いすゞ ピアッツァ。 いすゞ「ピアッツア」(初代) ジウジアーロ×いすゞの1台、かっこよさのワケ

「忖度がない」。テリー伊藤がピアッツァ・ネロを見て、いすゞの男気を語る!:旬ネタ|日刊カーセンサー

いすゞ ピアッツァ

徳大寺有恒氏の美しい試乗記を再録する本コーナー。 今回はいすゞのピアッツァXEを取り上げます。 1993年に乗用車からは撤退してしまったメーカー、いすゞ自動車。 いすゞと聞いて人々がまず思い浮かべるのは、日本車を代表する傑作に数えられる1台、117クーペかもしれません。 その117クーペの後継として誕生したのがピアッツァです。 ベースとされたのはFRのジェミニ、エンジンも2L DOHCはジェミニの1. 8L DOHCをスケールアップしたもの、2L SOHCは117クーペの改良版といささか古く、1984年にはアスカの2Lターボを搭載。 ジウジアーロ率いるイタルによるそのデザインは、当時大きな話題となりました。 1980年代に誕生した往年のいすゞ車 ピアッツァを、徳さんはどう評したか。 1981年の試乗記から振り返ります。 ピアッツァは、いすゞとイタルデザインの共同作業により生まれたスペシャルティカーである。 その特徴はなんといっても美しいボディスタイリングにある。 いうまでもなく、そのスタイリストがジウジアーロ率いるイタルというわけで、ジウジアーロがスター、そしてメーカーのいすゞはこの大スターのアイデア、ラインをいかに商品化するかという部分を担当したのである。 ピアッツァのベースはジェミニである。 急傾斜角を持つフロントグラスと1278mmという低いルーフ、全体に丸みを帯びたデザインである。 もちろん、大いに魅力的で冒頭に記したごとく、一刻も早く日本で作られることを多くのファンが待ち望んだ。 そして、2年少々という早い時間でかなえられたのだが、その短時間は足回りにジェミニのパーツを多用し、パワーユニットにはジェミニや117クーペのものを使うことでかなえられた。 もっといえば、媚がない。 クルマとしてのバランスは見事で、そのバランスの上により美しいライン、面が構成されている。 こういうデザインは従来、日本にはほとんどない。 あるとすれば、ジウジアーロがベルトーネ時代に手がけた117クーペだろう。 ピアッツァの生産型はプロトタイプとかなり変わっている。 一番大きなところではフロントグラスが4度持ち上げられたことだ。 ジウジアーロはこのフロントグラスにとてもうるさく、VWゴルフの時にもVW側と大激論になったという。 まぶたを閉じたようなヘッドライトにもこだわりを感じる。 ジウジアーロはこの方式に固執したというが、それも納得できる。 いま流行のポップアップなんて、これに比べたらイモもいいところだ。 被さり加減、開き加減の計算され尽くした造形がいいといっているのだ。 これはけっして軽くない。 パワーウエイトレシオは8. 8kg/psだから、絶対的な動力性能はそれほどでもないと予想できる。 実際ピアッツァはドライバーに速いと感じさせない。 ツウィンカムらしく高回転域に入って伸びがあるというのでもなく、さりとて大きなトルクでグイグイ引っ張るというのでもない。 これは車重にも関係するが、私はそれよりもエンジンのトルク特性とかギアリングの改良で、もう少々速いと感じさせる力強いフィールがほしい。 同じツウィンカムでもトヨタのマーク2などに搭載される18RGEU(135ps/17. 5kgm)のほうがいい。 トヨタのツウィンカムも低速型でそれほど気持ちよくないが、トルクははるかにトヨタのほうが厚い。 ピアッツァに今最も求められるものは、モアパワー、モアトルクである。 ピアッツァをアルファ・ロメオのように走らせてこそ、美しいジウジアーロボディが映えると思う。

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いすゞ「ピアッツア」(初代) ジウジアーロ×いすゞの1台、かっこよさのワケ

