よう実 漫画バンク。 呪術廻戦11巻(最新刊)を無料で読む方法【zip/rar/漫画バンク】

鬼燈の島1巻はzipやrar、漫画バンクで無料で読めるの?

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Contents• BOOK・OFFにあったら買う〜。 三部けいさんの作品おもしろい。 もちろん、私も恥ずかしながら「無料で利用できるもの」ならどんどん活用していくような人間です…! そこで、「漫画を読む」そういった際も、「 無料で読みたい漫画を全ページ読破したい」それが我々の願いであり実現したいことですよね。 それらは「 漫画村」や「 星のロミ」などなど…。 …しかし、、、、 今現在では、「漫画村」や「星のロミ」、もしくはそれに類似した違法サイトというのは、 一つ残らず閉鎖してしまい残っていないというのが現状でもあります。 そこで今回は、令和現在も 「zipやrar、漫画バンクで鬼燈の島1巻などの漫画を完全無料で読むことができるのか」 について、徹底的に調査してみたいと思います! 『鬼燈の島1巻』はzipで配信されてるの? まず、「zip」とは一体なんなのかいいますと、『 漫画のページ画像を圧縮してまとめたファイル』です。 …一言で言ってしまえば「 漫画を無料で読むことができる便利なヤツ」ですね…(笑) 実際に、これまで多くの人々が「zip」を利用し、読みたい漫画を好き放題に読み漁っていました。 正直、知らなかった方からすれば、 「 えっ、そんな裏技があったの…!?」 という感じですよね。 しかし、本当にそんな裏技的な手法も知らないところで存在していたのです。 では、『鬼燈の島1巻』も「zip」を利用すれば、「 今すぐ無料で読むことができるのか? 」、といいますと、、、、 、、、 、、、、、、、、、、、、 実はできないんですね…。 もちろんその理由もありまして、どうやら令和現在の最新の状況ですと、 漫画データをまとめた「zip」ファイルの排除の傾向が非常に高まってきておりまして、 もうほとんどの作品が、「zip」で読めなくなってしまっているみたいなのです。 といいますか、 そもそもの『鬼燈の島1巻』の「zipファイル」自体が探しても存在していないような状態ですね。 またさらに…、、、! 根本的な問題としまして、「zip」というのは圧縮されているファイルのため、 解凍しなくては読むことができないのです。 では、多くの方が現在使用されているスマホに「漫画zip」用の解凍ソフトが入っているのかどうかなのですが、、、、 それが残念ながら入っていないみたいなんですね。 ですので、万が一『鬼燈の島1巻』の「zip」が今後でてきたとしても、解凍することができないため結局読むことができず、さらにいろいろ面倒な手間も増えるため、そう簡単に辿り着けることができないのです。 といいますか、 もはやもう「zip」で漫画を読むことは諦めた方がいいと思ったいただいた方がいいでしょう。 つまり一言で言ってしまえば、 「zip」の時代は令和現在すでに終わってしまっている、 ということなんですね…。 ではそこで、もう一方の「 rar」や「 漫画バンク」には配信されているのかについて調査結果をご説明させていただきたいと思います。 『鬼燈の島1巻』はrarや漫画バンクで配信されてるの? それでは、「zip」と同じような方法で漫画を無料で読むことができる「rar」や「漫画バンク」には、 『鬼燈の島1巻』が配信されているのかですが…、 、、、、、 、、、、、、、、、、、 実はこちらも、残念ながら「rar」と「漫画バンク」どちらにも配信されていないみたいでした。 といいますのも、「zip」と「rar」や「漫画バンク」というのは、構造上や漫画を読むまでの流れがほとんど同じになっていまして、 「 zipで漫画が読めない= rarや漫画バンクでも漫画が読めない」 ということになってしまうのです。 しかし、それでは結局、最後の希望であった「zip」と「rar」、そして「漫画バンク」がダメになった今の時代、 『鬼燈の島1巻』を完全無料で読破できるサイト というのは存在しないのでしょうか…? そこで今回、私自身がネット上を1週間かけてリサーチや検証を行なった結果、 『鬼燈の島1巻』を完全無料で読むことができたサイト が、ただ一つだけあったのです…! それでは続いて、そちらの サイトの正体について詳しくお伝えさせていただきますね! 