地獄 の 黙示録。 地獄の黙示録

地獄の黙示録のレビュー・感想・評価

地獄 の 黙示録

妻と離婚してまで戦場に戻ってきた陸軍将校が、軍の極秘指令を受けて、ジャングルの奥地に閉じこもった元エリート軍人を殺しにいくお話。 緊急事態宣言発令後、最初に劇場で観る作品はこれだ!と思いようやく足を運んだ。 REDUX版をレンタルで借りて、原案となったコンラッドの『闇の奥』も読んでの、いざ完全版。 記憶が新しいうちの2度目の観賞ということもあり話の流れも頭にスッと入ってきて、初見では気づかなかったディテールもいくつか読み取れた気がする。 一般には戦争映画と認識されている ぼくも観るまではそう思っていた 本作だが、ザ・戦闘!みたいな絵面はキルゴア中佐のくだりくらいで、その他は 戦争映画としては 比較的地味なシーンが続く。 それに、本来的であるはずのベトコンの姿はほとんど直接的には描かれていない。 このことからも、本作は戦争を題材にしてはいるがそれは比喩でしかなく、戦争を通じてより抽象的な何かを描こうとしていたように感じた。 構成的にはむしろ、ロードムービーに近いように感じた。 ではその「描きたかったもの」は何か? その答えは全編を通して大きな存在感を放つ、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐と関係があると考えられる。 ウィラード大尉に指令を与えた指揮官は、カーツ大佐に対して「頭のイカれた反逆者」程度の認識しかなかった。 しかし、下流から上流へと川を上っていくにつれ、寝返った先任の任務担当者やカーツを神格視するカメラマンなど、彼を「驚嘆すべき存在」と認識する人が現れてくる。 彼を追うウィラード大尉も、川を上りカーツについてより深く知っていくうちに、彼の存在がより大きく、無視し難いものになっていった。 カーツは文字通り"闇の奥"にいて、ヒトの根源を支配するものに気づいた。 いや、気づいてしまった。 戦争は人々に狂気を呼び起こし、道徳、感情、理性、責務といった「あらゆる人間性」を徹底的に破壊し、根源にあるそれを明らかにさせる。 サーフィン狂いの指揮官もステージでの乱痴気騒ぎも指揮官を失った戦場も絶望に打ち拉がれるフランス人農園領主も狂気にかられる哨戒艇の乗組員たちも、程度は違えどそれに支配されている。 恐怖だ。 私は、この作品に対してウンチクを述べることなどとてもできない。 それは失礼だからである。 私にとっては、映画は「芸術」でも「文化」ではなく、それに対する書文は「評論」ではなく「感想」である。 私がこの作品に対して感じ想うことは【全身全霊】である。 【全身全霊】とは、まさに〈自己犠牲〉である。 究極に奉じた人物はコッポラその人であることは言うまでもない。 そこに傑出した作品が生まれる萌芽がある。 けれども、コッポラは傑作を創る気はなかった。 私はそう断じる。 彼は古典を創る気であった。 この作品において、その並々ならぬ信念を源とする限りなき無欲で作品と向き合っている。 人生を歩むとき、私は時折に想念が浮かぶことがある。 これは、まさに生きる上で決して乖離しないことである。 それは "horror、、"という端的な表現である。 コッポラの脚本中の台詞なのか、マーロン・ブランドの独創台詞なのか、それはそれとして置いておきたい。 コッポラは終幕近くで、その言葉を選び作品に刻み込んだ。 それは、この多大な災厄に塗れながらも、作品を映画として成立させる、その本音であった。 「恐怖、、」• それくらい圧巻の映像。 "これはテレビだ"と言わんばかりの見世物のような高揚感煽る爆撃シーンに始まり、神経をすり減らすジャングルの奥地を進んで、徐々に戦場の狂気に近づいていく。 序盤の爆撃シーンは、混沌としか言いようがない。 銃撃と爆撃により傷付き血を流した肉体と、ビーチパーティーのようにバドワイザーを飲みサーフィンに興じる兵士と、大音量でワーグナーをかけながらの爆撃が同居する。 そして空前絶後の大迫力の映像。 この空間に呑まれてしまうような感覚だった。 序盤だけでなく、全編通じて映画的な引力 画の美しさやテンション が強いと感じた。 ラストの有名な"沼から出てきて"からの一連のシーンは神懸かっていて圧倒されてしまった。

