浦和 高校 ラグビー 部。 ラグビーで文武両道は嘘?

坂下辰夫

浦和 高校 ラグビー 部

松本先輩、安藤先輩、 連絡をありがとうございました。 やはり、おばちゃんは亡くなられたんですね。。 仙龍も悲惨な状況だったんですね。。 恐らく、マスターのおじさんも亡くなられたんですよね。。 ニュースが間違っていることを、心の何処かで願っていました。。 実は火災のあった前日に、私は仙龍へ行く可能性がありました。。 何故行かなかったのか。。 無念です。。 88歳と知った時は、私も驚きました。 私の顔を覚えてくれて、いつでも笑顔で、安心出来る場所を与えてくれた、おばちゃんとマスターに感謝します。 あの世でゆっくり休んでくれることを願っています。 投稿者: 51期 安藤 投稿日:2020年 3月17日 火 00時45分13秒 16日、熊谷高校体育館にて第45回「日輪の下に」が開催されました。 6年前に熊高で開催したときは大雪の直後でしたが、この日もあいにく開場時刻前後から雨が降り出しました。 ただ気温は、例年最低気温が0度前後のところ、この日は最低気温6度ということで、厳しい寒さというほどではありませんでした。 開会式では恒例の六校団旗上げ、団旗礼が行なわれ、武内道郎・熊谷高校校長のご挨拶がありました。 浦高は、5番手の演技でした。 演技のプログラムは以下の通りでした。 演技中の団旗掲揚・団旗紹介もありませんでした。 舞台でサブなしの銀杏乱舞を行うのは初めてのことだと思います。 ちなみに開会式で団旗を揚げたときには、OBの三上君(79期)が学ランを着て組み立てを手伝って掲揚しました。 余興は松高の演技の前に、幹部が初心に帰って行いました。 開演後の冒頭で司会が「今年は寂しいことに一年団員が不在。 中学生の男子諸君。 どうかこの、浦和高校応援団に入団して頂けないでしょうか」と言ったところ、即座に会場から割れんばかりの拍手が起き、みんなに心配してもらっているんだと、胸が熱くなりました。 演技では昨年の日輪で初登場だった第四応援歌を、一部リニューアルしてあらためてお披露目いたしました。 マーチでは、2年前の「銀杏樹の下に」で採用したサンバ・デ・ジャネイロが久しぶりに登場しました。 野球部による寸劇では、通常ではピッチャーが投げる真似をした球をバッターが打つ真似をして、そこからファンファーレで盛り上がるという流れなのですが、昨年の銀杏樹のときにはピッチャーが投げた球をバッターが打つ前に1球見送るという凝った演出があり笑いを誘いました。 そして今回、なんと今度は打つ前に2球見送るという予想の斜め上を行く演出があり、「まだ打たねえのかよ!」と観客の苦笑を誘っていました。 吹奏楽部紹介では、「ルパン三世のテーマ'80(ジャズバージョン)」が演奏されましたが、鉄琴がソロで最前列に出て、見事な演奏を披露してくれました。 全体的に大変良い演技発表だったと思います。 今の幹部は三人が全員とも型がうまく、キレキレの演技で素晴らしかったです。 「日輪」全体の話題としては、毎年拡張し続けている販売グッズに今年も「日輪タオル」(1250円)、「日輪の下にロックグラス(タンブラー、箱入り)」(1500円)という新商品が加わりました。 これまでタオルがなかったのは意外でした。 ロックグラスは、外から見た応援団ファンのイメージなのでしょうか。 グッズの売り上げは、協力金として連盟各校に渡されています。 毎年話題になる不動岡高校の女子リーダーは、現在、幹部3人は全員男子、一年生3人は、逆に全員女子という状況です。 女子リーダーの系譜が途切れなかったのは何よりだと思います。 それから今年は不動岡高校のチアダンスチーム「DROPS」が日輪に初参加し、野球応援メドレーと校歌の演技に登場しました。 チアは、六大学のようにメインとサブの間に入るのではなく、サブと同じかサブよりもやや後ろの位置に立って踊っていました。 パンフレットの写真を見るとチアは総勢20人ぐらいいるようですが、大勢でステージに上がるのではなく、1回につき3~4人が交代で登場していました。 