横井 庄 一 記念 館。 橫井庄一

記念館・史跡

横井 庄 一 記念 館

熊本藩においてを試みるが、反対派による攻撃により失敗。 その後、のに招かれ政治顧問となり、やの推進などにおいて活躍する。 後に新政府にとして出仕するが暗殺された。 はで、の子孫を称していた。 は平四郎で、 北条平四郎時存、 北条四郎平時存ともいう。 「小楠」は彼が使った号の一つで、(小楠公)にあやかって付けたものとされる。 他の号に畏斎(いさい)、沼山(しょうざん)がある。 は子操。 生涯 [ ] 誕生・就学 [ ] 文化6年(1809年)8月13日、(現在の)下の内坪井町に、家禄150石の熊本藩士・の次男として生まれる。 13年()、8歳で藩校・に入校。 4年()に居寮生となったのち、天保7年(1836年)の講堂世話役を経て、天保8年()に時習館居寮長(塾長)となる。 下津久馬(休也)とともに居寮新制度を建議、採用されるものの実施過程において頓挫する。 このとき、家老のの後ろ盾を得る。 天保10年()、藩命によりに遊学、の門下生となり、佐藤一誠、らに会う。 また、江戸滞在中に幕臣のや士のなど、全国の有為の士と親交を結ぶ。 しかし、同年12月25日に藤田東湖が開いた忘年会に参加した帰り、さらに酒を飲み重ねた後、藩外の者と喧嘩になったことが咎められ、翌天保11年()2月9日、藩の江戸留守居役から帰国の命令を下され、帰国後には70日間のに処された。 この間、小楠はの研究に没頭する。 翌天保12年()頃より、長岡是容、下津久馬、、萩昌国らと研究会を開く。 これが「」となり、筆頭家老のを頭目とする「学校党」と対立することとなるが、藩政の混乱を避けるため長岡が家老職を辞職し、研究会を取り止める。 また『時務策』を起草する。 開塾・福井藩出仕 [ ] 天保14年()、自宅の一室で(のち4年()に「小楠堂」と命名)を開く。 小楠の第一の門弟はであり、一敬はとの父親である。 第二の門弟はであり、のちに、(の父)、、、(竹崎茶堂、の夫)など多くの門弟を輩出する。 2年()、士・三寺三作が小楠堂に学び、これにより小楠の名が福井藩に伝わり、のちに福井藩に出仕するきっかけとなる。 さらに嘉永5年()には、福井藩の求めに応じて『』を、翌嘉永6年()には『文武一途の説』を書いて送り、これにより後に福井藩より招聘を受けることとなる。 同年10月、軍艦に乗ろうとしてに向かっていたが小楠堂に立ち寄り、小楠と3日間話し合った。 元年()7月、兄・が48歳で病死した。 兄の長男・左平太はまだ10歳と幼少だったため、小楠が兄のとして家督を継いだ。 この頃、考え方の対立により長岡と絶交することとなった。 安政2年()5月、農村の沼山津(現・東区沼山津)に転居し、自宅を「」(しじけん)と名づけ、自身の号も地名にちなんで「沼山」(しょうざん)とする。 、、、など、明治維新の立役者や後のの中枢の多くが後にここを訪問している。 安政4年()3月、福井藩主・の使者としてが小楠の元を訪れ、福井に招聘される。 小楠がそれを内諾したため、春嶽は8月に熊本藩主・に書状を送り、小楠の福井行きを願い出た。 斉護は実学党による藩校の学風批判などから一旦それを断るが、春嶽らが幾度にもわたり要請した後にようやく承諾された。 小楠は翌安政5年()3月に福井に赴き、賓師として50人扶持の待遇を与えられ、藩校で講義を行うなどした。 同年12月、弟の死去により熊本に帰郷。 翌安政6年()に再度福井藩から招きを受けて福井に滞在。 同年12月、実母が危篤との知らせが来たため熊本に帰郷。 元年()2月、福井藩による3回目の招きにより福井に再び赴く。 この頃、福井藩内では、保守・進歩の両派が対立していたため、これを見た小楠は『国是三論』を著し、挙藩一致を呼びかけた。 元年()4月、に赴き、春嶽と初対面する。 この江戸滞在中、やと交流を持った。 同年10月、7人の福井の書生を連れ、熊本・沼山津へ帰る。 しかし11月26日に狩猟に出掛けた際、藩主専用のの場所となっていた沼山津の沼沢地において、残った弾を射ち放したことを咎められ、謹慎処分となった(榜示犯禁事件)。 文久2年()6月、福井藩から4回目の招きを受けて熊本を発つ。 7月に江戸の越前松平家別邸を訪れ、のとなった春嶽の助言者として幕政改革に関わり、幕府への建白書として『』を起草した。 8月、・に招かれ、『国是七条』の内容について説明を行い、邸ではに対面して幕政について意見を述べた。 この頃、・と福井藩邸で会った。 同年12月19日、熊本藩江戸留守居役の吉田平之助の別邸を訪れ、熊本藩士の都築四郎・谷内蔵允と酒宴をした。 