にちゃん 名人。 名人戦

名人戦

にちゃん 名人

いまやCM好感度ナンバー1の呼び声も高い、松岡修造。 彼の行く先々では、なぜか気温が上昇するといった都市伝説も有名ですが、それ以上に熱いのが超ポジティブなエール。 でも、どれだけ気張っても前向きになれない。 そんな人たちの支えとなっているかもしれないのが、4年前に発売された『絶望名人カフカの人生論』。 その名の通り、誰の背中を押すこともない格言の数々を収録。 そしてこの6月にはいくつかのフレーズをもとに『』(飛鳥新社)も刊行され、静かに支持され続けていることがうかがえます。 この好対照な両者の言葉。 人は一体どちらに強く惹かれるのでしょうか。 というわけで、ここからはお互いの名言を直接戦わせてみたいと思います。 題して「修造 VS カフカ 究極のポジネガ5番勝負」。 その人生と言葉を、女性誌でもお馴染みの平松昭子さんがマンガ化したのが『マンガで読む絶望名人カフカの人生論』です。 カフカのネガティブさとヘンテコさは、もう笑ってしまうほど。 たとえば、恋人に毎日手紙を送って、いかに自分が弱くて結婚に不向きかを切々と書く一方で、プロポーズをする。 で、婚約したら重みに耐えかねてソッコーで解消すること3回。 カフカは自分のことを「無能、あらゆる点で、しかも完璧に」と書いています。 ダメ男と付き合っている女性にオススメしたい1冊です。 カフカの言葉は『絶望名人カフカの人生論』(編訳・頭木弘樹)より引用。 <TEXT/比嘉静六>.

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【将棋】藤井知識ゼロの俺に藤井のすごさ教えてくれ

にちゃん 名人

羽生善治とは、生。 番号は。 九段門下。 棋歴 将棋との出会い~七冠王まで 小学の時に、からの駒の動かし方を教えてもらったのがとの出会い。 それからにある場の席に、が「買物している時間中、の相手をしてもらえないか」と頼んだのを機に頻繁に通うようになる。 対局を重ねるごとに様々な戦法を吸収し、メキメキと実をつける。 6年生でを獲り、そのを引っさげて。 、3年生で四段昇段を決めてを果たす(・に次いで史上3人)。 その4年後、当時の最年少記録の19歳で、初の・位を獲得。 歳でから最高位である位を奪取。 、史上初の 全 (・・・・・・)独占を達成。 が「は偉業ですが、にとっては屈辱でもある」と敬意を込めた皮を述べるなど、の独占は一般層にもを呼び、でとしてされたり、全の新聞の一面に掲載されるなど大きなとなった。 近年の将棋に関する話題と2017年の永世七冠達成 、第期を3-0で防衛、通算獲得数を81期とし、の期を抜き通算獲得数単独となる。 にはを勝ち抜き、で4年連続の羽生善治を実現させる 4連勝ので、史上最多3度の復位を果たす。 これで両者のでの対局が合計9期となり、-田の9期と並び歴代最多となる。 、第74期にて、に1-4で位を奪取され、 ・・ に後退する。 以降、羽生善治との両名しか在位者がいなかった為、大きなを呼んだ。 同じく、第2期への出場がにされたものの、本戦準決勝で敗退した。 当初はであったが、・にかけて、と立て続けに防衛に失敗し、13年ぶりの一冠に後退する。 その一方で、から開催される7番勝負の挑戦権を獲得し、第期以来となる挑戦者の立場での戦に臨んだ。 7番勝負は3勝1敗で迎えた・5日の第5局にしたことで、を4勝1敗で退け通算7期の位を獲得、 「永世」の有者となった。 既に獲得していた6つの戦の永世と合わせて永世位が存在する7全ての有者となり、前人未到の 「永世」を達成した。 の杯では4まで勝ち進み、準決勝で史上最年少のと戦初対局。 結果はとなり、はならなかった。 第76期では6勝4敗で史上初の6人が参加するへ進出。 パス準決勝からの登場となったでは、勝ち上がってきたにし決勝に進むと、決勝でもにして、第76期の挑戦権を獲得した。 