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地獄の黙示録〜ジャングルの奥地に潜むクレイジーな静寂世界|TAP the SCENE|TAP the POP

地獄 の 黙示録

妻と離婚してまで戦場に戻ってきた陸軍将校が、軍の極秘指令を受けて、ジャングルの奥地に閉じこもった元エリート軍人を殺しにいくお話。 緊急事態宣言発令後、最初に劇場で観る作品はこれだ!と思いようやく足を運んだ。 REDUX版をレンタルで借りて、原案となったコンラッドの『闇の奥』も読んでの、いざ完全版。 記憶が新しいうちの2度目の観賞ということもあり話の流れも頭にスッと入ってきて、初見では気づかなかったディテールもいくつか読み取れた気がする。 一般には戦争映画と認識されている ぼくも観るまではそう思っていた 本作だが、ザ・戦闘!みたいな絵面はキルゴア中佐のくだりくらいで、その他は 戦争映画としては 比較的地味なシーンが続く。 それに、本来的であるはずのベトコンの姿はほとんど直接的には描かれていない。 このことからも、本作は戦争を題材にしてはいるがそれは比喩でしかなく、戦争を通じてより抽象的な何かを描こうとしていたように感じた。 構成的にはむしろ、ロードムービーに近いように感じた。 ではその「描きたかったもの」は何か? その答えは全編を通して大きな存在感を放つ、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐と関係があると考えられる。 ウィラード大尉に指令を与えた指揮官は、カーツ大佐に対して「頭のイカれた反逆者」程度の認識しかなかった。 しかし、下流から上流へと川を上っていくにつれ、寝返った先任の任務担当者やカーツを神格視するカメラマンなど、彼を「驚嘆すべき存在」と認識する人が現れてくる。 彼を追うウィラード大尉も、川を上りカーツについてより深く知っていくうちに、彼の存在がより大きく、無視し難いものになっていった。 カーツは文字通り"闇の奥"にいて、ヒトの根源を支配するものに気づいた。 いや、気づいてしまった。 戦争は人々に狂気を呼び起こし、道徳、感情、理性、責務といった「あらゆる人間性」を徹底的に破壊し、根源にあるそれを明らかにさせる。 サーフィン狂いの指揮官もステージでの乱痴気騒ぎも指揮官を失った戦場も絶望に打ち拉がれるフランス人農園領主も狂気にかられる哨戒艇の乗組員たちも、程度は違えどそれに支配されている。 恐怖だ。 私は、この作品に対してウンチクを述べることなどとてもできない。 それは失礼だからである。 私にとっては、映画は「芸術」でも「文化」ではなく、それに対する書文は「評論」ではなく「感想」である。 私がこの作品に対して感じ想うことは【全身全霊】である。 【全身全霊】とは、まさに〈自己犠牲〉である。 究極に奉じた人物はコッポラその人であることは言うまでもない。 そこに傑出した作品が生まれる萌芽がある。 けれども、コッポラは傑作を創る気はなかった。 私はそう断じる。 彼は古典を創る気であった。 この作品において、その並々ならぬ信念を源とする限りなき無欲で作品と向き合っている。 人生を歩むとき、私は時折に想念が浮かぶことがある。 これは、まさに生きる上で決して乖離しないことである。 それは "horror、、"という端的な表現である。 コッポラの脚本中の台詞なのか、マーロン・ブランドの独創台詞なのか、それはそれとして置いておきたい。 コッポラは終幕近くで、その言葉を選び作品に刻み込んだ。 それは、この多大な災厄に塗れながらも、作品を映画として成立させる、その本音であった。 