谷が帰った後、3人の刺客(熊本藩足軽黒瀬一郎助、安田喜助、堤松左衛門)の襲撃を受けた。 不意のことであったため小楠は床の間に置いたを手に取れなかった。 そのため、身をかわして宿舎の常盤橋の福井藩邸まで戻り、予備の大小を持って吉田の別邸まで戻ったが、既に刺客の姿はなく、吉田・都築ともに負傷していた(吉田は後に死亡した)。 この事件後、文久3年()8月まで福井に滞在する。 熊本藩では、事件の際の「敵に立ち向かわずに友を残し、一人脱出した」という小楠の行動が武士にあるまじき振る舞い(士道忘却)であるとして非難され、小楠の処分が沙汰された。 福井藩は、国家のために尽くしている小楠が襲われたのは、単に武士道を欠いた者と同一視するべきではなく、刀を取りに戻ったのは当然であると小楠を擁護した。 同年12月16日、寛大な処置として切腹は免れたものの、小楠に対し知行(150石)召上・士席差放の処分が下され、小楠は浪人となった。 元年()2月に龍馬はの遣いで熊本の小楠を訪ねている。 小楠は『国是七条』を説いた。 この会談には徳富一敬も同席している [ ]。 この際、小楠は兄の遺子で自身の甥にあたる左平太とをに入所できるよう、龍馬を通じて海舟に依頼した。 その後、元年()5月にも龍馬が小楠を訪ねてきているが、の話題となった時、小楠がに非があるため征討は正当だと主張し、龍馬と口論になったという(これ以後、小楠と龍馬は会うことがなかった)。 慶応2年(1866年)、甥の左平太・太平がアメリカ留学する際に『送別の語』を贈った。 慶応3年()12月18日、と小楠に、朝廷から新政府に登用したいので上京するように通知する書状が京都の熊本藩邸に送られる。 藩内では小楠の登用に異論が多く、家禄召し上げ・士席剥奪の状態であることもあって、「小楠は病気なので辞退したい」と朝廷に申し出ており、小楠の門人の登用についても断った。 慶応4年()3月5日、となった長岡護美がその辞退を申し出る書をのに提出したが、岩倉は小楠の事を高く評価していたため「心配には及ばない」と内示し、3月8日に改めて小楠に上京の命令が出された。 熊本藩としてもこれでは小楠の上京を認めるしかないと決定し、3月20日に小楠および都築黙兵衛(都築四郎)の士席を回復し、3月22日に上京を命じた。 4月11日、大坂に到着。 4月22日に徴士参与に任じられ、閏4月4日に京都に入り、閏4月21日に参与に任じられる。 翌22日にはの位階を与えられた。 しかし激務から体調を崩し、5月下旬には高熱により重篤な状態となった。 7月に危険な状態を脱し、9月に再び出勤できるまでに回復した。 暗殺 [ ] 横井小楠之墓、南禅寺天授庵、京都市左京区 明治2年(1869年)1月5日午後、参内の帰途、京都下ル東側(現在の)でら6人組(上田立夫、中井刀禰尾、津下四郎左衛門、前岡力雄、柳田直蔵、鹿島又之允)の襲撃を受けた。 上田が小楠の乗った駕籠に向かって発砲し、6人が斬り込んできた。 護衛役などが応戦し、小楠も短刀1本で攻撃を防ごうとするが、暗殺された。 享年61。 小楠の首は鹿島によって切断され持ち去られたが、現場に駆け付けた若党が追跡し、奪い取った。 殺害の理由は「横井が開国を進めて日本を化しようとしている」といった事実無根なものであったといわれている(小楠は実際には、キリスト教が国内に入れば仏教との間で争いが起こり、乱が生じることを懸念していた )。 しかものら新政府の開国政策に不満を持つ保守派が裁判において横井が書いたとする『天道覚明書』というを作成して横井が秘かに皇室転覆を企てたとする容疑で告発するなど、大混乱に陥った。 紆余曲折の末、実行犯であった4名(上田・津下・前岡・鹿島)が明治3年()10月10日に処刑されることとなった。 なお、実行犯の残り2人のうち柳田は襲撃時の負傷により明治2年(1869年)1月12日に死去し、中井は逃走し消息不明となっている。 その他、実行犯の協力者としてら3人が流刑、4人が禁固刑に処されている。 人物 [ ] ・を批判し、それに代わり得る新しい国家と社会の構想を公共と交易の立場から模索した。 小楠は、公共性・公共圏を実現するために、「」「」といった身分階層を超えた討議を政治運営のもっとも重要な営為として重視した。 また、交易を重視する立場から、外国との通商貿易をすすめ、産業の振興をも交易として捉えて国内における自律的な経済発展の方策を建議し、そのために・を越えた統一国家の必要性を説いた。 体系的に小楠の国家論が提示された文書として、元年()に福井藩の藩政改革のために執筆された『国是三論』がある。 