『鬼燈の島1巻』をzipやrar、漫画バンク以外で読む方法とは…!? 『鬼燈の島1巻』を「 今すぐ」「 全ページ」「 完全無料」で読むことができましたら、最高ですよね…! ただ、そんな方法が本当にあるのか、それが一番気になるであろう問題だと思います。 それでは、一体なぜ、『U-NEXT』で『鬼燈の島1巻』を完全無料で読むことができるのか、その 理由について手短にお話させていただきますね! 【令和最強】鬼燈の島1巻を完全無料で読破できる理由 まずですが、『U-NEXT』のサービス内容について簡単にご説明させていただきますと、 国内最大級の動画・電子書籍配信サービスであり、 そして、 アニメや 映画、 ドラマの新作・旧作合わせて、 14万作品。 さらに、今回のメインである、 電子書籍が 計33万冊という超膨大な作品が配信されているという、 超ビックサービスなんですね…! …しかし、これだけお聞きしますと、 「 それだけ配信されているサービスなら有料なんじゃ…? 」 と、疑問に思われますよね。 …これは公式サイトも明言していることなのですが、 意外と知らない人が多いのが現状ではあります。 方法は非常にシンプルなのですが、もうこれらを利用するだけで、 『鬼燈の島1巻』を全ページ完全無料で読むことができるんですね。 どれだけ漫画を読もうが、どれだけアニメや映画、ドラマを観ようが、31日間だけは、 一切料金が発生しないんです。 ……かなり衝撃的ですよね….。 (笑) しかもよく、「 初月は無料だけど、その代わり次月からは料金ちゃんと支払ってね」 というサービスが多いのですが、『U-NEXT』は違いました。 「 初月は無料で、期間内に解約すれば、次月の料金は支払わなくていいですよ」 ………マ、マジですか.. しかし実はそうなんです、『U-NEXT』は、これまでの常識を覆した 「 期間内に解約すれば完全無料制度」 というのを取り入れているんです。 もちろん、そのサービスの充実性・満足度から、 次月からもお金を支払ってでも継続して楽しみたい、という人がたくさんいらっしゃるので、このようなサービスが成り立っているという部分もありますが^^ 実際に、無料期間で試していただければよく分かりますが、サービス内容は本当に これまでの常識が覆りますよ…。 「 漫画喫茶を1ヶ月間無料で利用し放題」 それと大体同じようなイメージですからね…^^; そしてそんな中、『鬼燈の島1巻』を読むことだけを楽しみたい場合は、 『鬼燈の島1巻』を読み終わった初月で解約してしまっても問題はないです。 ちなみに解約の方法も「電話」や「面倒くさい手続き」をする必要は一切なく、 サービス内の項目から、ちょろちょろっと30秒くらいの入力をするだけ で、簡単にできてしまいます。 しかし、 登録時にもらえる600円分のポイントを使用することによって、その 有料作品たちも問題楽しむことができるというわけです。 ですので、 『鬼燈の島1巻』は有料・無料関係なく、この600円分のポイントがある限り、完全無料で読むことができる、 ということですね。

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机に落書きイジメかと思いきや「シュールで好き」…ギャップが魅力なオカルトギャグ漫画に反響(2020年7月17日)|BIGLOBEニュース

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【1】ノーマライゼーションの生みの親「バンク・ミケルセン」とは?• 【2】ノーマライゼーションは本当は必要ない考え方?• 【3】ノーマライゼーションの始まり• 【4】たゆまぬ努力でバンク・ミケルセンは「ノーマライゼーションの父」となった• 【5】バンク・ミケルセンはナチスの強制収容所で収容されていた• 【6】障害者は特別ではない!バンク・ミケルセンの2つの主張• 【7】まとめ ノーマライゼーションの生みの親「バンク・ミケルセン」とは? バンク・ミケルセンはデンマークの社会運動家で、 ノーマライゼーションを提唱し、社会省の行政官として知的障害者の福祉向上に尽力した人物です。 