「恐怖、、」• それくらい圧巻の映像。 "これはテレビだ"と言わんばかりの見世物のような高揚感煽る爆撃シーンに始まり、神経をすり減らすジャングルの奥地を進んで、徐々に戦場の狂気に近づいていく。 序盤の爆撃シーンは、混沌としか言いようがない。 銃撃と爆撃により傷付き血を流した肉体と、ビーチパーティーのようにバドワイザーを飲みサーフィンに興じる兵士と、大音量でワーグナーをかけながらの爆撃が同居する。 そして空前絶後の大迫力の映像。 この空間に呑まれてしまうような感覚だった。 序盤だけでなく、全編通じて映画的な引力 画の美しさやテンション が強いと感じた。 ラストの有名な"沼から出てきて"からの一連のシーンは神懸かっていて圧倒されてしまった。

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地獄の黙示録・特別完全版

地獄 の 黙示録

ネタバレ! クリックして本文を読む 『The End』 …「戦場は地獄だから怖いのではない。 戦場では、時に地獄が天国に見えるから怖いのだ。 そうなる人間と云うものが怖いのだ」 …🎬本作へ、黒澤 明のコメント… …コッポラの作品は、本作と「ゴッドファーザーpart2」につきる…ベトナム戦争モノは、本作とマイケル・チミノの「ディア・ハンター」につきる。 6ch. Stereoで、 左右と天井から、降り注がれ…地獄が天国に見えた…目の眩む様な不思議体験と、疑似地獄巡りに酔いしれた…山の様に謎は残ったものの、山の様なストレスから開放された日…本作のおかげだ🙇 …帰りに梅田東通商店街の、「LPコーナー」でDoorsの1st. とStonesの「Milestones」っていう編集版 Satisfactionが1曲目だったからだけ を買う🎼どちらも初めて買うバンド…サントラを買わなかったのは、両バンド共、いつかは買う予定だったからだが…映画で結び付くとは思わなかった…帰宅後、何回もDoorsだけ聴いた…Stonesは2回位しか聴かず、その良さが分かるのは数年後に…🎵 …当時、DoorsにBassistが居ないのを不思議に感じたが…あの、誰が聴いてもすぐDoorsだと分かる、特徴あるレイ・マンザレクのKeyboard🎹がBass音を出しているのに驚く、そのマンザレクとジム・モリソンとコッポラは、UCLA映画科の学生で友人だったのは有名🎦 …受験終了と共に、弾く事を断っていたGuitarを、再び弾き始め…Doorsの前はフラメンコGuitaristだった、ロビー・クリューガーに挑んでみるが…音階が今迄弾いてきたものと違い苦闘。 まるでStoneの5人みたいにStoneしている… …一番死にそうなランスは、生き残る。 ランスを演じるボトムズ兄弟のサムがイイ。 狂気のキルゴアが、ベトコン村を石器時代にしてやる!と、ファントムのナパームで焼け野原にしても、まだ爆風の雨降る波へ、サーフィンしろ!と言われ、あたふたする所や、死んだチーフに化粧してヒッピーなりの、弔いをしてやる所🏄 …後、やはりウィラードはシーンで正解だった…当初ハーヴェイ・カイテルだったそうだが、カイテルがすれば、シーンほどの動揺と客観性 観客と同等の視点 が出たのか?疑問だ…🐾 『SusieQ』 …慰問に来た、3人のPlaymateの中に、ブルース・リー「死亡遊戯」のヒロイン…コリーン・キャンプがいるが、見分けつかず。 BGMにBandが演奏しているのが「SusieQ」だ。 …勿論、Dale Hawkinsの原曲でも、C. RのCover曲でもなく、ルーカス「アメリカン・グラフィティ」 のダンパシーンで「At The Hop」を演奏していたFlash CadellacというBandがPlay、それがまたカッコイイ🎶 …ウィラードは言う「ベトコンに慰問は無い…彼らは闇に潜んで、殺戮の機会をひたすら待ち構えているんだ」👐 『The End Reprise』 …カーツKINGDOMに到着、胡散臭さ満点のデニスが出迎える…「Easy Rider」のBillyが死んでなく、従軍カメラマンとして志願した成れの果て?