そのほか、学問と政治のむすびつきを論じた嘉永5年(1852年)執筆の『学校問答書』、マシュー・ペリーやへの対応についての意見書である嘉永6年()執筆の『』、元年()の井上毅との対話の記録『』、元年()の元田永孚との対話の記録『』などがある。 ()を「の世()」と評したことでも知られる。 評価 [ ]• 「はじめて会った時から、途方もない聡明な人だと心中大いに敬服して、しばしば人を以ってその説を聞かしたが、その答えには常に『今日はこう思うけれども、明日になったら違うかもしれない』と申し添えてあった。 そこでおれはいよいよ彼の人物に感心したよ」• 「小楠はとても尋常の物尺では分らない人物で、且つ一向物に擬態せぬ人だった。 それ故に一個の定見と云うものはなかったけれど、機に臨み変に応じて物事を処置するだけの余裕があった。 こうして何にでも失敗した者が来て、善後策を尋ねると、其の失敗を利用して、之を都合のよい方に遷らせるのが常であった」• 「横井という人は、一見何の異なる所なく、服装なども黒の袷に平で、見たところは大名の御留守役とでもいう風で、人物の円満で、強いて人と争う様な野暮ではなかった。 佐久間(象山)などとはまるで反対であった」• 「その風采容貌を申しますと、丈けは十人並より少し低い方で、顔は少し長面で、眉がきりきりと釣り上り、眼光鋭く、英気五の短身に溢るるばかりでありました。 右の通り活発でありましたので、少壮の時分は、少しは荒い事もありましたそうです。 その資質は聡敏正直、思慮周密、また忠孝節義の事実話を聞きましては、落涙に堪えざるていの人でありました。 弁舌なども非常に爽快なもので、故氏なども評して、横井の舌剣と申した位で、誰でも横井に対すると、話が了然と腹に落ちました。 また智術策略ていのことは至って嫌いで、それにまた抱負も中々大きな男でありましたが、一方にはまた中々精細に情愛の濃やかな人で、その老婆の病気の時などは、自身両便の世話から、手足の撫でさすりまでするというような塩梅で、兄時明の看病、兄の子供に対する情愛は、傍らから涙の出つる程でありました。 書生の教育なども、決して規則ではならぬならぬと言って、常に人々の性質につれて、自然にこれを誘導する様に致し、ただ利害の考えや、へつらいなどは激しく督責しました」 家系 [ ]• 横井家はに発する。 の遺児・の子がに住し、時行4世孫にあたるの子が、横井に改めたのがはじまりとされている。 時利の子はといい、その子孫は、、、---と続いた。 北条氏の子孫として代々祖先のであった「時」の字を名乗りに用いる(写真でも、肩衣に北条氏の家紋である三つ鱗を付けているのがわかる)。 小楠の妻は2人おり、先妻は熊本藩士小川吉十郎の娘・ひさ(嘉永6年(1853年)2月結婚、安政3年(1856年)死別)、後妻は小楠の門弟矢嶋源助の妹の津世子(安政3年(1856年)結婚)。 津世子との間には、後に第3代総長やを務める長男の、の妻となる長女のが生まれた。 津世子の姉には徳富一敬に嫁いだとがおり、妹にはがいる。 惣庄屋矢島忠左衛門直明を父とするこの姉妹は「四賢婦人」と呼ばれ、生地の熊本県に記念館がある。 は父一敬の影響で自らを小楠の門弟と称し、小楠を生涯の師と仰いでいる。 は小楠の甥で、小楠の兄・時明の次男。 兄・横井左平太と共に小楠らの資金を得て米国に密航。 病を得て帰国後は熊本にを作ろうと努力した。 横井左平太の妻が、を創立したである。 関連作品 [ ] TVドラマ• 『』(1968年、NHK大河ドラマ、演:)• 『』(1976年、NHK大河ドラマ、演:)• 『』(1998年、NHK大河ドラマ、演:)• 『』(2010年、NHK大河ドラマ、演:) 舞台• 『』(2010年、演:) 小説• 『津下四郎左衛門』(暗殺者の一人である津下四郎左衛門の子である津下正高からの聞書き ) 史料・著作 [ ]• 横井時雄編『小楠遺稿』、民友社、1889年11月。 編『横井小楠』上巻伝記篇・下巻遺稿篇、明治書院、1938年5月。 山崎正董編『横井小楠遺稿』、日新書院、1942年7月。 編・訳『30 横井小楠・佐久間象山』 中央公論社、1970年7月。 のち新版・中公バックス• 佐藤昌介・植手通有・山口宗之校注『55 渡辺崋山・高野長英・佐久間象山・横井小楠・橋本左内』 岩波書店、1971年6月。 日本史籍協会編『横井小楠関係史料 1・2』 東京大学出版会、1977年2月・6月。 花立三郎全訳注『国是三論』 講談社〈講談社学術文庫〉、1986年10月。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2015年1月)• 石津達也「横井小楠思想と現代」、『環-歴史・環境・文明』第30号、2007年7月。 