「ノーマライゼーション」は弱者を社会的に保護する仕組みのことで、 障害者が一般市民と同じように普通の生活を送り、同様の権利が保障されるように環境整備を目指す理念です。 ノーマライゼーションは本当は必要ない考え方? 「ノーマライゼーション」は一見素晴らしい理念に聞こえますが、逆にいえば、本来はこのような思想は生まれる必要はないという声もあります。 というのは、「障害者が一般市民と同じように普通の生活を送り、同様の権利が保障されるように」ということは、現在は障害を持つ人は一般市民と同じような生活を送れていないことを露呈しているためです。 ノーマライゼーションの始まり ノーマライゼーションは1951年にデンマークで結成された 知的障害者の「親の会」が起源と言われています。 デンマークでの知的障害者の処遇は1855年に始められましたが、初期は 「隔離」や「保護」など、特別扱いの印象が強くありました。 1500以上のベッドがある巨大施設が建てられ、子供を含む、たくさんの知的障害者がその施設に詰め込んまれていました。 この扱いは 「非人間的処遇」とすら言われていました。 たゆまぬ努力でバンク・ミケルセンは「ノーマライゼーションの父」となった このような背景があり、2年後の1953年に「親の会」はデンマークの福祉サービス行政の中心である社会問題省に、様々な要求を盛り込んだ覚書を送ったのです。 この覚書に「ノーマライゼーション」の理念が書かれていました。 この「親の会」の要望を受けた社会問題省では、 「知的障害者に関する福祉政策委員会」が設置され、討議が重ねられました。 このときに「知的障害者に関する福祉政策委員会」の委員長を務め、社会問題省の官僚として「親の会」の切実なおもいを法律の中に反映させようと努力したのがバンク・ミケルセンです。 たゆまぬ努力を続けたことから、バンク・ミケルセンは 「ノーマライゼーションの父」と呼ばれるようになったのです。 バンク・ミケルセンはナチスの強制収容所で収容されていた 実は、バンク・ミケルセンが巨大施設で隔離された知的障害者に対して違和感を感じたのには、 ナチスの強制収容所に収容されていた経験が関係しています。 巨大施設から自由に外出できず、食べるのも寝るのも常に団体行動で制限された生活は、まさにナチスの強制収容所での生活を彷彿させるものだったのです。 障害者は特別ではない!バンク・ミケルセンの2つの主張 バンク・ミケルセンには2つの主張があります。 1、障害者は他の市民と平等の存在であること 2、障害者は他の市民と同じ一般法で援助されるべきであること バンク・ミケルセンは、障害を持つ人が「特別な存在」として扱われ、そのために「特別な制度や施設」を提供するから、隔離や保護の処遇を受けざるを得なくなることを指摘しました。 つまり、 障害者に対する「専用思想」から脱却することでノーマライゼーションは広がることを主張したのです。 障害を持つ人の「特別の専門的なサービスを受ける権利」を否定するのではなく、特別な配慮が必要なことは特別な施策や制度で障碍者を囲い込むことではないことをアピールし、 障害者は一般市民と同じ人間であると主張したのです。 まとめ 今回はノーマライゼーションの父「バンク・ミケルセン」についてご紹介しました。 ナチスの強制収容所に収容されていた経験を経て、今から約70年も前からこのような主張を展開していたバンク・ミケルセンに対する反対派からの風当たりは強かったことでしょう。 しかし、それに屈せずノーマライゼーションの必要性を訴え続けたからこそ、現代にも必要な考えとして世界に広まり続けているのでしょう。

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ノーマライゼーションの生みの親、”バンク・ミケルセン”