初参加のせいか、全体的に控え目な感じで過剰に目立たぬように加わっているという印象でした。 ただ注目度はやはり高かったようで、日輪では例年、1校目の演技のときは空席が目立つのがあたりまえだったのですが、今年は一番手の不動岡のときから、客席が後ろのほうまで埋まっていました。 その他には、毎年演技のプログラムで拍手をやる学校が減っていく傾向にあったのですが、今年はついに六校で拍手をやったのは浦高だけでした。 それから開催校の熊高のときは、在校生が体育館の横の壁沿いに50人ぐらいが集まって、会場を盛り上げていました。 開催校の在校生があんなにたくさん来たのはこの10年で初めてだったと思います。 熊高応援団の学校内での存在感を感じました。 それから余談としては、熊高の学食の「ラーメン・うどん・そばは、補助券(50円)2枚で替え玉ができます」というシステムに感動しました。 OBは、以下の13人の方がいらっしゃいました。 池上(15期)、長島(35期)、小林(36期)、篠田会長(40期)、坂東・西嶋(42期)、大矢(52期)、松本(53期)、戸ケ崎(62期)、田口・近藤・大久保(77期)、三上(79期)[敬称略] ご来場有難うございました。 来年の開催校は順番なら浦高だったのですが、来年開催を段取りする今の一年生団員が浦高は不在ということで、例外的に来年は川越高校に開催を引き受けてもらいました。 川越高校関係者の皆様には感謝いたします。 以上、ご報告いたします。 投稿者: 15期 川端 弘行 投稿日:2020年 2月16日 日 22時37分0秒 埼玉県六校応援団連盟合同演技披露会「日輪の下に」のご案内をいたします。 ・体育館で使用するスリッパの数に限りがある為、ご持参の程を宜しくお願いします。 ・11時~15時に、学食が営業致します。 ・不動岡高校は、今年から共に応援活動を行っているチアダンスチーム「DROPS」の女子部員も舞台に上がります。 チアは「野球応援メドレー」及び「校歌」に登場しますが、動画と写真の撮影は、不動岡高校より直接許可証をもらった者以外は禁止となっておりますのでご理解ください。 投稿者: 53期松本 投稿日:2020年 2月 8日 土 12時00分12秒.

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☆埼玉県最古の高校ラグビー部~県立浦和高校~| 松本 深誌’のブログ

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ついに、その瞬間がやってきた! 2019年12月27日に開幕した第99回全国高等学校ラグビーフットボール大会。 開会式が行なわれたばかりの東大阪市花園ラグビー場の第1グラウンドで、埼玉県立浦和高校(通称・浦高)が、花園での初勝利を挙げた。 相手は、2年連続3回目の出場で、前回はベスト16に入った岡山代表の玉島高校。 その玉島高校のキックオフで開始された試合、風上に立ち、前半から主導権を握りたいと考えていた浦高は、得意なフォワードからのアタックだけでなく、バックスのパスまわしを織り込んだプレーで、敵陣深くに切れ込んでいく。 これに対し、玉島高校のディフェンスが浦高の反則を誘い、あと一歩でトライというところでチャンスの芽が潰され、逆に一瞬の隙を突いて、玉島高校がゴールラインへと迫ってくる。 そんな一進一退の戦いの中、0対0で前半の30分間が終了。 後半に入る直前、浦高ラグビー部の三宅邦隆監督は、今度は自分たちが風下で不利になることを見越して、「腹をくくって、思い切りやろうよ!」と選手たちを鼓舞し、グラウンドに送り出す。 後半も両校の攻守が激しく入れ替わる展開。 見れば見るほど、浦高と玉島高校の、徹底的に鍛えられたディフェンスの堅守から攻撃の糸口を見つけ出していこうとするプレースタイルは瓜二つ。 どちらの高校が流れを引き寄せることができるのか、まったくわからない。 すると後半の15分、浦高にチャンスが訪れた。 