…死体だらけが気になるか?と聞くが、首から何個もぶら下げたカメラも気になる📷 …コンラッドもT・S・エリオットも読んでいないが…[私的解釈]…カーツは恐怖を受けたいが為、軍人になった…地獄の戦場で恐怖を受けるはずが、地獄が天国になってしまった。 The horror! 恐らく撮影自体が狂気の沙汰。 進んで地獄に入ったはいいものの、血迷って上手い出口が見つからなくなったような流れすら感じます…。 離婚してまで戦地に戻ってきたWillard。 彼自身充分戦争で「おかしくなっている」一人なのだけど、軍も手に負えなくて困るほど「もっとおかしくなって」暴走中のKurtzを探し出し暗殺する極秘任務を請け負うことに。 輝かしい経歴を持つ軍人の中の軍人だったKurtz。 彼の捜索が、更なる地獄を経験する旅となり、Kurtzに自分を重ねていくWillard。 実際前任者はKurtzに共鳴して任務を失敗していました。 果たしてWillardは任務を遂行できるのか、それとも…。 ヌン川を上るほど狂気が増していく戦地。 最初のKilgoreは、欲しいもののためなら手段を選ばない米国の偽善を分かりやすく表していました。 絶好のサーフポイントを得るために村を爆破!ブラックユーモア過ぎて、銃撃にも爆弾にも動じないKilgoreの姿に不謹慎ながら笑ってしまいました。 次の慰問ショー、そして指揮官不在のエンドレスな戦闘は、照明やカラフルなネオンが明るくて、煩悩のファンタジーに迷い込んだようでした。 ここからKurtz帝国まで、個人的にはとても非現実的に感じて、ほとんど悪夢のように見えました。 ヌン川自体が地獄絵図とも取れるし、川が地獄へと続く道と考えるなら、最後のド・ラン橋までがこの世、向こう側のKurtz帝国が地獄ですかね。 Without judgement! Because it's judgement that defeats us. 正義や愛国心を入り口として入隊しても、前線の空気は欺瞞と偽りに満ちていて、嗅ぐのは常に血の匂いと死の恐怖。 地上で悟りを開くのが仏なら、Kurtzは地獄の底で悟りを開いてしまったのかな。 究極の部隊で臨むことこそ戦争に必要なのだと。 Willardが鉈を放り投げると現地人も武器を捨てる所や、無線を切って空爆を止める所に少し救いを見い出すのは楽観的過ぎでしょうか…。 時代背景も考えると納得…する?しない? 前半までは史上最高と言ってもいいくらい素晴らしいのですが、後半は評価が分かれそう…で実際分かれているのでしょう。 なかなか全身が映らない謎のKurtz。 それでいて、慰問ショーをフェンス外で眺めながらご飯を食べる現地の子供や、問答無用に可愛い子犬など、地獄には不釣り合いな和み要素も入っていました。 途中までCleanがL. 戦争の恐怖、狂気、欺瞞に体当たりしている映画でした。 But you have no right to call me a murderer. You have a right to kill me. You have a right to do that, but you have no right to judge me. Horror has a face, and you must make a friend of horror. Horror and moral terror are your friends. If they are not, then they are enemies to be feared. They are truly enemies. 劇場では2度鑑賞。 莫大な制作費をかけ、本物のヘリや爆弾を使い、本物さながらの戦場を作り上げてしまったのだから凄すぎる。 