岡崎正道「横井小楠の理想主義」、岡崎正道『異端と反逆の思想史-近代日本における革命と維新』、ぺりかん社、1999年1月。 苅部直「「利欲世界」と「公共之政」-横井小楠・元田永孚」、『国家学会雑誌』第104巻第1・2号、1991年2月。 苅部直「「不思議の世界」の公共哲学-横井小楠における「公論」」、佐々木毅・金泰昌編『21世紀公共哲学の地平』(『公共哲学』10)、東京大学出版会、2002年7月。 北野雄士「大塚退野、平野深淵、横井小楠-近世熊本における「実学」の一系譜」、『大阪産業大学論集-人文科学編』第107号、2002年6月。 北野雄士「横井小楠による水戸学批判と蕃山講読-誠意の工夫論を巡って」、『横井小楠研究年報』第2号、2004年9月。 志村正昭「横井小楠における国家構想の研究-「人情」「交易」「公共」」、『横井小楠研究年報』第2号、2004年9月。 高浜幸敏「横井小楠伝」、『ドキュメント日本人2-悲劇の先駆者』、學藝書林、1969年6月。 圭室諦成『横井小楠』(『人物叢書』)、吉川弘文館、1967年7月。 徳永新太郎『横井小楠とその弟子たち』(『日本人の思想と行動』43)、評論社、1979年9月。 中野青史「横井小楠の国家構想と民友社の成立」、西田毅・和田守・山田博光・北野昭彦編『民友社とその時代-思想・文学・ジャーナリズム集団の軌跡』、ミネルヴァ書房、2003年12月。 中拂仁「江戸期における「公」観念の推移-荻生徂徠と横井小楠」、国士舘大学『政経論叢』平成9年第1号(通号第99号)、1997年3月。 埜上衞「横井小楠の実学思想」、実学資料研究会編『実学史研究』V、思文閣出版、1988年12月。 平石直昭「横井小楠研究ノート-思想形成に関する事実分析を中心に」、東京大学『社会科学研究』第24巻第5・6合併号、1973年3月。 平石直昭「横井小楠-その「儒教」思想」、相良亨・松本三之介・源了圓編『江戸の思想家たち』下、研究社出版、1979年11月。 松井康秀『横井小楠研究入門』、松井康秀、1978年11月。 松浦玲「佐久間象山と横井小楠」、『日本学』第11号、1988年7月。 松浦玲『横井小楠-儒学的正義とは何か』(増補版. 朝日選書645、朝日新聞社、2000年2月)。。 ちくま学芸文庫、2010年10月• 源了圓「横井小楠の実学-幕末思想史の一断面」、京都大学『哲学研究』第37巻第11冊(第433号)、1955年7月。 源了圓「横井小楠の「三代の学」における基本的概念の検討」、『アジア研究』別冊2(魚住昌良編『伝統と近代化-長(武田)清子教授古稀記念論文集』〔『国際基督教大学学報III-A』〕)、国際基督教大学アジア文化研究所、1990年11月。 源了圓「横井小楠における学問・教育・政治-「講学」と公議・公論思想の形成の問題をめぐって」、『季刊日本思想史』第37号、1991年5月。 源了圓「東アジア三国における『海国図志』と横井小楠」、『季刊日本思想史』第60号、2002年1月。 源了圓「横井小楠の国家観」、『環-歴史・環境・文明』第5号、2001年4月• 山崎正董編『横井小楠伝』上・中・下、日新書院、1942年7月-9月。 山崎益吉『横井小楠の社会経済思想』、多賀出版、1981年2月。 山崎益吉「経済学的視点からみた横井小楠の国家観」、『環-歴史・環境・文明』第5号、2001年4月。 山崎益吉『横井小楠と道徳哲学-総合大観の行方』、高文堂出版社、2003年1月。 山崎益吉「横井小楠の経済思想-節倹論から有効需要論へ」、『自然と実学』第3号、2003年11月。 山下卓『横井小楠』、熊本日日新聞情報文化センター、1998年3月。 吉見良三「横井小楠暗殺事件についての一資料」、『霊山歴史館紀要』第11号、1998年4月。 「小楠の道義国家像」、『環-歴史・環境・文明』第5号、2001年4月。 高木不二「横井小楠と松平春岳」 幕末維新の個性2:、2005年。 堤克彦「「公」の思想家 横井小楠」 熊本出版文化会館、2009年。 源了圓編「別冊環 第16号.横井小楠」 、2009年11月。 (東区沼山津1丁目25-91)• 私塾「四時軒」に隣接して建てられ、小楠に関する史料などが展示されている。 (熊本県熊本市東区沼山津4丁目11)• 暗殺された小楠の遺髪を埋葬した場所。 記念碑や小楠のがある。 記念碑の碑文は作。 (小楠公園にて2月15日午前10時斎行。 斎主は)• (神社公式) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 朝日日本歴史人物事典『』 -• - 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館.

