歌詞が薄っぺらいアーティスト。 【生命保険営業】西野カナの薄っぺらい歌詞が死ぬほど嫌い(

amazarashi以上に良い歌詞書くアーティストっていなくね?

歌詞が薄っぺらいアーティスト

9年連続となる紅白歌合戦出場を決めた「恋愛ソングのカリスマ」 西野カナさん。 女子中高生に絶大な人気を誇る彼女ですが、「 歌詞が薄っぺらい」との意見も多いです。 また、 マツコ・デラックスさんが西野カナさんを批判したことが話題になっています。 今回は西野カナさんの歌詞は薄っぺらいのか、また、マツコ・デラックスさんの意見について書いていきます。 西野カナの歌詞は薄っぺらい!? さて、西野カナさんが書く歌詞は薄っぺらいのでしょうか? まず西野カナさんは ほぼ全ての楽曲の作詞を自身で行っています。 「恋愛ソングのカリスマ」の異名の通り、シングルとして出される主な楽曲は 恋愛系が非常に多いです。 そのため「好き」「LOVE」「会いたい」など 似たような単語が頻出する傾向にあります。 また、「 同じ言葉の繰り返し」が多いのも彼女の作詞の特徴です。 有名な「会いたくて 会いたくて 震える」はまさにそれです 笑。 この傾向のため、「ボキャブラリーが無い」「同じことばっかり言ってる」とされ、「 歌詞が薄っぺらい」と言われてしまうのではないでしょうか。 西野カナの歌詞をマツコ・デラックスが痛烈批判!? 西野カナさんの歌詞を マツコ・デラックスさんが批判したと話題になりました。 内容はこちら 『ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ・・・』 なんて詞をどう解釈しろというのよ。 どこに心の機微があるの? 「ありがとう」ということを自分なりの言葉に代えて表現することこそが、作詞活動じゃないの? あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね。 あんな三歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、 今の若い子たちは共感できないの?そんなに想像力がなくなっているの? あの稚拙な歌詞を見せられて、「小学生の読書感想文じゃないんだぞ」ってツッコミすらできないの? 等身大の思いというのは、いつの世にもあったけど、自分のことを世代の代表として選ばれたアーティストとして自負しているなら、カッコつけようとかプライドがあるはず。 でも、それが西野カナには微塵も感じられないのよ。 彼女だけが問題じゃない。 こんな薄っぺらい歌詞を、何の疑いもなく支持してしまっている 女子高生たちの精神構造もわからないのよ。 与えられたものを、何も考えずにそのまま受け入れているだけ。 だから、あんな詞に対して「そうだよね。 わかるぅ。 友達と会えてよかったよね」ってなるのね。 引用元: 要するに「 西野カナの歌詞は薄っぺらい」と批判しています。 この意見に同調する人も多いですが、主に西野カナさんのファンからは「何様」「自分が歌詞を書いてみろ」といった批判もあります。 ただこの意見は西野カナさん本人というよりも 歌詞にOKを出す音楽業界と歌詞に何の疑問を持たない世の中を批判しているという点に注意が必要です。 最近あたし西野カナってすげえなと思う。 血液型の歌とか、血液型の説明そのまま書いてるだけの歌詞なのよ。 あの発想ないよね。 多分自分が知らないものに対する拒否反応ってあるじゃない。 それ超えたのよねジジイになって。 素直にすごいねって言うようになってきた。 でももうちょっと抗おうかな(笑) 引用元: 西野カナ 『A型のうた』MV Short Ver. 「 西野カナは凄い」と以前の意見を翻して 西野カナさんを認める発言をしました。 マツコ・デラックスさんも 年齢を重ねたことによって意見が変わったようです。 大人になってから良さがわかるものって珍しくありませんからね。 それは中年以降も同じということでしょう。 まとめ 個人的には西野カナさんの歌詞が「薄っぺらい」か「薄っぺらくない」かと聞かれたら「薄っぺらい」と答えます。 しかし それが悪いわけではありません。 西野カナさんのファンは中高生~20代前半の女性が圧倒的に多く、 ストレートに言い換えないで歌っているからこそ彼女たちが支持しているという理由もあるからです。 そもそも西野カナさんが支持されるのは 声質や歌唱力、ファッションリーダーとしての側面もあるので歌詞だけを批判するのもお門違いでしょう。 好みは人それぞれです。 嫌いなものにわざわざ「嫌い」とか言う必要もないと思います。