しかもその制作費は当初の予算を遥かにオーバーし、最終的にはコッポラ監督自身の全財産を投じて完成させたというのだから尚凄すぎる。 こうまでして理想の映画を作るコッポラ監督の映画愛は本当に凄い。 この作品はコッポラ監督の魂の傑作と言って良いだろう。 こんなイカれた監督は後にも先にもう出てこなだろう。 筋金入りの映画監督がガチの本気で作った魂の傑作。 これだけでも観る価値がある。 内容を簡単な言葉で表すとしたら「カオスの極地。 そこで放たれる人間の狂気」。 真面目で純粋な性格故に目撃した悲惨な現実に耐えられなくなり常軌を逸脱せざるを得なくなったカーツ大佐が放つ狂気。 戦場をも楽しみタフなマインドで暴れ回るキルゴア中佐が放つ狂気。 軍部に飼い慣らされ任務追行の為なら現地民でも躊躇なく殺すウィラード大尉が放つ狂気。 混沌の中カーツ大佐を神の様に崇めすがりつく戦場カメラマンが放つ狂気。 そして最大の狂気は、私利私欲の為にこの戦争に介入しこの超混沌を作り上げたアメリカ上層部が放つ狂気。 コッポラ監督の本気にそれぞれ違った狂気を演じた名優達が名演技で着いて行き、映画界にそびえ立つ怪物の様な孤高の大傑作になった。 戦場の混沌や人間の狂気が描かれている映画でこの作品の右に出る作品は無いと思う。 超絶したリアリティ。 衝撃的な迫力。 目にした事の無い様なカオス。 異様な雰囲気が画面の隅々にまで蔓延る。 映画を超越した映画。 そんな言葉が思い浮かぶ。 これまでの映画史の中で最も重要な作品のひとつ。 いつになっても語り継がれるだろう大大大傑作。 CGやVFXの無い時代に、 本当にやっちゃった!づくしの映画で なんという無茶なことをするんだ!! 森を丸ごと燃やしちゃうし 本物の牛を長回しで首跳ねちゃうし〜〜 怖い怖い〜〜 最後も難しい〜〜 そしてある意味悲しい〜〜 「野蛮人」なんて誰に向かって言えるだろうか?? 人間なんか一皮剥けば、みんな同じ「野蛮人」だよな〜〜 でも、こういうとんでもない映画を 時々人は作っちゃうから凄いと言うのか、 モノを作る人の狂気って 映画の中の主人公と同化してしまうんだね〜〜 この映画がその後の作品に与えた影響の数々を思うと 一回は映画館で見ておくべき映画でしょうね。 「キングコング:髑髏島の巨神」なんか この映画を観てからだったらもっと楽しめたと思う。 思い出しても、ゾクゾクするわ〜〜 @もう一度観るなら? 「キツイかな〜、無料ならチラ見程度で」 凄まじい映画です。 実は2回鑑賞していて、というのも1回目にも衝撃を受けたのだが(勿論ワーグナー爆撃のシーン)当然、事の本質はそこでない気がしてならなかったのだ。 カーツ大佐を狂人のままこの映画を飲み込んではいけないと思った。 やはりこの作品の本質は後半に集約される。 彼らは何故戦うのか。 戦いに呪われた人間がその拠り所を崩されるその時、彼らは狂気にすがるしか無いのだろうか。 戦争の意義を失い、真実が捻じ曲げられる世間(『ペンタゴン・ペーパーズ』を参照して欲しい)と関係を絶ち、自らの信じる道を行ったカーツは本当に悪か?そもそも何故カーツは殺されなければならない? 人間は極限状態(あるいはそれに近しい社会環境)において、善悪の図と地の関係性は容易にひっくり返る。 これはまさに黙示録的状態だ。 天才が常軌を逸していると正しく評価されないのと同様、真の自由を追い求める事は時に狂気的であると思われ、天才への恐怖から排斥される。 カーツが死を受け入れるのは、カーツの思想を継ぐものが現れたからだ。 カーツは死ぬ事でその精神は昇華し、永遠の強度をもって輝く。 ニヒリズムに終止符を打ち、この世に正しさと自由をもたらす為の生贄であると捉えることもできる。 これはホドロフスキーも追求した自己超克の物語で、前半のワーグナー爆撃は、衝撃的な浅薄さの描写に過ぎない。 一度も見たことが無かった作品だったので、午前十時の映画祭にて鑑賞。 本当に見て良かったと思えた作品であった。 