ドラクエ 11 いか ず ちの たま。 たま (バンド)

【ドラクエ11(DQ11)】ネーレウス・強の出現場所と落とすアイテム|ゲームエイト

ドラクエ 11 いか ず ちの たま

戦闘中に使うと敵1グループに31~41の雷属性ダメージ 主な入手方法 店売り• ナギムナー村• プチャラオ村• メダチャット地方・キャンプ(前) 宝箱、ツボ・タンス等• 無し 敵ドロップ• りゅうはかせ• デッドエンペラー• デッドエンペラー・邪 その他• 無し ふしぎな鍛冶 レシピブック• ふしぎな鍛冶の素材• いかずちの杖.

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【ドラクエ11(DQ11)】デッドエンペラー・邪の出現場所と落とすアイテム|ゲームエイト

ドラクエ 11 いか ず ちの たま

青年時代(後半) 攻略チャート3 0. 到達Lv:28• 場所:【】から天空城で西• 正面の扉からは入れないので、右・左と階段をのぼる。 最上階まで行くとでっぱってる部分があるので、《フックつきロープ》を使い、下へと降りる• 1Fまではほぼ一本道。 1Fのスイッチを切り替え、扉を開けておこう• B2F、十字型に分かれているところを最南まで行き、その先にいる『』と戦闘。 後ろの宝箱から《りゅうのひだりめ》を取る• 同様に、B2F、十字型に分かれている所を左に行く。 階段は下りて、すぐにのぼり、上へ。 その先にいる『』と戦闘。 後ろの宝箱から《りゅうのみぎめ》を取る• 両方の目を取ったら、一度リレミトで出たほうが早い• 竜の頭のあたりからフックつきロープで降り、竜の目の部分に《りゅうのみぎめ》《りゅうのひだりめ》を入れる。 入り口ができるので、下に落ちてから回り込む• 到達Lv:29• 《ドラゴンオーブ》を渡せば、マスタードラゴンに戻る。 《てんくうのベル》をもらう• 到達Lv:29• 場所:【天空への塔】北、岩山が雲で覆われているところ。 マスタードラゴンに乗って入る• 入ってすぐ右、中に行くと《さいごのカギ》の扉がある(視点を変えれば扉がある)。 『へびておとこ』と戦う。 《てんくうのよろい》入手• 神殿の中に入ると、お祈り中だといわれる。 左か右の通路から祭壇へ行き、神官と話す。 勝利後、ラマダがいた場所を調べると、階段が見つかる• 構造が結構入り組んでいるので、通路の下が通れないかなど、よく気をつけて進む• 最深階で『』と対決。 入り口まで戻りつつイベント。 『エビルスピリッツ』の《たたかいのドラム》が脅威。 《てんくうのつるぎ》などで打ち消そう• 到達Lv:30• 妻が戻ってくる• 息子・娘がパーティーから外れているので、加える場合はルイーダへ• 到達Lv:30• エルヘブン側から入り、そのまままっすぐ進むと扉がある。 《ほのおのリング》、《みずのリング》、《いのちのリング》をそれぞれの像にはめると、魔界への穴が開く• 3つのリングは【】到着後、回収しておこう• 到達Lv:30• 場所:【暗黒世界のほこら】から東• 到達Lv:34• 場所:【】から北西• ラストダンジョン。 準備万端で来よう• その後、『』と対戦• そのイベントのあった場所の下、滑る床地帯に《せいなるみずさし》《たいようのかんむり》がある• その先の落とし穴地帯は、あえて南西にある落とし穴に落ちる• 《オリハルコンのキバ》入手。 その先に『』がいる(一度戻ってセーブしておいてもよい)• 『』と戦闘。 場所:【エビルマウンテン】の南の毒の沼地• B2F、無限ループは左・上・左・上・右・下・右・下で• B3F、無限ループではないので、注意• B5F、『』との戦い。 そのすごろく場クリアでプチタークが仲間になる。

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いかずちの杖

ドラクエ 11 いか ず ちの たま