への2年越しのは、通算10期、通算期、自身3度のをす番勝負であったが、2勝4敗でを獲得できなかった。 そのに被るようにして始まった第66期挑戦者決定、そして第期挑戦者決定。 では、初戦の相手はであった。 しかし、はを1勝もできずに敗退してしまう。 また、では、組をで抜けたはのを制したと挑戦権を争うこととなった。 尚、この時既に第期の挑戦者も確定していて、そちらもだった。 その為かこの勝負はの前戦ともいえるもので、の内容を占うように見る人もいた。 しかし結果は。 の挑戦権を獲得することは出来なかった。 そしてたて続けに始まった第期、挑戦者は先述の通り。 挑戦者決定戦のわずか2日後だった。 最までもつれ込んだものの、結果は2勝3敗。 ついにまで失うことになってしまった。 これにより、残るはただ一冠のみとなった。 、迎えた第期は初挑戦となるに対し、先に3勝して防衛・期に王手をかけたものの、第6・7局を連敗。 第7局2日のを以て全てのを失い、に位を獲得して以来、27年9か、日に及んだ保持に一度幕を下ろした。 その後、の肩書がどうなるか注された(「九段」「前」あるいはのように永世を名乗るか)が、本人の意向により肩書は「九段」となった。 が段位を肩書とするのは、の位獲得以来29年ぶり(一度を失って冠になっているが、当時は「前」をそのままを獲得した)。 一方で、第回では順調に勝ち進み、決勝戦でにして通算11回のを達成。 一般回数が単独首位となった。 には挑戦者決定最終5回戦・戦でして、の通算数に並ぶ。 更に、の挑戦者決定のでにして通算数を4勝とし、の築いた記録を抜いて単独となった。 各タイトル毎の獲得数及び永世称号・その他戦績• (連続5期獲得 または 通算7期獲得で永世) 15回登場、通算7期(,,-,01-02,)獲得。 永世の存在する7の中で最初に獲得し、そこから年という最長の歳を経て、7の中では最後となる「永世」のを獲得。 (通算5期獲得で永世) 回登場、通算9期(-,03,08-10,14-15)獲得。 「十永世」のを獲得済み。 永世の条件は未設定 に一般から昇格した新戦。 挑戦及び獲得のない一のとなっている。 (連続5期獲得 または 通算10期獲得で永世) 回登場、通算18期 -01,04-06,11-16 獲得。 「永世」のを獲得済み。 (連続5期獲得 または 通算10期獲得で名誉) 26回登場、通算24期 -10,12-16 獲得。 「名誉」のを獲得済み。 (連続5期獲得で永世) 回登場、通算13期 -01,04 獲得。 「永世」のを獲得済み。 (達度は~。 (通算10期獲得で永世) 18回登場、通算12期 -00,02,04-08 獲得。 「永世」のを獲得済み• (通算5期獲得で永世) 20回登場、通算16期 前期-,00,08- 獲得。 「永世」のを獲得済み。 獲得数は時点のもの。 なお、上記の「永世」の襲位・就位については、原則後。 また、戦だけでなく一般でも高いを残しており、に戦決勝でにし、4連覇・20連勝。 同時に通算回数を10回とし、界史上初の名誉選手権者となった。 連勝記録は、当年度の決勝でに敗れるまで24連勝に及んだ。 、6勝7敗、 0.。 通算獲得数 99期(歴代)、一般 回(歴代)。 将棋に詳しくない人のために がどれほどのなのかを、簡単に表現すると A:はどれくらい凄いの? B:簡単に言うと、の界には7つのがある。 A:うん。 B:10年間だと、延べ人のホルダーがいるわけだ。 A:うんうん。 B:その人のうち、半分の人がだ。 A: もちろん、分身の術を会得しているわけではない。 前述したように、初は年の(当時19歳)。 翌にに敗れ冠に戻ったものの、そのわずか4ヵ後のに、位を獲得。 その日から まで、 27年間 常に一冠以上のを保持し続けていた。 に冠になった際には「前」 を名乗ったので、段位を名乗らずにホルダーに返り咲く形になった。 