ドラゴン ボート レース。 ドラゴンボートレース

祭やイベント/sub/スタンレードラゴンボートレース (香港)

ドラゴン ボート レース

端午節とは旧暦5月5日の節句のことで、ちまきを食べたりドラゴンボートレースをするなどの行事がありますが、この日のいわれについては諸説あります。 もっともよく知られているものは、戦国時代(BC403~BC221)の楚の政治家でこの時代を代表する詩人でもある屈原をしのぶ日というものです。 屈原は愛国者でしたがその進言が国の上層部に聞き入れられることなく、彼は楚の将来に絶望して汨羅江(べきらこう)という湖南省の北部、長江支流の川に身を投げ自殺してしまいます。 民衆は彼を救おうと船を出し、遺体を魚から守ろうと米を投げ入れ、これらが後のドラゴンボートレースやちまきを食べる習俗になったと言われます。 もう一つの説は古代中国の長江中・下流の地域および南方では龍のトーテムを崇拝する民族がいて、彼らがそのトーテム(シンボル)を祭ったことに由来するというもの。 ドラゴンボートはまさに龍の船です。 また5月5日というのは、ちょうど暖かくなり疫病の流行りやすい時期であったため、古来悪月悪日であり不吉な月日だった、そこでこの日に「疫病」を追い払う行事を行うようになったというもの。 端午の節句では昔からヨモギや菖蒲などを門にさして邪気を払う習俗があるのですが、これなどはこのいわれに起源があるようにも思えます。 他にもまだいくつもの説がありますが、中国やそのほかの国の華人社会において「端午節とは屈原を悼む日」というのが一般的です。 上記したようないろいろなことに起源を持つ習俗、風俗が千年、二千年という時を経て今の行事につながっているのかもしれません。 ドラゴンボートとは長細い船で、船首に龍の頭の飾りがついているものです。 端午節には各地でドラゴンボートレースが行われています。 この太鼓手がたたく太鼓の音が船をこぐタイミングやスピードを決めるのです。 このレースは端午の節句の伝統行事以外に、正式なスポーツとしても行われています。 ちなみに長崎でも夏祭りの一つとして「ペーロン競漕」が行われますが、これは中国のドラゴンボートレースが伝わったものと言われます。 洞庭湖の君山(くんざん)という島にその祠廟があります。 また屈原が入水した汨羅江(べきらこう)はこの洞庭湖に注ぎます。 日本の端午節 戦前までは日本でも5月5日は「端午の節句」でした。 3月3日の「ひな祭り」に対し、こちらは男の子の節句です。 鯉のぼりや兜を飾り、甘い餡の入ったちまきや柏餅を食べ菖蒲のお風呂に入ります。 「端午の節句」は戦後1948年に「子供の日」になって男の子女の子ともに祝うことになりました。 「背比べ」という童謡をご存知ですか?戦前の端午の節句の様子を歌ったものです。 背比べ(海野厚作詞) 柱の傷は おととしの 五月五日の 背くらべ ちまきたべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ 昨日くらべりゃ 何(なん)のこと やっと羽織の 紐(ひも)のたけ ここにもちまきを食べている様子が出てきますね。 ちまきと菖蒲は中国から? 屈原を悼む日がなぜ日本では男の子の節句になったのでしょう?上記したように中国では五月や五日を「悪い月、悪い日」とし、病気予防のため邪を避けることのできる菖蒲やヨモギを門などにつるしたという習俗が記録に残っており、この習俗が日本に伝わり五月五日は今も菖蒲湯につかります。 この「菖蒲」と「尚武」(武を貴ぶ)がともに「しょうぶ」と読むところから男の子の節句になったと言われています。