たまは元来は単独で活動していた音楽家の集まりであり 、石川曰く「 ソロアーティストの集まりで自作曲自分ボーカル制」 を採っていたという。 楽器は、ベースに加えアコーディオン、足踏みオルガン、、(製)・・などを駆使したパーカッションを用いるなど、を中心としながらも奇抜な構成、音空間を生かしながら練られた楽曲、そして日本的な陰翳に富んだ幻想的な歌詞が特徴である。 音楽的にはの影響が強いが、日本のフォークロックでは珍しく、アメリカン・フォークのようにハーモニーを重視していた。 キーボード担当の柳原脱退後の1996年からは、アコースティックな音の中にやを取り入れた楽曲制作も行っていた。 経歴 [ ] バンド結成から活動初期まで(1981年 - 1989年) [ ] バンドを結成する前から、それぞれが独自に音楽家として活動していた。 1981年6月頃、のライブハウス「甚六屋」で知久と石川が知り合った。 1982年12月に知久がのライブハウス「両国フォークロアセンター」で柳原に出会った。 これらの相次ぐメンバーの出会いが、たま結成の切っ掛けとなった。 石川によると、「たま」というバンド名に決定した背景には、ソロの音楽家の集まりから発展したバンドであり、楽曲の作者によって音楽性が大きく異なることから、バンド名から音楽性が類推されることのないバンド名にしたいという意図があったという。 また、略されたり間違えて覚えられたりしないような短い名前にしたいという意図もあったらしい。 なお、「かき揚げ丼」のライブは、たまの1stカセットテープ『またたび』として販売された。 「たま」というバンド名で初めてライブを行ったのは、1984年12月5日の「オフオフ新宿スタジオ・ジャムII」で開かれたコンサート「On Christmas GIG '84 BYE BYE」でのことだった。 また、1986年6月にメンバーの憧れのライブハウスであるの「曼荼羅」で「3丁目ジャグ・バンド」の前座として初出演し、それ以来レギュラー出演するようになった。 しかし、8月のツアーの後、フランス料理店に就職していた柳原が真剣に解散を提案した。 それでも、知久がバンドの継続を熱心に主張し、存続の条件である音楽性の充実のためにを募集した。 そして、同年11月、当時、ソロで音楽活動をしてきた滝本がただ一人応募してきて加入し、4人編成になった。 なお、滝本にはそれまでベースの演奏経験がなかった。 この4人編成での初のライブは同年12月2日に開かれた「曼荼羅」でのコンサートでのことだった。 ただし、このライブでは滝本は一部でしか演奏に参加しなかった。 滝本が本格的に参加した初のライブは1987年1月29日の「曼荼羅」でのコンサートのことで、このときの録音をレーベル「」に送付した。 たまがデモテープを送ったのはこれが初めてのことだった。 それから数ヵ月後の11月、オムニバスアルバムへの参加を依頼され、それ以降、ナゴムレコード関係の活動も増加していった。 4人ともソロ活動をしていたため、それぞれ自分がボーカルをとる曲は自分で作詞・作曲をし、全員で編曲を行うスタイルをとった。 しかし、初期のたまの代表曲と見なされているのは、知久もしくは柳原のつくった曲である。 イカ天出演、メジャーデビュー、柳原の脱退(1989年 - 1995年) [ ] 11月11日、吉祥寺のライブハウス「MANDARAII」での定例コンサートの後 、ナゴムから発売されるLP「しおしお」のプロモーションを兼ねて系深夜番組『』に出演した。 人気番組であったイカ天への出演はメンバー間でも意見が割れており、何度話し合っても結論は出ず(知久・石川は「出るべき派」で柳原・滝本は「出なくてもいい派」であった)、業を煮やした当時のマネージャーの女性が未承諾でデモテープを番組に送ったことで番組出演が決定された。 登場時のナレーションでも「 また危ないのがやってきた」と紹介されている。 審査員のはオリジナリティを評価する発言をし(しかし「オリジナリティがあるのが良かったですね... こういうの分かるって言っちゃいけない、分からないんだけどいい」と評した。 この回は番組史上初の外国人バンドTOKIO ROSEがチャレンジャー賞を有力視されていたが、これに競り勝って見事チャレンジャー賞を獲得、サイバーニュウニュウを審査員投票5対2で倒して 14代目イカ天キングとなった。 