスの了承のもと、アリアドネーはに射られて死んだとされる。 はこちらが本来の神話であったろうとしている。 大女神としてのアリアドネー アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。 5世紀の辞典編纂者の記録に従えば、クレータでは、 アリアグネーと彼女は呼ばれていた。 この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神はの多くの島で知られている。 またディオニューソスの妃として結婚の祝祭が行われていた。 では、(「天のアプロディーテー」の意、より生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた。 美術用の石膏像 右端が通称「アリアス」• アリアドネーのフランス語読みはアリアーヌ、イタリア語はアリアンナで、次のような作品などが知られる。 の『』(マドリガーレ集 第6巻、もとはオペラ『 ()』のアリア)• のオペラ『ナクソスのアリアンナ』(1733年12月、ヘンデルに対抗する貴族オペラの最初の出し物としてロンドンで初演)• のオペラ『クレタのアリアンナ』(1734年1月初演)• のメロドラマ『ナクソス島のアリアドネー 』(1775年)• のカンタータ『ナクソスのアリアンナ』(1789年)• のオペラ『』• のバレエ音楽『』• ・所蔵の「アリアドネー」(作者不詳)は通称「アリアス」と呼ばれ、美術におけるに使用される石膏像に取り上げられており、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれている。 バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。 による『』 ギャラリー.

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これはひどい!ギリシア神話の報われないヒロイン・アリアドネ

アリアドネー

舞台パフォーマンスで知られた人物 エマ・ハミルトンはイギリス生まれの絵画モデル、舞踏家。 この作品で、彼女はギリシャ神話の女神アリアドネーに扮している。 この官能的な肖像画は、エマの夫ウィリアム・ハミルトンからの依頼で製作されたもので、後に愛人のホレーショ・ネルソンが買い取った。 背景の海に浮かぶ船は、愛人のネルソン提督を暗示しているのではないかという見方もある。 エマは鍛冶屋の娘として生まれたが、その美貌を生かしてのし上がり、最終的には外交官の夫を得て、当時最も有名だった人物の1人であるホレーショ・ネルソン提督の愛人となった。 エマを特に有名にしたのは、ナポリ滞在中に自らが考案した「アティテュード」というパフォーマンスである。 ポージング、舞踏、演劇を組み合わせたもので、古典美術や古典文学をモチーフにしていた。 彼女の舞台は人気となり、ドイツの文豪ゲーテもナポリを訪れた際に鑑賞したという。 ナポリ滞在中の作品 作者のヴィジェ=ルブランは、マリー・アントワネットの肖像画家として活躍し、18世紀で最も成功した女性画家の1人。 フランス革命によってフランス出国を余儀なくされたヴィジェ=ルブランは、娘とともにイタリアへ亡命した。 エマ・ハミルトンとはナポリ滞在中に出会っている。 エマはヴィジェ=ルブランがモデルとする以前からすでに、肖像画家ジョージ・ロムニーのミューズとなっていた。 ロムニーはエマの肖像画を60点以上描いている。 一方、ヴィジェ=ルブランは、社交界を生き抜く彼女のしたたかさを称賛しつつも、知性のなさを陰で嘲笑していたようである。

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