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雑誌『アニメージュ』(徳間書店)で長期連載されていた漫画『風の谷のナウシカ』。 アニメーション映画が繰り返しテレビで放送され、スタジオジブリの代表作の一つとして人気を獲得する一方、漫画版の『ナウシカ』も、全7巻で累計約1600万部を記録。 漫画史に残る傑作と評されています。 その赤坂さんと、『ナウシカ』のファンである作家の川上弘美さんが、「漫画版ナウシカ」をテーマに対談しました。 2人はこの物語を、どう読み解いたのでしょうか。 「エコロジーの戦士」として語られてきたナウシカ 赤坂憲雄(以下、赤坂) 『ナウシカ考』という本を出したのですが、(漫画版『風の谷のナウシカ』は)川上さんの『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)や『某』(幻冬舎)などの一連の作品と、遠いようで近い、近いようで遠い、交わる世界があると感じました。 そのつながりについては後ほど語らせてください。 『アニメージュ』という雑誌で連載されていた、漫画版の最終巻が出たのが1995年。 阪神・淡路大震災、オウム真理教の事件と重なる時期です。 そのときに、全巻通して読む機会があり、衝撃を受けたんですね。 84年に公開された映画では「エコロジーの戦士」と語られたナウシカですが、宮崎さんは漫画版で、そうしたナウシカ像をどんどん壊して、疾走していきます。 さまざまな問いが盛り込まれているこの作品を、どう解きほぐして、どう読めばいいか。 25年かかりましたが、手探りでようやくここにたどり着きました。 一度読んだだけでは分からない作品だなと、いま改めて思います。 川上弘美(以下、川上) 私も最初に読んだのが阪神(大震災)の1年後と、近い時期です。 きっかけは、子どもの通っていた幼稚園のママ友が貸してくれたから。 ママたちで全巻回覧していたんですよ。 おそるべきママたち(笑)。 赤坂 ママ友で回し読みしていたのですか。 感動的ですね。 川上 赤坂さんとお話しするにあたって、二十数年ぶりに読み返してみたら、当時とはまた違った印象を受けました。 でもふたたび没入しすぎて、夜通しで全巻読んでしまったくらい(笑)。 赤坂 この漫画は、とりわけ後半に「母と子」というテーマが広がっていきますよね。 最後は巨神兵とナウシカの不思議な関係が、暴走していく。 子育て中のお母さんは、どんな点に共鳴したのか気になります。 川上 当時の私は、ミラルパ皇弟を、母親のように、ナウシカが連れていくシーンがとても心に残りました。 幼い子がいる母親たちは、「無垢(むく)」にも「死」にも近いんです。 作中で登場する「虚無」や「無垢」という類いの言葉に鋭くなっていたから、みんなが惹(ひ)かれたというのもあるかもしれない。 社会のできごと、身体のできごとが作品に影響するか 赤坂 僕が論じてみたいと思ったきっかけとしては、ことに漫画版について、先行研究や専門書が少なかったから。 けれど、実際にやってみると「漫画について語る」とはどういうことなのか、まず分からないんですよ。 漫画を含めて、僕はそもそもあらゆる専門領域から外れた人間ですが、この作品を論じるための手がかりも見当たらなかった。 漫画を言語化するとはどういうことなのか。 やり始めてはつまずいて、しばらく置いて、また、ということを繰り返し、長い年月が経ってしまいました。 今年になって、追い詰められてやっと書いたのですけど、追い詰められないと、書けなかった。 かなり無理をして書いたので、第四章から終章にかけては、体の痛みと戦いながら、ようやく駆け抜けることができた感じですね。 川上さんは、身体や心の状況が、作品と連動することはありますか。 川上 そのときの状況が「そのまま直截(ちょくせつ)に作品に反映される」ということはありませんが、もちろん、人間は体と心が一緒なので、体が変わると書くものは変わります。 ナウシカ的にいえば、社会と自然、そして自分はつながっているので、そこが変化すると当然、変わってくるのだと思います。 赤坂 この作品は禁欲的なまでに、男と女が交わるとか、性そのものから距離を置いていると感じました。 性的なものを描いていない。 川上 それは当然だという気もします。 全巻を通してほぼ戦い続けていて、そうじゃない場面のほうが少ないですから。 人類が滅亡に直面し、個々人も戦乱のさなかにある。 それも、豊かな戦争ではなく、「貧しい戦争」というのでしょうか。 食べ物も少なく、技術もない。 性欲の入り込むすきが、そもそもないと思うんです。 第2次大戦中の強制収容所での経験を描いた、フランクルの『夜と霧』(みすず書房)にも、極限状況にある収容所で最初になくなるのは性欲だと書かれています。 私はむしろ、食欲と排泄(はいせつ)は描かないのかなあと思っていました。 赤坂 性的なものが、出てきてもいい描き方はされていると思うんです。 