当時柳原の家にはテレビが無かったために番組のシステムすら把握しておらず、翌週も出演することをいまいち理解していなかった。 キングとなったたまは、2週目(放送分)にのちに大ヒットとなる「」を歌い、審査員7名全員の支持を獲得して、チャレンジャーの高校生バンドTRIDENTに圧勝。 その後も3週目(放送分)には「」で坂本プロジェクトを、4週目(放送分)には「」でを下し、3代目グランドイカ天キングにリーチをかけた。 5週目(放送分)に登場したのが、・バンドの(楽曲は「バラが好き」)である。 彼らの演奏は審査員の絶賛を受け、圧倒的な差でこの回のチャレンジャーに選ばれた。 キングとして迎え撃ったたまの楽曲「」は、最小限の楽器編成による短い楽曲で、マルコシアス・バンプの煌びやかで重厚な楽曲・演奏とは対照的であった。 司会の三宅は「意外な曲」「五週目にこの曲で来ることはないのに」と評し、マルコシアス・バンプのボーカル・ギター担当の秋間経夫には「だってすごいんだもん」と言わしめた。 たまのメンバーは「勝っても負けてもどうせこれが最後」「ならば思い切り茶化すか」という理由で「まちあわせ」を演奏することにしたが、結果は審査員投票4対3でたまが制し、5週連続勝ち抜きを達成、第3代グランドイカ天キングの座に輝いた。 このことについて石川は「流れっちゅうもんは怖い」と話し、知久も「いつも評価してくれない審査員のさんが俺らに(審査の札を)上げちゃった」と語っている。 メンバーはこれまでは音楽活動と並行して別にアルバイトや仕事を行っていたが、たまの人気が沸騰したことから音楽活動に専念するため退職した。 1990年、シングル『』でメジャーデビューを果たした。 「アレフ」のに採用され、オリコン初登場1位、売上約60万枚を記録し、への出場も果たす。 バンドは「 たま現象」と呼ばれる的な人気を獲得し、「たま現象」の語はの『』にも収録された。 複数の楽器を演奏し、大衆音楽的要素と前衛音楽的要素を兼ね備えていたことから、バンドをに擬する言説も存在する。 また、にとの共作『けらいのひとりもいない王様』をリリースした。 1992年、所属事務所の契約更新をきっかけに、自分たちの表現を貫徹したいという意図から個人事務所「 たま企画室」を設立した。 レーベルも日本クラウンから東芝EMIに移籍した。 この時期にはも下火になり、「オゾンのダンス」以降は次第にヒットチャートやメディアに現れることもなくなっていったが、マイペースに活動を続けた。 「曼荼羅」系列のライブハウスでの「たまの月例会」と称した月一回の定期ライブも行っていた (2002年1月まで)。 また、ライブハウスや等のコンサートホールだけでなく、普段はライブの行われる事のないや酒蔵、洞穴と言った場所でもライブを行う「どこでもツアー」と称したライブツアーも実施した。 、自主レーベル「」を設立し、6thアルバム『』リリースした。 石川によると、インディーズ・レーベルを立ち上げた背景には、レコード会社などが自主的に行っていた「放送禁止用語」の規制を回避する意図があったという。 同年、初の海外公演としてニューヨークでのライブが開催されることと、異なる方向性の音楽を始めたくなった柳原の脱退が発表された。 そして年末のライブを最後にソロ活動に専念するため柳原が脱退した。 3人編成のたまになってから解散まで(1996年 - 2003年) [ ] 柳原の脱退により、1996年から3人での活動となった(通称「 3たま」と呼ばれる)。 その後のライブでは undercurrent, やライオンメリィ(、、メトロファルス、エコーユナイト)らをキーボードのサポートとして迎えた。 その一方で、サポートミュージシャンを入れず、アンプや電源が不要でなおかつ携帯しやすい小型の楽器を用いて、より手軽でチープな雰囲気を狙った「 しょぼたま」という編成でもライブを行った。 、系アニメ『』のエンディングテーマとして制作されたシングル『』でメジャーレーベルに復帰。 