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明日への道―全報告グアム島孤独の28年 (1974年)

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当時の小野田寛郎 の商事会社で働いていた12月、満20歳のため()を受けのある和歌山(当時同連隊は戦地に中のため、その留守部隊)に現役兵たるとして入営。 同時に留守部隊をもとにされたに転属、同連隊にて在営中に(将校を養成)を志願しこれに合格、1月にへ入校する。 卒業後、やが堪能だった事から選抜され、同年9月に入校。 主に遊撃戦の教育を受け、退校命令を受領。 その後、()を経て予備陸軍少尉に任官 [ ]。 同年12月、を担当する情報部付となり、残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられに派遣。 当地では第14方面軍隷下の参謀部付(配属)となっており、その師団長から「は一切まかりならぬ。 3年でも、5年でも頑張れ。 必ず迎えに行く。 それまで兵隊が1人でも残っている間は、の実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。 いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。 わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けている。 派遣にあたり、高級司令部が持っている情報は全て教えられ、が占領された後もと戦い続けるとの計画であった。 なお派遣前、母親からは「敵のとなる恐れがあるときには、この短刀で立派な最後を遂げてください」と言われ、を渡された(この短刀は日本帰国後、実家に帰った際に母親に返している)。 同月31日、のに着任。 着任後は長期の準備に努めるが、島内のの一部の隊には「引き上げ命令」が出ていたため戦意が低いことと、小野田にはがないため相手にされず、2月28日の約1個上陸後、の各隊は、艦艇のの大火力に撃破され、小野田はルバング島の山間部に逃げ込んだ [ ]。 小野田は、友軍来援時の情報提供を行うため、部下と共に遊撃戦を展開した。 ルバング島は、フィリピンのであるに位置するの出入口にあり、この付近からマニラを母港とする連合国軍艦船、航空機の状況が一目で分かるため、戦略的に極めて重要な島であった [ ]。 日本敗戦後 [ ] 1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかったため、(49年9月逃亡50年6月投降)、(54年5月7日没)、(72年10月19日没 )と共に作戦を継続し、ルバング島が再び日本軍の制圧下に戻った時のために密林に篭り、情報収集やを続ける決意をする。 日本では1945年9月に公報を出されたが、1950年に赤津がしたことで、小野田ら3人のが存在することが判明する [ ]。 フィリピンは戦後間もなくアメリカの支配からの独立を果たしたものの、両国の協定によりアメリカ軍はフィリピン国内にとどまることとなった。 これを「アメリカ軍によるフィリピン支配の継続」、またフィリピン政府を「アメリカの」と解釈した小野田はその後も持久戦により在比アメリカ軍に挑み続け、島内にあったアメリカ軍への襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開した [ ]。 使用した武器は、、等であり、その他戦術も用いた。 この際、弾薬の不足分は、島内に遺棄された戦闘機用の(薬莢がセミリムド型で交換の必要あり)をの薬莢に移し替えて使用していた。 29年間継続した行為によって、フィリピン兵士、警察官、民間人、在比アメリカ軍の兵士を30人以上殺傷したとされる。 ただし、アメリカ軍司令官や兵士の殺傷に関して、アメリカ側にはそのような出来事は記録されておらず、実際に殺傷したのは武器を持たない現地住民が大半であった [ ]。 このことは後に日本とフィリピン政府との間で補償問題へと発展した。 手に入れたを改造して受信機を作り、アメリカ軍基地の倉庫から奪取した金属製ワイヤーをアンテナに使って、独自で世界情勢を判断しつつ、友軍来援に備えた [ ]。 また、後述する捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても、かなりの情報を得ていた。 捜索隊はおそらく現在の情勢を知らずに小野田が戦闘を継続していると考え、あえて新聞や雑誌を残していったのだが、成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、の、開業等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事は知っていた。 士官教育を受けた小野田は、その日本はのであり、にがあると考えていた [ ]。 また小野田は投降を呼びかけられていても、二俣分校での教育を思い出し、終戦を欺瞞であり、敵対放送に過ぎないと思っていた。 またへ向かうアメリカ軍機を見掛けると、当初の予定通り亡命政権の反撃が開始され、フィリピン国内のアメリカ軍基地からへ向かうアメリカ軍機を見かけると、いよいよアメリカは日本に追い詰められたと信じた。 このように小野田にもたらされた断片的な情報と戦前所属した諜報機関での作戦行動予定との間に矛盾が起きなかったために、20年間も戦い続ける結果となった。 末期には、短波ラジオでのを聞き、戦友小塚と賭けをするのが唯一の娯楽であった [ ]。 29年ぶりの帰国 [ ] だがそんな小野田も、長年の戦闘と小塚金七死亡後の孤独により疲労を深めていった。 