前述の通り、27年ぶりに冠となった際には、段位である「九段」を名乗ることを表明した。 なお、からまでの20年間に拡しても、延べ人のホルダーのうち、 半分以上の人がである。 また、獲得賞・対局料首位に回(~, ~12,14~16,18)なっている。 惜しくもはに抜かれたものの、 14年連続でを記録する。 ニコニコ動画との関わり の戦、七段との対局でまさかの大逆転を巻き起こした際の対局模様はにもされた。 単純な対局としてはかなりのを誇ったが、後の大盤解説で本人がその対局を見ていたことを暴露されてしまい、がであることが判明した。 棋風・対局スタイル 多くのに得意な戦法があり、それぞれに「流」という呼び名が付けられる事があるが、にはあまり冠される事がない。 ありとあらゆる戦法を使いこなし、その全てで高いを収めているためである。 因みに自身は「 記憶のピークは20歳前後ぐらいでした。 それ以降、記憶は衰えていってます」と述べている。 歳を過ぎた頃から、一手のも許されないようなギリギリの終盤や、を確信した際に手が震える(イップス症状)ことがある。 結果的にそのほとんどがとなっている。 チェスプレーヤーとしての羽生 は、と全般。 中でもは、戦の合間を縫ってのと対局も楽しむほど。 たまに 遠征して・に勝ったり、本に勝ちになって 界のになる程度の。 の段級には大別して、際、Fの三段階があり、はその中でFを所持している。 保持者は全でそれぞれ人、0人、00人ほどいるものの、の保持者はFのわずか7 人のみで、はその中でも棋を示すィングが最も高い()。 にはの・バシエ・ブと、とともに二面しで挑み、引き分けに持ち込んだ(同時に対局した内は)。 にもの強であるナイ・に本プであるとともに二面しで挑み、引き分けに持ち込んだ(同時に対局したは)。 本人が人ではないかとも言われている。 成績 昇段履歴• 6級()・・・• 初段 ( )• 四段( )・・・三段昇段後 13勝4敗• 五段()・・・ C級1組昇級• 六段()・・・ 挑戦(第2期)• 七段( )・・・ 1期獲得• 八段( )・・・ A級昇級• 九段( )・・・ 3期 獲得 タイトル戦登場履歴• :15回(第2期-度~3期・5~9期・13~16期・期・期・~期)• :回(第期-~期・~期・66~74期・76期)• :回(第期-度~期・~期)• :26回(第期-度~期)• :回(第16期-度~期・~期・33期・期)• :18回(第期-度~期・期・期)• :20回(第期-度前期~期・~期・76期・~期) 戦登場回数:回、獲得数:99回 一般棋戦優勝履歴• 杯 5回(第3回-度・5回・7回・8回・9回)• 選手権 4回(第回-度~回-度)• 本 3回(第8回-度・10回・16回)• 戦 11回(第38回-度・回・回・47回・回・回・回~回・回)• し選手権戦 3回(第26回-度・29回・36回)• 戦 5回(第12回-度・19回・24回・・回)• 新人王戦 1回(第19回-度)• 勝抜戦5勝以上 4回(第11回-度・13回・20回・回)• 王戦 2回(第3回-度・4回)• 若獅子戦 2回(第10回-度・12回) 回数:回 将棋大賞受賞履歴• 第14回(度) 賞・新人賞• 第15回(度) 賞・最多賞・敢闘賞• 第16回(度) ・賞・最多賞・最多対局賞・連勝賞• 第回(度) ・賞・最多賞・最多対局賞・連勝賞• 第19回(度) 敢闘賞• 第20回(度) ・賞・最多賞・最多対局賞・連勝賞• 第回(度)• 第回(度) ・最多賞• 第回(度) ・特別賞・賞・最多賞• 第24回(度)• 第26回(度) ・最多対局賞• 第27回(度)• 第回(度) ・賞・最多賞・最多対局賞・連勝賞• 第29回(度)• 第回(度) ・最多賞・最多対局賞• 第回(度) ・最多賞・最多対局賞• 第33回(度) ・最多対局賞・連勝賞• 