ゴール前5メートル地点で、フォワード陣が中心になり得意のモールをつくり、両校の選手たちが入り乱れる中、ナンバー8の松永拓実キャプテン(3年)が、自ら倒れ込み、トライを決めた。 この直後のコンバージョンはポールに嫌われ失敗したものの、浦高がようやく手にした主導権を手放すことはなかった。 5対0で、勝利の女神は最終的に浦高に微笑んでくれたのだ。 浦高が得意とするモールから、ナンバー8の松永キャプテンがトライを決めた * * * ノーサイドの笛が第1グラウンドに鳴り響くと、スタンドの一角を埋め尽くした浦高の大応援団は歓喜の渦に包まれた。 浦和高校は、東大合格者数でみると全国の公立高校では第2位(2019年は41名)という超進学校だ。 生徒たちは全員がハイレベルの難関入試を突破して入学しており、当然ながらスポーツ推薦などの優遇制度はない。 それだけに、ラグビー部の花園での1勝には大きな価値がある。 花園に詰めかけた浦高の大応援団。 各界で多くのOBが活躍している 思えば、この初勝利までは、3度の出場を経なければならなかった。 1度目の出場は第39回大会(西宮球技場で開催)。 当時は埼玉県予選で優勝しても、それがイコール全校大会出場とはならなかった時代。 浦高は埼玉県代表として北関東地区予選に出場し、決勝で新潟商業を破ってようやく全国大会にコマを進めた。 しかしながら、1960年の元旦に行なわれた1回戦で、浦高はこの大会でベスト4に入った大阪代表の四條畷高校に3対11で敗れてしまう。 2度目は2013年の第93回大会。 埼玉県予選の決勝で頸椎を損傷する大ケガを負ってしまったチームメイトのために、花園での初勝利を持ち帰ろうと臨んだ1回戦。 だが、ラグビーに力を入れ、全国大会の常連校の仲間入りを果たそうとしていた滋賀県の光泉高校に跳ね返され、12対22のスコアでまたもや初勝利を逃してしまった。 そして、3度目となる第99回大会。 浦高に3度目の正直がもたらされた。 それは浦高が初めて全国大会を決めた昭和、2度目の平成、今回の令和という3つの時代をまたいだ、花園での初勝利だったのである。 * * * 「浦高はフォワードで点を取りにいかないと始まらないですから。 それと、今回はボールに向かっていくのではなく、自分たちの穴を埋めて戦うことも意識しました」 「勝った瞬間は、とてもうれしい気持ちでいっぱいになりました。 今までのラグビー部OBのみなさんたちが積み重ねた上に、新たな1ページを開くことができました」 今回の花園での初勝利について、そう語ってくれた松永キャプテン。 しかし、キャプテンとして、勝利の余韻だけに浸ってばかりはいられない。 三宅監督は、次の2回戦で当たる青森山田高校について、初出場だが、けっして侮ることはできないチームと分析する。 「青森山田には、トンガからの留学生が2人と、日本人にも速い選手がいるんで、彼らをどうやって止めていけるかがカギになる。 でも、お互いにこれまで試合もしたことがないチーム同士なので、ウチとしては、また、腹をくくって思い切りやるだけなんですけどね」 松永キャプテンも、「低いタックルで、(自分たちは)体は大きくはないけれど、相手にプレッシャーをかけていくような、泥臭い、浦高らしいプレーで向かっていきたい」と、青森山田戦に向けての意気込みを語ってくれた。 三宅監督は、玉島高校戦の試合中に生徒たちの成長を実感できたという。 「玉島戦の前半が終わった後、僕が指示を出さなくても、『モールが真っ直ぐにいき過ぎた』『少しずつ、ずれていこう』とか、彼らだけでハーフタイムに話をして、それが後半、修正され、後半でのモールからのトライにつながっていったんですよ。 彼らの成長はヤバいですよ。 僕も負けないように成長していかないと!」 今回の花園での初勝利で、大会間に目指していた「一流の文武両道」を証明したみせた浦高ラグビー部。 12月30日の15時15分から、第3グラウンドになっている東大阪市花園中央公園多目的球技広場での青森山田高校との2回戦。 センター試験より前に、彼らにはまだまだ負けられない戦いが待っている。 悲願の花園初勝利を喜ぶ浦和部 外部サイト.