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リンダ リンダ THE BLUE HEARTS 歌詞情報

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Yahoo! で「ポルノグラフィティ」と打つと真っ先に出る「ポルノグラフィティ 歌詞 薄っぺらい」の文字。 しかし「は?上等じゃねぇか戦争だコラ」といくら該当ページを探しても雲散霧消、なんにも出てこないのでただただモヤる。 そもそも「歌詞が薄っぺらい」ってのはそんなに悪いことなのか。 たしかにポルノグラフィティ、特にギターの新藤晴一という男が書く歌詞は基本的に回りくどいものが数多くある。 例えば有名なシングルで『ネオメロドラマティック』って曲がありますが、そもそもこの言葉自体が造語、歌詞の内容も終始意味がわからず聴いてると「ネオメロ?は?ナメック語?」みたいな気分になってくる。 だからこういう曲を「薄っぺらい」と言われると俺はなんにも言えません。 聴いてるこっちもよく意味わかってないから。 そう考えると、ポルノの歌詞を薄っぺらいと評する人の気持ちはわからんでもない。 意味のわからないもの、理解のできないものに出くわすと人は思考が停止し、時に強い言葉を使って拒絶する。 俺も「こんなん社会に出てから使わねーだろバカバカしい」そうやって「さんすう」が「数学」に「りか」が「物理・科学・生物」に変わったあたりから勉強諦めたクチです。 逆に童謡「こぶたぬきつねこ」なんかの歌詞を「『こぶたたぬきつねこ』とか歌詞薄っぺらくて聴いてられねぇわ、あんなの聴くの馬鹿なガキくらいだろwww」とバカにする人間は一人もいない。 もしいたら速攻で通報してそっから逃げてください。 それよりKiroroなにしてんの? 話を戻すと、ポルノグラフィティ・新藤晴一は「愛してる」「頑張ろう」という言葉を使わずにそれをいかにして伝えるか、ということにこだわっているフシがあって、そうすると必然的に歌詞は薄まり濃縮還元100%とはいかなくなる。 例えば「女の胸を揉みたい」ってメッセージひとつとっても、長渕剛は「そんな事より俺はお前をベッドに引きずり込み!素っ裸のお前の胸にしゃぶりつく!」と書くが新藤晴一は「Dive in the girl. Dive in the mother's sky 両手を合わせて乳房もとめて〜」と書く。 長渕剛がポンジュースだとしたら、たしかに新藤晴一はQooなのかもしれない。 でも、俺はそれを悪いとはみじんも思わない、手を変え品を変え「愛」とか「恋」とか「夢」とかいう普遍的なものをいろんな角度、いろんな言葉で表現してくれるからこそはじめて聴いたときには意味がわからなくても、100回目に「あっ…ア!ボイルした時計の皮剥きってもしかしてこういう意味だったのかよ…」とストンと腑に落ちる、この感覚がたまらなく気持ち良くて、これを味わいたくてたぶん俺はポルノグラフィティの曲を聴いてる。 だからもし「ポルノグラフィティ 歌詞 薄っぺらい」の検索候補を見て腹を立ててる人がいたらちょっと待って、お兄さん。 ポルノグラフィティは歌詞が薄っぺらいのが最大の魅力だろう?もし次のシングルのタイトルが「100万回のア・イ・シ・テ・ル 〜君に贈るラブソング〜」だったらどうだ?ん…?あれ…?そっちのほうが薄っぺらくねえか?は?てゆうか「歌詞が薄い」ってなんだ?逆に「あのアーティストの歌詞って濃いよね」なんて話すんのか?薄いとか濃いとか食い物じゃねぇんだぞ。 えっ、これもしかして近所に最近できた定食屋「ポルノグラフ亭」の話? もうわけわかんねぇ…薄い歌詞濃い歌詞ってなんですの?もしかして適当言ってんじゃねえだろうな。 うわ、なんか腹立ってきた。 そもそもな、そんなにストレートな濃いメッセージが欲しいだったらな、歌なんて聴いてんじゃないよ。 松岡修造のホームページへ行け。 「今日からお前は富士山だ!」とか言ってくれるから。 ikdhkr.