、の漫画『』のイメージアルバム『』をリリース。 3月、劇団の舞台『薔薇と大砲~フリドニア日記 2~』に出演、役者および劇中曲を担当。 『』挿入歌「ハオハオ」の作曲・演奏を担当。 5月に番組のファミリーコンサートにゲスト出演し、「ハオハオ」で歌のおにいさん()・おねえさん()と共演し、知久は2番以降でボーカルも担当した。 この他、栗原正己作曲の「あめふりりんちゃん」ではとも共演した。 このときの模様は、番組からビデオ・DVDが発売されている。 7月、劇団主宰作の舞台『室温〜夜の音楽〜』に出演、役者および劇中曲を担当。 3月、劇団ダンダンブエノのダンス公演『いなくていい人』に出演。 劇中の演奏を担当し、サウンドトラック盤がに『』というタイトルでリリースされた。 5月、ダンス公演『いなくていい人』の練習期間に知久が脱退を口にした。 石川によれば、マンネリズムによりたまとしての活動に新鮮味がなく、メンバー全員が解散を考えていたという。 10月28日・30日・31日に行われた吉祥寺STAR PINE'S CAFEでラストライブ「たまの最期!! 」をもってたまは解散した。 解散公演の最終日、のが飛び入り参加し、柳原脱退以後封印されていた「さよなら人類」も演奏された。 石川によれば、「さよなら人類」を演奏した理由は、飛び入りで参加した泥酔していたワタナベイビーが突発的に「さよなら人類」を歌い始めたのが原因であり、前もって意図したものではなかったという。 アンコールとして最後に演奏した曲は「ヒゲのある暮らし」だった。 解散後(2003年 - ) [ ] メンバー間の関わりがあるもののみ記載する。 知久と石川はロケット・マツ率いる14人編成バンド『パスカルズ』にたま活動時から並行して参加。 知久と滝本はロケット・マツと共にユニット「2ni」に参加。 滝本のソロアルバム『水槽の中に象』に知久がギター、ウクレレ、笛、モーコック(ベトナムのカエル型の木製楽器)、コーラス、コーラスアレンジで参加。 12月より、たま解散後の彼らの活動を追った映画『たまの映画』が、等で公開。 監督は本作が劇場映画デビューとなる。 そのほか、柳原を除く知久・石川・滝本の3人は各々のライブイベントで共演したり、数曲のみセッションや「一時的な再結成」ライブもたびたび行っている。 山口マオ主催の・千倉潮風王国アートフリーマーケットのゲストとして、しょぼたま編成で数曲演奏。 このライブはのファンクラブ壱岐ツアーの参加特典として『10年後の たまのライブにご招待しますチケット』が参加者全員にプレゼントされていたために実施された。 5月下旬にライブ概要が公式サイトで発表され、一般販売分のチケットは全てプレイガイド売りだったが、初回発売の8日夜公演・9日夜公演ともに発売数分で完売し、チケット完売に伴い急遽決定した追加公演分の9日昼公演も即ソールドアウトとなった。 、・Loft Aにて行われた『ニヒル牛おっさん7』で3人が共演。 滝本がベースで、なおかつ正規のサポートキーボードが入る編成は、解散以来初。 この模様はで配信された。 、千葉県南房総市アートフリマinちくら千倉潮風王国の野外イベントで、知久、石川、滝本がしょぼたまとしてセッション。 、新宿LOFT、「しりあがり寿Presents さるハゲロックフェスティバル2012」にて。 ただしたま単独のライブではなく、パスカルズやソロとしての石川、知久に、エコーユナイトの滝本。 3人が集まりライブ後半ゲリラ的に「まちあわせ」を演奏した。 、東京都吉祥寺マンダラ2「石川浩司53歳生誕祭」。 一部のゲストとして知久、二部のゲストとして滝本、三部が石川のソロ、四部として知久と滝本、そして石川のセッション。 しょぼたまではなく、キーボード抜きのたまとして開催。 、千葉県南房総市アートフリーマーケットinちくら千倉潮風王国の野外イベント。 しょぼたまとして、知久、石川、滝本がセッション。 4月30日、千葉県南房総市アートフリーマーケットinちくら千倉潮風王国の野外イベント。 しょぼたま、キーボード抜きのたまとして、知久、石川、滝本がセッション。 