第回(度) 優秀賞・名局賞• 第回(度) ・最多対局賞・最多賞・名局賞• 第36回(度) ・名局賞• 第回(度)• 第38回(度) ・最多賞• 第回(度) ・最多対局賞・最多賞• 第回(度) 特別賞・優秀賞・最多対局賞・最多賞・名局賞• 第回(度) 優秀賞・最多対局賞・最多賞・名局賞• 第42回(度) ・名局賞• 第43回(度) ・名局賞特別賞• 第回(度) 優秀賞• 第回(度) ・名局賞 叡王戦戦績• 第1期: 不参加• 第2期: 九段 予選E 、本戦準決勝敗退• 第3期: 九段 予選A 決勝敗退• 第4期:本戦一回戦敗退 関連動画 有名な大逆転の一局。 解説は 左 、 右。 こちらも有名な手が飛び出した 左 対局と 右 による解説。 左 のに勝った、的に有名な棋譜の解説。 右 に関する。 左 偉い人とのテレフォンショッ。 右 重な。 で中継される。 関連生放送 関連商品 関連項目• 外部リンク• の連続保持日数は、な者で以下の様になる。 はの奪取からの陥落までの14年2か、日。 はの奪取からの陥落までの11年8か、4日。 はの奪取からの陥落までの5年10か、9日。 はの奪取からの陥落までの8年6か、3日。 はの奪取からの陥落までの7年1か、7日。 がの奪取以来14年以上にって保持している。 位を失い冠になった場合、1年間「前」を名乗れる。 位に関しても同様で、「前」を1年間名乗れる。

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【将棋】藤井知識ゼロの俺に藤井のすごさ教えてくれ

にちゃん 名人

よろしくお願いします。 プロの定義は簡単ではないですが、たとえば将棋だと、養成機関を優秀な成績で抜けた将棋専業の棋士、女流棋士というプロがいます。 一方で連珠は、皆さんそれぞれの立場があって、競技に参加してるってことですね。 藤田「そう、アスリートに近いかな。 ただ、中国はプロ化してて。 チェスみたいにプロとアマチュアが一緒に棋戦に参加してます。 上海棋院とか、地区ごとの棋院があって、そこに所属の選手がいて対抗戦やったり。 政府が頭脳スポーツを奨励して支援したり企業も協賛したり手厚い環境で。 たまに日本のA級棋士の人が中国に招待されて指導したりすることもあるみたい。 そういう時中国では日本の将棋界みたいにちゃんとした先生として扱ってもらえる。 でも日本では『連珠棋士』って言っても知名度がないじゃない? だから連珠棋士の地位を高めたくて、まずはスポンサーがちょっとでもあるといいなと思ってて、自分が連珠がんばってる理由の一つに、知名度をあげたり、いい成績を残してスポンサーを探したいなっていうのがあります。 対局場の芝公園・紅葉館に囲碁、将棋、そして連珠の名人が集まった様子が川端康成『名人』に書かれています。 碁の名人の対局を将棋と聯珠の名人が観戦する。 新聞社が招いて、名人をそろえたのだ。 高木名人の次に、観戦記者の私が坐っていた。 藤田「西日本新聞が棋戦を主催していたこともあったり。 イベントでも任天堂がスポンサーになったりしてたんだけど。 もう圧倒されただけです。 情報量が多すぎて、なかなか追いつけません。 藤田「連珠の人たち、純粋な公益社団法人なのよ。 『寄付金だけでやってます』みたいな感じで。 すごい楚々としてるから。 私はガツガツしてるわけよ、わりと。 先人はそうした時代のことを切々と書き残しています。 それを思うと、藤井ブームに沸く現代の将棋界は夢みたいな状況かもしれません。 どんな分野でも経済的に恵まれない時代を支えた有名、無名の人たちは素晴らしいと思います。 藤田さんは異例の晩学組なんですよね。 藤田「21歳、大学3年の時に将棋に出会って『これだっ!』って思っちゃって。 大学の最寄り駅まで校舎から全速力で走って。 (将棋会館のある)千駄ヶ谷に行きたいばっかりに。 