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端午節 端午節は、春節、中秋節と並ぶ三大節句の一つ。 端午節とは、日本でいう端午の節句のことですが、台湾は日本とでは日にちも違えば、祝い方も違います。 まず台湾の端午節は旧暦の5月5日に祝います。 それが今年(2017年)は5月30日なんですね。 今年は5月27日が土曜日ということもあり、27日から30日までお休みする人がほとんどだと思います。 日にちの違いの他に、台湾では端午節にちまきを食べ、ドラゴンボートレースが台湾各地で行われます。 諸説あるみたいですけど、ドラゴンボートの起源は楚の政治家であり詩人であった 屈原(くつげん)という人が、敵対していた泰の謀略に気づき、何度も自国の王に欺かれないよう進言しましたが受け入れられず、さらに左遷されてしまい、自ら川に身を投げて亡くなったそうです。 その後 屈原を慕っていた人々が、屈原を魚からか守ろうと粽(ちまき)を水中に投げ込んだり、太鼓やドラを鳴らして探し回った。 という説が、一般的に受け入れられているみたいです。 細かいところで多少の違いはあるそうですが、相方も学校でそう教わったと言っていました。 今年愛河のドラゴンボートレースは、5月27日から30日まで開催しているようです。 わたしたちは歴史博物館の方に車をとめて、二・二八和平公園側から愛河に来ました。 どうやらドラゴンボートレースは、愛河の中正橋から高雄橋までの間(400メートル)で行なわれているようです。 レースは 愛之船があるアンバサダーホテル側と、反対側の 親水徒歩区側で見ることができるようなので、今回は歩いてきた歴史博物館側の親水徒歩区方面から見物することにしました。 親水徒歩区側は、ドラゴンボートレースに出場するチームのテントや、救護室、粽(ちまき)やドリンクを販売する店まで出ていました。 やはり端午節といえば粽(ちまき)ですね! わたしは喉がかわいていたので、紅藜愛玉(レモン)を買いました。 これがかなり酸っぱくてクセになります(笑) 特設会場までできていました。 ドラゴンボートレース 愛河に着いて1時間くらい過ぎた頃でしょうか。 いよいよお目当てのドラゴンボートレースが始まりました。 愛河に着いた時間が遅かったので、わたしたちが見たレースは2つだけです。 写真も何枚か撮りましたが、動画の方がまわりの雰囲気など伝わりやすいと思うので、下に貼っておきますね! あれ!?思ったよりずっと静かだ・・・ 想像してたより熱気を感じられなかったので、相方に「こんなものなの?」 と聞くと、相方は「まだ予選だからじゃないかな」と言っていました。 もっとわーきゃー言うと勝手に思っていたので、あっさりレースが終わったことに少し驚きました。 どうなんだろうと思って、他の人のYouTubeを見てみたら、やっぱり最終日の夜が一番盛り上がるみたいです。 夜だとボートもライトアップされてすごくキレイでした。 前に夜の愛河にきた事があるんですけど、愛河は夜もおすすめです。 まとめ 今回初めて間近で見たドラゴンボートレース。 たまたまわたし達が来た日だけかもしれませんが、人をかき分けなければ見られない混雑具合でもなかったので、レースもゆっくり見れてちょうど良かったと思います。 今年はわかりませんが、次見物する時は最終日の夜に来てみたいです。 今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。 謝謝讀到最後!!

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旧中川ボートフェスティバル2020 江戸川区ホームページ

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端午節とは旧暦5月5日の節句のことで、ちまきを食べたりドラゴンボートレースをするなどの行事がありますが、この日のいわれについては諸説あります。 もっともよく知られているものは、戦国時代(BC403~BC221)の楚の政治家でこの時代を代表する詩人でもある屈原をしのぶ日というものです。 屈原は愛国者でしたがその進言が国の上層部に聞き入れられることなく、彼は楚の将来に絶望して汨羅江(べきらこう)という湖南省の北部、長江支流の川に身を投げ自殺してしまいます。 民衆は彼を救おうと船を出し、遺体を魚から守ろうと米を投げ入れ、これらが後のドラゴンボートレースやちまきを食べる習俗になったと言われます。 もう一つの説は古代中国の長江中・下流の地域および南方では龍のトーテムを崇拝する民族がいて、彼らがそのトーテム(シンボル)を祭ったことに由来するというもの。 ドラゴンボートはまさに龍の船です。 また5月5日というのは、ちょうど暖かくなり疫病の流行りやすい時期であったため、古来悪月悪日であり不吉な月日だった、そこでこの日に「疫病」を追い払う行事を行うようになったというもの。 端午の節句では昔からヨモギや菖蒲などを門にさして邪気を払う習俗があるのですが、これなどはこのいわれに起源があるようにも思えます。 他にもまだいくつもの説がありますが、中国やそのほかの国の華人社会において「端午節とは屈原を悼む日」というのが一般的です。 上記したようないろいろなことに起源を持つ習俗、風俗が千年、二千年という時を経て今の行事につながっているのかもしれません。 ドラゴンボートとは長細い船で、船首に龍の頭の飾りがついているものです。 端午節には各地でドラゴンボートレースが行われています。 この太鼓手がたたく太鼓の音が船をこぐタイミングやスピードを決めるのです。 このレースは端午の節句の伝統行事以外に、正式なスポーツとしても行われています。 ちなみに長崎でも夏祭りの一つとして「ペーロン競漕」が行われますが、これは中国のドラゴンボートレースが伝わったものと言われます。 洞庭湖の君山(くんざん)という島にその祠廟があります。 また屈原が入水した汨羅江(べきらこう)はこの洞庭湖に注ぎます。 日本の端午節 戦前までは日本でも5月5日は「端午の節句」でした。 3月3日の「ひな祭り」に対し、こちらは男の子の節句です。 鯉のぼりや兜を飾り、甘い餡の入ったちまきや柏餅を食べ菖蒲のお風呂に入ります。 「端午の節句」は戦後1948年に「子供の日」になって男の子女の子ともに祝うことになりました。 「背比べ」という童謡をご存知ですか?戦前の端午の節句の様子を歌ったものです。 背比べ(海野厚作詞) 柱の傷は おととしの 五月五日の 背くらべ ちまきたべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ 昨日くらべりゃ 何(なん)のこと やっと羽織の 紐(ひも)のたけ ここにもちまきを食べている様子が出てきますね。 ちまきと菖蒲は中国から? 屈原を悼む日がなぜ日本では男の子の節句になったのでしょう?上記したように中国では五月や五日を「悪い月、悪い日」とし、病気予防のため邪を避けることのできる菖蒲やヨモギを門などにつるしたという習俗が記録に残っており、この習俗が日本に伝わり五月五日は今も菖蒲湯につかります。 この「菖蒲」と「尚武」(武を貴ぶ)がともに「しょうぶ」と読むところから男の子の節句になったと言われています。

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