いすゞ ピアッツァ

徳大寺有恒氏の美しい試乗記を再録する本コーナー。 今回はいすゞのピアッツァXEを取り上げます。 1993年に乗用車からは撤退してしまったメーカー、いすゞ自動車。 いすゞと聞いて人々がまず思い浮かべるのは、日本車を代表する傑作に数えられる1台、117クーペかもしれません。 その117クーペの後継として誕生したのがピアッツァです。 ベースとされたのはFRのジェミニ、エンジンも2L DOHCはジェミニの1. 8L DOHCをスケールアップしたもの、2L SOHCは117クーペの改良版といささか古く、1984年にはアスカの2Lターボを搭載。 ジウジアーロ率いるイタルによるそのデザインは、当時大きな話題となりました。 1980年代に誕生した往年のいすゞ車 ピアッツァを、徳さんはどう評したか。 1981年の試乗記から振り返ります。 ピアッツァは、いすゞとイタルデザインの共同作業により生まれたスペシャルティカーである。 その特徴はなんといっても美しいボディスタイリングにある。 いうまでもなく、そのスタイリストがジウジアーロ率いるイタルというわけで、ジウジアーロがスター、そしてメーカーのいすゞはこの大スターのアイデア、ラインをいかに商品化するかという部分を担当したのである。 ピアッツァのベースはジェミニである。 急傾斜角を持つフロントグラスと1278mmという低いルーフ、全体に丸みを帯びたデザインである。 もちろん、大いに魅力的で冒頭に記したごとく、一刻も早く日本で作られることを多くのファンが待ち望んだ。 そして、2年少々という早い時間でかなえられたのだが、その短時間は足回りにジェミニのパーツを多用し、パワーユニットにはジェミニや117クーペのものを使うことでかなえられた。 もっといえば、媚がない。 クルマとしてのバランスは見事で、そのバランスの上により美しいライン、面が構成されている。 こういうデザインは従来、日本にはほとんどない。 あるとすれば、ジウジアーロがベルトーネ時代に手がけた117クーペだろう。 ピアッツァの生産型はプロトタイプとかなり変わっている。 一番大きなところではフロントグラスが4度持ち上げられたことだ。 ジウジアーロはこのフロントグラスにとてもうるさく、VWゴルフの時にもVW側と大激論になったという。 まぶたを閉じたようなヘッドライトにもこだわりを感じる。 ジウジアーロはこの方式に固執したというが、それも納得できる。 いま流行のポップアップなんて、これに比べたらイモもいいところだ。 被さり加減、開き加減の計算され尽くした造形がいいといっているのだ。 これはけっして軽くない。 パワーウエイトレシオは8. 8kg/psだから、絶対的な動力性能はそれほどでもないと予想できる。 実際ピアッツァはドライバーに速いと感じさせない。 ツウィンカムらしく高回転域に入って伸びがあるというのでもなく、さりとて大きなトルクでグイグイ引っ張るというのでもない。 これは車重にも関係するが、私はそれよりもエンジンのトルク特性とかギアリングの改良で、もう少々速いと感じさせる力強いフィールがほしい。 同じツウィンカムでもトヨタのマーク2などに搭載される18RGEU(135ps/17. 5kgm)のほうがいい。 トヨタのツウィンカムも低速型でそれほど気持ちよくないが、トルクははるかにトヨタのほうが厚い。 ピアッツァに今最も求められるものは、モアパワー、モアトルクである。 ピアッツァをアルファ・ロメオのように走らせてこそ、美しいジウジアーロボディが映えると思う。

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いすゞ ピアッツァ(価格:128.8万円, 山形県, 物件番号:16576718)|中古車の情報・価格【MOTA】