藤田「親もそれを聞いた時に『なに言ってんだ?』って思ったから、特にツッコミもしなかったんだよ。 それもまた素晴らしいことです。 藤田「強くなるのはけっこう速かったんだよね。 でもプロになってからはすごく低迷して。 職業としての女流棋士は適性がなかったんだよね。 結局一番よかった成績が(2003年度、予選で3連勝して)女流王将戦の本戦入り。 女流1級に昇級できたんだけど、それで終わって。 毎年ほとんど予選で1、2回戦負けっていう成績で、6棋戦か7棋戦ぐらいしかなかったから、年間10局以下で過ごすっていう生活を続けてた。 最初は塾講師のアルバイトして、対局料だけじゃ生活できないからさ。 だけどある日『これをやってても将棋になんにもつながんないな。 すべて将棋関係の仕事で稼ごう』と思って辞めて。 稼ぐっていっても、目標月15万だからね。 それでいろんなバイトをしたんですよ。 たとえば将棋ソフトの苦情受付の電話応対とか。 本の校正とか。 将棋に関わるいろいろなことをやって。 藤田「人のために役立つ仕事とか好きな方だし。 そんなこんなやってるうちに、観戦記とか、原稿を書く仕事とか、お兄さん(松本)に『明日空いてる? 空いてたら順位戦中継して』みたいな。 ずいぶん、カジュアルに頼んできたよね。 『あ、残念ながら空いてるわ』って感じでうっかり中継記者になったりとか。 そういうスキマ仕事をいっぱい積み重ねて。 そうこうするうちに、どうぶつしょうぎをデザインしたり。 でもやってることはバラバラだけど、将棋の魅力を世に知らしめるためという意味では一貫してた。 プロ棋士の一つの使命でしょ、それって。 里見香奈さん(現女流四冠)はトーナメントに打ち込む姿で将棋の魅力を伝える。 一方、底辺の藤田麻衣子さんはあの手この手で、時には(どうぶつしょうぎの)らいおんを描き、時には中継記者として棋譜を入力し、対局室で写真を撮り。 ありとあらゆることをして、将棋の魅力を世に伝えようとしていたわけです。 そしたら私が子どもを産んでる間に、女流棋界が分裂して。 (中略)これさあ、面白いからYouTubeに流そうぜ。 できるだけ文字起こしはしますけど。 で、藤田さんはLPSA(日本女子プロ将棋協会)に所属して。 藤田「まあ成績も毎年ぱっとしない感じだったんだよね。 『連珠世界』(公益社団法人・日本連珠社の機関誌)にも書いたんだけど、引退を決意した対局っていうのがあって。 (2009年11月に)山口恵梨子ちゃん(現女流二段)と対局したんだよね。 で、あっさり負けて。 その時『一日無駄にしたな』って思っちゃったの。 この時間があったら『駒込の(LPSAの)事務所でどんだけの仕事ができたんだろう。 もっとやりたいこといっぱいあったのに』って思ったのね。 将棋を指した日にそんなことを考えたのが初めてだったのよ。 それで『今日をもって私は辞めることを決意しよう』と思ったの。 それが秋ぐらいで。 (年明けの)3月で辞めようと決めた。 将棋って負けが込むと、どんどんわるいイメージが積み重なって、対局すること自体が前向きな気持ちになれなかったりするじゃん。 だけど辞めると決めた後は何も怖くなくなったのね。 『最後だし好きな戦法を指そうかな』みたいな感じでやってたら、最後だけ将棋の調子がよくて。 (2010年1月)LPSA主催のペア将棋選手権で鈴木貴幸さん(アマ強豪)と組んで優勝したんだよ。 中井さん(広恵女流六段)たちに勝って。 それが私の唯一の優勝記録」 2010年、ペア将棋選手権で優勝(撮影:松本博文) 藤田「(2010年3月)最後のけやきカップ(1dayトーナメント)が準優勝だった。 最後にそうやっていい成績で終われたから。 降級点取って去るより(規定では成績下位者に降級点がつけられ、それが積み重なると引退)私としては、すごくいい終わり方だったんだよね。 寡黙な人よりは饒舌な人の方が、インタビュアーとしては助かります。 