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東京大学ラグビー部

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文武両道で戦う世界の美女アスリートたち 2020年5月7日。 日本ラグビーフットボール協会から、2019年度の「ラグビーコーチングアワード」の受賞者が発表された。 この賞は、ラグビー指導者の資質向上と、学習意欲の高い指導者のコミュニティ創出を目的に2017年度から制定され、今回はワールドカップ2019で「ONE TEAM」のスローガンのもと日本を初の決勝トーナメント進出、ベスト8へと導いたジェイミー・ジョセフヘッドコーチの特別大賞を筆頭に、最優秀賞・優秀賞・特別賞・コーチ賞・日本代表カテゴリーコーチ賞で、合計14名の指導者がその栄誉に浴することになった。 そして、3種類のコーチ賞(変革賞・フロンティア賞・スキルコーチング賞)のうち、地方からの果敢なチャレンジと開拓精神で新しいラグビー文化を全国にアピールした指導者に与えられるフロンティア賞を、第99回全国高等学校ラグビーフットボール大会でベスト16入りを果たし、全国屈指の進学校として「文武両道」旋風を巻き起こした埼玉県立浦和高等学校(通称・浦高)ラグビー部の三宅邦隆先生が手にしたのだ。 激戦の埼玉を勝ち抜き、花園に出場した浦和高校ラグビー部 「受賞の連絡があったのは、新型コロナの影響で、在宅で仕事をしていた時だったんです。 ちょうど子供もいたので、電話ではあまり実感がわかなかったのですが、改めて考えてみると、僕がもらっていいものなのかなと。 浦高ラグビー部としてもらえたら、もっと喜びを前面に出せるのかなと思いましたね」 受賞者らしからぬ控え目な口調で、三宅先生は続けた。 「浦高は、高校に入ってからラグビーを始める初心者が多いんです。 だから、基礎練習を含め、ちゃんと『教える』ということが70年間、ずっと続いてきているんです。 そこに僕は、『考えさせる』と『任せる』ということをプラスしていっただけなんですよ」 3年前、前任の小林剛先生から監督を引き継いだ当初、三宅先生には「もっと教えてもらいたい」という部員からの声が集まってきた。 だが、三宅先生はそんな彼らをあえて突き放し、生徒たち自身に考えさせ、生徒たちにすべてを任せるコーチングに徹した。 「だから、花園での試合では、僕が何か指示を出せば出すほど生徒たちの動きが硬くなってしまい、全部裏目に出てしまったんです。 そこで途中からは、いつも通り、全部彼らに任せるようにしました」 すると、それが生徒たちの飛躍的な伸びを生んだ。 玉島との1回戦で花園初勝利を挙げ、青森山田との2回戦ではトライ合戦を制し、年をまたいだ元旦の3回戦では、この大会で頂点に立った桐蔭学園に5対78と完敗。 こうして、「文武両道」の「武」でひとつの結果を残してきた浦高ラグビー部の生徒たち。 それでは、もうひとつの「文」ではどうだったのか? センター試験の直前まで花園で戦った、浦高ラグビー部3年生(当時)の「文武両道」を追ってみると……。 * * * 「自分たちの代の13人は、2勝11敗。 2勝は筑波大学の体育専門学群と人間科学群に現役合格した2人で、11敗は、東大(2人)、京大(1人)、東北大(3人)、北海道大(2人)、名古屋大(1人)、東京都立大(1人)、早稲田大(1人)に落ちた浪人の11人になります」 こと細かにそう話してくれたのは、浦高ラグビー部の元キャプテンで、花園ではナンバー8としてチームを先頭で引っ張っていた松永拓実君。 「やっぱり、花園が終わってからセンター試験までは集中できなかったですね。 気が緩んでいたのかなと。 急に動かなくなったので体重も増えてしまって、センター試験直後には体調も崩しちゃいましたし、早大を受験した時点で浪人を覚悟しました」 一方、現役合格は果たせなかったものの、花園が終わってからセンター試験を経て、国公立大学の2次試験までの40日間の短期決戦で「文」に手応えを感じたのが、11番のWTB(ウイング)として花園でも活躍した吉村幸輔君だ。 「浦高の時のモチベーションは花園に出場することだったんですよ。 それが達成できた後、今度は受験に切り替えていくことになるんですが、正直、ラグビーと勉強を両立していた時よりも楽でした。 このまま現役で東大に行けるんじゃないかなと思ったんですが、最後は追い込み切れなかった。 どこかに甘えがあったんでしょうね」 新型コロナウイルスの影響と緊急事態宣言の発令により、これまでとはまったく違った状況でスタートした浪人生活。 この期間、2人とも予備校に通って授業を受けることはできず、ずっと家で動画授業を見ながら勉強する日々が続いていた。 