、京都府紫明会館で、知久寿焼x石川浩司x滝本晃司弾き語りライブ。 それぞれ約一時間のソロの後、ライブの最後に一時間半三人が共演。 、30日、千葉県南房総市アートフリーマーケットinちくら千倉潮風王国の野外イベント。 二日連続でしょぼたま。 知久、石川、滝本のセッション。 、大阪・服部緑地野外音楽堂『服部緑地RAINBOWHILL2019』。 知久、石川、滝本。 知久と石川はパスカルズとしても来場していた。 上記以外では、タイのチェンマイで石川と知久が度々セッションを行ったり、誕生日イベントで各メンバーが共演している。 受賞歴 [ ] 歌唱曲『さよなら人類』• 最優秀ロック・新人賞• 作品 [ ] シングル [ ] 枚 発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 初収録アルバム 1st 8cmCD AXDR-1 『』 2nd 1990年9月14日 8cmCD AXDR-2 3rd 1990年 8cmCD AXDR-3 『』 4th 8cmCD AXDR-4 5th 1991年 8cmCD AXDR-5 『』 6th 8cmCD AXDR-6 『』 7th 1992年 リヤカーマン 8cmCD TODT-2952 『』 8th 1992年 8cmCD AXDR-7 アクシック 『きゃべつ』 9th 8cmCD TODT-3056 イーストワールド 『』 10th 1993年 8cmCD TODT-3107 11th 8cmCD PIDL-1193 『』 12th マキシシングル CHIKYU-006 『』 13th マキシシングル CHIKYU-007 14th マキシシングル CHIKYU-010 アルバム未収録 オリジナル・アルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 1st 1990年 CD AXCR-1 (再発) CD CRCP-190 (再発) CD BRIDGE-200 ブリッジ 2nd 1991年 CD AXCR-2 アクシック 1997年8月21日(再発) CD CRCP-191 日本クラウン (再発) CD BRIDGE-201 ブリッジ 3rd 1991年 CD AXCR-3 アクシック 1997年8月21日(再発) CD CRCP-192 日本クラウン 2013年2月12日(再発) CD BRIDGE-202 ブリッジ 4th 1992年 CD TOCT-6805 1997年(再発) CD TOCT-10034 (再発) CD QIAG-70059 Tower To The People 5th 1993年 CD TOCT-8148 東芝EMI 1997年11月19日(再発) CD TOCT-10035 2012年9月8日(再発) CD QIAG-70060 Tower To The People 6th CD CHIKYU-003 (再発) CD (再発) CD 7th CD PICL-1130 8th 1997年 CD PICL-1150 9th 1998年 CD CHIKYU-004 10th 2000年 CD CHIKYU-008 11th 2001年 しょぼたま CD CHIKYU-009 12th CD CHIKYU-012 ベスト・アルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 1st 1992年 CD AXCR-10 2009年(再発) CD CRCP-20431 日本クラウン 2nd 2000年 Best Selection CD PICL-1200 3rd 2003年 たまセレクション CD CRCP-20319 アクシック 4th CD DDCH-2505 その他のアルバム [ ]• けらいのひとりもいない王様 1992年3月、• との共作• ねこばば(1995年9月、)• インディーズ時代の自主制作カセット(1985年7月)の復刻盤。 たま・ライヴ・イン・ニューヨーク(1999年3月、地球レコード)• 1995年12月にニューヨークで行われたライブ収録。 