そういうわけで、将棋のプレイヤーとしては、納得する形で辞めたんですね。 藤田「そうですそうです。 藤田「そうです。 自分が勝負事が向いてないと思いこんでたから、まさかもう一度競技をすることになるとはまったく思ってなくて。 藤田さんはもともと、将棋をやる前は囲碁をやってたんですよね? 藤田「子どもの頃、一番最初にやったボードゲームは囲碁です。 囲碁をやるきっかけになったのは、近所の児童館でやってたオセロ大会で優勝したのね。 父が囲碁やってたから、娘に囲碁をやらせる機会をうかがってたのよ。 オセロ大会で優勝した日に、すごいその気になって『あたし、囲碁もやるー!』みたいな。 でも囲碁は才能がなかった。 毎日、碁会所に行ってたのね。 それで初段ぐらいにしかならなかったのよ。 中部には羽根直樹君(三重県出身、現碁聖)っていう天才がいて。 こっちは大会とかで後ろでおとんが見てて。 『うっとうしいなあ』って思いながら、いやいややってたわけ。 だから全然伸びなかった。 (大学在学中に)将棋をやり始めたきっかけも、囲碁をもう一回やってみたいなと思って。 たまたま一緒にいた友達が将棋しかルール知らなくて。 やってみたら『将棋の方が自分の性格に合ってたわ、あたしが求めていたのは将棋だったんだ!』と思って。 『将棋がファム・ファタール(運命の女性)だ!』と思ってたんですよ! ところがですよ! 将棋よりハマるものがあるとは思わなかったよね、マジで。 『将棋が100パーセント正義』みたいな価値観で十年以上生きてきたわけですよ。 ただし一方で世界には同じように奥深くて面白いゲームがいくつも存在する。 でも将棋をやってる人はついつい『将棋こそキング・オブ・ゲームなり』と思ってしまいがちかもしれませんね。 藤田「連珠に興味を持ったきっかけは、将棋の普及活動をしてるうちに、イベントブースとかで他のボードゲームの人たちとも知り合ってお話を聞くんだけど。 私は囲碁と五目並べって、兄弟のように思ってたのね。 そしたら岡部さん(寛九段)っていう連珠の棋士が『いや違う、連珠は限りなく将棋に近いゲームだ』って言うの。 『えっ、そうだったの?』って思って。 それでまず興味を持ったのね。 藤田「五目並べも、石が5個並ぶまでのスピードを競争するのね。 将棋で『王手』『詰めろ』『一手すき』『ゼット』(絶対に詰まない)とかあるじゃん。 速度計算。 あれがすべて連珠でも同じなんですよ。 将棋の終盤の考え方が全部応用が効く。 『じゃあ連珠って何手ぐらいで終わるの?』って言ったら、だいたい三十手ぐらいだっていうの。 早いと十手で終わることもある。 要するに、3手目ぐらいから終盤なの。 4手目、5手目から『詰めろ』の連続。 序盤は『詰めろ』以外の手をやったら負けちゃうぐらいの、それぐらいシビアな戦い。 である日ふと、『そういえば私、駒組とかあんま興味なかったわ』って気づいたの。 それより駒がぶつかってからの最終盤が楽しかった。 将棋を始めた時も『詰み』って状態が面白くてハマっていった。 藤田「そう! 面白いのは、囲碁の人も連珠を始めるとすごく強いの。 ところがね、棋風が空間型なの。 将棋系の人は連珠でも速度概念がしっかりしててすぐにコツをつかむ。 囲碁の人は、相手に打たれたくないいい場所、どっちが先に好点を押さえるか、みたいな、そういうのが上手い。 囲碁って「地」(じ)の取り合い、領地の争いじゃん。 そういうバックグラウンドの違いで、棋風に違いが出てきたりするんですね。 藤田「する。 牧野さんも連珠が大好きなんですね。 藤田さんと牧野さんは最近、大の仲良しのようですが。 藤田「そうなんです。 なんで牧野さんと仲良くなったかっていうと・・・」 (次回に続く) 連珠で対局する将棋棋士の牧野光則五段(撮影:藤田麻衣子).

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