ともすれば易きに流れていってしまいそうななか、松永君はそうした状況をプラスと捉え、これまでラグビーという「武」に傾けていたものを、今自分がやるべき「文」に100パーセント傾けることにした。 同様に、吉村君は本来なら予備校に通うはずだった往復の時間でさえも家で勉強できるチャンスと発想を転換、どうすればそこで質の高い時間を過ごしていけるのか、自身を律しながらタイムマネジメントしていった。 そんな2人に共通するのが、現役時代、浦高ラグビー部で三宅先生のコーチングにより培われてきた「守・破・離」(しゅ・は・り)という浦高の教育方針なのである。 生徒たちに考えさせるラグビー指導で結果を出した三宅邦隆先生 もともと「守・破・離」とは、茶道や武道などの道を究めようとする世界における師弟関係の修習のプロセス、つまり、最初、弟子は師匠から教わった型を自分のものとするまで守り、次に、その身につけた型を自ら考えることで破り、最後は、型から離れ、自由自在な存在になるプロセスをあらわす言葉になる。 浦高では、この「守・破・離」を3年間の高校生活に当てはめているのだ。 「守」 浦高生になる。 部活動等との両立も会得する。 「破」 浦高生として挑戦する。 浦高の型を体得した上で、さらに自分の可能性を追求する。 学習にしっかり取り組みつつ、部活動や行事、委員会活動など、やりたいこと、なすべきことに全力で取り組む。 「離」 浦高生として自走する。 独り立ちし、将来に向け自分自身の道を歩み始める。 大人としての自覚を持つ。 「先程、少し話が出ましたが、浦高でラグビーを始める生徒たちは、ほとんどが初心者になります。 だから、最初は『守』として教え込むことも必要になってきます。 例えば、ラグビーでスクラムから攻める状況になった時、順目・逆目サイドのアタック方法や、その際のフォワードとバックスの位置取りなどにはいくつかのオプションがあり、いろいろな動きのパターンやそのためのスキルを、まずは教えていかなければなりません」 「すると、生徒たちはそれをベースに自分たちで考えながら、何度も何度も失敗して、それを自分たちにフィードバックしていく、次の『破』の段階に入っていくんです。 そうすることで、生徒たちはいろいろなパターンを、対戦チームに合わせて使っていけるようになります」 「こうして、最後の『離』ですべてを任された生徒たちは、新しいプレーのアイディアを自ら出し、自ら練習し、それを試合で発揮していくんです。 任されることで伸び伸びと、気持ちよくプレーしていけるようになるんですね。 それが、今回の花園だったのではないかと僕は思うんですよ」 今年度から、三宅先生は浦高ラグビー部の監督を退き、ラグビー部全体を裏側からサポートしていく部長になる。 後任には二人三脚で花園を戦ってくれた山本義明先生が就き、コーチングの精度を上げながら、今回のベスト16を超えるさらなる高みを目指していこうとしているのだ。 そして、松永君も吉村君も、こうした三宅先生のコーチングから浦高の「守・破・離」を学び、全力で取り組んでいくことで、独り立ちして歩み出していけるようになった。 それは、現在の浪人生活でも活かされている。 吉村君が言う。 「花園は本当にうれしかったです。 3年間の苦労が報われましたし、僕もうれしかったですし、いろんな人たちも喜んでくれました。 でも、受験は自分との戦いになるんです。 だから、自分の喜びのために、まずは勉強していきたいと思っています」 さらに、吉村君はこう付け加えてくれた。 「まだ、僕は浦高の文武両道の結果を出していません。 現役時代、『文』では何も成し遂げてないですし、『文』はこれからになるんです。 浪人して、東大に合格してはじめて、文武両道が成し遂げられると思っているんです」 松永君も、この点では吉村君と同じ考えになる。 「現役では『武』ばっかりだったので、浪人してようやく『文』が始まったばかりになるんです。 でも、勉強もラグビーと同じで、ひとつずつ、1個ずつ攻めていきたいですね。 浪人という『文』の1年に集中していければ……と」 すでに松永君は、その先にある夢にも想いを馳せている。 「1年後、早大のラグビー部に入ります。 小さい頃からの夢だった赤黒のジャージを着て、新しくなった国立競技場のフィールドに立ちたいと思っているので!」 文武両道は高校で終わるものではない。 浪人しても、大学に入ってからも、社会に入ってからも、これからの人生でいつまでも糧になっていくものなのである。 それが、浦高ラグビー部の「文武両道」というものなのだ。

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