いすゞ ピアッツァ

販売期間 - 4人 3ドア 4ZC1型 2. 0L 直4 ターボ G200WN型 1949cc 直4 DOHC G200ZNS型 2. 8m ブレーキ 前後:ベンチレーテッド・ディスク式 別名 北米:いすゞ・インパルス(初代) 先代• 形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車) 1979年、117クーペの後継モデルを計画したいすゞ自動車は、イタリアのデザイナー、 にそのデザインを依頼した。 翌3月、ジウジアーロは「のボディライン」としてデザインカー「アッソ・デ・フィオーリ」(Asso di fiori、イタリア語でクラブのエース)をに出展、そのデザインカーの寸法を拡大、細部にリファインを加えて商品化されたクーペがピアッツァであった。 市販化を前提としてデザインされたショーカーといえども、内部機構とのすり合わせや生産性の考慮などの理由により完成時までには相当のスタイル変更を受けるのが通常であり、オリジナルのイメージをほぼ保ったままでの量産化というピアッツァの試みは世界中から驚きを持って受けとめられた。 外観デザインはエッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状で、ジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さであったのと同時に、空力が十分に考慮された先進的なものでもあった(CD値0. 36)。 ボンネットには、デビュー当時はが装着されていたが、1983年のの改正に伴って、ドアミラーに変更された。 室内は、大人4人の乗車が可能な居住性を有した。 エクステリア同様にインテリアもショーカーに極めて近く製品化された。 サテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、(XES,XEに標準装備)に加えて、ステアリングから手を離さずにやスイッチ操作など、大抵の操作ができた。 右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目の操作部が配置されていた。 サテライトにはシールが貼られた謎のスイッチがあったがそれはフォグランプのスイッチで、ランプ本体を装着すればオンオフ可能であった。 シールを外すとフォグランプのアイコンが現れた。 エアコンの吹き出し口のギミックも凝っており、運転席側はフロントウインドー下の部分から12cm程度せり上がり、足元には回転開閉するエアコン吹き出し口がある。 また助手席側は噴出し口が横にせり出すなど、コンセプトモデルのマニアックな機構が市販車にも採用された。 装備としては、オートエアコンやマルチドライブモニター JR130 XES,XE 、低速時には軽くなり高速時時には重みを増す車速感応型操舵力可変、パワーウィンドウ等が装備され、安全装備としての後席3点式シートベルトの採用も先進的であった。 またウォッシャーノズル内蔵のワンアーム式フロントなどスタイリングを崩さないために専用パーツが多く使用されている。 機構 [ ] 117クーペ同様ので、デビュー時のエンジンは初代(PF系)ZZ用の1. 8Lを1. 9LにスケールアップしたDOHC(G200WN)と、117クーペ用の(G200ZNS)を改良したものを搭載した。 G200WNは、見掛けの出力は117クーペに搭載されたG200WEと同じだが、にホットワイヤを採用(世界初)し、角はを使用した無接触式(世界初)として、ダイアグノーシス(自己診断)機能を有する(世界初)で制御されていた。 当時はエンジンのパワー競争が行われており、最高出力135ps(値)17kg-mでは不足とされ、6月より用エンジン をベースとした2. 0L電子制御式ターボ付SOHCをラインナップに追加(1. 9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180ps 、トルク23kg-mを記録した。 は、5速と4速で、ATはが以外に初めて供給した4速ATであった。 関連は初代ジェミニと同様に GM のを基にしており、は前輪が+コイルスプリング、後輪は+コイルで、前後輪共にが付く。 は年式・グレードにより細かく異なり、さらに後輪を5リンクリジッドに変更したハンドリングバイロータス仕様も追加設定された。 は、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型装備となる。 ブレーキは、全車のフロントとターボ車のリヤがベンチレーテッドとされた。 8であった。 歴史 [ ] 丸みを帯びたリアスタイル• 6月 - 登場。 は「シニア感覚」。 はの「シニア・ドリーム」。 5月 - マイナーチェンジ。 が装着された。 6月 - 前年に登場したに搭載された、アスカ用エンジン 4ZC1-T に付きターボエンジンを搭載したモデルを投入(「XE」、「XS」)。 出力は180psで、当時2. 0LのOHCエンジンとしては日本一であった。 9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。 11月 - 旧のチューナー irmscher に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。 しなやかな足回りに、ステアリングに、シートはを採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観を持っていた。 - (現・)部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。 8月 - 一部改良。 テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。 1984年6月より受注生産だった1. 9L DOHCを廃止。 9L SOHCはグロス表示(120ps)のまま)。 6月 - 社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 handling by LOTUS 仕様が追加。 