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【西野カナ】の変化がヤバイ!?マツコ・デラックスに『薄っぺらい歌詞』と言われても・・・

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カテゴリ: 歌において歌詞というのは非常に重要です。 どんなに曲が良かったとしてもそれに乗っかる歌詞がイマイチであれば、その曲への評価は高まらないでしょう。 曲という素材を生かすも殺すも、歌詞次第。 もちろん、それは曲にとっても同様であり、お互いが活きるように出来ていないと曲というのは躍動しないものです。 それほど、歌詞というのは大きいウエイトを占めます。 「歌詞がめっちゃいい」には2種類ある あるアーティストの曲に対する「歌詞がめっちゃいい」という評価には、2種類あるんじゃないかと自分に考えています。 一つは、まっすぐに想いの丈をぶつける歌詞。 もうひとつは、歌詞の中に世界観やストーリーを構築している歌詞。 後者の代表的な例でいえば、BUMP OF CHICKENの名曲「天体観測」は、いろいろな歌詞の捉え方が出来る懐の深い歌詞として、多くの人に愛されていますね。 まっすぐな歌詞は共感が評価基準 まっすぐに想いの丈をぶつける歌詞というのは、その熱さや言葉選びはもちろんですが、自分の状況に近い、または自分が想像することの出来る状況の場合に、強い共感を抱くような歌詞が評価されやすいですね。 自分の感情や記憶を代弁してくれることで、その曲やアーティストについて特別感を抱くのではないでしょうか。 「まっすぐ」と「そのまま」は別物 しかし、ここでひとつ気をつけたいことは「まっすぐに伝える」と「そのまま伝える」というのは一見同じに見えますが、全く別物だということです。 伝えたい感情があったとして、それをそのまま歌詞にしたところで、それはただの感想文です。 例えば「君が好き」という感情を歌詞にした際に以下の歌詞はいかがでしょうか。 「君が好き。 どうしようもないくらい君が好き。 ずっと好き。 毎日好き。 好き好き好き。 」 想いの丈をぶつけてはいますが、情景が浮かばず、ただ言葉だけで盛り上がっているだけです。 確かに「うん、そうだね」と共感は可能かもしれませんが、なんだか薄っぺらいですね。 何の重みのない感想文に共感したくありませんし、評価もありません。 「君が好き。 喧嘩して、笑いあったりして、泣いたりして、しわの数だけ思い出を刻んでいきたい」 同じようなテーマでも、こちらの方がどのように好きなのか、自分がどうしたいのかといった意思表示や情景が浮かびやすいのではないでしょうか。 もし自分で歌詞を書くような場合、または楽曲の歌詞に興味を持った場合にこのような観点で興味を持ってはいかがでしょうか。 文学的な歌詞は謎解きの楽しさがある 一方、歌詞の中に世界観やストーリーを構築している歌詞はどのような魅力や評価基準があるのでしょうか。 いわゆる文学的な歌詞の場合には、その歌はどんな世界観であり、どんなシーンなのか、どのようなメッセージ、真相が込められているのかを追求する楽しさがあることではないでしょうか。 ただ単に小難しいことを言っていても、それが曲を通じて意味を持っていなければ、ただの難解な用語集になってしまいます。 伝えたい本命を、歌詞の合間に忍ばせ、伏線を張り、ヒントを与える。 そのように深く考え込まれた歌詞というのは、その本当の意味やメッセージが理解できたと感じる時に、、鳥肌が立つような喜びを感じます。 そのような楽曲は何度聴いていても楽しいものです。

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