CDでは唯一のライブ盤である。 室温 〜夜の音楽〜(2002年4月、地球レコード)• 劇中曲集、一部ライブ収録• 学習・ゆめみているよ(2016年3月、地球レコード)• 廃盤になっていたマキシシングル『』『』を1枚にまとめたもの。 またたび(1984年12月 )• 「朝起きたら俺がいた」、「スイング娘」、「誰も起きてこないよ」、「おいしいうそがいっぱい」、「ビリビリ」、「耳のうしろに誰かいる」、「交差点音頭」はたま名義でのCDには未収録。 「誰も起きてこないよ」、「おいしいうそがいっぱい」は石川のソロ・アルバム『おいしいうそがいっぱい』にてセルフカバーされた。 ねこばば(1985年7月 )• 1994年にCD化された。 ふろく(1985年 )• さるぼぼ(1986年5月 )• たゆたひ(1988年1月 )• 「金魚鉢」のみ2000年にCD化した『しおしお』にとして収録。 たまてばこ(1989年 )• 全曲、2000年にCD化した『でんご』にボーナス・トラックとして収録。 インディーズレコード [ ]• でんご(1989年5月、ナゴムレコード、NG-053 )• レコード自体は7インチシングル EP 盤と同じサイズだが、回転数がLP盤と同じ33回転。。 2000年にCD化再発。 CD化にあたってのボーナス・トラックはカセット『たまてばこ』に収録された「らんちう」、「海にうつる月」、「夏のお皿はよく割れる」、「マンモウ開拓団」。 流通数は少なくレア物となっている。 しおしお(1989年12月、ナゴムレコード、NG-062 )• 2000年にCD化再発。 CD化にあたってのボーナス・トラックはカセット『たゆたひ』に収録された「金魚鉢」。 流通数は少なくレア物となっている。 ファンクラブ限定 [ ] ファンクラブ会員に配布された8cmサイズCD(非売品)。 お昼の2時に(1993年)• あたまのふくれたこどもたち(1994年)• 後にアルバム『そのろく』に収録。 どっこいしょ どっこいしょ(1995年)• でんちう(1996年)• でのライブ音源を収録。 シーベックシーモア(1997年)• (1998年)• ざらざら恋の唄(1999年)• 『』に収録される予定だったが、収録に間に合わずお蔵入りとなっていた。 ハル(2000年)• 後にアルバム『しょぼたま』に収録。 ルル星人(2001年)• 「」WebCMソング。 石川作曲「月の光」の替え歌。 326(2002年)• ラストライブ『たまの最期!! 』より収録。 参加作品 [ ]• おまつり ナゴムオムニバスIII(レコード:1988年4月、CD: 1990年1月25日、ナゴムレコード、NG-052)• ナゴムレコードのコンピレーション。 「」を収録。 のちに『』に収録された。 石の町(1994年7月21日、)• MAYAのシングル。 表題曲の演奏を担当(作詞・ボーカルは知久)。 後にアルバム『センサシオン』に収録された。 大仕事アンコール '94 LIVE(1995年3月31日)• のアルバム。 全編にわたって演奏で参加。 「豆腐」で石川、「キリストは馬小屋で生まれた」で知久、「窓辺のスケッチ」で滝本、「お経」「太郎さん体操」で柳原がそれぞれボーカルを担当。 ジンターナショナル(1996年6月23日)• のアルバム。 全編にわたってコーラスで参加。 裸の水(1997年2月26日、パイオニアLDC)• のアルバム。 「夕暮れの風に吹かれて」の演奏を担当(作曲は滝本)。 坂道(1999年11月3日)• のミニアルバム。 「1ラウンドでノック・ミー・ダウン」に演奏・コーラスで参加。 トリビュート・トゥ・ヒカシュー「20世紀の終りに」(2000年)• のトリビュートアルバム。 「20世紀の終りに」をカバー。 ドント・トラスト・オーバー30(2003年6月20日)• たまが音楽を担当したミュージカル『』のサウンドトラック。 