たとえば、反出生主義への対抗として読むこともできますが、作中では、トリウマという動物が、ナウシカを助けて死んでいく一方、つがいが卵を産んでいる場面がありますよね。 生命が受け継がれることを、「トリウマの産卵」というかたちで提示している。 宮崎さんの中には、どんな状況でも、命を生み出すことについての、絶対的な肯定があると思います。 川上 そうですね。 肯定、それも、モラルの観点からではなく、世界そのものを善悪と無関係に肯定する、という観点からなのだと思います。 ただ、アニメでは生殖に関しての言及はあえて避けているのではないでしょうか。 赤坂 アニメは避けますよね、子どもに性を持ち込む必要はまったくないと思います。 でも、ナウシカという少女に、そういったまなざしを向けていた大人もいる。 宮崎さんは、そういう目でナウシカが眺められることに対して、抵抗があったと思いますし、漫画では抑制していった面はあると思います。 川上 アニメーションは、長くても2時間内外。 その中で、ナウシカという人物のことを描ききることは、当然難しいことなのだと思います。 漫画の中では、抑制、というよりも、拡大そして重層化していって、ロリコン的視線をはねとばしていったように感じられました。 女性を主人公にする意味が、大きく変わった 川上 赤坂さんはD・H・ロレンスの言葉をひいて、作品は自分の手を離れると読者のものになり、そこでさまざまな解釈がなされると書かれています。 『ナウシカ考』が出たことで変わると思いますし、また違うものが出てくれば、『ナウシカ』への解釈もさらに広がっていくに違いありません。 読み込まれることによって、作品って、どんどん大きくなってゆく。 赤坂 漫画版の『ナウシカ』で、女性を主人公にする意味が、大きく変わったような気がするんです。 つまり、まだ1、2巻は少女戦士のイメージで、少女が世界を救うように、描かれるんですね。 でも、漫画を読み進めると、宮崎さんは「少女戦士」によって今までのヒロイン像をひっくり返そうとしたのではなく、まったく違う世界に行こうとしています。 1巻にありますが、風の谷の城の地下に、ナウシカはラボ、実験室を持っていて、そこでは少女戦士ではなく、観察や探求、知性にスポットが当たる。 ヒロイン像をそっちに持っていって、その後は戦う場面をあまり描いていませんね。 川上 私はアニメを見ていても、実は少女戦士という印象はなかったんです。 アニメでもラボの場面がありますが、そこが特に印象に残っていて。 最初に『ナウシカ』を見たとき、理科の教師をしていましたから、余計に(笑)。 赤坂さんが冒頭におっしゃっていましたが、「エコロジーの戦士」としてイメージされていた、というのは、どういうことだったんですか? 赤坂 映画が公開された当時は特に、ナウシカは環境破壊で追い詰められていく世界を、自己犠牲によって救済する、エコロジーの戦士として扱われていたと思いますね。 宮崎さんは、それにいら立っていたと、勝手に想像しています。 川上 世に流布している「エコロジー」という言葉と、科学的に言う「エコロジー」、すなわち生態学とは、少し乖離(かいり)があるんです。 「エコロジー」というと、環境保護のイメージですが、「生態系」というものは、生物と無生物全体をひっくるめた環境を理解するためのシステム解析の視点であって、そこに人間中心の正否の判断が持ち込まれることは、ない。 人間は今、とてつもない数がいて、地球上で一番の権利を持っていると思う人もいるかもしれないけれど、そうではなくて、人間やほかの動・植物、すべて含めて有機的に関係しあっているから、均衡を保っていられる。 それがどう崩れて、持ち直すか、どう変わるのか、を見ていくのが生態系の視点だと思うんです。 そのことが最初から最後まで、大きなテーマとして描かれていることを特に感じました。 愚かな人たちが作った自然も、あがめられるか 赤坂 川上さんの作品世界にもつながっていくと思うのですが、(『ナウシカ』には)キツネリスやトリウマが出てきますよね。 ある箇所で、「千年昔の世界には馬という動物がいて、哺乳類だったらしい」という記述が出てきます。 つまり、ナウシカ世界の動物は、かつての生態系の分類で、哺乳類と呼ばれていた動物ではないのです。 生命を操る技によって、変えられているということが明らかになりますが、なぜ異種交配の生き物しかいないのでしょうね。 