1974年に、一連の捜索活動に触発されたがルバング島を訪れ、2月20日にジャングルで孤独にさいなまれていた小野田との接触に成功する。 鈴木は日本が敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国をうながし、小野田も直属のの命令解除があれば、任務を離れることを了承する。 この際、鈴木は小野田の写真を撮影した。 3月9日に、かつての上官である 元から、文語文による(14HA司令官)名の「尚武集団作戦命令」と、口達による「参謀部別班命令(下記)」で任務解除・帰国命令が下る [ ]。 投降式に出席する小野田とマルコス 翌3月10日にかけ、小野田は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地等の報告をする。 小野田は基地に着くと、フィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示した。 この時、小野田は処刑される覚悟だったと言われる。 フィリピン軍司令官は一旦受け取った軍刀をそのまま小野田に返した。 司令官は小野田を「軍隊における忠誠の見本」と評した。 小野田ので行われた投降式には、も出席し、武装解除された。 その際、マルコス大統領は小野田を「立派な軍人」と評している。 小野田は終戦後に住民の物資を奪い、殺傷して生活していたとすれば、フィリピンの対象になる。 小野田は、終戦を信じられずにを継続していたと主張し、日本のの力添えもあって、フィリピン政府は刑罰対象者の小野田をした [ ]。 この時に交わされた外交文書によれば、日比両政府による極秘交渉の中で小野田ら元日本兵により多数の住民が殺傷されたことが問題視され、フィリピンの世論を納得させるためにも何らかの対応が必要とされたという。 フィリピンに対する戦後賠償自体は1956年の日比賠償協定によって解決済みとされていたが、小野田によるフィリピン民間人殺傷と略奪のほとんどは終戦以降に発生したものであり、反日世論が高まることへの懸念から、日本政府はフィリピン側に対し「見舞金」という形で3億円を拠出する方針を決定した。 こうして、小野田にとってのが終わり、(49年)にの特別機で日本のへ帰国を果たした。 帰国以前 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年7月)• - フィリピンで日本軍敗残兵が投降した際、無為に島民に銃殺される事件が生じる。 では、日本軍将兵の無事帰国のため特別対策本部を設立する。 - 赤津勇一元一等兵が帰国する。 残留兵の存在が明らかになるが、フィリピンの政情が不安定なため救出活動は行えず。 - フィリピンの山岳部隊が日本兵と遭遇。 元伍長の遺体が確認される。 これを受けフィリピン政府は残留兵捜索隊の入国を許可する。 1954年5月、1958年、1959年5 - 12月 - 赤津元一等兵等投降者の証書に基き援護局職員および小野田元少尉と小塚元一等兵の家族、戦友によるルバング島の残留日本兵捜索が行われるが、未発見に終わる。 (昭和34年) - 戸籍法89条に基づいて引揚は12月10日に「死亡日・昭和29年5月8日」として「死亡公報」を出し、翌11日に公示された。 なお、これに合わせて翌12月12日には故郷の和歌山県海南市にて親類の手により葬儀が行われた。 - 第62回戦没者叙勲により、戦没者として、に叙される。 に合祀。 1月 - 領で元伍長が発見される。 日本兵の生き残りが今も各地に潜伏している事実が知られるようになる。 1972年10月19日 - フィリピンのにてフィリピン警察官に元一等兵が射殺される。 1972年10月22日 - 25日 - 日本兵射殺事件を受け、援護局職員および小野田元少尉と小塚元一等兵の家族、戦友が逐次ルバング島に赴く。 遺体が小塚金七一等兵である事を確認する。 小野田元少尉の捜索が行われるが発見には至らず(後に元少尉は捜索隊の存在を認知し、また密林の中で兄の姿を目撃していたが、アメリカの支配下の傀儡政権に強制されての行動だと推測していた事を告白している)。 - 一連の捜索活動に触発された日本の青年が小野田元少尉との接触に成功。 3月にフィリピンに投降し、日本に帰国。 3月12日16時15分から66分間にわたりで放送された「小野田さん帰国」は45. 帰国後 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年7月) 帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ事や、現地軍との銃撃戦によって、多数の軍人や住民が死傷した出来事が明らかになった事(フィリピン政府当局の政治判断により、小野田への訴追は行われなかった)、また本当に日本の敗戦を知らなかったのか、という疑問が高まるに連れて、からは「軍人精神の権化」「の」といった批判も受けた [ ]。 小野田に対し、は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は拒否する。 拒否するも見舞金を渡されたので、小野田は見舞金と方々から寄せられたの全てを、にしている。 との謁見も断り(万が一、陛下が謝罪するようなことを避けるため)、のに入院後、小野田は戦闘で亡くなった島田と小塚の墓を墓参している [ ]。 小野田のフィリピンでの功労は、傍にある「フィリピン空軍博物館」に、小野田がフィリピン空軍将軍宛に書いた手紙と共に、展示ケースにて展示されている。 また(8年)には、かつて活動していたルバング島に、の兵士護衛の下、再訪を果たしている [ ]。 ブラジル移住、晩年 [ ] 同じく長期残留日本兵として2年前に帰国し、驚くほど早く戦後の日本に適応したと異なり、小野田の場合は、父親との不仲や一部マスコミのもあり、戦前と大きく価値観が変貌した日本社会に馴染めなかった。 