MOMOステアリング、ロータスチューンドサスペンション、英国アームストロング製ド・カルボン型ショックアブソーバー、製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。 このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。 9L版を廃止し2. 0Lターボに一本化。 - 最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。 外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。 7月 ー 生産終了。 在庫対応分のみの販売となる。 8月 - 販売終了。 総生産台数11万3,419台。 ピアッツァ・ネロ [ ] 日本国内でピアッツァは、によっても販売され、その際に冠された名称が「ピアッツァ・ネロ(Piazza Nero)」である。 これは、1971年以降GM傘下であって国内販売網の拡大を意図したいすゞと、日本におけるGM車の正式な輸入代理店であり、販売車種の拡大を意図したヤナセとの提携の結果であった。 内外装にブラックやピンストライプなど、いすゞ販売車にはみられないものを用意し差別化が図られていた。 その他、ピアッツァの特徴であった異形2灯ヘッドライトがより輸出型の4灯に変更され、更ににはIMPULSE用のボンネットフードの採用と可動式ヘッドライトカバーの廃止が行われた。 いすゞは、向けに生産した3代目ジェミニの派生車種「」をベースに、市場で「いすゞ」ブランドで展開する乗用車として2代目「インパルス」を開発、より北米で発売する。 ストームをベースとして派生モデルを作成することは、同車開発時より考慮されていたことである。 インパルスは当初から日本への展開も予定されており、8月より日本国内向けに仕様を変更して、2代目ピアッツァとして販売が開始された。 81L(厳密には1,809cc)を表した。 デザインは「インパルス」、「ピアッツァ」ともにが担当し、スマートな形状のストーム・ジェミニクーペに対して、力強さをアピールし、がっちりとしたフォルムを出すことで差別化を図っている。 前後のと可動式カバーが外観における特徴となっている。 12月 - いすゞの乗用車自主生産撤退により、本車がいすゞが開発した最後の乗用車になった。 総生産台数はいすゞからは公表されていないが、米Ward's Communications発行のWard's Automotive Yearbook誌 によると米国販売台数は9,716台、カナダ販売台数は4,579台となっている。 なお、日本国内での販売期間中の新車登録台数の累計は2,006台 だった。 機構 [ ] 駆動方式は。 エンジンは1. 8L の4XF1型で、これはジェミニやに搭載された型をストロークアップしたものである。 変速機構は5と4。 は3代目ジェミニ同様、をベースに後輪にはの一種であるを装備する。 また、2代目ピアッツァについては開発過程でロータスが監修しており、生産車すべてが「ハンドリングバイロータス」仕様である。 ピアッツァ・ネロ [ ] 先代モデル同様、においてはピアッツァ・ネロとして販売された。 いすゞで販売されていたモデルとの差異は小さく、独自のセンターグリルエンブレム・ステッカー類や内装の柄の違い、ボディカラー設定程度であった。 ネロは、初代、2代目合計で11,656台が販売された。 なお、ヤナセから販売されたいすゞ車としては他に、3代目ジェミニベースの北米向けクーペである・ストームを日本国内向けに変更した、PA NERO()があった。 日本国外での販売 [ ] 北米では初代モデルに続いて「インパルス」として販売された。 インパルスはフロントが異なるためピアッツァよりも全長が短く、エンジンはジェミニ用の1. 国内向けモデルのリヤクロスがジェミニ4駆モデルと同じなのは、この海外向けモデルの存在と関係する。 ストームがベースとなったインパルスでは、この顔をした(2BOX)モデルもラインナップされていた。 また、カナダではGM系ブランド「」向けに「」として供給されていた。 車名の由来 [ ] ピアッツァとはで「」の意味で、1980年代の車社会において広場のような価値観の車であることを願って命名されている。 ネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表す。 その他 [ ]• 歴代のいすゞ製乗用車のなかで、搭載モデルが存在しないのは、本車とSUVののみである。 かつて、いすゞ中古自動車販売(現・)は中古のピアッツァの部品を一部換装したうえで、「ムシャブルイ(武者震い、Mscher Blue)」というネーミングで発売していた。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• アスカ用は。 グロス値。 1987年8月に値に換算され150psとなる 出典 [ ] []• リクルート 2019年12月21日. 2019年12月21日閲覧。 に当たるのは、である。 しかし、も。 に当たるのは、 と である。 Alfieri, Bruno ed. 1987. Milano, Italy: Automobilia International Publishing Group. 108—109• リクルート 2019年12月21日. 2019年12月21日閲覧。 いすゞ自動車Webサイトより• リクルート 2019年12月21日. 2019年12月21日閲覧。 デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第64号7ページより 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 先代車• - 2代目の派生元• - 1階エントランスに同車の名前を模した広場(休憩所)がある 外部リンク [ ]•

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