実は人間の体も操作されて変えられているという事実も、やがて明らかになります。 生態系は、腐海だけでなく、人間も動物も植物も、すべてが変えられている。 野生と文化、自然と人間という、我々の世界ではかろうじてある境界そのものが、壊れてしまった世界を宮崎さんが描いているということに、途中まで気付かなかったんです。 それが大きな問いかけになると思ったのは、森の人について考えていたときですね。 彼らは腐海と共存し、それを聖なる世界だとあがめている。 けれど、その世界を作り出したのは千年前の「火の七日間」という戦争を引き起こした愚かな人類ですよね。 それでも、腐海を聖なる森としてあがめることができるのか。 彼らはすごく困るわけです。 『ナウシカ』が提示するのは、「すべてが変えられている」ところからしか、出発できないということ。 手付かずの自然をめでるのは楽なんです。 でも、愚かな人たちが作った自然であってもそれをめでて、聖なるものとあがめることができるのか、という深い問いが突きつけられていると感じました。 「普通」の生物たちはどこから来たのか 川上 そもそも私たちが「手付かずの自然」と呼ぶものも、たかだかこの数千年くらいの間の「自然」です。 『ナウシカ』は、そこを軽々と超えていった、まだ見ぬ明日の生態系を描いているわけで、このイマジネーションの広がりは、ほんとうにすごい。 私、『ナウシカ』の世界はどうなっているのかよく分からないんです。 地図はあるけれど、あれは地球の一部ですよね。 地球上全部が腐海? 赤坂 どうなっているんでしょうね。 川上 ほとんどが腐海だと仮定して、さらに図に描かれているのが地球のすべてだと仮定します。 海が機能していなくて、腐海以外の植生も動物の多様性も、どうやら貧弱。 つまり、地球上のほぼすべての生物は、昔の人間が作りかえたものであり、だからこそ多様性にとぼしいのでしょうか。 でも、最初は自然界に存在していた生物を用いて作りかえたのでしょうから、いくら操作されているとはいえ、自然に突然変異が起こるのを待たずに、早送りのようにして人為的に変異を起こしたと考えることもできるわけで、それも立派な生物だとすることもできるし、当の操作された生物自身にとっては、「お前たちは悪だ」と決めつけられたら、たまらない。 ナウシカでなくとも、私だってその立場になったら反抗しますよ(笑)。 そういえば、ナウシカは途中、腐海が地球をきれいにしきった、究極の場所に行きましたよね。 そこに生えていた「普通のもの」はどこから来たのか。 あれは、シュワの庭からは離れた場所らしかったのに。 赤坂 僕も気になってきたのですが、オアシスの村で鳥が飛び立つ場面がありました。 あるいは、シュワの庭にも鳥はいましたね。 この庭には、古い種が保存されているという設定ですけど、どうなんでしょうね。 一つの鍵は、ナウシカが腐海で採集してきた胞子を、実験室のきれいな水と土の中で育てると、普通の植物として花を咲かせているところです。 どうやら植物は腐海という環境に適応して、あのような姿になっているらしい。 川上 まだまだ秘密がありそうです。 赤坂 最初の問題提起に戻しますが、川上さんの世界は、漫画版『ナウシカ』とは遠くない気がしているんです。 川上 光栄(笑)。 赤坂 宮崎さんは生命を操る技術がもたらした世界、とりわけ社会のあり方や、権力関係に焦点を当てていると思います。 けれど、そこに生きている人たちの心の関係性といったものは、すくなくとも、その変容は描かれていない。 つまり、人間の身体も操作されて変わっているのであれば、外見は人間なんだけれど、我々とは違う精神のあり方を持っているはずだと思うんです。 でも、喜怒哀楽や嫉妬、欲望のかたちが我々の延長線上に、『ナウシカ』では置かれている。 川上さんの『大きな鳥にさらわれないよう』では、いわば生命を操る技術がもたらした未来の光景が鮮やかに描かれていました。 川上さんはそれを、社会的な変容や権力ではなく、変えられてしまった人間たちの心のなかをのぞき込んで、細密画のように描かれている。 それは、ナウシカ的世界と遠いのではなく、背中合わせなのかもしれない。 僕はそういう目で眺めてきました。 この物語では一つの声だけを聞くべきではない 赤坂 漫画と文字表現で、できることは違いますか。 川上 まず、アニメと漫画でも大きく違うと思います。 