横井との対談が何度か企画されたが、実現しなかった。 理由は、横井が天皇陛下より拝領されたであるを穴掘り道具に使ったことを聞き、小野田が横井との対談を拒否していたからだという。 帰国当初は大きな話題になったため、マスコミにつけ回され、一挙手一投足を過剰取材の対象にされて苦しんだ。 が、ゲリラ戦時の敵軍航空機と重なって、悩まされた時期もあったという。 帰国の半年後に、次兄のいるにして小野田牧場を経営する事を決意。 日本帰国後に結婚した妻の町枝と共にブラジルへ移住し、10年を経て牧場経営を成功させた [ ]。 ブラジルに移民していた実兄の薦めもあり1975年渡伯。 バルゼア・アレグレ移住地 ( (): Fazenda Varzea Alegre Mun, de Terence, EST. Mato Grossa do sul. )にて、約1200haの牧場を開拓。 7年間は無収入だったが10年目には軌道にのせ1800頭の肉牛を飼育した。 1979年5月に発足したバルゼア・アレグレ日伯体育文化協会初代会長に就任。 2004年ブラジル空軍より民間最高勲章メリット・サントス・ドモントを授与される。 同年マット・グロッソ州名誉州民に選ばれる。 その後、「凶悪なが多発する現代日本社会に心を痛めた」として『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾『』を主宰 1984年7月 [ ]。 2010年7月当時、東京都中央区佃在住だった。 議員・森高康行を始めとして政界とも交流をもつ。 妻・町枝は2006年、の後任としての女性組織・の会長に就任した。 系の活動家でもあり、、代表委員等を歴任。 社団法人日本緑十字社理事にも就任した。 慰安婦問題の真偽に対しては日本の責任を否定する立場であり、2007年7月13日に米国大使館に手渡された全面撤回を求める主導の抗議書には夫婦そろって賛同している。 また、で更迭された元を支持する「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」には、発起人として妻と共に名を連ねている。 2009年5月15日には、「小野田寛郎の日本への遺言」と題した講演を2時間に渡って行った。 その後も講演活動を続けていたが、2014年1月16日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去した。 91歳没。 その他エピソード [ ] 戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。 本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。 「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。 そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。 そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。 それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました。 」命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという。 また『』2004年7月号でのインタビューでは「直進する物は物理的に見えるんですよ。 (中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。 (中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。 (中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。 」と語っている。 小野田が島民を30人以上殺害したと証言していたこと、その中には正当化出来ない殺人があったと思われることなどを述べ、小野田は戦争の終結を承知しており残置任務など存在せず、1974年に至るまで密林を出なかったのは「片意地な性格」に加え「島民の復讐」をおそれたことが原因であると主張している。 によると2009年に小野田の話がの『鳳凰網』歴史総合ページで紹介されると、「真の軍人だ」「この兵士の精神を全世界が学ぶべきだ」「は恐るべき民族。 同時に尊敬すべき民族」などの賞賛する書き込みがあり、肯定的に評価する投稿の方が若干多かった。 2014年の小野田死去に際し、は、「戦後の繁栄との中で、の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」「彼の孤独な苦境は、の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」とし、小野田が1974年3月に、当時のフィリピンのに、投降の印として軍刀を手渡した時の光景を、「多くの者にとっては格式のある、古いのようだった」と形容し論評した。 また、も、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとってのような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」とし、多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田は任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」と論評した。 