提供曲・タイアップ [ ]• (現:):CM出演(1990年)• メジャーデビュー以降初のCM出演となった川崎製鉄のCMでは、各メンバー4人分のテイクが製作され、それぞれのテイクでCMソングとして使用された楽曲の制作者が、最後にキャッチコピーの「ピテたまトロプス・川崎製鉄」を言うという仕様だった(知久「らんちう」、石川「まちあわせ」、柳原「オゾンのダンス」、滝本「海にうつる月」)。 後に4人全員で「カオス・パワーだ。 川崎製鉄」と言うバージョンも製作されている。 用ソフト『 』: CMソング(1993年)• 「」の替え歌。 ボーカルは知久。 用ソフト『 』シリーズ: CMソング(1997年 - 1998年)• 『ゲームで発見!! たまごっち』、『ゲームで発見!! たまごっち2』、『ゲームで発見!! たまごっち オスっちとメスっち』のCMソングを担当。 最後のは2作のCM共通で、オスっちとメスっちの場合はその後に「オスっちとメスっち」と入る。 3作共ボーカルは知久。 『 』: 「ハオハオ」提供(2001年)• その後、『』に出演。 なお、作詞を担当したは、番組内で流れる際のアニメーションも担当している。 しょぼたまのライブではセルフカバーで演奏。 映像作品 [ ]• VHS ビデオクリップ集(1992年7月、アクシック)• VHS 犬の約束 ツアー・ビデオパンフレット(1993年)• VHS ' 94. VHS どこでもツアー95ドキュメント(1996年3月30日)• VHS たまのお歳暮95(1996年5月30日)• VHS どこでもツアー96ドキュメント(1997年)• VHS たまのお歳暮97(1998年)• VHS History of Tama 15(1999年4月23日)• VHS たまの温故知新 さんだる編(2002年)• VHS たまの温故知新 ひるね編(2002年)• VHS たまの温故知新 きゃべつ編(2003年)• VHS たまの温故知新 犬の約束編(2003年)• DVD たまの最期!! (2004年8月) 書籍 [ ]• たま写真集 きゃべつ(1991年11月、)• たまの月経散歩(1993年4月、)• ひまのつぶしかた(1993年9月、)• たま詩集(1993年11月、) 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• CDJournal. 株式会社音楽出版社. 2018年11月9日閲覧。 石川浩司. 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 1990-09-01. 石川浩司. 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 石川浩司. 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 201-03-189閲覧。 Mikiki. 2019年11月3日. 2020年3月14日閲覧。 ORICON NEWS. 2010年7月2日. 2020年3月14日閲覧。 『たまの本』 著• 柳原陽一郎 ベスト・アルバム『』 ライナーノーツ• TOWER RECORDS ONLINE 2012年7月27日. 2019年3月2日閲覧。 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 石川浩司. 石川浩司のひとりでアッハッハー. 「たま」という船に乗っていた. 2019年3月18日閲覧。 石川浩司のひとりでアッハッハー「俺の日常クイズ 7 」2010年1月15日。 石川浩司のひとりでアッハッハー「俺の日常クイズ 10 」2011年3月20日。 2017年4月29日、30日。 30日のサプライズアクトとして。 2017. 10閲覧。 2018. 30閲覧• 2018. 30閲覧。 2020年1月3日閲覧。 外部リンク [ ]• - 石川浩司による自叙伝。 2004年2月にから出版されたが絶版となった。 その後、石川のウェブサイトで無料で公開された。

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