ジブリ作品は特に、自然や背景がとても美しくて、リアリティーがあります。 加えて、音楽がある、声がある。 すべてが合わさって、全体を表現しています。 漫画では、宮崎駿個人の表現したいことが、絵と文字で表されていて、立体的です。 でも文字だけでは立体性はなかなか出せないのです。 だから小説家は、「書かない」ことによって、空間を広げてゆこうとします。 それで興味深いと思ったのは、『ナウシカ考』にあった、ドストエフスキーのポリフォニー(多声音楽)の話。 単一の音しかないモノフォニーではなく、小説をいかにポリフォニックに響かせるかというのは、小説家が目指すところだと思いました。 一人称で書いたからといって、それがモノフォニーというわけでもない、そこも難しいところで。 いわゆる、神の視点で書いたからポリフォニックになるかといわれたら、そこも違う。 面白いなと思いました。 赤坂 宮崎さんには『シュナの旅』(徳間書店)という美しい絵物語がありますけれども、あれはまさに単声的で、絵を見ながら磨き抜かれた言葉を追っていくだけで、世界がくっきりと浮かび上がる。 そこにはノイズがないんです。 『シュナの旅』を読んでから漫画版ナウシカを読むと、多声的で、世界がさまざまな音や声で満たされている、開放的な印象に圧倒されますね。 川上 出てくる人の考えがおり重なって聞こえてきますよね。 赤坂 それで、漫画版『ナウシカ』を読むときには、一つの声だけを聞くべきではないと思うようになりました。 ナウシカの声が物語の中心にありますが、それがそのまま宮崎さんの声や考えではない。 ナウシカの声ですら、ほかの声によって常に相対化されている。 川上 ナウシカが絶対的な正義だと思われがちですが、そうではないんですよね。 私自身には、ケチャという少女の声がとてもよく響いてきました。 多様な声が重層的に出てくるところが、ものすごく面白かった。 赤坂 終章では、ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』(筑摩書房)に触れましたが、そこでのドストエフスキーを宮崎駿に置き換えても成り立つと思うところがたくさんあると感じています。 この多声的である、ポリフォニックであるということは、漫画という表現にとっては、未来に託されるべき可能性でしょうね。 漫画版では、黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではありませんね。 とりあえず、旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊しましたが、それをはたして全否定できるのか。 ナウシカの選択は、正しいのか。 漫画版は我々に、改めて問いの立て直しを求めています。 それをさらに考えていきたいと思います。 (文・構成=岡本尚之 写真=山田涼香 取材協力=岩波書店) 赤坂憲雄(あかさか・のりお) 1953年、東京都生まれ。 学習院大学教授。 専門は民俗学・日本文化論。 2007年、『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。 川上弘美(かわかみ・ひろみ) 1958年、東京都生まれ。 94年『神様』(中央公論社)で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞。 96年『蛇を踏む』(文藝春秋)で芥川賞、99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』(文藝春秋)で伊藤整文学賞、女流文学賞、01年『センセイの鞄』(平凡社)で谷崎潤一郎賞、07年『真鶴』(文藝春秋)で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『水声』(文藝春秋)で読売文学賞、16年『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)で泉鏡花文学賞を受賞。 ほか、『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮社)、『七夜物語』(朝日新聞出版)など、著書多数。

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