栄典・称号 [ ]• (、日本人として初めて受章 )• テレビ出演 [ ]• 終戦60年企画「おじいちゃん本当のこと聞かせて」石原さとみと小野田寛郎の戦争と平和を巡る旅(2005年12月28日、)• 2005年初放送・2007年8月15日再放送・2010年12月16日再々放送・2011年3月6日再々々放送、、• 2008年1月29日初放送・2008年2月3日再放送 小野田寛郎を題材にした楽曲 [ ] のバンド、がに""(邦題:『ヌードの物語 〜Mr. Oの帰還〜』)というコンセプトアルバムを発表している。 著書 [ ] 単著 [ ]• 『わがルバン島の30年戦争』(, )ASIN B000J9GA7E• 『戦った、生きた、30年 少年少女におくるわたしの手記』(講談社,)ASIN B00DJ2C2D4• 『わがブラジル人生』(講談社,)• 『子どもは野性だ ルバング島30年』(, )(『のお父さん子どもに野性を贈ろう』と同じISBN)• 『子どもは風の子、自然の子-『ジャングルおじさん』の自然流子育て』(講談社,)• 『わが回想のルバング島 情報将校の遅すぎた帰還』(, ) のち文庫• 『たった一人の30年戦争』(, )• 『極限で私を支えたもの』(山田村教育委員会,)JP番号 20020766• 『君たち、どうする? 』(,)• 『ルバング島戦後30年の戦いと靖国神社への思い』(,)• 『生きる』(,) 共著 [ ]• 『遥かに祖国を語る 小野田寛郎・対談』(, )ASIN B000J8YAYU• 『だからよ、へ行こう』(共著 )• 『「靖国」のことを語ろう』(中條高徳共著 ワック文庫 )• 『魚は水人は人の中-今だからこそ伝えたい師小野田寛郎のことば』(筆記 )• 『ルバング島戦後30年の戦いと靖国神社への思い(シリーズ 2)』 (, )• 『日本の未来を託す! 』 (時評社, ) 語録または家族による著 [ ]• 『小野田寛郎サバイバル語録 日本人が戦後忘れた不撓不屈の精神を語る』(朝日新聞社, )ASIN B0711ZPN7X 潜伏中の [ ] 赤津勇一 [ ] この節のが望まれています。 小塚金七(こづか きんしち Kinshichi Kozuka - )はルバング島守備隊生き残りの少数分散潜伏時に小野田グループにいた日本兵。 1921年、に生まれる。 に八王子尋常高等小学校(現・八王子市立第七小学校)卒業後、農業に従事。 に八王子工機に入学し、その後。 に入隊し、同年7月にフィリピンに派兵され、に編入。 終戦した事を知らずに戦闘を続け、日本政府による捜査も発見できずに、とにが出された。 1972年10月19日に起きたフィリピン警察隊との銃撃戦で肩を撃たれてを落とし、さらに胸を撃たれて倒れる。 小野田は小塚の銃で5発、自身が持つ九九式短小銃で4発撃ち警察隊の攻撃を抑え、倒れた小塚を揺さぶるもその時には白目を向いて口から血を流しており既に死亡していた。 享年51。 最終階級は。 小塚の死に対し小野田は「復讐心が高まった。 目の前で30年もの戦友を殺された時の口惜しさなんてものはない」と後年怒りを込めて述べている。 小塚の三八式歩兵銃は、小野田が日本帰還後に小塚の両親に渡したと言われている。 また、手元には1959年にが現地で撒いた投降勧告が遺されてあったと言われる。 同年に、八王子市民葬が執り行われた。 母親には手紙を渡していたと言われ、息子の死に際して、母親は「人生わずか50年、その半数を異国の島ルバングの山谷に人も入らぬジャングルに27年、祖国の為と御奉公の甲斐むなしく[昭和]47年10月19日、命と共に消へ失せる悲しき最後、あまりにも哀われです。 」と手記を残した。 にで放送された『』では、が彼の役を演じた。 また彼の事は、の著書『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』(、)に詳しく書かれている。 小野田自然塾 [ ] 財団法人小野田自然塾 創立者 小野田寛郎 団体種類 設立 (1年) 所在地 〒104-0051 東京都中央区佃1-10-5 主要人物 小野田寛郎 活動地域 活動内容 自然教育 活動手段• 日本各地で開催する青少年参加のの開催• 小野田寛郎、およびその関係者による講演会 不撓不屈 小野田は、自らの抑留経験を基に、健全な人間形成と自然・社会との共存を図るために、これからを担う子供たちに自然教育の必要性を重んじ、から生活を通しての教育活動「小野田自然塾」を開講し、全国各地で子供たちに対する自然教育の推進を行った。 、私財を投じて、自然塾を主宰する「小野田自然塾」を設立した。 の2012年7月12日時点におけるアーカイブ。 2016年7月29日閲覧。 57頁• 56頁• war. 163. com. 2019年7月26日閲覧。 , p. 2016年7月26日. 2016年7月27日時点のよりアーカイブ。 2016年7月26日閲覧。 www. itsfun. com. 2019年9月19日閲覧。 出没!アド街ック天国. テレビ東京 2010年7月24日. 2019年5月8日閲覧。 2006年12月5日. の2013年4月24日時点におけるアーカイブ。 2013年2月8日閲覧。 チャンネル桜. 2019年5月8日閲覧。 日本創新党 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感. 小坂英二. 2019年5月8日閲覧。 2014年1月17日. の2014年2月1日時点におけるアーカイブ。 2014年1月17日閲覧。 2008年1月. 2014年9月21日閲覧。 2014年1月18日閲覧。 凤凰网. 2019年5月8日閲覧。 ROBERT D. 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