ストーリーはベトナム戦争において、主人公であるアメリカ軍ウィラード大尉が元アメリカ軍で現在、カンボジアにて独立王国を築いているカーツの暗殺を命じられて…というもの。 本作は一言で表せば、"狂気"に満ちた作品。 内容もあるようで無いようなものだし、全編というか作品自体が常軌を逸している。 どうやってこれ撮ったんだっていう撮影や、キャストの演技など、ドラッグ映画よりもはやサイケデリックな作品である。 ベトナム戦争が実際に本作のようなものであったのかはわからないが、戦地の人々の精神性は伝わってくる。 全てがクレイジーで軍隊における主従関係やら、兵士たちの折り合いなどはリアリティがあり、その世界に引き込まれる。 なぜ、カンボジアにてカーツは独立王国を築くことができたのか、それは恐らくウィラードが一番わかるであろう。 カーツの精神性は戦地でウィラードが体感したはずである。 ラストシーンにおいてウィラードは何を感じたのか、我々には到底理解できるはずがない。 悲惨な戦地において、何かにすがりたいとカルト的なものを信仰したくなる気持ちが理解できたのはウィラードかもしれない。 フランシス・フォード・コッポラをはじめ、キャストやスタッフがどれだけ過酷な思いで本作を製作したのか、本作のドキュメンタリー映画もぜひ鑑賞したいものである。 どこか「タクシードライバー」のような作風だと思う部分もあったが、やはり似ても似つかない。 これほど見入る映画に出会ったのも久しぶりかもしれない。 この作品自体がもはやカルト的である。 このような映画は後にも先にも本作だけであろう。 ネタバレ! クリックして本文を読む 有名な作品ですし、いつか観よう観ようと思ってた所を、今回「午前10時の映画祭」でリバイバルされたので観に行ってきました。 いっやー、こんな映画どうやって撮ったんでしょう?訳わかんない。 特に後半。 それでも引き込まれる物がある、確かに映画史に残る作品です。 個人的になんですが、なんとなく「ワルキューレの騎行」ってベトナム戦争のイメージがあったんですよね。 自分が持ってたイメージって全部この作品からきてるんですね。 今まで映画自体観た事がなかったのに、何処かで端々を観てたのがイメージの形成に繋がってたのでしょう。 中盤、キルゴア中佐がベトナムの村を攻撃しに行くシーンの前にベトナムの小学校から逃げる子供達の描写を入れてたりと全然アメリカよりではなく、むしろアメリカ軍を侵略者として撮っている所がまた面白い。 ベトナムからアメリカ軍が撤退したのが1972年、戦争の終結自体が1975年、この作品が1979年と、公開当時はまだまだ近い過去の話なのに、ここまでアメリカ軍の狂気を大きく取り上げるって。 問題にならなかったのでしょうか?いや、問題になったから今でも有名な作品なのか? 出演陣も豪華です。 正直マーロン・ブランドって昔の有名な俳優ってイメージであまり知らないのですが、不気味な存在感が半端ないです。 また明るい所にしっかり登場しないんで余計不気味なんですよね。 マーティン・シーンってエミリオ・エステベスにも、チャーリー・シーンにも似てますね 逆か?。 さすが親子!キルゴア中佐がロバート・デュヴァルだったなんて!写真家はデニス・ホッパーやったんや!ってか若い黒人の兄ちゃんクリーンはローレンス・フィッシュバーンかよ!等とお爺ちゃんの印象しかない俳優さん達の若い姿には観てて全く気が付かず、後で調べてビックリでした。 あ、でもハリソン・フォードだけは分かりましたよ! フランス・フォード・コッポラ監督ってまだご存命ではありますが自分が生まれる前に活躍してた監督という感じで、ちょっと縁遠いんですよね。 それでもスゴい映画人である事は間違いないですね。 何だかんだできっと狂気の人間なんだろうなぁ。 やっぱりこの時代に比べると現代はソフトになってると思わざるをえない強烈な作品でした。

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